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第4話

  アルは、フリードの拾い子だ。10年前のこの小雨季の時期に、ウガンダのカンパラ辺りの草原で野営中に奴隷商人から逃げだしてきた。 逃げて直ぐにフリードに拾われたが、もし拾われていなかったら両足を折られ、売春屋に売られていたことだろう。 ──ソレは、いつも思っていたことだった。 いつもいつも、自分よりも何倍も巨大な身体に覆い被さられて、ソレがどういうことなのか理解できないときから、ずっと思っていたことだった。 しかし、ソレは思っているだけで決して望んではいけないことだった。 はぁはぁと荒い息が口から漏れる。苦しいと思っても足は止まらなかった。 広い草原。背丈もない草木、逃げてきた道筋が残って隠れそうな場所はどこにもない。 右に逃げればいいのか、左に逃げればいいのかさえ解らなかった。 息だけが上がり、背後から迫る脅威に怯える身体を奮い立たせて走った。 『待ちやがれ、チビが!』 重圧な咆哮(ほうこう)が轟く。逃げ切れる自信などまったくないのに、アルは下手な博打を打っていた。 奴隷商人の得意先だという獣人とやっている最中だけ、外される足枷と手枷。ソレを外した途端アルは逃げだしたのだ。 今までそういう態度を微塵もみせていなかったから、奴隷商人は油断をしていたのだろう。 『くっそ! あのとんまがこんなことするなんてな!』 そして、腰を振ることだけしか取り柄がないアルに悪態を吐く。 顔を真っ赤にして疾走する水牛は、アルを抱かせた獣人に高く売ろうと、より高い売値を申しでる顧客を慎重に選びすぎたことを悔やみ、その顔に泥を塗ったことを後悔させようと何やら企んでいた。 そんなアルは、素足に布だけを巻いた麻鞋(まがい)とは駆け離れた装飾沓で、大地をとたとたと覚束ない足取りで走っている。当然、草根に足をとられることは想定内、派手に地面に素っ転んだ。 ニタリと嗤う顔が(いと)わしい。射程内に入ればこっちのモノ。脚を止め、標的を定めるように地面を蹴って(ひづめ)を高らかに鳴らした。が、ソレだけだ。 水牛、彼の悪いクセが表でる。相手に恐怖心を与えて悦んでいるのだ。 恐怖に煽られるアルは、真っ青だった。死角になるように(うずくま)って、刻を稼ぐのも時間の問題だからだ。 そんな中、がさがさと草木を分けて、何かが近づいてくる。 息を呑む間もなく、銀色に輝く長い毛が目に入った。 ソレは、太陽の光に輝いて、とても美しく、綺麗だった。 目が離せれない。ひとつひとつの行動が目に焼きつき、アルの脳を揺さぶった。 『おい、餓鬼。お前、オメガか?』 『………オ、メガ?』 草原のど真ん中で遭遇した銀色の狼に、アルは瞬きをした。 野狼にあっても喋ってくるとは思わないし、知らない単語を投げかけられるとも思っていなかったからだ。 ソレに、アルは自分がオメガだということをまったく知らなかった。 『お前からはそういう臭いがする』 フリードからそういわれて、アルはそうなのだと思った。 『解らない。だけど、そうだと思う』 フリードをみた瞬間、身体の奥から血が騒いだからだ。 今までにこんなことはなかった。 そう、オメガだからアルファに惹かれる。当たり前のことだが、アルはコレまでアルファには出会ったことがなかったのだ。 『ふーん、なるほど。ソレでアイツに追われてるってワケね』 訝しげにアルの身に纏っているモノをみて、射程内に入っているアルを(もてあそ)ぶ水牛をみた。 見知らぬ狼に頼むことではないが、彼と離れたくなかったアルは恐る恐る口を開いた。 『………ねぇ、オレを助けて』 『ん? なら、俺と一緒にくるか?』 断られると思っていたから、アルは驚いた顔でフリードのことをみた。 『えっ、いいの?』 アルの驚いた顔にフリードは笑った。 『ああ、構わないさ。んじゃ、今日からお前は俺の嫁な。そうしないと村も入れないし、お前も助けられない』 『解った』 アルは力強く頷いた。今まで抱かれてきた獣人の中で、初めて抱かれたいと思ったからだ。 『ああ、いい返事だ。だが、忘れるなよ? 俺の嫁である限りだ』 『うん』 アルはフリードをみつめた。フリードが自分を求めてくれるのであれば、ソレでイイ、と。 だが、現実はそう甘くはなかった。フリードはアルを可愛がってくれるが、多忙の身。集落の皆も多忙の身。何もできないアルだけが、ひとり暇を弄ぶという状況になっていた。 幼子と遊ぶといってもアルが最年少。相手がまったくいない。外の部族の狼と遊ぶのはフリードに禁止されていたから、尚、遊び相手も話相手もいなかった。 ソレに、アルの誕辰の時期は干魃とかで食糧の蓄えが乏しくなっているから、そう盛大に祝われたことがないのだ。 フリードの妻として部族に迎い入れられたときもそうだったし、初夜のときもそうだった。 コレまでだってコレからだって、多分、アルはひとりで───。 「アル、落ち込むな! ソレ、フリード様から貰ったんだろう?」 てけてけと全力で走っているアルに、その横でとてとてと急ぎ足のドヴェルグは訊く。 「違わないけど、違う。そうじゃないの!」 アルはひと息に言葉を放ち、足を止めた。 ドヴェルグも足を止めて、軽く眉を寄せた。 「同じだろう! フリード様がお前にってくれたんだから、そうだろう!」 「………………」 アルは拳をぎゅうと握り締めた。白い肌が更に白くなる。 地面にボタボタと雨水が落ちた跡もつく。 「好きならもっと胸張っとけよ。多忙で後廻しされがちでも、お前はフリード様の妻だ!」 ドヴェルグの腹は煮え繰り返っていた。 握り締める小さな手を握ってやりたいのに、握れてやれない。 こぼれる涙を拭ってやりたいのに、拭ってやれない。 アルがそうして欲しいと思っているのはドヴェルグではなく、フリードだからだ。 好きな子が好きな人のことを想って泣いていることほど、悔しいモノはない。 もっと大人だったら。 もっと早く出会えていたら。 何か、変わっていただろうか? だが、ソレでもアルとドヴェルグの間柄は天地がひっくり返っても変わることはない。 運命というモノが履き違えても、アルの心が向くのはフリードだから。 「お前が辛いときや悲しいときは、俺がずっと傍にいてやる」 だから、好きなだけ泣け。俺はずっとお前の味方だ。 そういってやるだけが、精一杯だった。 ドヴェルグは初めてこの部族にきて、初めてアルにあって、初めて任を任されて、初めて恋をしたのだ。 5歳も年上で、頼りない()。だが、生涯をかけてでも護りたいと思ったのだ。 「………んっ、………ぁがっでる………」 赤子のように声を上げて泣くアルは、やっぱり年下だと思うドヴェルグだった。 「ほら、俺の尻尾使うか?」 「………ぅ、ん………あじがどぅ………」 アルは鼻水を垂らし、鼻をかむようにドヴェルグの尻尾に顔を押しつける。 「鼻はかむなよ?」 小さな肩が揺れ、尻尾に押しつけていた顔が上がた。 なともいえない表情でドヴェルグのことをみるアルは、そういうところが餓鬼で年下なんだと思うのであった。  

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