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第49話 帰国の2文字
緩めた腕の中から少しずつ歩んでいったアサは不安げに店主に話しかけていた。
何を話しているのか全くわからない。
それでも、自然と耳を澄まし、できるだけ情報を取り入れようとしてしまうから、人間とは不思議な生物だ。
二人から視線を離し周りを見回せば、群青色のキモノが風に乗りヒラヒラと舞っている。
アサが船で見つかった時に着ていたキモノも同じ色合いだった。
陶器のようなきれいな肌に映える美しい生地に、小柄な花が刺繍されていた。
それ以外服を持たないアサにピッタリなサイズの服など、大きな男ばかりの船で見つかるはずもなく、祖国では小柄なケンの服でさえ、アサには大きかった。
同じキモノを毎日着せておくおけにもいかず、俺の服を貸し何とか毎日を過ごしていた。
緩い首回りと両手が隠れてしまうほど長い袖を纏うアサは、どちらかと言えば、服に着られているようで可愛かった。
小柄な人間が俺の服を着れば可愛いのではない、アサが着るから何よりも愛しくて、腕の中にずっと閉じ込めておきたいほど可愛いのだ。
視線をアサへと戻すと、人のよさそうな顔をした店主に手を握られ、慌てるように言葉を発している様子が目に入った。
――なんでアサの手を握ってんだ?
今すぐアサの手を掴んでこっちに引き戻したい気持ちに駆られるが、次の瞬間アサの顔には安堵の色が映った。
母国語で話せたことが嬉しかったのだろうか。
何カ月も話という話をしていないんだ。それは嬉しいはずだ。
いや、もしかすると一緒に国に帰るという約束をしたのか?
そうなったら、ここでサヨナラなのか。
帰国という二文字が頭の中で躍る。
家族の元にアサを帰すことは、アサにとって一番のことなはず。
まだ16歳だ。親が必要な歳。
別れも告げずにいなくなった息子が戻ってきたら喜ぶことだろう。
それでも、心から喜べないのはなぜだ。
自分のわがままでこの子を縛るのは最低なことだ。
自然と眉間にシワがより、握った拳に痛みを感じた。
何をやってるんだ。
こうなるって分かっていただろう。
お辞儀をし、こちらを振り向いたアサは早足で俺の元へ戻ってきた。
何かを言いたそうな顔をしているが、今の話を説明できるほどの言葉を持ち合わせていない彼に何ができると言うのだろう。
踵を返し市場の通りを進みだした俺の後ろをパタパタと音を立ててアサはついてくる。
色とりどりの調味料を売る出店の横を通り過ぎると右手に大きな木が見えた。
大量の赤い花を咲かせ緑色の葉を茂らせるその木は、心地よさそうな木漏れ日作り出している。
少しばかり早足で進めていた足を緩めると、急ぎ足のアサが泣きそうな顔をしながら追いつく。
そっと戸惑い気味に握られた手はか弱く、小さく震えていた。
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