97 / 209
第97話 ニールは学習しない
「ンッ、ニールッ」
小さな手のひらに肩を叩かれてハッと我に返ると、頬を染めたアサが困り顔でこちらを見上げていた。しまった、あまりにも気持ちよすぎて少しだけ口づけを、と思っていたのに、思う存分楽しんでしまった。
わざとじゃないのは分かってる。分かっているが、このアサの表情と言ったら……こんなに瞳をとろんとさせて見つめられたら、誘われているんじゃないかともう一度唇を頂きたくなってしまう。
が、そうだ。今はここまで。
ケンが熱でショーンが役に立ってないんだったな。
せっかくアサが俺を呼びに来てくれたんだ。言われた通りに手を貸さないと。
「アサ、動けるか?」
「ン……」
ああ、やっぱり、あともう少しくらい、この空間を楽しめばいいんじゃないかって悪魔のささやきが頭をよぎる。
触り心地の良い髪に指を滑らせ、うなじで留められたバレッタに触れると、背伸びをしたアサが俺の唇へと近づいてきた。
「ハァッ」
アサの舌が咥内で逃げ回るたびに、俺は細い腰を掴む腕に力をこめていった。
唾液が混ざる感覚が、舌の柔らかさを味わえる感覚が、頭が狂いそうなくらい気持ちいい。
ケンのことを忘れたわけじゃない。
あと2、3分くらい、遅れていったって、何とかなるだろう。
いや確かに、風邪を全く引かないケンが熱を出したなんて一大事だろうし、何でも顔色も変えずにこなしてしまうショーンが看病に手こずってるところと見てみたいが、あと5分くらい……
唇を話すと、色づいた頬が俺の胸に寄り掛かった。力の入らない華奢な体は微かに熱を持っている。色白の顎に指をかけこちらを向かせると、照れ隠しにアサが前髪で瞳を隠した。
「おい!ニール!お前、まだここにいんだろ?」
「うわっ、船長?」
壊れんじゃないかと言うほど激しく扉が叩かれる音に、アサの小さな肩がびくりと飛び上がった。
あー……これはマズい。
説明すれば分かってもらえる……かもしれないけど、今この罰を受けてるときに、こんな状態のアサが俺といたら100%勘違いされる。
いや、勘違いと言うか、マズいことをしてたわけではないけど。ん?してたのか、マズいことをしてたんだよな……
「開けるぞ!」
「ってもう開けてんじゃないですか!」
「お、アサもいんのか?お前たちこんなとこで……はぁぁぁ。ほんとーにお前は反省しない奴だな、ニール」
「これには訳が!」
「なぁ、アサ?」
「ン?」
盛大にため息をついた船長は、俺を見て首を振った。
予想通りの反応だ。
「一生雑用してたいのか、お前は?」
「だから、言い訳くらいさせてくださいよ!」
「センチョ……」
「なんだ、アサ?」
なんだ、はこっちのセリフだ。アサに対しては可愛い孫に会った爺さんみたいにデレやがって。
「ゴメ、ン?」
「おい、ニール!聞いたか?アサが新しい言葉を!」
「は!これは新しい言葉ではないですよ、前にも使ったとこを、」
「あ?アサに謝らせたのか?」
「え、そんな」
「恋人失格だな」
「はああ??」
ってこんなことを言いにこの人はここまで来たわけではないだろう。
白髪の混じったあごひげを撫でつけた船長が、あっと声を上げた。
「そうだった、忘れるところだった。ショーンがお前を探してたぞ」
「船長に探させたんですか、あいつ?」
「いや、なんだかパニックになってたからな、面白くて手伝ってやってるだけだ」
「ケンのことで、ですか?」
「ああ、そうだったかな。熱だとか言ってたぞ。なーにあいつのことだ、知恵熱とかだろ。慌てることもねーのになぁ」
アサの頭を撫でながら二カッと笑った船長は言った。
ともだちにシェアしよう!