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第138話 ニールの逃した魚

 波が穏やかに揺れ、船のきしむ音がすぐそこから聞こえてくる。数秒間、俺たちは船の外を見つめ言葉を交わさなかった。今朝顔を合わせてからどのくらい時間が経ったのだろうか。二人の間に流れる重い空気のせいで、あまりにも長い時間が経っているように感じた。  何度かため息を吐き、首を振ったサイが覚悟を決めたように俺に視線を戻す。 「時間はかかるかもしれないけど、皆が羨ましがるような恋をします!」 「そうか…お前は良いやつだ。相応しい人間がきっと待ってるはずだ。焦る必要はない、恋は焦ってするものじゃないからな」  はい!とサイは元気のよい返事をした。  床に膝をつくと、散らばったままの鉛筆とスケッチブックを手繰り寄せる。描き途中のページには、青空の下で働く船員たちが描かれていた。 「ニールさん、逃した魚は大きいですよ」 「ははっ、俺はもう運命の魚を見つけたよ」  吹っ切れた笑顔でお辞儀をすると、サイは速足で船内へと戻っていった。 「ふうーーーー」  肩の重荷がどっと降りた気持ちだ。  話せば分かってくるれると思いながら声をかけたが、一時はどうなることかと心配していた。何よりも、サイと話している途中でアサが来てしまったり、サイが怒ってアサに変なことをしてしまったり、サイが納得してくれなくてことが大きくなってしまったり、出来れば回避したい事態はたくさんあった。    丸く収まって良かった、というところか。 「で、終わったの?」 「うわっ、えっ、ミリさん?お、おはようございます」 「おはよう」 「こんなとこで何やってるんですか」  背後から突然登場した金色の長髪が太陽に照らされてキラキラしていた。マグカップを両手で持ったミリさんが、頭を傾げてこちらを見つめてくる。  もしかしてこれは、一難去ってまた一難ってやつか?! 「朝の散歩。向こうでのんびりコーヒー飲んでたら言い合いが聞こえてきて、誰かと思ったらニールなんだもん。元気だよね、朝から」 「言い合いって、そんなつもりじゃ。これにはちょっと訳があって」 「サイを振ったんでしょ?あの子ずっとキミのこと好きだったもんね。よくアサと付き合いだしたときに大騒ぎしなかったなぁって思ってたんだ」 「大騒ぎって、そういうことする奴じゃないでしょう」 「恋は人を狂わすよ、ニール」  カップに口を付けたミリさんが、楽しそうにほほ笑んだ。 「楽しそうですね、ミリさん」 「ん?若いっていいなって思って。恋して舞い上がって、恋して傷ついてを繰り返すでしょ?」 「アサと出会ってからはずっと舞い上がってる気がします」 「そうかもね。それで良いんだよ。過去に恋したことあるか知らないけど、運命の人と出会うまでの経験は無駄にはならない。その経験があったからニールはニールで、だからアサはキミに恋したんだよ」  運命か。俺たちの出会いに名前を付けるなら、そう呼ぶのがふさわしいんだろうな。

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