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第180話 ニールは我慢できる男
「イ、タイ?」
腰に跨るアサが、手を伸ばして俺の額に触れる。派手に、やりすぎだろと言うくらいぐるぐるに巻かれた包帯のせいで、その指先さえ自分の肌で感じられない。大げさだな、と思うかもしれないが、そんな小さなことでさえ俺にとっては大問題だった。
「後頭部の傷口は触れると痛いが、こうやっている分には平気だ。寝る時は横になっていた方がいいかもしれないな」
「ン?ムズカ、シイ。ニール?」
「ああ、悪い。大丈夫だ。痛くない」
「イタク……ナイ?チガウ?」
「違うって、痛いとは違うって言いたいのか?それなら当たりだ。痛くない。大丈夫」
うんうん、と頷くアサを見て、心の奥がほっこりと温まる気がした。
1つの言葉を覚えると、今度はそれを否定する言葉を覚えなくてはいけないのか。俺が何も考えずに使っている言語をアサは頭を巡らせながら、理解し吸収しようとしてくれる。必要だからしていることだろうけど、アサが俺たちの船に迷い込まなかったらしなくても良かったことだろうし、俺のためにやってくれているんじゃないか、なんて自意識過剰なことを思ってしまう。
「イタクナイ。イタイ、クナイ?」
「い・た・く・な・い。「い」はいらないんだ。美味しい、美味しくない。楽しい、楽しくない。同じルールだな」
「オナジ。エ、ト……スキ、スキ、クナイ?」
「俺のことがか?」
「チガ、チガウ!」
思いついたように、自分で考えて「好き」の反対語を口にしたアサが、焦るように両手をばたつかせる。ベッドに座った俺とその上に跨るアサは、つまり対面座位なわけで。まあ、なんだ、はっきり言ってこの状態でフルフルと動かれると、今反応しちゃいけない部分が目を覚ましてしまう。
これが船で、自分たちのベッドの上ならそのまま事に及んでしまうのだが(可愛い恋人を腰に乗せといて、そのまま終わらせる男はいないはずだ)、残念ながらここは病室……けが人だから激しい運動は避けた方が良いだろう。と言うかそれ以前に俺は良識ある大人だ!いくらアサが俺の上で腰に乗っているからといって……
ふう、落ち着け俺。
妙な興奮のあまり「好きくない」が間違っているってことさえ伝えていない。毎日どんどん言葉を覚えていくアサだが、それは大体同じところで働いているケンのおかげだ。年が近いからなのか、友達だからかなのか、理由はどちらにしろ俺よりあいつはアサに言葉を教えている。
断じて嫉妬しているわけではないが、羨ましいとは思う。アサが口にするすべての言葉が俺が教えたものだったら、アサを独占した気分になれるはずだ。決して他から隔離したい、とかそんな危ない思いは抱いていない。
母国に帰れるチャンスを蹴って俺と船に留まる決意をしてくれたアサには、世界を見て、色々吸収して、色々な人間と交流して大人になってほしいからな。
「アサ、俺のこと好きか?」
「ン!ウン、スキ」
「それならおいで」
細い手首をそっと掴み、自分のほうへと引くとアサの体が前のめりに傾いた。
「ニール?!ンッ」
久しぶりに触れるアサの唇は、少しばかり乾燥していた。人間の皮膚はストレスで調子が狂うものだろうか?もしそうなら、これは俺のせいだ。
「——ァフッ」
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