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3 絢斗 十六歳

 夏央(なつお)がアンティークホテルのような館で暮らすようになって、三ヶ月近くが経った。  ここへ十二月初旬に連れて来られ、夏央は小学校の卒業式に出ないまま、春休みを迎えた。  高級車一台分くらいの金額で、夏央を売った父からの連絡はないようで、夏央も徐々にその連絡を待つ事をやめてしまった。  夏央を傷付けないといった館の主の(えんじゅ)は、その約束を守り続けてくれている。  夏央を迎えに来た初老の執事的な人物と、三人の女中達とも仲良くなり、何不自由なく生活できる環境は、もとの生活を直ぐに忘れさせてくれた。  何より、槐の存在が大きく、幼少の頃から甘えを否定され続けていた夏央の生活が、彼の包容力により、全てにおいて一変していった。  ここに来てから夏央は、四月から私立汐翠(しおすい)学園の中等部へ進学してもらうと槐に言われ、受験勉強を主にさせられていた。  汐翠学園は選ばれた一握りの生徒しか入ることが出来ない難関校だったが、夏央は一度、担任の先生から行ってみたくはないかと打診された事があった。  その話に父は乗り気になっていたが、母の反対に合い、汐翠への受験は取り止めとなった。恐らく母が反対したのは、高い学費の為だったと思われるが、そんなところを受験してしまっていいのだろうか、と夏央は心配した。しかし槐はあっさりと、その心配はないと答えた。  無事、受験に合格すると、汐翠学園の制服や鞄など、一式が槐から夏央に贈られた。 ――僕は…ここで、幸せなままでいられるのかな?  夏央はまだ、槐の本当の仕事を知らない。   ある夜、十時を過ぎた頃、夏央の部屋の扉がノックされた。  扉を開けると、初めて見る少年がパジャマ姿で立っていた。猫を思わせるような瞳を少し細めて、少年は自己紹介をする。 「俺は真野(まの)絢斗(あやと)、今年の春から高二。君より四つ年上だ…。」  そう高い方ではない身長で、絢斗は夏央を見下ろし、四つも年上なところを強調した。恐らく童顔である為、年が近いと思われたくなかったのだろう。 「僕は…。」 「日南(ひなみ)夏央君だろ?君の事は大体、知ってるよ。…夜、一人で眠れない事とかもね。」  絢斗は自ら部屋に入って来て、天蓋付きのセミダブルベッドへ直行し、布団を捲って座った。 「眠れないわけじゃ…。」  反論しつつも、ここで眠る風の絢斗の行動に、夏央は困惑させられる。 「今日は槐さん、来れないから、俺が代わりに来てやったの。…ほら、来いよ。」  その言葉に、夏央はあからさまに落胆してみせた。それに気付いた絢斗が、意地悪な笑みを浮かべる。 「残念だったね。…俺が気に入らないなら、帰るけど?」 『帰ればいい。』  ちょっと前の夏央なら、そう言ってしまっていただろう。しかし、その言葉は(すんで)のところで呑み込まれた。  一度、槐を拒絶した時、彼は酷く悲しそうな顔をした。その時夏央は、人を遠ざける言葉が人を傷付けると知ったのだった。  第一印象が悪い絢斗だが、このまま帰すと険悪なままになってしまう事も想像でき、夏央は絢斗を引き止める事にした。彼はこの館で初めて見る、自分以外の未成年でもあったし、それなりに興味を引かれた。 「気に入らないとか、まだ会ったばかりでしょう?…真野さんも、ここに住んでるんですか?」  夏央はベッドへ歩み寄り、彼との距離を縮めた。 「絢斗って呼んでいいよ。…俺はね、君より長くここに住んでるよ。君の先輩にあたるんだからね。」  急に気さくになった絢斗は、一足先にベッドに潜り込んだ。彼が帰らないと分かり、夏央は秘かに胸を撫で下ろす。 「俺的には、まだ寝る時間じゃないんだけど、今日は夏央君に付き合ってやるよ。」  夏央は促されるままに、絢斗の隣に横たわった。  絢斗が何者なのかよく分かっていないのに、出会って数分でこの状況は、普通なら有り得ない。 「絢斗さん、少し話をしませんか?」  夏央は電気のリモコンを確保して、絢斗に勝手に電気を消されないようにした。 「いいよ。…槐さんに、優しくしろって言われてるから、優しくしてやる。」 「優しくしろって言われなかったら、優しくしてくれないんだ…?」  小さな声で呟かれた夏央の言葉を、絢斗は聞き洩らさなかった。 「基本的にはね。…多少、やっかみとか混じってるから。槐さんと一緒に寝てるとか、ムカついてるからね。」  絢斗が槐を慕っている事を察し、やきもちを妬かれているのだと夏央は理解した。 「僕が来る前は、槐さんは絢斗さんと寝てたの?」  夏央が問うと、絢斗は呆れたといった顔になった。 「俺は槐さんの寝顔すら見た事ないよ。そんなん、君だけだし!君がお子様だからなワケだし!」  夏央は反論せずに、少しだけ不満そうにして閉口した。しかし直ぐに、間を作らないように次の質問をする。 「絢斗さんの部屋は何処にあるんですか?」 「この部屋の隣の隣。…今まで会わなかったの不思議だろ?」  夏央は頷く。 「俺は汐翠学園の高等部に通ってる。ちょっと遠い場所にあるから、朝は早い。…そして夜、この時間とか、大抵、ここの二階でオシゴトしてる。食事は自室で摂ってるし、…休日は寝てるか出掛けてる。それで会えなかったのかもね?」  絢斗の日常の説明に、夏央は一つのキーワードに引っ掛かった。 「仕事って…?」 「あ…!まだ、何も知らないんだっけ?」  そう言ってから、絢斗は口を滑らせたと言わんばかりに、手を口元に持っていった。 「仕事って、このホテルのお手伝いとかですか?」 「ここはホテルじゃないよ。」  この建物内の全貌をまだ知らない夏央は、思い込みを否定され、驚いた。夏央は今まで、ここは小高い丘に建つアンティークホテルで、二階は全て客室なのだと想像していたのだ。 「…俺が何してるか、知りたい?」  絢斗は好奇心を煽るような問い方をした。それなのに、夏央が頷くと、絢斗は言葉を探すように目を泳がせる。 「う~んと、ここに来るオジサン達相手に、…コミュニケーションを取って、癒してあげる仕事をしてる…って言っとくかな?」  その答えに、夏央は怪訝な顔をする。 「…話し相手をする仕事?」 「まあ、そんなとこ。そういうビジネスがあるんだよ。」  いずれは自分もやる仕事なのだろう、夏央はそう思い、もっと詳しく訊く事にした。 「槐さんがしてるの?」 「…してるのって言い方、なんかヤバい。まあ、槐さんが経営者なんだけど…。」  そこで絢斗は言葉を濁すと、話を打ち切る方向に持っていった。 「槐さんから、まだ説明がないって事は、君はまだ知らなくていいんだよ。…だから詳しい話は、その時を待ってればいいと思う。」  夏央の方に寝返りをうった絢斗が、間近で夏央の顔を見つめてきた。目を逸らせず、夏央も絢斗を見る。 「…ほんの少しだけ、槐さんに雰囲気が似てるよね。実は血縁関係あり?」  絢斗の問いに、夏央は即、否定する。  そんな夏央の頬に、絢斗は手を添えた。夏央はその感触を、嫌じゃないと思う。 「そうだよな…。あの人に血縁者なんて…。でも白い肌とか、なんもしてないのに赤い唇とか…。それなりに可愛い気あるし…。まあ、槐さんみたいな特別感はないけど。」  絢斗は溜息と共に仰向けになり、夏央から少しだけ離れた。 「…ところでさ、いつ電気消すの?」  不意に絢斗に問われ、夏央は反射的にリモコンで電気を全消しした。そして慌てたように常夜灯を灯し、一番暗い設定に調整した。  程なくして、まだ寝る時間じゃないと言っていた、絢斗の寝息が聞こえ始めた。  彼の寝付きの良さを羨ましいと思いながら、会って間もない筈の絢斗の方へ体を寄せると、夏央も深い眠りに落ちていった。

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