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8 お披露目会~三日目~
その日の夏央 は、一番浮かない顔をしていた。
お披露目会、三人目の客が、夏央との入浴を希望してきたのだ。
――初対面でお風呂って、有り得なくないか?…銭湯って考えたら普通?いや、違うよ、これ。…やっぱり、断るべきだった。
館二階にある浴室前の脱衣室で、客を待つ夏央は、逃げ出したくなる衝動を堪えていた。
間もなくして、見事なグレーヘアに、口髭を生やした五十歳過ぎくらいの男が入って来た。背は高い方ではなく、ビジネススーツ姿に、やはり派手な装飾付きのアイマスクをしている。
「待たせたかな?…私が水瓶座さんだよ。」
「夏央です。…本当に、お風呂に入るんですか?」
浴室を目の前にして、我ながら不自然な質問をしていると、夏央は感じた。
「嫌なのかな?」
「嫌…というか、あまり人と一緒に入ったことなくて…。」
父親と一緒に入浴した記憶も朧げな夏央は、戸惑いを露にする。
「君は…そんな感じだね。…これも、一つの経験だよ。」
水瓶座さんが脱ぎ出したので、夏央は拒否出来なくなった。もたもたしながら、自分も服を脱ぐ。
「マスク…、取ってしまおうかな…。」
ぽつりと水瓶座さんが呟き、夏央は思わず顔を上げて彼の顔を見た。
素性を隠している筈なのに、本当に外すのだろうかと見守っていると、速やかな流れで水瓶座さんは派手なアイマスクを取ってしまった。
夏央は衝撃を受ける。
――まさかのマスク・オン・マスク…!
水瓶座さんのその顔は、もう一つの、防水タイプの黒いシンプルなアイマスクによって隠されていた。
「素顔が見られると思ったかい?でも、ここでは身分を明かさない事がルールの一つだからね…。」
意外と筋肉質な体を晒した水瓶座さんが、軽く笑い声を発した。
初めて入る二階の浴室は、元ホテルという事もあり、広い室内に六人程がゆっくりと入れるような、大きな大理石の浴槽があった。お湯は湧き水を沸かしてあるので、ぬめりが僅かに感じられる。
微妙な距離間で、湯船に浸かっている夏央の傍に、水瓶座さんが近付いてきた。
「君を見ていると…出会った頃の槐 君を思い出すよ…。」
逃げ腰になっていた夏央だったが、槐の名前を聞いて、思わず水瓶座さんの顔を見た。
「…槐さんの十代の頃を、知っているのですか?」
水瓶座さんは感慨深げに頷く。
「初めて彼と会ったのは、…私が四十一歳の頃だったかな?彼は…十三か四くらいだったか…。」
それを聞いて、夏央の感情が少しだけぴり付いた。
――十三歳の槐さんを…なんて…。…約十年くらい前の話になるのかな…?
夏央は水瓶座さんの年齢を、五十一、二歳くらいだと推測する。
「私の父が…彼を見出だしてね。…彼が居たから、このシステムが始まったんだよ。」
このシステムというのが、少年一人を可愛がるという事なのだと、夏央は推し量った。
「…今は絢斗 君だけど、次は夏央君がここのメインになってくれればいいと、みんな思ってる筈だよ。」
そう言われると、夏央は改めて怖くなってきた。自然と俯いてしまう。
――槐さんは…どうして、こんな仕事をしているんだろう…。
「槐君が気になるのかい?」
水瓶座さんに優しく声を掛けられ、夏央は無言で頷く。
「まあ、彼が気にならない者は…いないだろうね。」
水瓶座さんと一時間過ごした後、夏央はその足で二階の別の部屋へ向かった。
バスローブ姿で指定された部屋に入ると、そこは寝室といった作りで、中央にキングサイズのベッドが置かれていた。そこで次の客、天秤座さんを待たなければならない。
初めてベッドのある部屋で客と会う事になり、夏央は固唾を呑んだ。徐々に全身が震え出す。
そこへ濃紺のガウンを着た、七十代手前といった風の、少し禿げかけた白髪の男が、蝶の形をしたアイマスクを付けて入って来た。今までで一番マスクが似合っていないと、夏央は率直に思った。
「初めまして、夏央君。…今日は二時間、君を拘束させて貰うよ。…いいかな?」
二時間とは聞いていなかったので、夏央は焦った表情を出してしまった。了承を得ようとされるが、もう既に決まっていそうな雰囲気だ。
「急遽ね、槐君にお願いしたんだ。…今日、私は、ここに仮眠に来たのだよ。君には添い寝をして貰おうと思ってね。」
「…添い寝、ですか?」
「警戒しなくて大丈夫だよ。私は勃たない。…インポテンツってやつだよ。」
天秤座さんはガウンを脱ぐと、ぽっちゃりとした裸体を晒した。
「君もバスローブを脱いで欲しいんだけど。…水瓶座さんとは一緒にお風呂に入ったんだろう?」
そう言われると、夏央は断り辛くなった。仕方なくバスローブを脱ぐ。
「あれ、パンツ穿いてる。…まあ、いいか。」
がっかりした天秤座さんだったが、軽く流してくれた。そして先にベッドに入り、夏央に横に寝るように促した。
「もっと、ぴったりとくっついてくれると嬉しいな…。」
夏央は遠慮しながらも近付くと、肩を引き寄せられてしまった。
「よしよし、いい子だ。」
意外にも天秤座さんからは、優しい甘い香りが漂っていた。
灯りを消されると、夏央の緊張が復活し、思わず質問を口にする。
「…絢斗君や僕の前には…槐さんとも?」
「いや、私が初めてここへ来た時には、槐君はもう現役ではなかったからね。…でも一度だけ、無理を言って、口でして貰った事があったかな。私もまあ、あの頃は若かったからね。…だから、ちょっと前までは添い寝なんかで、満足した事はなかったんだよ。」
天秤座さんは不甲斐ない自身を思い、溜息を吐いた。
夏央は疑問に眉を顰める。
――槐さんが現役でなくなってから、どれくらい経ってるんだろう?…五、六年?…だとしたら、天秤座さんが初めてここへ来た頃、若かったって…どういう事?
五、六年遡っても、天秤座さんは六十代前半辺りだと推測すると、話に違和感が感じられた。
水瓶座さんの時はすんなり計算があった気がしたのに、今回は腑に落ちない。
改めて天秤座さんを確認すると、彼の肌は弛みや皺があるものの、肌艶はいい。
――実は意外と若いとか?…それとも、体の機能的に若かったって事なのかな?
そんな事を思いあぐねていると、いつの間にか天秤座さんの寝息が聞こえ始めた。
――寝ちゃった?これで一安心だけど、…このまま二時間は拷問じゃないかな。
途方に暮れそうな夏央だったが、次第に彼も眠りに誘われていった。
薄っすらと浮上した夏央の意識に、第三者の気配が感じられた。
灯りが点けられ、眩しさに薄目を開けると、槐が天秤座さんサイドに立ち、何やらひそひそと遣り取りをしている。
「天秤座さん、マスクが外れていましたよ。」
「おっと、これはいかん…。」
ベッドの端へ寄った天秤座さんが、槐を屈ませて顔を近付けた。そして、その唇に口付ける。
「天秤座さん、僕は対象外の年齢ではないんですか?」
「槐君は特別だよ。…もう一回いいだろう?その分の金も取っていい。」
「…お金はいいですけど。しょうがないですね。」
天秤座さんの無理強いに、槐は快く応じ、積極的で濃厚なキスを彼に与えた。
それを目撃してしまった夏央は、ショックを隠せず息を呑んだ。
そんな夏央に気付いた天秤座さんは、大きく伸びをすると、槐が渡したガウンを羽織った。
「また宜しく頼むよ、夏央君。」
そう言って、天秤座さんは上機嫌で帰って行った。
その後ろ姿を見送ってから、槐は夏央にパジャマを渡した。
「夏央君、お疲れ様…。」
夏央は悲し気な目で槐を一瞥してから、パジャマを受け取った。
「有難うございます。槐さん…。」
「今夜、ベッドで話聞くから。…言いたい事は、その時にね。」
槐はいつもの優しい微笑みを浮かべてから、夏央を一人部屋に残して出て行った。
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