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12 絢斗とエンジュ

 絢斗(あやと)の二十歳の誕生日から三日程経った頃、夏央(なつお)との代替わりが成立した。  そして絢斗は、娼館の常連客の一人だった、水瓶座さんこと松城(まつしろ)隆治(りゅうじ)の養子となる事が、正式に決まったのだった。  松城の名は地元でも名士として有名で、その名を掲げるグループ会社も複数存在している。  汐翠(しおすい)学園の理事長である松城隆治は、その松城本家の次男であったが、今は絶縁状態にあるという。  その理由は今のところ、明らかにされていないが、絢斗にとっては、一族のしがらみに干渉される事もなく養子になれたので、好都合でしかなかった。  二日後、館を出て行く絢斗が荷造りをしていると、(えんじゅ)が手伝いに来てくれた。  最愛の人との二人きりの空間に、絢斗は嬉しさで、感情が爆発しないようにコントロールしなければならなかった。 「本当に…彼で良かったの?」  松城をパートナーに選んだ事を、槐に心配そうに問われると、絢斗の胸は痛んだ。 「ええ。水瓶座さん、…隆治さんとは、それなりに相性いいですし…。」 「そう。…松城さんを宜しくね。」  槐の長く艶やかな髪が、さらりと後ろへ払われた。絢斗は思わず見とれてしまう。 「…あの、槐さん。最後に一つ、お願いを聞いて貰えますか?」  絢斗は改まった言い方をした。槐は段ボールを塞ぐ手を一旦、止めて、笑みを返す。 「最後じゃないでしょ。君が松城さんのパートナーなら、これからも、いつだって会えるだろうし…。」 「でも、ここを出てしまうんだから、今まで通り、毎日顔を合わせるなんて、無理になるでしょう?」 「ここを出る前に、一つだけ願いを聞いて欲しいってこと?」  絢斗は頷くと、意を決して口にする。いつもより真剣な眼差しを向けて。 「…あなたを抱かせて欲しい。」  それに対して、槐はきっぱりと即答する。 「それは叶えられない。」  分かり切っていた答えだった。 「ですよね。…それじゃあ、あなたを撮影してもいいですか?」  絢斗はあっさりと引き下がり、別の願いに差し換えた。 「写真?」 「いえ、ビデオ撮影です。…ドキュメンタリーな感じで、密着取材風に。」  絢斗は最新のビデオカメラを、手に取って見せた。 「密着取材風は困るかも。…やめてっていったら、撮影、やめてくれる?」  妥協案と共に、絢斗の願いは叶えられる事となった。  翌朝、夏央の部屋で、彼と一緒に眠る槐を起こすところから、絢斗は撮影を始めた。  新学期が始まった夏央を学校に送り出してから、槐は再度、自室で睡眠をとる。絢斗はそこで一旦、撮影を中止した。  許可を得ているので、絢斗はずっと傍にいる。  それからきっかり二時間後、女中の一人が、グラスに注がれた赤い飲み物を運んで来た。 「それは…?」 「トマトジュースですよ。…絢斗さんの分は、お持ちしませんでしたけど。」  絢斗の問に、女中は笑顔で答えた。  女中が出て行った後、槐がゆっくりと体を起こした。起き抜けの体に、赤い飲み物を吸収する。   その姿は映画に出て来る、美しい吸血鬼のようで、絢斗は思わずビデオカメラの画面に槐が写っているかを確認した。 「…吸血鬼みたい?」  槐に見透かされたように問われ、絢斗は慌てて否定する。 「いえ、健康的な感じです。」  取り繕った絢斗は、誤魔化すようにインタビューの真似事をする。 「槐さんの美しさの秘訣は…?」 「セックス…って答えじゃダメかな?」  槐から冗談めいた答えが返ってきた。 「そんなに、してそうじゃないですけど…。」  納得出来なさそうな絢斗に、槐は首を傾げてみせた。 「そうか…。君は知らなかったよね。」  何かを決心したような槐が、身支度を始めた。  洗面室から戻った槐が、白いシャツにグレーのスラックスという、いつものスタイルになり、腰近くまである髪を後ろで一つに纏めた。そして、撮影し続ける絢斗に声を掛ける。 「ついて来て。」  槐は館の一階まで行くと、絢斗があまり立ち入らない、納戸と思われていた場所の扉を開けた。  そこには地下へ続く階段があった。ここからは土足だと言われ、部屋履きから、女中が持ってきてくれた靴に履き替え、二人は下へ降りていく。  蝋燭を模した形のセンサー式ライトが、次々と点灯していくが、薄暗く、ホラー映画宛らな感じだ。 「ここはね、岩山の洞窟だった所を利用して、作ってあるんだ。」  途中、槐が説明してくれた。館の地下通路は、何処かへ続いているようだ。  見取り図にしてみれば単純な構造かも知れないが、実際に歩いてみると、感覚を狂わされる。お化け屋敷の迷路ほど複雑ではないにしても、今、館のどの位置にいるのか、把握出来なかった。 「ここから先は、もう館の地下じゃないんだよ。」  槐は辿り着いた扉の鍵を開け、先程の通路よりも暗い室内へと入って行く。  その先の狭い通路を抜けると、スポットライトの当たる怪しげな舞台が、数メートル下に浮かび上がった。  絢斗達がいる場所は、舞台装置を管理している部屋のようだ。  窓越しに見下ろすと、舞台下には仮面を付けた数十人の客達が着席しており、時折、札が挙げられている。  そして舞台には、透き通るような肌の青年が、黒革のベルトのみで装飾され、天井から垂れ下がる幾つかのロープによって吊るされている。 「…駿矢(しゅんや)君!?」  絢斗は舞台上の青年が、見知った顔なのにショックを受け、撮影を中止した。  オークション形式になっているのか、札で権利を勝ち取ったような仮面の客が、舞台へ上がって来た。  仮面のスタッフが横に立ち、幾つかの器具が並ぶトレイを客に差し出している。  客はブジーと呼ばれる細い金属を選び、駿矢の尿道に差し込んでいった。  駿矢から悲鳴のような声が上がり、絢斗は顔を蒼白にさせた。 ――駿矢君がしたい仕事って、こんな事だったの…?  目を疑う光景だったが、よく見ると、駿矢の顔は恍惚としている。 「驚いた?…ここは僕のもう一つのビジネスの場所。松城さんが開いた、サディストが集まるクラブ。」  槐の言葉に、絢斗は耳を疑った。 「隆治さんが…?」 「そう、そして僕がオーナーを引き継いだ。それから、つい最近、…三ヶ月くらい前になるかな。駿矢君に譲ったから、今は彼がオーナーなんだよ。」 「オーナーなのに、あんな事…。」  舞台上では、客がもう一人上がってきて、二人掛かりで駿矢を激しく犯し始めた。 「駿矢君は酷くされるのが、好きなんだ。…美しいものを穢したいという人々も存在していて、このクラブは成り立ってる。」  そして更に衝撃的な言葉を、槐が口にする。 「僕もね、時々…駿矢君のように、あの場所で縛られたり、複数の人に酷く犯されたりしてるんだよ。」  嘘だと叫びたかった絢斗だったが、妖しい雰囲気に纏わりつかれ、容易に想像出来てしまった。  槐は誰でも受け入れる。だとしたら、やはり絢斗は納得が出来なくなってしまう。 「それなら、どうして俺は…槐さんを抱いたらダメなんですか?」  切実な思いを絢斗がぶつけると、槐は優しく彼の頬を撫でた。 「君には…雄は似合わないから。」  館へ戻ると、まだ日が高く、熱い夏の景色が窓の向こうに広がっていた。  先程の光景が、夢か幻だったかのように思えてくる。  絢斗はビデオ撮影を再開した。  槐は部屋へ戻ると、PCに向かい作業を始めた。画面には株価チャートが表示されている。 「もしかして、デイトレードですか?」 「専門家じゃないし、大した投資はしてないけどね。」  この短時間で、槐の知られざる部分が明らかになっていき、絢斗は心を震わせた。  でも、まだ知らない秘密が、多く存在していそうだ。  館の地下あった幾つかの扉も、そこに何があるのか、まだ謎のままだ。  それよりも、予てから訊きたかった事が、絢斗にはあった。 「…槐さんは、好きな人はいますか?」  不意な問に、槐の動きが一瞬、止まった。それから彼は立ち上がり、窓際へ移動すると、何処か一点を見つめていたようだったが、徐ろに絢斗に視線を移した。その瞳から突如、涙が溢れ出す。 「…僕はね、生涯で一人だけの人を、愛し続けているんだ。」  そう答えた槐の両頬は、零れ落ちる涙で濡れていく。その事に彼自身は、気付いていないように見えた。 「ご免なさい、俺…。」  絢斗が狼狽えると、槐は首を傾げる。 「どうして謝るの?」  やがて槐は、自身の涙に気付いた。 「涙って、枯れないものだね…。」  槐の涙に、愛し続けているのに、彼は報われていないのだと、絢斗は察する。 「槐さん…!」  絢斗はカメラを下ろすと、思わず槐を引き寄せ、彼の唇を奪った。最初、驚いたようにしていた槐だったが、すんなりと口付けを受け入れ、逆に積極的に舌を絡ませてきた。  槐の方が背が高いこともあるが、絢斗は一転して受け身になってしまった。 ――攻め、失格…。  失意の念を感じながらも、甘い感覚に、絢斗は魂を抜かれたようになり、遂には意識が飛んでしまった。  そして気が付くと、絢斗は見慣れた自室のベッドの上に横たわっていた。  はっとして起き上がった絢斗は、サイドボードに置かれてあったビデオカメラに、素早く手を伸ばした。  撮影した映像が、ちゃんと残されているか気になったからだった。  確認すると、嫌な予感は外れ、ちゃんと槐の姿は撮影出来ていた。  絢斗は安堵の吐息を洩らす。  顔を綻ばせながら、映像の中の槐の美しさをを堪能していると、最新式のカメラで撮影したにも拘らず、時折、ノイズが走ったり、変な光が射し込んだりしていた。  そしてよく見ると、時折、槐の瞳は不自然に青く光っている。 ――…これって超常現象?  絢斗は怪訝な表情で、カメラの映像を凝視した。

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