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17 槐の手紙
深夜、消灯されていない夏央 の部屋へ、槐 が控えめな音と共に入って来た。そして、夏央が横たわる、天蓋付きのセミダブルベッドに潜り込む。
眠っていたと思っていた夏央が、槐の方に体を傾け、二人は布団の中で向き合う形になった。
瑞々しい生花に似た香りを、いつも槐は纏っており、夏央はそれに包まれる感覚が、堪らなく好きだった。
「相変わらず、一人じゃ眠れない?」
「…いえ、槐さんが来てくれるのを、待ってただけですよ。」
槐の問に、夏央が可愛げのある答えを返した。槐は嬉しそうに夏央の髪を撫でる。
「身長…伸びたよね。今、何センチ?」
現在、高校二年生の夏央は、来月で十七歳になる。最近、目線が近くなったので、槐は彼の身長が気になっていたのだった。
「一七三センチくらいです。槐さんも、そのくらいですよね?」
「僕の方が、ちょっとだけ大きいかも。…まだ、伸びてる?」
「…どうかな?最近は、特に変化を感じません。」
槐は少し考える表情になり、それから囁くように夏央に問う。
「…流石に、もう一緒に寝るのは変…かもね?」
「そんなの…今更ですよ。」
夏央は少し困ったような顔をした。その顔を見た槐が吹き出すと、夏央もつられたように笑った。
「…夏央君の笑顔を見ると、安心するよ。」
夏央の頬を、槐の滑らかな手が撫でていく。
「君がここへ来て暫くは、全く笑わない子だったから、凄く心配してたんだ。」
その言葉に、夏央は伏し目がちになり、過去の自分を振り返った。
「そうですね。…笑うなんて感情、以前の僕には欠落していたのかも知れない。」
夏央は部屋の灯りを消した。
少しの間の後、夏央は思い出したように口を開いた。
「…今日、天秤座さんが僕を槐さんと間違ったんですよ。」
この娼館の常連客である天秤座さんは、一番の古株で、槐と面識のある唯一の客だった。
夏央は成長と共に、槐の容姿に近付いていっていた。
日中、出歩かない槐の肌の白さと、腰近くまである髪の長さを差し引けば、二人は兄弟以上に似ていると言えた。
「僕自身も、最近は槐さんに似てきたって、自覚があって…。槐さんは、どう思ってます?」
夏央は緊張を湛え、槐の回答を待つ。嫌がられていなければいい。それくらいの心構えだった。しかし槐の口からは、予期せぬ答えが発せられる。
「今まで黙っていたけど、君と僕は血縁関係にある。だから、他人の空似って訳ではないんだよ。」
「え…?それ、本当なんですか?」
夏央の心拍数が一気に上がった。
「うん。…と言っても、遠い親戚レベルなんだけど。恐らく、隔世遺伝とかが関係しているのかもね…?」
「隔世遺伝…?」
「人によっては両親には似ずに、祖父母とか、もっと上の世代の人に、似て生まれてくるとかあるんだって。それで――、話すと長くなるから、僕達の家系図的な話については、また別の機会にしてあげるね。」
今直ぐにでも詳細を訊きたかった夏央だったが、槐が眠そうな素振りを見せた為、追及するのを諦めた。
――もっとゆっくり話せる時でいいか…。
しかし、その機会が訪れる事は、永遠になかった。
翌朝、いつものように夏央を学校へ送り出してくれた槐が、その後、帰らぬ人となってしまったからである。
槐に起こった事を何も知らない夏央は、その日も客の相手をした後、身支度を整え、自室に入ろうとした。
そのタイミングで、ロマンスグレーな紳士風の使用人、牧野が声を掛けてきた。
「槐様のお部屋に、来て頂けますか?」
珍しいシチュエーションだと思いつつ、夏央は牧野の後に続いた。
角部屋に当たる槐の部屋まで来ると、牧野はノックもせずに扉を開けた。真っ暗な部屋に、人の気配は感じられない。牧野が電気を点けると、妙に整然とした空間が現れた。
「槐さん、いないんですね…。」
滅多に入らない為、辺りを興味深げに見回していた夏央は、机の上に無造作に置かれた一枚のメモ用紙に気付いた。夏央がそれに近付くと、牧野が背後から説明する。
「それは私宛てのメモです。…読まれても結構ですよ。」
夏央はメモ用紙を手に取った。それには走り書きのような文字で、こう書かれている。
『彼の再生が止まりました
これで僕の生涯も終わりにできます
例の手紙を夏央君へ渡して下さい』
夏央は不可解な内容に、眉を顰めて牧野を見る。
「…どういう事ですか?」
夏央の問に、牧野は一通の封書を渡す。
「これが、メモにある『例の手紙』です。」
夏央は嫌な予感で押し潰されそうになりながら、封書を手に取った。その表には横書きで『夏央君へ』とある。夏央は震える手で開封する。そこには印字された文字の手紙が入っていた。
『日南夏央様
これは君への謝罪の手紙であり、君宛ての僕の遺書のようなものとなります。
僕が君に謝らなければならない理由。それは君に何の相談もなく、君を生贄にして、僕自身を解放しようとしている事にあります。
君と思ったより長く一緒に暮らせて、少し迷いも生じていたのですが、僕を支配する人との約束の為に、それを僕は決行しようとしているのです。
僕を支配する人は、説明がとても難しくなるのですが、彼は普通の人間ではありません。彼は人の血を糧に、不老不死に近い状態で、長い年月を生き続けています。
オカルト的な見解でいくと、物語や伝説にあるような「吸血鬼」と言った感じになるのでしょうが、僕は現実的に見て、原因不明の不治の病に掛かった人なのだと認識しています。
その彼の名前はカイザー。彼は遠い異国から流れ着き、僕の曾祖母の時代から、蔵木渡家で暮らしていたと聞いています。
僕はある悲しい事件を切っ掛けに、死を望むようになりました。それを阻止する為に、カイザー様は自分の血を僕に与え、僕の体を彼と同じ不老不死へと変えてしまいました。
僕はその事を感染による遺伝子の書き換えだと考えているのですが、それだけでは説明出来ない症状も起こりました。自分で自分を傷付ける行為を、カイザー様に禁じられると、本当にそれが出来なくなってしまったのです。血を摂取する事をやめれば、いずれ死ねる筈なのに、それをやめる事も出来ない。
それは血の影響による「支配」と言えました。
僕が死を望む理由。これについては、余り詳しく語りたくないのですが、僕には心から愛する人がいて、その人が重篤な体で生き続けている処にあります。
彼は二十年以上、動けず、話す事すら辛い状況で、日々を過ごしています。
彼が解放、即ち死を望んでいるようなので、僕も同様の願いを持つようになりました。
それでも僕達の死を許さないカイザー様に、僕はある条件を提示しました。
「僕の代わりになってくれる者を見つけたら、僕を解放すること。」
その条件をカイザー様は受け入れてくれました。恐らく、それが存在しないと思ったからなのでしょう。
カイザー様が僕に執着する理由が、僕の容姿にある事を僕は知っていました。だから僕は、僕に似た誰かを探し続けていたのです。そして、その条件を満たしたのが夏央君、君でした。
冒頭に書いたように、君は生贄なのです。
僕の代わりになった君の人生は、大きく狂っていくでしょう。
本来なら、面と向かって告げなければいけない事なのに、僕は逃げるように、この手紙一つで終わらせようとしています。
君をカイザー様に捧げる事を、毎日、先送りにしながら過ごしていますが、それも時間の問題となってきているようです。僕の愛する人の意識が途絶えたら、もう終わりなのです。
恐らく近いうちに、僕はその傍らで、永遠の眠りに就くことになるでしょう。
夏央君、本当にご免なさい。謝っても許されない事は分かっています。
僕の死後、君はカイザー様の支配下に置かれ、そして、この館の主となるのです。
僕の遺品となる物、全てを君に委ねます。
詳しくは正式な遺書に書いてありますが、難しいことは牧野さんに相談して下さい。』
夏央は早鐘のように鼓動を打ちながら、手紙の内容を精一杯理解しようと努力した。
――これは本当に槐さんの遺書?…生贄とか、血の支配とか、訳が分からないよ。
夏央を暗い混乱が覆っていった。
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