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18 地下室の支配者

 (えんじゅ)の手紙を読み終えた夏央(なつお)は、軽い眩暈を覚える。内容を理解しようとしながらも、脳がそれを拒否してきた。 「牧野さん、槐さんは…どうしたんですか?」  背後を振り返り、震える唇で使用人の牧野に問うと、彼はハンカチで瞳を拭っていた。 「お会いになられますか?」 「…会えるんですか?」  牧野は無理に笑顔を作ると、案内すると言って夏央を誘導する。  一階へ降り、厨房付近まで行くと、パントリーだと夏央が思っていた扉が開けられた。そこには地下へ続く階段があり、夏央はそこで初めて、この館に地下室があることを知った。  予め準備されていた下履きに履き替えると、未知の階段に足を踏み入れる。薄暗い中、魔法のように壁の蝋燭が点灯した。よく見ると、それはセンサー式ライトで、進む毎に点々と先を照らしていく。  地熱なのか、部屋着にカーディガンを羽織った軽装でも、大して寒くはない。ただ、夏央は見えない何かを想像し、小動物のように震えながら、牧野の後を歩いた。  階段を降り切ると、何処か奥へ続いているような通路と、幾つかの扉が現れた。  その扉の一つを牧野がノックする。  間もなくして、一九〇センチはありそうな、長身の外国人男性が扉から出て来た。年の頃は三十代半ばといった処だろうか。プラチナブロンドの髪を首の後ろで束ね、着流しという和装スタイルをしている。その目は金色と思えるような薄茶だった。  夏央は直感的に、彼が槐を支配したカイザーという人物なのだと悟る。  牧野は彼に一礼すると、一人、その場を去ってしまった。取り残された夏央は、途端に身の危険を感じ始める。 「あなたがカイザー…?」  恐る恐る夏央が問うと、彼は流暢な日本語で答える。 「いかにも。お前は夏央だな。…エンジュに会いに来たのだろう?」 「はい。」  カイザーは最後に小さな”(エル)”が聞こえそうな独特の発音で槐の名を言い、それによって夏央は、幾ばくかの恐怖心を振り切る事が出来た。  槐に会えるのであれば、この状況など、ものともしない。  カイザーは彼が出て来た部屋の、真向かいにある扉を開けた。  夏央は期待を胸に、部屋の中へ入る。  そこは十六畳程の広さの、全体的にアンティークな装いの部屋で、窓がない事以外は、元ホテルだった館の他の部屋の内装と似ていた。  そこに槐の姿は見当たらず、夏央は裏切られた気がした。それと同時に部屋の中の異質な物に気付く。  それはセミダブルベッドの上の白い石像だった。  カイザー程の身長の、ミイラのような老人と、それに寄り添う槐にそっくりな裸体の青年が、リアルに模られている。  素材は大理石だろうか。青年の方はイタリアの芸術家、ベルニーニの彫刻作品のように艶めかしく、石とは思えない程の、柔らかさを感じさせられた。対して、老人の方は緻密な皺まで再現され、同じ素材とは思えないような乾いた質感で、纏っている死に装束のような白い着物は、よく見ると、本物の布製だった。その着物には血のような茶色い染みが、所々付着している。  夏央が石の彫像と思われる物に見入っていると、横にカイザーが並んだ。 「これは…?」  夏央がカイザーを見上げて問うと、彼は悲痛な面持ちになった。 「エンジュと私の息子だよ。」  予想外の答えに、夏央は息を呑む。 「…そんな、これが?」  カイザーは俯き、吐き出すように言葉を紡ぐ。 「エンジュはずっと死にたがっていた。だから勝手に死なぬように、この子が二十三の時に私の眷属にして、私と同じ、死なない生き物に変えてやったのだ。だが、私の息子の再生が止まったのを切っ掛けに、再びエンジュは死を望んだ。この子は…私の血によって変わり、私の血によって石になってしまったのだ。」  夏央は槐の遺書を呼んだ時以上に、混乱を来した。 「話が…唐突過ぎて、上手く理解出来ません。…このミイラの石像が、あなたの息子さんで、槐さんが愛した人?。出来のいい彫像にしか見えないのに、…これが遺体?こんなの、信じられませんよ。」  カイザーは深く頷いた後、壁一面を覆う大きな書棚へ移動すると、一冊の古びた背表紙の本を手に取り、ついでのように一脚の椅子を持って夏央の横に戻った。  椅子を夏央の背後に置いたカイザーは、座るように促し、先程手にした分厚い本を差し出す。  それは古いアルバムだった。 「…私と息子、そしてエンジュの話をしよう。」  椅子に座り、アルバムを捲る夏央の横で、カイザーは立ち尽くしたまま、静かに話を始めた。

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