22 / 27

20 カイザーの話~後編~

 エンジュが十三歳の頃、あの子の両親が不慮の事故で死亡した。  そこで露呈したのは、多額の借金だった。  ある日、借入先の松城(まつしろ)という、六十代の男が訪れた。彼はエンジュの祖父である惣介(そうすけ)の、一級上の先輩で、親しい友人の一人だったと言った。  その男は、惣介の代になる前のホテルの裏稼業の太客だった事を、自慢気に話した。いかにも好色そうな顔で。  私はそれを聞いた時、直ぐ様、嫌な予感がした。それは的中し、彼はエンジュに身を売らせ、借金を返済させると言ってきた。  私は勿論、反対した。  しかし、彼は私が普通の人間ではない事を知っており、それを含めて脅してきたのだ。  その話を聞いたエンジュは、私を守る為に、自身を売ることを承諾してしまった。  私は本当に不甲斐なかったよ。芳乃の代わりに、この子を守っていこうと決めたのに、逆に守られてしまったんだからね。  エンジュは松城に買われる前に、私の息子である(たつる)に初めてを捧げたいと言った。  その時、エンジュが樹のことを愛しているのだと、私は初めて知った。  樹は当時十八歳で、弟のように思っていたエンジュを抱く事に、酷く戸惑いを感じていたようだった。  だけど樹は断れず、エンジュの願いを聞き入れた。  ホテルは廃業し、人知れず娼館に姿を変えた此処で、エンジュは松城が連れて来る客達に体を開き、男達にとって、特別な存在となっていった。  当時、四十過ぎになる松城の次男も、エンジュに魅了された男の一人だった。  エンジュは昼間は学生、夜は男娼として働き、その合間に、私に血を与えてくれていた。それが気に入らなかったのか、松城が自身の息の掛かった病院から、定期的に血液を横流ししてやると言った。勿論、只ではなかったが、私はそれを受け入れた。  その当時、ホテルには五人の使用人が居たのだが、彼らを解雇するに当たり、ひとつの大きな問題が出てきた。それは彼らが、私達の秘密を知り過ぎているといった事だった。  今思えば、信用できる者達ばかりであったが、その時の私は疑心暗鬼に駆られていたのだ。  そこで私は秘密を守らせる為に、五人の使用人全てを眷属にし、そのまま手元に置くことにした。そして松城から送られてくる血液を彼らに与え、私は彼らから血を貰うようになった。  今も働いてくれている、牧野と女中の三人は私の眷属なのだよ。  樹が二十歳になり、血を欲するようになってからは、エンジュは傷口を最小限にして、こっそり樹に血を与えているようだった。  私はそれを、とても羨ましく思っていたよ。  エンジュが二十歳になった頃、ようやく松城は男娼としてのあの子を解放してくれた。  ただ、別の少年を手配して、娼館の手伝いはさせていたけどね。  それでも、エンジュにとっては解放だと言えたのだろう。  それを切っ掛けに、エンジュは樹と気持ちを通じ合わせ、愛し合うようになった。  彼らにとって、生涯で一番、幸せな時が訪れたのだ。  しかし、それは長くは続かなかった。  今から二十一年前の事だ。  私は故郷の一族の事など、殆ど思い出さなくなって、戻りたいと思うこともなく生きてきたのに、故郷から刺客が訪れたのだ。  故郷の占い師が、私が生き延び、樹が生まれた事を言い当て、樹が一族を滅ぼすと予言したらしかった。  それを信じた一族の長が、わざわざ私達を探し出し、二人の刺客を送り込んできたのだ。  樹はその時二十八歳で、松城の次男が作った学校で教員をしていた。そんな息子が一族を滅ぼすなど、有り得る筈がないのに…。  刺客らは夜分にこの館に忍び込むと、無抵抗の樹の心臓を抉り、更に首まで撥ねた。  そして私を咎め、呪術の込められた短剣で、私の生殖器を破壊した。  それでも、樹は死ななかったんだよ。  一族の手の者が去った後、私が首を戻してやると、樹は息を吹き返した。ただ正常ではいられず、近くにいた使用人、二人の血を浴びるように飲み、殺してしまった。  その時エンジュは、樹に持たせる弁当の下拵えをする為に厨房に籠っていて、その惨劇を目の当たりにする事はなかったが、異変を感じて飛び出して来ると、事態を把握出来ずに、かなり取り乱した様子だった。  私達の体は破壊されても驚異的に再生するが、その際に老化を伴う。  樹は一瞬のうちに白髪化し、三十歳は年を取ってしまったような姿に変わり果てた。  その後も老化を止める事が出来ず、あの子は一日に大量の血を摂取しないと、生命が維持できない体になってしまった。  私の方も、傷を負った分の修復が終わると、十五歳ほど老けてしまっていた。今の私の見た目が、三十代後半に見えるのは、その為だよ。  日々、死との瀬戸際で苦しむ樹を見兼ねて、エンジュは樹と共に死にたいと言った。しかし私は、それを許さなかった。  私は嫌がるエンジュを縛り付け、無理矢理に私の血を飲ませて眷属にし、自ら命を絶つ事と、自身に傷を付ける事を禁じた。  解放を望むエンジュは、条件をひとつ、私に出してきた。  私の執着心を知ってか知らずか、エンジュは自分の代わりになる者を探し出して連れて来ると言った。それが実現したら、どうか解放して欲しいと、涙ながらに私に訴えたのだ。  エンジュの代わりになる者など存在しない、そう私は思っていたから、この条件を受け入れた。  だが、エンジュは松城の次男の力を借り、夏央、お前を見つけて来たのだ。ユリと血の繋がりのあるお前をね。  私は眷属の目を通して、物を見る事が出来る。  エンジュや牧野達の目を通して、私はお前の成長を見守っていたのだよ。  エンジュは途中、お前を私に差し出すのを躊躇うようになっていたが、樹の再生が止まり、完全に屍になると、再び死を望んだ。  夏央の存在があったから、私はエンジュを手放してやることが出来たのだ。

ともだちにシェアしよう!