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21 血の洗礼
カイザーの話を聞きながら、古びた装丁のアルバムを夏央 は捲る。
そこには槐によく似た、少女時代のユリや、今よりまだ少し若いカイザーのモノクロ写真から始まり、蔵木渡 家の歴史と、槐 や樹 の成長の記録も綴られていた。
それらを背景に、夏央は館で起こった悲しい物語を噛み締める。そして僅かながらに、カイザーに対して怒りを感じていた。
カイザーの話が一段落した後、夏央は納得出来ない部分を口にする。
「松城 さんが初めて訪れた時に、彼をあなたの言う、眷属ってやつにしてしまえば、良かったんじゃないんですか?」
当時を振り返ったカイザーは、渋い顔をした。
「あいつは私の力を知っていたのか、十人以上、子分を連れてやって来た。そして、色々手を回した状態で、ここへ来たとも言った。ハッタリだとは思えなかったし、その場の全員とやり合ったとしても、私に勝ち目はなかったのだ…と思う…。」
驚異的な再生能力があるのなら、ある程度の怪我など恐れずに、少しは戦って欲しかったと思った夏央だったが、勝算はなかったのだろうと、深く追及するのを止めた。
夏央は別の問に移る。
「あなたの一族に、樹さんの存在を教えたのって、松城さんだった可能性はないんですか?」
カイザーは首を横に振った。
「それは現実主義で、特殊な異能力など信じないエンジュも疑っていたが、彼らは関係してなかったよ。…エンジュの眷属になった松城の次男が、直接調べてくれたから間違いない。彼らは私の故郷を知らなかった。」
夏央は槐の眷属の存在に驚いた。
「松城の次男っていうのは、もしかして、松城隆治 さんのことですか?…あの人が槐さんの眷属?」
隆治は五十代過ぎと見られる、娼館の元常連客で、今は夏央が慕う友人、絢斗 の養父となっている。
夏央は以前、十三、四歳の槐を知っていると言った隆治の話を思い出した。それが、三十年程前の話だった事を、半信半疑のまま頭の片隅に置く。
「そうだ。あれをエンジュが眷属にした理由は、それなりにあった。」
カイザーは隆治に対して、毛嫌いするような表情を見せた。
「松城が死んで、娼館の経営を任されたのが次男の隆治だった。隆治は父親に似て好色で、父親以上に危険な男だった。…樹の為に大量の血液が毎日必要になった時、私達の事情を知るあいつが、自身が経営する学園の生徒達の血液を、定期的に提供すると申し出てきた。決して親切心からではなく、エンジュの体と引き換えにという事だった。」
隆治設立の汐翠 学園に通う夏央は、三ヶ月に一度の間隔で行われる献血の裏事情を把握した。
しかし、どうして槐の体と引き換えだったのだろう、と疑問に思う。
「未成年の男の子が好きな筈なのに、どうして松城理事長は…大人の槐さんも欲しがったんですか?」
「隆治自身の相手をした訳ではない。…隆治は裏のビジネスとして、サディストの集まるクラブを運営していた。そこでエンジュに性奴隷になるように持ち掛けたのだ。…エンジュは私に相談する事なく、それを受けてしまった。」
カイザーの語る内容は、温厚で紳士的な隆治しか知らない夏央にとって、それは信じ難い事だった。
「…それに耐えきれなくなって、眷属に?」
「自分の為ではなかった。ある日、隆治は自分の学園の生徒を一人、クラブに連れて来て、性奴隷に使うように言ってきた。事情は詳しくは聞いていないが、エンジュは、その子を助ける為に、あいつを眷属にしたのだよ。」
そこでカイザーは大きな溜息を吐き、それから言葉を続ける。
「…それから隆治は、槐の言い付けを守る、忠実な犬のようになった。松城本家との縁も切らせ、裏で隆治が取り仕切るビジネス全てからは、手を引こうとしていた。だが、その当時、ここで働いていた少年が、男娼を続けたいと申し出たのだ。エンジュは悩んだ末、少年が主体となるルールと破格の料金設定を設けて、この娼館を続ける事を決めた。」
夏央はふと、槐が「とあるクラブ」を経営していると言っていた事を思い出した。隆治が作ったものとは別物かも知れないが、時折、槐の肌にはロープで縛られたような跡が見受けられた。
それについて、夏央は問う。
「槐さんは、その…クラブの仕事も続けていましたよね?それは、どうしてですか?」
カイザーは肯定した。
「あの子は自分の体を、傷付けたかったのだと思う。…どんなに酷いことをされても、一晩眠れば治ってしまう治癒力を有している私達だが、治癒の際、僅かに老化が生じる。…あの子は老化して、樹に近付きたかったのだろう。」
夏央は槐の気持ちを想像すると、急に感情が高ぶり始めた。思わず椅子から立ち上がる。
「…樹さんを、こんな体で生かしてしていたのが、いけなかったんじゃないですか?…愛している人の、こんな姿を毎日見てたら、前に進むことなんて出来ないですよ!だから、槐さんは死を望み続けたんだ!」
そんな夏央に、カイザーは威圧的な視線を向けた。
「ならば訊くが、お前はこの槐を破壊出来るか?」
「それは…。」
夏央は言葉に詰まる。
出来るわけがなかった。
カイザーは北欧風のサイドテーブル上にあった血液パックを手にすると、開封し、石化した槐の口元へ注いだ。その血液は流れ落ちる事なく、石の肌に吸収されていく。その瞬間だけ、石灰岩のような色合いの槐の体が、薄く色付いたように見えた。
――槐さんが生き返る…?
そう一縷の望みを湛えた夏央に、カイザーは辛辣な言葉を投げ掛ける。
「大量の血液で蘇るのかは、私にも分からない。…だが、この子は、それを望まないだろうという事だけは分かっている。」
石化した槐と樹を、夏央は改めて見る。
樹の橫で眠る槐の顔は、心なしか微笑んでいるように見えた。僅かな幸せを感じながら石化したのだろう。
「そうだ、絢斗君が…!」
突如、夏央は絢斗の事が心配になった。槐がこうなってしまった今、松城が本性を解き放つかも知れないと思ったからだった。
「槐さんが亡くなったら、松城理事長はどうなるんですか?」
「恐らく、隆治も死を選ぶだろう。エンジュは奴に眷属を持つ事を禁じ、自分が死んだら、後を追って死ぬように命じていた。」
カイザーの答えを、夏央は俄かに疑う。
「それは…守られるのですか?」
カイザーは口角を上げ、自身あり気な顔をした。
「死にたいエンジュが死ねなかったのだから、きっと守られるだろう。」
そこでカイザーは踵を返し、ライティングデスクに向かった。その引き出しを開け、何かを取り出す。振り返ったカイザーの手には、短剣 が握られていた。
「夏央、こちらへ来なさい…。」
呼ばれて夏央は、自身の置かれた立場を思い出す。槐は夏央を生贄だと言っていた。
身を竦ませ、逃げ場を探すが見つからない。
「…僕は槐さんの代わりで、ユリさんの代わり?」
「お前には酷な話だが、そうだ。…だが、夏央は夏央だと、私はちゃんと理解しているよ。」
観念したように夏央が近寄ると、カイザーは左掌で刃を握り、皮膚を切り裂いた。
溢れ出る己の血を、カイザーは夏央の唇へ近付ける。
生温かい血が数滴、夏央の口内に入り込むと、後は貪るようにカイザーの血を啜った。
――こんな行為、嫌な筈なのに…。
そして夏央は、血に犯される幻覚を見ながら、意識を遠のかせた。
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