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22 眷属として

 夏央(なつお)はカイザーの腕の中で目を覚ました。ここがカイザーの寝室であると、ぼんやりと気付く。  地下室なので窓は無く、夜が明けているのかは分からない。 ――もう朝なのかも…。今日は学校、行く気がしないな…。  夏央が身を起こすと、最小限の灯りで電灯が勝手に灯った。壁の飾り棚の上にある置時計に目をやると、時刻は七時十六分を示している。  無駄に大きなキングサイズのベッドを抜け出そうとすると、カイザーがその腕を掴んで引き寄せられた。 「夏央、気分は悪くないか…?」  金色の瞳が、心配そうに夏央の顔を覗き込む。 「悪くはない…ですね。」    カイザーの眷属として、彼に支配されている実感が湧かない夏央は、正直、よく分からない、と言った風に首を傾げた。 「夏央は来月、十七になるのだったな?」  誕生日の話をされ、夏央は少しだけ驚いた顔をした。 「…それが何か?」 「あと三年は血を欲する事はない。そう伝えておこうと思ってな。…安心したか?」 「そんな猶予があっても、別に…安心とかないですよ。」  夏央はカイザーの手を引き剥がし、ベッドから抜け出した。 「学校へ行くのか?」 「いいえ。…今日は休んで別の所へ行きます。…それで、カイザー…さんに、一つお願いがあるのですが…。」  夏央はカイザーへの様付けに、なんとなく抵抗を感じ、さん付けにしてみた。 「カイザーと呼び捨てにしてくれていい。ユリ以降の世代の者達は皆、私の事を様付けで呼んでくれていたのだが、私は予てから呼び捨てでいいと思っていたのだ。…それで、願いとは何だ?」  嬉々とした顔を向けるカイザーに対し、夏央は何かを覚悟した目を向ける。 「あなたの血を、致死量分、僕に下さい。」  それは石化する為の量を示していた。途端にカイザーは顔色を悪くする。 「それは出来ない。…お前まで石化する事を、私が許す筈はないだろう。」  カイザーの語気に、夏央は体が竦むのを感じた。 「僕に使うのではありませんよ。…他に使いたい人がいるんです。」  カイザーの血の使い道は二つ。一つは同族にする事。そしてもう一つは、同族を石化させてしまう事だ。  カイザーは夏央の考えを読み取る。 「隆治(りゅうじ)を、わざわざ殺そうというのか?」 「…僕はただ、彼の死を見届けたいだけです。…だから保険として、あなたの血を持って行きたいのです。」  少しの間の後、カイザーは了承した。 「お前の出掛ける準備が終わるまでに、女中の一人に用意させよう。」  夏央が一礼して部屋を去ろうとした時、カイザーが呼び止めた。 「夏央、今日から毎晩、ここへ来るのだ。…お前は、一人寝が辛いのだろう?今夜も私と一緒に、ここで眠ろう。」  優しく、染み渡るような声だった。その声に夏央の全細胞が呼応する。 「分かりました。カイザー…。」  夏央はそこで初めて、カイザーからの支配を感じたのだった。  繁華街近くの新興住宅地を抜け、最も高台に位置する閑静な場所に、松城(まつしろ)隆治の邸宅はあった。  (えんじゅ)の館からは、車で四十分といった処だ。  去年の夏から隆治の養子となった絢斗(あやと)は、未だに多くの秘密を持つ彼の事を探りながら、表向き彼の息子として暮らしている。  今、絢斗が隆治に関して分かっている事は、五十代にしか見えない彼の実年齢が、七十歳を超えている事と、彼の側近と呼ばれる者達が、皆、館の男娼を経ている事の二つだった。彼が経営する学園の関係者にも、絢斗の先輩と呼べる者達が数人、彼を守るかのように従事していた。  その事実に驚愕しつつも、知らない事はこれだけではない筈だと、絢斗は思っているのだった。  十一月の終わり頃の事だった。  平日の九時過ぎという時間に、何か目的のある眼差しで、夏央が松城邸を訪れた。ダッフルコート姿の夏央は、制服姿ではなく私服を着ている。  絢斗は突然の事に驚きながら、玄関で夏央を出迎えた。 「おはよ!…どうした?学校は?」 「休んだ。…絢斗君の方は今日、学校は?」  出掛けて欲しそうな雰囲気を醸し出している夏央は、絢斗に会いに来たわけではなさそうだった。 「今日は午後から出掛けるよ。…なんで学校サボって、ここに来た?」 「松城理事長に急用があって来たんだ。」 「急用って?」  絢斗が怪訝な顔をすると、夏央は意を決したような顔になった。 「…立ち会ってくれてもいいけど、絶対に取り乱さないって約束してくれる?」 「取り乱すって、…何をする気だよ?」  立ちはだかる絢斗を夏央が見下ろし、圧を掛けて来る。 「約束してくれないなら、席を外しててくれないかな?…後で全部、説明するから。」 「分かった。…約束するから、立ち会わせて。」  折れた絢斗は、夏央と一緒に隆治の居る、彼の私室へ向かった。  邸宅一階の北東に位置する部屋をノックすると、デスクで作業をしていた隆治が、そのままの姿勢で二人を出迎えた。相変わらずの見事なグレーヘアに、同色の髭を蓄えている。その眼光は鋭いが、顔色は僅かに優れなかった。  夏央が松城邸を訪れたのは、絢斗の養子入りを祝したパーティー以来で、隆治の素顔を見るのは、夏央にとって今日が二度目だった。  夏央は唐突に切り出す。 「槐さんが亡くなりました。…なので、僕は今日、あなたが死ぬのかを見届けに来ました。」  隆治は特に驚いた風ではなく、受け入れるように静かに頷いた。  大きく動揺したのは絢斗の方だった。 「…今、何て言った?」 「槐さん、亡くなったんだ。…昨日、僕が学校へ行ってる間に。…僕も急に告げられたんだよ。」 「そんなの、信じられるか…!」  食って掛かりそうな勢いの絢斗に、夏央はスマートフォンで撮った動画を見せる。そこには石化した槐が映っていた。 「…何だよ、これ?」 「槐さんの…遺体。」 「これが遺体?…どっかの芸術家の作品だろう?これが遺体だなんて、誰が信じる?…人間がこんな風になるなんて有り得ない!」  絢斗の反応は想定内で、槐の石化した姿を目の当たりにしたとしても、彼は信じないと夏央は分かっていた。  一旦、絢斗を放置して、隆治との対話に切り替える。 「槐さんが亡くなった今、あなたは槐さんとの約束を守るんですよね?」 「約束…というより、これは命令だったからね。」 「どうやって、死ぬつもりなんですか…?」  隆治はデスクの引き出しを開けると、数冊のファイルと一つのUSBメモリーを取り出した。 「槐君が…いや、槐様が、絢斗君を養子にする事を許してくれた時に、近々、こうなる事を予想していたよ。だから、私も準備を重ねていたんだ。…絢斗君に私の全てを譲る準備をね。ここに、必要な情報は全て揃えておいた。」  隆治が夏央の問に答える前に、絢斗が割って入る。 「待って下さい!…槐さんが亡くなったとして、どうして隆治さんが死ぬみたいな話になってるんですか?」  隆治がゆっくりと立ち上がった。 「カイザーという吸血鬼がいて、槐様を吸血鬼に変えた。そしてその槐様が、私を吸血鬼に変えたのだ。私は槐様の眷属という存在で、彼の死後、私も死ぬよう命じられていた。…私は嫌われていたからね。」 「吸血鬼…?」  愕然とする絢斗に、隆治は目力のある目を細め、優しく微笑んだ。 「絢斗君は、そういったオカルト映画が好きだったろう?」  その言葉に、絢斗は冗談を言われたのだと思い掛けた。それを夏央が打ち消して来る。 「槐さんは、ある種の病だと思っていたようでした。血で感染する病だと…。だけど、それだけじゃ説明出来ない部分も多くあります。…あなたは今は亡き人の命令で、本当に死ねるのですか?」  再度問われ、隆治は頷いた。 「血を絶てば、数日で死ねると聞いているよ。私も昨日、それとなく槐様の死を感じてね…。だから既に昨日から、血を絶っているんだよ。」  隆治の答えに、夏央は手にしていた鞄から200ミリリットルの血液パックを取り出した。 「…こういう方法もありますよ。」  それを見た隆治は、概ね、理解したようだった。 「それはカイザーの血…?」 「そうです。」  隆治は乾いた笑いの後、夏央からそれを受け取ると、キャビネット前へ移動した。そこからグラスとソムリエナイフを取り出す。 「夏央君、君は…槐様の死を、私で証明したいのだね?」  夏央は無言のまま、迷いを隠して小さく頷く。  隆治はソムリエナイフで血液パックを切り裂くと、グラスへ注いだ。 「絢斗君、君は私が出会った少年の中でも、飛び抜けて聡明で、可愛らしい子だった。…君は君が思っている以上に素敵な子だ。本当に君を愛おしく思っているよ…。君が私の養子になってくれて良かった…。」  そう絢斗に告げ、隆治はグラスを口元へ運ぶ。 「隆治さん…?」  駆け寄ろうとした絢斗を、夏央が背後から抱き締め、妨害した。  二人が見守る中、隆治は一気にグラスの血液を飲み干す。間もなくして、隆治の顔色が蒼白になり、その体は衣類を残して、みるみるうちに石化してしまった。  そして立ったままの体は床に倒れ、それは一瞬にして幾つかの破片と成り果ててしまった。その石の頬を、一筋の涙が伝っている。 「隆治さん!…ああ、隆治…さん。」  夏央を振り払った絢斗は、砕けた隆治の体のもとに膝を着いた。  絢斗は隆治の死と共に、槐の死も同時に理解した。堰を切ったように、彼は号泣し始める。 「…ご免ね、絢斗君。」  夏央もそこで初めて、涙を流し始めた。

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