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23 遺された者たち
突然起きた悲劇に号泣し、触れることを拒絶した絢斗 を、夏央 は少し距離をとった場所から見守っていた。
絢斗ほどではないが、彼もまた、静かに涙を流している。
やがて泣き止んだ絢斗は、夏央の顔を正視しないままに、全てを知りたいと言った。
床にへたり込んだまま動かない絢斗の傍に、夏央は許される限りに近付き、自身も床に腰を下ろした。そしてカイザーから聞いた話を、出来るだけ忠実に伝え、自身の体に起きた事も、ありのままに話す。
話を聞き終わった絢斗は、一呼吸置いてから、漸く夏央の方を向いた。
「…大体、理解したと思う。それで、夏央の体も…変わってしまったのか?」
「それは多分としか、今は言えない。血が欲しくなるのは、二十歳を超えてからみたいだし…。」
夏央と見つめ合った形になった絢斗は、再び彼から目を逸らした。
「隆治 さんが…槐 さん達にとって、悪い人だったって事は分かったよ。…槐さんの命令に従って、死を選んだって事も分かった。だけどさ…。」
絢斗の頬を再び、一筋の涙が零れた。
「なんで、お前が…、隆治さんを殺すような真似、する必要があった?」
震える声で問われ、夏央は胸中を締め付けられた。
「ご免なさい…。」
ただ謝るだけの夏央に、絢斗は掴み掛かる。そして勢い余って、彼を押し倒してしまった。
絢斗の涙が、夏央の頬に落ちる。
「隆治さんは…俺にとっては良い人だったよ。」
「うん、…知ってる。僕にとっても、悪い人じゃなかった…。」
「それじゃ、どうして…?」
「絢斗君を取り戻したかったから…。」
そう言って夏央は、覆い被さる絢斗を引き寄せようとした。
慌てて絢斗は夏央から離れる。
「取り戻す…って、俺は夏央の物になった覚えはない。」
「…そうだよね。言い方、間違えた。…僕は絢斗君を、あの人から奪いたかったんだと思う。」
言葉を失う絢斗を見つめ、夏央は続ける。
「だって、…ずっと一緒に、ずっと近くに居てくれたのに、絢斗君が出て行ってしまってから、凄く寂しかったんだ!」
上半身を起こした夏央に、絢斗が問う。
「…俺のことが、好きなの?」
「好きだよ…。」
夏央は即答で返した。
「恋愛の意味で?」
その問には、少しだけ間が空く。
「…それは分からないけど。だって、恋とか分からないし…。」
絢斗は疑うような眼差しを、夏央に向ける。
「俺にキスしたいって思う?」
「うん。…したいって思う。」
夏央は答えながら、徐々に恋する感覚を理解していく。
「あ、そう。でも、恋とか分かんない奴には、させないから。」
冷たくあしらわれてしまった夏央は、逃げた絢斗の袖口へ手を伸ばした。
「…絢斗君を今直ぐ、僕の血で感染させたい。」
「ダメに決まってんだろ!」
夏央を更に振り切った絢斗は、改めて部屋の惨状を眺める。そして一際、大きな溜息を吐いた。
「ちょっと芹沢 さん、…隆治さんの側近みたいな人なんだけど、その人を呼んでくるよ。この状況、俺一人じゃ、抱えられないからさ…。」
「でも…。」
夏央は後ろめたさから、顔色を変えた。
「…多分、あの人なら大丈夫。」
絢斗がデスクの上の電話から内線を掛けると、間もなくして、三十代半ばくらいの、銀縁の眼鏡を掛けたスーツ姿の男が現れた。
整った顔をしたその男、芹沢は、厳かな表情がデフォルトであるような人物だったが、絢斗には一番優しく、頼れる相手であった。
石化し、バラバラになった隆治の姿を見た芹沢は、流石に驚愕した表情になった。それでも彼は、瞬時に状況を理解してくれたようだった。
「松城 氏も槐さんも、…近い内に亡くなられるだろうと覚悟していました。しかし、こんな亡くなり方をされるとは、…予想もしていませんでした。」
その言葉で、普通の人間である彼が、内情に詳しい事が分かった。
「ご免なさい。僕が…。」
夏央が自身の罪を告白しようとしたのを、絢斗が制する。
「一瞬で死ねる方が、楽だったんですよ。」
夏央は自分の事を怒っていると思っていた絢斗に庇われ、嬉しさを感じた。
そんな二人に対して、芹沢は微笑を湛えて見せる。
「誰も咎めやしないですよ。」
そう言った後、芹沢は僅かに考える素振りをした。
「少なくとも、私と血液管理責任者の真鍋さんはね。…私達は松城氏を慕っていたのではなく、お世話になった槐さんの役に立ちたくて、松城氏を人知れず監視していたんです。」
芹沢も真鍋という人物も、館の男娼上がりだという事実を、絢斗は思い出した。
「もしかして、槐さんの眷属なんですか?」
絢斗が驚いたように問うと、芹沢は鼻で笑い、それから寂しげな面持ちになった。
「違いますよ。…槐さんの血を頂いているなら、こんな風に年を取る訳ないじゃないですか。…一度、いや、何度か槐さんにお願いした事があったのですが、断られたのですよ。」
芹沢はウォークインクローゼットから、大きなトランクケースを取り出してきた。そして、てきぱきとその中にバラバラになった隆治の体や、それを被 っていた衣類を入れ始める。立ち尽くしたままの夏央を置いて、絢斗も手伝った。
作業しながら、芹沢は自身の過去を話し始める。
「私が調度、男娼として働いていた頃に、槐さんが松城氏を眷属的なものに変えました。それを切っ掛けに、彼は温厚で紳士的な人に変わったのです。…それで、娼館を続ける必要は無くなったのですが、私が仕事を辞めたくないと無理を言って、続けさせて貰いました。母子家庭に育った私は当時、十六歳で、病に倒れた母の治療費を稼ぐのを目的としていて…、それと、汐翠 学園の学費が免除されていた事から、仕事を辞める訳にはいかなったのです。…槐さんが娼館を取り仕切るようになると、今までとは全く違ったルールになり、一方的に無理矢理、犯されるといった事はなくなりました。お金も三倍以上の金額が提示されて、粗悪な客達も一掃された。…本当に槐さんには感謝しきれないくらいでした。」
芹沢の話はカイザーの話とも符合しており、夏央も絢斗も神妙な面持ちで彼の話を聞いた。
「私は汐翠卒業と同時に、松城氏の下で働くようになりました。その一年前には、当時医大生だった真鍋さんが松城氏に取り入り、秘密裏に今の血液貯蔵施設を確立しました。…真鍋さんは樹 さんの教え子だった事もあって、彼の為に動いている処もありました。お二人は真鍋さんとは面識なかったですよね?…気さくな人なので、今度、会ってみるといいですよ。」
芹沢はそこで一拍置くと、床の状況を確認した。
「後は箒で掃いて、掃除機を掛けたらいいかな…。」
独り言のように芹沢から出た言葉に、絢斗が掃除用具を持ってくると言って、速やかに部屋を出て行った。
芹沢と部屋に残された夏央は、絢斗が出て行った扉を見つめる。それを遮るように、芹沢が夏央の前に立った。二人の身長は大して変わらないので、目線が真っ直ぐに会う。
「君はやっぱり、何処となく槐さんに似てますね。…血縁関係の話は聞かれましたか?」
最初、人見知りを発症した夏央だったが、芹沢の話の内容に食いついた。
「詳しくは聞けませんでした。ご存知なんですか?」
芹沢は頷く。
「槐さんの曾祖母に当たるユリさんには、生まれた時に養子に出された双子の妹がいたんですよ。名前を茜さんと言って、君のお父さんの曾祖母に当たります。」
簡潔に答えられたその内容に、夏央は自身が、高祖母に当たる茜に似ているのだと理解した。
絢斗が戻って来て、集められるだけの石の欠片を塵取りに取ると、トランクケースに入れ、芹沢がそれを閉じた。
「後の事は私がなんとかしますよ。…お二人は、一旦、部屋を出て下さい。」
気を引き締め直した芹沢が、二人を促してきた。
「これは持って行っても…?」
追い出される前に、絢斗がデスクの上の数冊のファイルとUSBメモリーについて確認する。
「いいですよ。どうぞ、熟読して全てを理解して下さいね。」
芹沢の微笑に、絢斗は重い何かを感じた。
絢斗が二階にある自室へ向かおうとすると、夏央も着いて来た。
用が終わったのなら帰ればいいと、階段を上がる前に言おうとした絢斗だったが、可哀想な気がして言葉を変える。
「夏央はリビングで待ってろよ。これ、置いて来るだけだから。」
階段下に夏央を残し、ファイル類を自室の机に置いて絢斗が戻って来ると、夏央は動かずに待っていた。
ゆっくりと階段を下りながら、絢斗は夏央に話し掛ける。
「ねぇ、…俺にも会わせてよ。槐さんに…。」
「見ない方がいいよ。…絢斗君、また取り乱すと思う。」
一段高い上にいる絢斗の前に立ち、夏央は心配そうな顔で彼を見つめた。そんな夏央に、絢斗は強気の表情を見せる。
「俺のメンタル、なめんな!」
散々、迷った夏央だったが、絢斗に承諾させられたのだった。
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