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小さい頃俺は体が弱くて、しょっちゅう入退院を繰り返していた。未熟児だったのもあってか色々と悪い所はあるけど、最たるものが生まれつき悪かった心臓だろう。俺の両親は生後すぐに心臓の緊急手術が必要だと告げられて以来、様々な理由で体調を崩しまくる俺に幾度となく翻弄されることになる。 今どき子供の医療費は負担が小さくなっているとはいえ、掛かるものは掛かる。専門の治療のできる病院への交通費、いつも付き添っていた母さんの宿泊費。そういうものがうちの家計を圧迫していたのは言うまでもない。 母さんは俺の面倒を見るために常に家に居なくてはならず、父さんの収入にも限度があったから、俺が小さい頃の父さんは昼も夜も働いていて滅多に顔を見ることはなかった。もう少し大きくなってから聞いたら、昼間の仕事をした後で夜にタクシーの運転手をやってたと言っていた。 そのせいで俺は父さんを親戚のおじさんだと思っていた時期があって、久々に病室に顔を見せた父さんに向かって「たくさんお見舞いにくるおじさん」と言って泣かれたことは今でも覚えている。 それでも生活がままならなかったのは、金銭的な理由の他に誰からもサポートが受けられなかったこともあると思う。実は両親は、結婚を反対されて地元を出た駆け落ち夫婦だったのだ。 本家の当主、祐一郎の父親の妹である母さんは本家の一人娘だった。地元の大学を出た後、ゆくゆくは本家に宛てがわれた相手か、そうでなくとも身分のしっかりした男と結婚するはずだった。にも関わらず高校の同級生だった父さんと結婚すると言い出したものだから当然猛反対を喰らい、反発した母さんは父さんと共に身一つで駆け落ちし、そこで生まれたのが俺と言うわけである。そんな境遇なので生まれた子供が運悪く病気持ちでも周囲の助けが得られず、多分相当苦労したと思う。 そうして金やその他色々に困った両親が頼ったのは、母の実家ーーーーつまり本家だった。俺が四歳か五歳くらいの頃だ。 その時まだ生きていた祖父は、助けを求めた母さんへ手を差し伸べようとはしなかった。 何より利害を重視する合理的な祖父の人格から考えて、母さんや俺を助けても何の利益もないと判断したのだろう。反対を押し切って家を飛び出した挙句どこの馬の骨とも知れない男と子供を作った孫娘と、生まれた時から死にかけている貧弱な子供だ。無理もない。 それに本家にはもう立派な跡継ぎの祐一郎がいたから、男だからと言って本家との養子縁組なんかも期待できそうにもなかった。 そんな本家にも見放された俺たちを助けたのが伯父である。妹を不憫に思ったのか、いくつかの条件を示して援助を申し出たのだ。 その条件というのが、両親が地元に戻ること、父さんを本家の経営する会社で働かせること、母に本家の遺産相続権を放棄させることだった。伯父には本家の恥である母を自分の管理下に置いておきたいという考えがあったのだろうと俺は思う。地元で手堅い商売をやっている本家の会社に父を勤めさせれば表向きは体裁が整うし、病弱な甥を援助していると言えば外聞も悪くない。おまけに金を工面しても母の分の遺産が転がり込むとなれば十分に元は取れる。伯父は祖父よりは冷淡ではないけどやはり合理的な人間だから、援助した訳は妹への情が全てではなかっただろうと俺は思う。 ーーーーと言うわけで、俺の家族は伯父一家には頭が上がらないのである。だから俺も祐一郎には逆らえない。父さんも母さんも祐一郎には強く言えないから、俺はこいつに誘われれば多少無理をしても付き合うしかないのだ。 とはいえあちこち悪かった体の方はもう大分良くなっていて、とりわけ悪かった心臓も伯父の援助で受けた治療でほぼ完治している。未だに定期通院は続いているものの今はもうほぼ症状もなく、このまま何もなければ経過観察の間隔も徐々に空けられるだろうと言われていた。病弱だった名残は激しい運動を止められていることや、疲労が体に出やすく風邪を引きやすいことくらいだ。 ドライブは退屈ではあるものの、車内はいつもエアコンが効いてるし、寒い時はブランケットまで常備してあるので、そうそう体調に影響はしない。 そもそもドライブという選択肢も、アウトドア派の祐一郎の性格を考えればこいつなりに気を遣っているのかも知れなかった。それにしたって、そこまでして俺と出掛けたがる理由は分かんないけど。

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