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疵の章 1 夜明けにはまだ遠く

「どうした、上の空だな」  高級マンションの最上階は、沢村俊明の自宅だった。  彼が事実上生活している空間には一部の側近と、今までは出入りしていないセックスフレンドの男女たちと、現在の恋人である小鳥遊希しか出入りしない。  いくら、賢正会の幹部であっても、土足で自分の生活圏にまで入り込まれてはたまったものではない。  広いベッドに組み敷いた細い体から、未だに着物を脱がせることもなく問いかける。すると、希は首を横に向けてから窓の外に広がる暗い空を見つめた。 「すみません……」 「例の、……女の刑事(でか)のことでも気になるのか?」  約束の週末に希を迎えに行った沢村俊明はすぐに彼の様子がおかしいことに気がついた。そもそも彼の実家からして、やくざとのつきあいをあっさりと認めるようなお家柄だ。ある意味、なにがあってもおかしくない家系に生まれついた恋人は、余り自分からは家庭の事情を話そうとはしなかった。  もちろん、沢村にはそれで良かった。 「……あの人は、桜龍(おうりゅう)さんと言って、僕の遠縁の従姉妹に当たる女性です。べ、別に心変わりしたとかそういうわけじゃ……」 「わかってるさ」  慌てていいわけをしようとする、金髪の青年の唇を、自分の唇で塞いで半開きになって言葉を続けようとしたそこに舌を差し入れた。  ふたりのやりとりを見ていれば、親戚筋だと言うことは見て取れる。加えて、沢村が希に惚れているように、希も沢村にべた惚れだと言うことは、沢村自身が知っている。 「おまえは俺にべた惚れだからな」 「……っふ」  舌を絡め取られるように口づけられ、その息継ぎの間に希は声にもならない音を漏らした。 「それにしても珍しい名前だな。どんな字を書くんだ?」 「桜と龍神の龍で、”おうりゅう”と読みます。あの人はかなり特殊な事情を抱えている人なので、あちらのおじいさまを含めた方々から特別な生き方を許されているんです。それに、小鳥遊家では僕みたいな名前のほうが珍しいんです」  華奢な体を組み敷いた男は問いかけながら、バードキスを雨のように繰り返す。わずかな刺激にさえ敏感に反応する希の体を楽しみながら、沢村は恋人の青い瞳を覗き込んだ。  ベッドの中でする会話にしては、余りにも色気がなかったが希が刑事をしているという従姉妹についてなにか危惧のようなものを抱いているのだろうと、沢村は察して決してことを急ごうとはしなかった。 「なかなかの美人どころだが、連中が追ってる事件っていうのは、確か連続女性誘拐殺人事件じゃなかったか?」  警視庁捜査一課が血眼になって犯人を追いかけている最中だったはずだ。  やくざの世界というものは、裏の世界のどこかで表の世界ともつながっているもので、そうした情報は沢村の耳にも否応なしに入ってくる。  もちろん、沢村だって事件について気にかけていないわけではない。  彼の補佐役を務める常磐幸哉が束ねる歌舞伎町の風俗店には多くの女性従業員を抱えている。今のところ、にはボディガードを増やして対応していると言うことだったが、女性従業員たちのプライベートでの身の安全まで保証するには限度というものがある。それだけではない。沢村の下に着く舎弟たちの恋人や家族など、それに類する年齢の女性は多いのだ。  それを考えれば、沢村だって人ごととは言えないところはあった。しかし、それを希の前で見せることはしない。そんな顔をすれば優しい希は沢村のことだけではなく、彼の舎弟たちに対しても心を痛めるに違いない。  結果は分かりきっていたからこそ、それを恋人の前で話す気にはならなかった。 「希」  青年の名前を呼ぶ。 「……はい」 「おまえが気にかけることじゃない。心配するな、おまえのことは俺が守ってやる」  強い口調でそう言って、沢村は今度こそ希の唇を塞いだ。  陰惨な事件の話など、希の聞くに堪えないことだ。  だから、彼が心を痛める必要などない。  頬を覆った手のひらで、長い指を伸ばして耳に触れてやればぴくりと小さく反応を返す体。そこから、耳の裏を指先でたどるようになで下ろして着物を身につけたままの彼の体をそっと優しくなでていく。それだけで身もだえるように体をよじる希の反応に、沢村は頭から殺人事件のことを振り払って彼の帯に手を伸ばした。  そんな慎ましい触れあいにさえ体の力が抜けていく愛しい恋人の膝を割るように片足をベッドについて中途半端にはだけさせた着物の隙間から覗く象牙色の肌に唇を押しつけて、快感を待ち望む胸の先を指先で触れた。 「……っ」 「どこもかしこも弱いところばかりだな」 「……そ、んなことは」  言いかけた言葉は沢村の指によって止められた。 「片方だけじゃかわいそうだな」  そう言って、左の胸の先にいたずらをする指はそのままにして、刺激を待ち望んでいるように立ち上がっている右の胸元に口づけた。  赤い舌をべろりと差し出して、沢村が立ち上がって主張をする右の乳首をなめ上げる。 「んん……っ」 「ほら見ろ、どこもかしこも弱いじゃないか」  そこがかわいいところだ。  沢村は愛撫をする手と唇を止めずにそうささやけば、希は口元を自分の右の手の甲で押さえるようにしながら声を殺した。  言いながら、希の足の間に割り込ませた膝でぐりぐりと彼の弱いところを押し上げる。「あっ、あ……っ、ぁ、だめです、そんなにした、ら……っ」  優しい愛撫に緩く勃ちあがりかけていた、希の性器は素直に硬度を増していった。快楽に弱く、素直に沢村に体を差し出すのは甘い信頼関係があるためだ。  だから、沢村はそんな希につけ込んだ。  かわいい。  かわいい。  何度となくそう思った。  男であるというのにかわいらしくて仕方がない。 「あぁ、濡れてしまうな……」 「言わな……あっ!」  それまでは体の線をなぞっていた片手で、いきなり着物の前から手を差し入れられて、希は柔らかく性器を握りこまれてびくりと背中を跳ね上げる。 「気持ちがいいなら気持ちがいいと言わないとわからないぞ?」  普段は上品な物腰の彼の体が興奮に朱に染まっていることが、沢村の欲情を煽る。  希の性器の先端からあふれ出した透明な液体をペニス全体に塗り込めるようにしながら、煽る動きを止めはしない。  金髪碧眼の青年の体を開発し、情欲に興奮させることを許されているのは自分だけだという優越感。  胸の先を強く吸い上げてから、脇腹、腹、そして臍をなめてから、そこでようやく先走る欲望をこぼす彼の性器に目をやった。 「悪い子だ、もうこんなにしているのか」 「……子供扱いは、やめ……っ! ひっ」  反り返ったその裏筋を獣がなめるようにべろりと舌を這わされて、希の体がこわばった。 ベッドマットの端に置いてあったローションの小瓶を取るとねっとりとした液体を、希のペニスに食らいつくようにしたままで自分の手のひらに垂らして両手の指と手のひら全体をぬらしていく。 「もっと良くしてやる」  ローションで濡らされた沢村の指が、彼を求めるようにひくつく孔に差し込まれた。彼の指を受け入れることに慣れた体は、それでも最初は痛みのような違和感を感じるのか、全身を硬直させて受け入れる。 「大丈夫だ、力を抜け」 「……は、い」  一本の指はゆっくりと彼の感じる場所をなでこすり、花がほころぶように力が抜けていく。それを差し入れた指で感じ取った沢村は、なにも告げずに陶然と小刻みな呼吸を繰り返す彼の後孔に挿入した指を増やす。押し広げ、こわばっては沢村の指を食い締める希の体を開いていく。  ローションのせいで難なく彼の指を三本飲み込んだ頃には、沢村が体を倒して息をつく希に深い口づけをしていることにすら気がついていない様子だった。  無意識かそんな希は恋人の存在を確かめるように両腕を沢村の背中に回して、言葉ではなく態度でその先の行為を求めた。 「挿れるぞ」  熱い杭のような自分とは異なる立派なペニスを押しつけられて、熱に浮かされでもしたかのように、こくこくと頷いた。  先端の太い部分で強く狭い入り口を押し開かれ、その衝撃だけで希はあっけなく達したが、それも沢村にとってはいつものことだ。  こらえ性がないと、感じる反応をする人間もいるだろうが、沢村はそんな快感に弱い希の達した顔がいとおしくて仕方がなかった。くったりと力を失ったペニスを握り混んで、沢村は挿入を止めないままゆっくりとしかし、確かな力強さをもって再び希の性器に熱を流し込んでいく。 「や、ぁ……、そんなにしたら……っ」 「大丈夫だ、ドライはもう覚えただろう?」  狭い内腔に突き込みながら、狭く締め付ける場所を何度かゆるゆると突き上げてやって、希の性器から手を離すと、今度はがっしりと細い腰をつかんで沢村は膝立ちになる。希の体は中途半端に下半身が宙に浮く形になって、びくりと震えた。  これから男によって与えられる強烈な快楽を知っている。 「や、……や、……俊明さ……――っっ!」  狭い場所を強引に割り込み、突き抜けた感覚に沢村はその締め付けのきつさに思わず両目をつむり、低くうめいた。 「ぁ……っ」  同時にびくんと希の体が跳ねて、狭い場所を割り込んだ男のペニスを締め付けながら、受け止めていた青年もそのまま達した。  強すぎる快楽に、希の性器は精液を吐き出すこともなく、そのままの硬さを維持したままで、上気した頬と、とろりと溶けかかった青い瞳の余りの隠微さに、沢村はコンドーム越しに達したままで、そっと希の体をベッドに下ろす。  突き入れた性器をそのままにして、体を倒すと恋人の頬を両手で包み込んだ。  ゆっくりと体を揺らすようにしながら、腰を回してやれば、無意識に青年は差し込まれた舌に自分の舌を絡めて甘えてくる。  長く続くドライオーガズムの余韻に浸っているのか、立ち上がったままの希のペニスに触れてやると普段の彼とはほど遠い色香を振りまいた。  やがてそのままくったりと脱力して希が眠りについた頃、沢村はぞろりと自分のペニスを彼の体から引き抜いた。 「……――ん」  小さく声を上げたが、激しく抱き合ったあとの希は大概目を覚まさない。  汗みずくの額に張り付いた金髪を掻き上げてやってから、沢村も彼の隣にごろりと横になると頑強な腕で恋人の体を抱きしめる、  抱き合う前に見せた希の見せた不安げな表情が沢村の脳裏によぎった。  彼が何を危惧しているのかわからない。  なぜ、彼はあんなにも不安げな顔を見せたのだろう。 「……小鳥遊桜龍、か」  ――何者だろう。  希には決して見せることのない冷ややかな目をそっと細めてから、長い腕を伸ばしてサイドテーブルに放り出したままの携帯電話を手に取った。 「……俺だ」  電話の相手に低く命じて、素早く通話を終えると腕の中で眠りについたままの青年を凝視した。  捜査一課に所属する刑事。  それだけのはずなのに、希の顔色から伺うところなにかが彼女にはあるに違いない。しかし、その沢村の行動が、男を禁忌とされる領域に(いざな)うものだということも、今の時点では知る由もない。

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