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3 希
彫りの深い陰影の濃い整った顔立ち。
そんな彼に一目で心を奪われた。
とても純粋な日本人とは思えない、自分の容姿が好きではなかった。義務教育の折には、まだ「姉」という前例があったから、比較的当然のように「弟」の自分も受け入れられた。
両親、そして姉とも髪の色も瞳の色も異なる。
顔立ちは家族だから似ていたから、それだけが共通点だったのかもしれない。
希のような「タイプ」のような人間が、小鳥遊ではそれほど珍しくはないと知ったのは、二十歳を超えた頃だ。
両親にも、そして姉にも受け継がれた小鳥遊家の人間としての能力を、彼は毛ほどしか受け継がなかった。
そもそも、小鳥遊家――あるいは小鳥遊一族の長い歴史の中に名前を残すような強力な能力を持って生まれる人間などそれほど多くはない。
それでも、姉と両親が持つ力を自分が受け継いでいないことに、自分という人間はどうしてこうも無力なのだろうと幼い頃から無力感に打ちのめされるほかはなかった。
異様な容姿は、力の強さを表すものではない。
だからこそ、それが余計に彼を卑屈にさせた。
――……なんてきれいな人だろう。
容姿だけではない。
内面からにじみ出す力強さと、人の目を惹きつけずにはいられない圧倒的な存在感。それを、希は「美しい」と感じた。
体が硬直して動けなくなってしまうほど、希は彼に釘付けになった。
そして、そんな眼差しに気がついたのか、「彼」は希のほうに体ごとゆっくりと向き直って希の青い瞳を見つめ返す。
「おい、やばいって」
そんな言葉を友人がかけるまで、声すらも詰まらせて、男を見つめ続けてけていたのだ。
「小鳥遊……――」
こつり、と男が足音を踏み出した。
ゆっくりと、長身の男は希に近づいてくる。
その男の後ろに、もうひとり一歩下がって歩くさらに長身の男。
どちらも独特のすごみを全身から放っている。
大学病院を訪れていたほかの患者たちが数歩下がってしまうほどの圧倒的すぎる威圧感。
「おい」
かけられた声に、魔術でも解けたように希の体から一気に力が抜けた。
思わずがくりと膝が砕けた。
「……おいっ」
低く耳に響く声。そして自分を抱き留める強い腕を感じて、そこでやっと我に返った。男の胸に手のひらをついて、自分の体を支えると顔を上げる。
「どうした、貧血でも起こしたのか? 医者の卵がそんなんじゃだめだろう」
「……す、すみません」
「だいたいこんなヒョロヒョロで医者になれるのか?」
抱き留められた体を男から離して、希はぺこりと頭を下げた。
つい、見とれてしまった。
そんなことを言えるはずもない。
いくら実家が非常識な常識の上に成り立つ家だからといって、希に世間の常識がないというわけではない。なにより見知らぬ相手を凝視してしまうなど余りにも失礼な話だった。
「俺を見てただろう、なんでだ?」
砕けた口調で問いかけられて、希は言葉を探す。
友人の前で「あなたがきれいだったからです」などと誤解を招くようなことを言えるはずもない。
「……いえ、随分と存在感があったので、つい……――えっと」
「ふぅん? 俺のことは知らないわけだ」
なにやら意味深長な彼の言葉に希は小首をかしげた。
男の後ろの、スーツのもうひとりの男の方は、希とその友人を観察するように見つめている。さらに言うなら希の友人はすでに、希の隣から数歩も後ずさっている。
今ひとつ世間知らずな希にはこの状況がよく理解できていない。
「芸能人……の方ですか?」
「……――っ」
緊張感のかけらもない希の返事に、男は突然ぷっと吹き出すと、今度は声を上げて笑い出した。
「……小鳥遊、……小鳥遊」
希の友人が彼の白衣を引っ張った。
振り返れば、大の男がぶんぶんと頭を振っている。
芸能人ではないのだろうか。それにしては余りにも存在感が大きすぎて圧倒される。
「中谷、俺がこのお医者さんの卵の先生には芸能人に見えるらしいぞ。……芸能人か、それもなかなかいいな」
「……理事長補佐」
「理事長補佐……?」
笑いながら背後の男に話しかける彼に、中谷と呼ばれた男は困惑した様子で役職名らしい単語を口にした。そして希はその言葉を無意識に繰り返す。
「なんでもいいさ、おまえにとって俺は芸能人かなんかなんだろう。……なんだ、そんなに俺が男前に見えるのか?」
暗さの陰も感じさせずにいながら希に語りかける男は、ほぼ呆然としている希の方を大きな手のひらでぽんぽんとたたきながら笑いを止められないらしい。
「――……」
「それにしてもきれいな金髪だな、天然か? 瞳もきれいな海の色だ」
他愛もない会話。
彼は自分を――希のことを「きれいだ」と言ってくれた。
そんなこと、最初から言われたことがない。
だいたい初めは「変わってる」だの「変なやつ」というところから、希への評価が始まる。だから、彼の実家が茶道家のいわゆる「資産家」というやつで、希が性格も良い美形で、医師の卵というところに目をつけた女性たちからは多くの誘いがあった。幾度も告白というものをされたが、希の恵まれた容姿と、彼の資産に目をつけているということはわかっていたから、そんな彼女たちとつきあう気にもなれなかった。
「小鳥遊君とつきあったら玉の輿よね」
「みんな小鳥遊君のこと狙ってるもん」
そんな噂も耳にしたことがある。
だけれども、希は決してその辺の女性に関心を持ってはならないと教えられて育った。記憶にはほとんど残っていないが、彼の遠縁に当たる伯母が死んだ時、葬儀の際に父からきつく言い含められた。
――女の子はまだ時勢ができるかもしれないけれど、だけど、男の子が女の子を好きになってしまったら、あの伯母さんのように、大好きな人の命を奪ってしまうことになるんだ。わかるね、希。だから決して……――外の女の子を好きになってはいけないよ。
父のその言葉は、まるでトラウマのようにかれの心に突き刺さった。だから、彼は高校生になっても、大学生になっても、女性を恋愛対象として見ることはしなかった。
そして、年齢を重ねるに従って、なぜ、外の女性に恋愛感情を抱いてはならないのかも教えられた。
葬儀の席――飾られた写真は美しい女性だった。
琥珀色の両目に、カラスの濡れ羽色と言われるような長い黒髪の――。
名前は隼 。
幼い頃の記憶だから、結婚した後の名前は覚えていない。
ただ隼という女性は、小鳥遊からはとても認められないような男に恋をしたことで命を落とすという不幸な運命に行き着いた。
だから、自分は女性を愛してはいけないのだと、彼は思った。
愛する人ならば、不幸にしてはならない。
そんな男との出会いの後、友人の学生からは「あれは正真正銘のやくざ」だと教えられたのだったが、ある意味では、希にとっても、男――沢村俊明にとっても、後の祭りだった。
*
大概の場合、沢村は希とベッドを共にしても、先に起き出している。
そうして眠る恋人の髪や背中をなでているか、仕事の準備をはじめているかで、希が先に目を覚ましたことはほとんどない。
「……――」
目を瞬いた希は、自分を抱きしめて眠ったままの男の黒く長い睫を認めて、小さく吐息を吐き出した。
なにごとにも敏感に反応する彼を起こさないために。
きっと、それは条件反射のようなものなのだろう。
極道の世界ではいつ命を狙われてもおかしくない。自分の命を守るために染みついた習性はまるで、歴戦の兵士のそれのようだ。
静かに眠る彼を見つめて、希は先ほどまで見ていただろう過去の夢を思い出した。
あのときは、本当に彼の正体を知らなかったのだ。
ただ、やたらと人の目を惹きつけるから芸能人かなにかだと思っただけだ。
「僕は、今でもあなたにとってきれいですか……?」
何年越しのつきあいになるかわからない。
そんな希もあと数年で三十歳という壁を越える。
それでも、老いつつある自分を彼は愛してくれるだろうか。時折、それが不安になって、尋ねたくなることがある。もっとも、希にはひどく優しく、そして人間らしい一面を見せる彼が「嫌いになるはずがない」と言うのはわかっていたから聞けずにいた。
けれども、人の気持ちというものはその時々で変わるものだということも、希は当然わかっている。
今の彼は、希のことを確かに愛してくれているのかもしれないが、数年後、そして数十年後はわからない。
「あなたのことを、信じていないわけじゃない……」
僕は、人とは違うから、あなたに愛してもらえる価値などない。
それは自虐だ。
小鳥遊に生まれたというのに、”人々を守る小鳥遊の能力”どころか、”人一人守るための力”すら持っていない。
だから、希は医師の道を選んだのだ。
小鳥遊として、人々を守れないのであれば、医療の現場で人の命を救いたいと願い、知識と技術を身につけた。
「……どうした」
小さな希の声に反応した沢村が目を覚まして掠れた声で問いかける。
「……なんでも」
「なんでもはないだろう、おまえがそんな顔をしているときはだいたい何かで悩んでいる。それも割とくだらないことで」
容赦ない沢村の言葉とは裏腹に、背中を優しく抱き直してくる腕の熱は希を暖かく包み込んだ。
「……聞いてもいいですか?」
「うん?」
「僕は、あなたに愛してもらえる価値があるんでしょうか……」
声は、言葉の終わりに従って自信なさげに小さく弱くなる。
自分は生まれたときから価値のない人間だった。
だから「希」という平凡な名前をもらった。
「そうだな、……本心から好きじゃなかったら、相手なんていくらでもいるし、別におまえひとりにこだわる必要もない。だが、おまえはあの病院で俺に助けを求めてきただろう? そのときは気まぐれだったが、今は心の底からおまえを守ってやりたいし、おまえが呼べばどこへでも助けに行ってやる。心配しなくてもいい」
沢村はそう言って、希の後頭部を大きな手のひらで抱き寄せて、自分の胸に押しつけた。
「おまえだけだ」
「……――はい、……はい」
体を重ね、唇を合わせることで、彼にとって必要な癒やしの存在であると言うことを実感できる。
「あなたが、好きです」
この男を愛している。
「俺は、別におまえの体だけが目的なわけじゃないからな、そこだけは勘違いするなよ」
「わかっています……」
「……本当か?」
あやしいところだ、とつぶやいてから、くすりと笑った。
自虐的で、自分に価値がないと思っている青年は、ひどくさみしがり屋で、人肌を求めそれに応じてもらえることで安心するところがある。だから沢村は彼の求めに応じて肌を合わせる。
それが沢村にとっても、希にとっても最も手っ取り早い愛情を確認できる方法だったから。
「おまえが、俺のかすり傷を治してくれるから、いちいち|大事《おおごと》にならなくて助かっているしな。……おまえとつきあう前は面倒だったんだぞ、やれ病院だ、やれ理事長が大けがだってな。ただのかすり傷だってのに」
「……あなたの怪我はかすり傷どころじゃないと思うのですが……」
「だが、おまえがなんとかできるレベルなら、手下どもが大騒ぎしなくて助かっている。だから、おまえは俺の前ではそんなに卑屈にならなくていい。おまえの能力を含めて、誰よりもおまえ自身が、俺にとってはもう必要不可欠の男なんだからな。俺のまえでは、おまえが小鳥遊希だということを誇っていい」
優しい恋人の言葉に、希は目尻に思わず涙を浮かべた。
大事な――必要とされる存在。
それがどれほどうれしいものかわからない。
「それに、きっとおまえはこれから小鳥遊でも必要とされる存在になる。医師として、それを誇りに思え」
医師として――。
医師である自分を誇りに思え――。
そうささやかれて、希は思わず沢村の首に両腕を回して思い切り抱きついた。
「……はい、あなたに誇ってもらえるような、医者になってみせます。だから、どうか、僕のことを嫌ったりしないでください……」
その先の言葉を言おうとした、希の唇を、沢村は唐突に自分の唇で封じた。
「俺は、俺の命の限り、おまえを手放したりしない」
――愛している。
執拗な口づけから伝えられる沢村の愛情。
彼には希が言葉に出さなくても伝わっている。
さみしく、孤独な心を大きな愛で包み込んでくれる。
――……一生、愛してほしい。一生そばにいてほしい。
小鳥遊の異端児は、生涯の恋人を求めていた。
小鳥遊に必要とされないのなら、せめてひとりの人間として、誰かに自分の存在を求められたい。
彼のたったひとつの小さな願い。
それは沢村俊明と共にいる限り困難を極める道かもしれないが、それでも良かった。
沢村がいれば、希は幸せだった。
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