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5 小鳥遊と和泉

 ――腕の中にどくろを抱いていた。  それまでの慣例では()り役と、その主は命すらも共にした。そして、守り役にとって主人たる人間の言葉は絶対であり、決して背いてはならないものだった。守り役自身がどんなにつらい心情に、そして立場に陥ろうとも、主人の命令には逆らってはならない。そして、その覚悟がないものは守り役にはなることなどできはしない。 「どうして、あなたは主人を失ってまで生きていられるのです……?」  切迫した顔の男が、女に詰め寄った。 「わたくしは、翡翠様の守り役。我が主人が守り役に命じたとあっては、その言葉に背くことなどあってはならぬこと。それだけだ」  まだ若い。  男は三十代を少し超えたといったところか。 「白凰(はくおう)様のことは大変残念なことだが、それについて判断を下すのもまた白凰様ご自身であらせられよう。おまえが白凰様をたぶらかすようなことがあってはならぬぞ。そうなれば和泉の地は、それこそ根絶やしにされ、血に染まることになるであろうからな」  判断を下すのは守り役ではない。  あくまでも、その主人が下すのだ。  和泉一族と呼ばれる一族は、呪術や悪霊払いなどを主とした特殊な能力の持ち主たちで構成された。  もっとも一族とは言え、元々、自らが持つ能力のために迫害された者たちの逃げ込む場所であったというだけのことで、それは貴賤の違いもなく受け入れられた。  二条は本来であれば京の都の貴族家に生まれたのだが、彼女の持つ能力を気味悪がった使用人や家族たちからつまはじきにされ、たどり着いた場所が和泉一族だったというだけだ。 「ですが、朝廷は白凰(はくおう)様の身を差し出せと、一族にとって重大な選択を求めている! 白凰様は我らが一族の族長で、それは朝廷の命であろうと理不尽ではありませんか!」 「……なれば、どうするのだ?」  和泉白凰。  和泉一族本家の娘でまだ若い。  強い能力を持つ子供は五歳になると十五から二十ほどの青年らが各家から集められ、子供自身に選択させる。選ばれた者は守り役となり、主人の盾となり矛となり、あるいは教育係となり共に暮らす。しかし、決して守り役と主人は夫婦の関係をつないではならない。 「……まだ、わたしにも図りかねております」 「そうか」  応じて女はくるりと踵を返して屋敷の奥へと歩みを進めた。 「二条殿!」 「道は、どこに通じているか誰も知らぬ。八坂、そしておまえの(あるじ)が道を決めることゆえ、わたくしにはなにも助言はしてやれぬ。決めるのはそなたら故……」  共に生き、共に死ぬ。  その運命を課せられた。  だというのに、二条は主人を追うことを禁じられ、こうしてどくろを抱いて天寿が定まるのを待つばかりのむなしい日々を送っていた。 「わたくしに、こんな力がなければ、守り役などに選ばれずにすんだのかもしれぬ」  翡翠がこの世を去ったとき、二条は魂と体をふたつに引き裂かれるような痛みを味わった。  そんな痛みを感じなければならなかったのは、自分に強大な異形の力があったためだ。ならばこんな能力などなければ、京の都で気味悪がられるようなこともなく、平穏な日々を暮らせたかもしれない。  翡翠と出会うこともなかったかもしれない。  腕に抱きしめるどくろを慈しみ、二条は小さなため息をついた。  かなうことなら、次に翡翠と再会することがあるならば、せめて平凡な人に生まれ、呪術や怨霊などとは無縁の暮らしをしてもらいたい。 「わたくしの……魂の半分はもう死んでしまった」  それから数日後、朝廷からの使者が駆けつけたときには、和泉一族の若き十三代目の族長――和泉白凰は、その守り役、八坂(やさか)章鞆(あきとも)と共に姿を消していた。  天女を思わせる白く長い髪と、白灰の瞳。  清楚で美しい少女は、そうして朝廷へと出仕することを逃れることとなった。  それは、後になって悲しい事態を引き起こすことになろうとは、二条以外の誰もが想像してはいなかった。   *  フラッシュバックする。  文字通り跳ね起きた希はベッドサイドに腰を下ろして心配そうな表情を隠せずに見守っていただろう沢村を驚かせた。 「どうした……、希」 「……――俊明さん」 「僕は……?」 「高天の奴を見て気絶したんだ。覚えていないのか?」  高天が抱きしめて、というところはあえて省いて沢村が告げてやれば、希はそっと眉をひそめてこめかみに手を当てた。 「俊明さん……っ!」  思わず沢村の胸に抱きついた。  そうだ――かつて自分は魂の半分を失った。  だから強く祈った。もう自分が悲しみたくなかったから。そして、「(ひすい)」をたったひとりで死なせたくなかったから。  和泉に生まれても、小鳥遊に生まれてもならない。  ただの人間として、生きてほしいと強く願った。  家族と、友と、そして仲間に囲まれて、最後まで生きてほしいと。 「僕は……、罰を受けなければならなかったから、こうして生まれてしまったんだ」  二条――彼女の願い通り、翡翠は普通の人間として生まれ変わった。  そして再会した。 「……わたくしが、強く祈ったから、翡翠様は力を失い、わたくしもその代償として力を失った。そして、全ての尊厳を失い、生き続けることがわたくしに与えられた罰だった」 「おい、希!」  口調が変わった。  二条という女に乗っ取られたのだろうか?  声を張り上げて沢村が希の両肩を掴み強く揺すってから、彼の名前を呼ぶ。  青年は、「二条」ではない。  彼は沢村の恋人の「希」だ。  もしも本当に生まれ変わることなどあったとしても、沢村は組織犯罪対策部の高天に希を渡すつもりなど毛頭なかった。 「……ぁ」 「罰じゃない……」  言い聞かせるように、低く静かに沢村は言った。  動揺する彼が見たものなど、沢村には理解の範疇を超えている。 「おまえは、俺と出会うためにこんなに美しく生まれ変わったんだ」  生まれ変わりだの、霊能力だの、超能力だのといった話は、もはや沢村にとってはどうでも良いことだった。  彼が生まれ変わりを信じているのなら、言い聞かせるためにその言葉さえ利用しよう。高天が「二条」にとって大事な人間だったと言うこともどうでもいい。 「罰なんかじゃない。おまえは俺のために生まれたんだ。わかるな?」  強く抱きしめて、沢村はその耳元に言い聞かせるようにささやきかけた。 「……でも、翡翠様は……」 「翡翠のことは忘れろ……。少なくとも、俺の前では忘れていていい」  わからなくなる。  沢村のために生まれたのか。  それとも翡翠を先に逝かせたことの罰を受けるために生まれたのか。  そして、希は、そんな運命のために、和泉と小鳥遊の双方に関係した。  ――かつて、二条ささめという女が罪を犯した。守るべき主人の命令と言え、主人と運命を共にせず、そしてその存在故に、我が一族の十三代目族長だった白凰は、守り役にそそのかされて和泉の地から逃れた。もしくは逃れずとも、ほかの道もあったかもしれぬというのに。……全ては二条の罪だ。それはわかっていただけるかな、(はやて)殿。  小学校から帰ってきた希は、父の茶室からかなり深刻げな話し声が聞こえてくるのを聞いた。 「その、”二条ささめ”と、我が小鳥遊家にどんな関係があるというのです?」 「颯殿の次子、――希君と言ったか。その子が、我が一族の朱き鳥をまとう者を不幸に陥れた張本人だと言っているのだ」 「……そうですか、だが、希は高箒(たかぼうき)だ。いまさら和泉に引き渡して罪を償えと言われても、今の希は、二条の姫のことなど覚えてはいますまい」  罪とは、なんのことだろうか。  子供ながらにそんなことを思った。 「そもそも、和泉での守り役にとって、主人の命令は絶対であると聞いている。仮に二条が守るべき主人と命運を共にしなかったからといって、今更その魂を受け継いだ者を裁く権利がどこにおありか?」  今の希は、和泉の人間ではない。  颯ははっきりとそういった。 「万が一、二条と……――翡翠が出会ってしまったときに、苦労することになるのはそちらですがかまわないとでも?」 「――それが、現和泉当主の決断とおっしゃられるのか?」  静かに、けれども理性的に相手と言葉を交わす父の声につい廊下で立ち止まって立ち聞きなどをしてしまった。  そのときだ。  姉の火蓮に手を引かれて、颯の茶室の前から遠ざけられた。 「お姉さん、お客さんが来てるの?」 「そうよ、あんたが聞いてわかるような話じゃないから、ほっときなさい」 「でも、僕のこと話して……」 「いいの、あんたは小鳥遊の子供なんだから」  弟の言葉を遮って、五歳年長の姉は乱暴に希を部屋に押し込んだ。 「お客が帰るまで出てくるんじゃないわよ。宿題でもしてな」 「……う、うん」  姉の余りにも威圧的な態度に希はそうして頷くばかりしかできなかった。すでにその頃には、自分と姉の小鳥遊家の人間としての能力の違いを実感していたからだ。  同じ世代の小鳥遊家の親戚は年に何度か顔を合わせる。  それは、いずれ自分が家庭を持つようになるときに、相手をよく知っておく必要があるためだ。だから、同じ世代の親戚とは希も火蓮と共に同席していた。  ――いらない子。 「おまえがほしいものはなんだ?」  静かに沢村に問いかけられた。  優しい声だ。  ――かわいそうにな、不能の子なんて今更生まれても、誰も嫁にきてくれやしないし、小鳥遊に生まれたが最後、外の女を嫁にもらうこともできやしない。  ――かわいそうに。  ――かわいそう。  ――それに比べて、あの桜龍はどうだよ。すげぇな。美人だし、小鳥遊でも屈指の攻撃型の家系に生まれてんだろ? 「おまえのことをいらないという親戚たちか? それとも戻らない時計の針にとらわれた過去か?」  なにがほしい。  沢村はダイレクトに問いかける。  おまえのほしいものはなんだ、と。 「……僕の、ほしいもの?」 「そうだ」  見殺しにした翡翠のことを思い返すと心をかき乱されるのは事実だ。けれど、沢村の言葉通り進んだ時計の針は今更戻せるはずもない。 「戻れないなら、進めば良い」  希……――。 「僕は、あなたが……」  抱きしめていた腕をほどいて、沢村は大きすぎるダブルベッドの上に希をそっと横たえた。 「ちゃんと言葉にしろ」  それは儀式だ。  希を過去から、そして小鳥遊の呪縛から引きはがすための。 「……僕は、俊明さんがほしい、です。……それ以外のものは、いらな、い……」  希の顔の両側に手をついた沢村の体重でベッドが軋んだ。 「僕が好きなのは、俊明さんです」 「知ってるよ」  男の顔がゆっくりと降りてくる。  希の唇をついばむように触れてから、薄く開いた唇に沢村が舌を差し入れる。愛情に飢えて臆病な唇は、強引な男によって開かれた。沢村と舌を絡め合う深いキスにまだためらいを残す希の舌が、けれどたどたどしく沢村を求めるのに時間はかからなかった。  それだけの時間を、沢村と希は重ねてきた。  ふたりは長い時間をかけて愛をはぐくんできた。 「僕は、あなたが好き……」

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