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2 幸せの権利
――さて、どこからお話しすればよろしいんでしょうか?
霞ヶ関にある警視庁本部から車で一時間ほどかけて着いたのは和式の見事な料亭だ。凡人でも一見すればそこがどれだけの格式が高く、歴史を持つ料亭かは察しがつくだろう。もちろん、急遽電話をいれて一席設けたのは桜龍だ。急だったにもかかわらず、芸者の出迎えを受けて、困惑したのは高橋と谷口で、桜龍本人は顔見知りであるのか、親しげな言葉を交わしている。
「桜龍さんの席に呼んでいただき誠にうれしく思います」
しかもふたりだ……――。
桜龍がなにを考えているのかさっぱりわからない。
「今日はお酒は入りませんので、話をしている間、歌と踊りをお願いいたします」
「わかりました」
はきはきとした物言いをする彼女らは、男物の羽織を羽織っている。
「桜龍さんとは、わたしたちが半玉 だったときから、ご贔屓にしてもらっています」
「白い着物のこちらが、松之助 さん。踊り手の名手なんです。こちらの三味線と歌を披露してくださるのが清二 さんです」
桜龍の紹介に、ふたりの刑事は「はぁ」と頷く以外にない。
「松之助さん、清二さん。こちら、わたしからの玉代 です。今日はよろしくお願いします」
「玉代でしたらすでにいただいてますのに、いつもご贔屓にしてくれてありがとうございます。ほかの芸者たちからは、桜龍さんからの指名がかかるのはどうしてわたしと松之助だけなんだと、妬まれてしまっているんですよ」
「だって、松之助さんと清二さんとは保育園からのおつきあいじゃないですか、そんな今更なこと言われても……」
クスクスと笑う桜龍に、高橋は察した。
要するに幼なじみ、というやつなのだろう。
「そう話しても納得できない芸者もいるんですよ」
「……でも、まさかふたりそろって芸者の道に進むとは思ってませんでしたけど。でも、おふたりとも立派な芸者になられていて、本当にわたしも友人とした鼻が高いです」
そんな、桜龍の幼なじみの芸者とのやりとりをしてからの後だ。
用意されたお茶と茶菓子を前にして、桜龍は「どこから話せばいいのか」と切り出した。そしてちらりと横目に相棒である高橋を見やった。
「……いや、そこで俺を見るなよ」
そもそも、彼女の幼なじみが芸者だったというのも高橋和仁にとっても初耳だ。
「小鳥遊希のことをどこまで知ってる」
「……どこまで、と言われても」
曖昧な谷口の言葉に、わずかに視線をさまよわせた桜龍は口を噤んだ。
「わたしと希さんは比較的近い間柄の親戚です。六代前のおじいさまの時に別れた家柄の生まれです。小鳥遊家では、だいたい同じ世代の生まれた子供は”遠縁の従姉妹兄弟 ”という扱いを受けます」
六代前まで遡ればほとんど他人という気がしないような高橋だが、そもそも勤務時間中に料亭で芸者の踊りと歌を愛でていても良いものかどうかという疑問にも突き当たる。
六代前のつながりでも「近い」と桜龍は言った。
「それで、桜龍。おまえのその親戚が暴力団の幹部とつきあってるってことは、おまえも知ってるんだな?」
「はい、知っています」
同性愛、というところに対してかけらの嫌悪感も見せずに桜龍は即答した。
一方で高橋のほうは「いきなり呼び捨てかよ」と内心で谷口を相手に不快感を覚えざるをえない。
いくら相手が組織犯罪対策部であっても、守るべき同僚としての礼儀があるはずではないだろうか?
「でも、人はひとりでは生きていけません。誰かを愛して、誰かに愛されていなければ、心は不安定になってしまいます。実際、希さんは今の恋人の……、沢村さんに出会う前まではいつ自殺してもおかしくない精神状態でした」
「だが相手が暴力団っていうのはどうなんだ? しかも男だぞ?」
「……それは仕方ありません」
「仕方ない?」
聞き返した谷口に、桜龍はゆるくかぶりを振った。
「相手が暴力団だったということは希さん自身後から知ったことのようですし、希さんは、小鳥遊家からも爪弾きにされていましたから、好ましく感じてくれるような従姉妹もおりませんでした」
「だからなんでそこに従姉妹兄弟がかかわってくるんだよ。普通、血縁関係ではよほどのことがない限り親戚筋だって結婚なんてしないだろ」
「……えぇ、谷口さんがおっしゃるように核心はそこなんです」
「はぁ?」
茶菓子を一口食べ、茶で喉を潤してから桜龍は一瞬だけ俯いて考え込んだようだった。
「……――、わたしの生まれた家――、小鳥遊家では昔から血族婚が続けられてきました。昔は、親と子供、兄弟の姉妹の間柄でもよくあったようです。ですが、そうして血族婚を繰り返した結果増えた小鳥遊家の人間はやがて、本家の京都から全国へと散らばっていきます。それでも、血族婚が続けられて戦国時代あたりになる頃には、ごく近しい間柄の血族婚は行われなくなったと教えられました。北の娘さんが南にお嫁にはいったり、東の娘さんが本家のお嫁さんに迎えられていたと言われています。ですが、それはあくまでも”力を持つ子供”だけに当てはめられる方たちに該当する話で、小鳥遊の世界の外に関心を持った小鳥遊家の人間がたとえば、血族外の人間と愛し合い、子供を身ごもった場合、小鳥遊家の人間以外は、どうしても小鳥遊の”能力”に負けて死んでしまいます。簡単に言うと、RHマイナスのお嫁さんをもらったRHプラスの旦那さんという関係に似ています。それが、小鳥遊家の人間には一人目から発症すると言えばわかりやすいでしょうか」
「……は?」
話の内容が突飛すぎて谷口もにわかには信じがたい。
高橋ですら、当時、希について疑問を抱いたときに同じような質問をして、返ってきた言葉に困惑したものだ。
「小鳥遊の女の場合は仮に身ごもったとしても、自分と胎児がもろとも死ぬだけですみますが、小鳥遊の男の場合は、妻として娶った女性と、自分の子供を失うということになります。ですから、そんな思いを相手にさせないためにも、そして自分がしないための自己防衛策として同性愛は小鳥遊家では目をつむられてきました。それでも、最近では小鳥遊隼 おばさまという方が、やはりよその男性との子供を身ごもって命を落とされました」
隼、とは、「はやぶさ」と書きます。
希さんのお姉さんは火蓮 さん。お父さんは颯 さん。お母さんは巳鶴 さんと言います。わたしの家系では当たり前の名付け方ですが、希さんの名前だけが異質だとは思いませんか?
そんな桜龍の言葉に、どこが、と返しかけて谷口ははっとした。
目の前の若い娘も、桜と龍で、「おうりゅう」であるという事実。
姉は、炎と蓮 。
父は、風。
母は、蛇と鶴、
歴然とした「なにか」を意図したその名前。
しかし、希はどうだ。
「希さんが生まれた時、実家の庭にトルコキキョウが一輪、花をつけたそうです。小鳥遊の子供が生まれるときは、なにかしらの吉兆があるとされます。そして、その吉兆はそのまま生まれた子供が一生付き合うことになる”能力”に関係します。わたしなら、龍の力を振るう、ということです」
つまり、彼女の頭がいかれてなければ、希の姉は炎と蓮を、父親は風を、そして母親は蛇と鶴の能力を持つと言うことだ。
「もちろんそれはあくまでも比喩的なものです。名前に応じた力が、その姿を借りて発揮されるといったほうが正しいかもしれません」
ならば、なぜ「彼」の名前が「希」であるのかという話だ。
「小鳥遊家には、代々、百年に何人かの割合で”いわゆる使い物にならない子供”というのが生まれます。それをわたしたちの家では”無為の子”と呼んでいます。この名前は明治時代に生まれた言葉ですが、それ以前は”死人”とも言われました」
生まれながらに死んでいる。もしくは不用とされる子。
使い物になるとかならないとか、そんな話は谷口が聞いても胸くそが悪くなるような話だが、目の前の桜龍は真顔のままでゆっくりと言葉を綴る。
「無為の子は、一族内でも忌み嫌われ、つい最近までは当たり前のように、死産とされて始末されるか、あるいは両親の情けによって生かされても、一生座敷牢で暮らさなければなりませんでした。ですが、時代が変わり、そんなことは法律的にも許されません」
長い桜龍の話だった。
谷口はようやく話の見当がついてきたような気がした。彼の想像する通りであれば、”それ”はあまりにも人としての尊厳を無視した行為だ。
だというのに、桜龍は顔色一つかえない。
もしくは、その小鳥遊家のやり方に賛同しているとでも言うのだろうか。
「希さんは子供の頃から、そんな自分に苦しんでいました。なぜなら、戦後生まれた無為の子は希さんだけだからです。先ほど、希さんが生まれた時にトルコキキョウが咲いたという話をしましたが、その花言葉が”希望”なんです。きっと、ご両親は無為の子であってもなにか希望を持って生きてほしいと願ったのかもしれません。もしも、希さんが生まれる前に小鳥遊の長老会が実権を握っている小鳥遊総合病院に母親の巳鶴さんが受診されていたら、今、希さんが生きていた可能性は非常に低かったと、わたしは思っています。そして、一族の親戚筋だっていくら小鳥遊の血筋だからと言って、無為の子を自分の娘の夫に選ばせたい親などおりません」
「……つまり、結婚相手なんていないも同然ってことを、子供の頃から本人を含めて周知の事実だったってことなのか?」
「はい、年に何度か同世代の親戚同士の集まりがあります。そこでも、希さんはいつもおひとりでした。わたしは、同世代の中でもかなり特殊なほうなので上座へ。希さんのような無為の子は下座というのは当たり前でした」
「……そもそも、小鳥遊家の力っていうやつはなんなんだ?」
谷口がふと疑問を口にした。
力があるかないか、それで生存さえ決められる。
そんなことがあってもいいものか。
「まぁ……、俗っぽく言えば霊能力とか、超能力とかそういったものです。現実的な犯罪を取り締まることが警察庁なら、……まぁ、現実的ではないと思われるでしょうが、呪いや災害、呪術や悪霊などを取り締まり、日本の治安を守り、安定のために尽力するのが小鳥遊家です」
「……なんだ、その……、さっぱり理解できないんだが、その話と小鳥遊希と沢村がつきあってることについてはどうなんだ?」
「裏の世界にいるというのは、小鳥遊も、暴力団もある意味では同じですから、希さんのご両親も納得されているようです。それに、沢村さんとおつきあいするようになってから随分と明るくなられました。自信なさげなのはあまり変わってませんが。それは生い立ちが生い立ちですから仕方ありませんね」
苦笑する彼女に、谷口はあんぐりと口を開いた。
希のことを教えろと言ったのは確かに自分だが、ここまで突っ込んだ話が出てくるとは思いも寄らなかったし、なにより余りにも人間の尊厳を無視したやり方はマルボウとは言え、刑事の正義感から考えれば胸くそが悪くなる。
「でも、たぶん、希さんに聞いても沢村さんがなにをしているかは知らないと思いますよ。希さんも、彼が暴力団幹部であることを今では承知でおつきあいしていますし、沢村さんくらいの人が、自分の恋人を危ない場所に巻き込むとも考えにくい話です」
「なんでそう言える?」
「だって……」
谷口に問いかけられて、指先を口元に当てた桜龍はクスリと笑った。
「今の希さん、とても幸せそうなんですもの。なんだかとても贅沢な贈り物をたくさんされているみたいですけど、別に希さんはそんなものがほしいんじゃないと思います。希さんがうれしいのは、きっとその贈り物の中に込められた沢村さんの愛情深さなんだと思います」
まるで自分のことのようにのろけ話をする桜龍に一瞬、谷口はあきれそうになったが、そこで当初の目的を思い出して気持ちを切り替える。
「……それで、おまえと希の関係は?」
「希さんは、わたしの主治医です。たぶん長老会からの言いつけだと思われます。簡単に言えば、わたしの監視と観察。そして逐一それらを報告することが希さんの任されている仕事です」
また話が複雑になってきた、と谷口は思った。
ちなみに高橋は桜龍の話に飽きて、すっかり芸者の松之助と清二と話し込んでいたりする。
「わけがわからん……」
「龍を宿すものは、小鳥遊でもそれほど生まれません。わたしが生まれたのも五百年ぶりくらいの話だと聞きました。ただ、その年、十月だと言うにもかかわらず、全ての小鳥遊家の庭の桜だけが、この世の終わりを思わせるほど狂い咲いたそうです。とても美しく、そしてまるでその光景は、この世の果てのようだった、と……。まぁ、同じ世代に希さんがいたのは偶然だと思います。ですから、わたくし……わたしの存在が余計に希さんを追い詰めてしまったのだと思います」
――だからこそ、わたしには希さんがやっと手にした幸せを壊したくないとすら思っているんです。沢村さんは、希さんにとってとても大切な人なんです。
幸せになってほしい。
桜龍の言葉から感じるのは、希に対する深い思いやりだった。
それがたとえ男相手でも。
「希さんには、幸せになる権利があるんです」
「わかった……。だがな、桜龍、俺は沢村の尻尾を捕まえるためなら手段は選ばない。それだけは言っておくぞ」
「仕方ありません、あくまでも、これはわたし個人の思いですから。警察組織そして、犯罪はまかり通ってはいけないんです」
わかっている。
桜龍の柔らかな表情は変わらない。
「……――あら、高橋さん、桜龍さんのお話は区切りがついたようですよ」
清二に言われて、高橋はそこでようやく振り返った。
いつの間にか歌も踊りも終わっていたことに、谷口はようやくそこで気がついた。
それほど、信じられない話の連続だった。
そして「希」という青年の存在について。
桜龍ですら、彼が暴力団の幹部との付き合いを認めている。そのリスクもわかっていながら、桜龍は認めざるをえないのだ。
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