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3 増殖する悪意

 悪意――。 「彼は帰ってこないと、思う」  谷口と別れた小鳥遊桜龍と、高橋和仁はその足で聞き込みに回っていた。少ない情報のひとつでも手に入ればざそれは捜査の前進の一歩だ。 「どうしてそう思う?」 「……――”完成した作品”には興味がない、から」  被害者の「死」という形で完成したもの――殺人という「芸術」。  それが犯罪だ。  そして、ふたりを含めた捜査一課が現在、全力で追いかけているのは連続殺人である。 「だってそうじゃありませんか。今までの現場で、”彼”が戻ってきた痕跡がありましたか?」 「……そういや」  それもそうだ。桜龍の言葉に顎に手を当てて考えた高橋は、考え込んで頭上を見上げる。頭を使うことが得意な桜龍と違って、どちらかと言えば高橋のほうは足を使って現場で先輩刑事たちの教えを学び、身につけてきた。 「わたしは、警察の先輩方の教えを否定したりはしません。実際、現場で見つかるものもたくさんあります」  ――”こういうことも”。 「……よぉ」  唐突に言葉をかけられて、高橋と桜龍は立ち止まった。  シルバーのセダンが横付けされる。  後部座席の窓が下がって、髪を茶色に染めた優男風の三十代半ばの男が顔を出した。しかし紛れもなく、いかにも、と言った風情の。元ホストと言ったところだろう。  抜き身の刀と言った方が正しいかもしれない。  常磐幸哉(こうや)。  沢村俊明の片腕だ。 「常磐か」 「あんたたちが谷口さんと仲良く料亭に入っていったから、鉢合わせは御免被りたいからな。一応、遠慮したんだ」  低く甘い声。 「何の用だ」 「俺の管理するクラブの女が行方不明だ、悪いけど手を貸してくれないか?」 「……――」  思わず黙り込んだ高橋に対して、桜龍は彼の横から顔を出して常磐の顔を覗き込んだ。 「お名前は?」 「お、そっちの綺麗なお姉さんは物わかりが良さそうだな?」 「物わかりが良いかはわかりませんよ?」  にっこりと笑った桜龍に、常磐は片方の眉を引き上げる。  なるほど、ただの女刑事というわけでもなさそうだ。  極道の上層部の人間としての嗅覚が、桜龍の異質さを感じ取った。 「俺の名前のことじゃないだろ?」 「もちろん」 「矢崎博美、二四歳。歌舞伎町のクラブ”クレオ”のナンバーワンだ。源氏名はキララ」  これが写真。  そう言って、クラブで化粧をしたときの顔と、化粧をしていなさそうな顔の両方の写真を尽きだしてくるふてぶてしい厚かましさに、高橋はむっつりと唇をへの字に曲げた。 「一週間前に無断欠勤して、翌日、オーナーが電話しても出ない。こっちも急いで所在を確認したが未だに行方不明だ」 「探せ、と?」 「それが刑事さんたちのお仕事だろ。一応、こっちはこっちで若い連中を動かして探してるが、今のところどこもヒットしない。昨今じゃ女性誘拐連続殺人事件なんてやつもまかり通ってる始末だしな。早いところ居場所を特定できるといいんだが」 「……わかりました」 「俺は極道者だが、矢崎は違う。一般人だ。その辺のちんけな男と駆け落ちしたって可能性もなきにしもあらずだが、まぁ、それだけだったらいいんだが、あの女に限ってそれはないな。あいつはきっちり落とし前はつけるタイプだからな」  つまらない男に引っかかるような場末のホステスではない。  無表情に言ってから、常磐はちらりと長い髪を後頭部で束ねた桜龍を見た。 「あんたはどう思う? 綺麗なお姉さん」 「……捜査情報は、漏らせません」 「なんだ、結構お堅いな。さすが、京都の名家のご出身」 「わたしのことはそれなりに知っていらっしゃいそうですね」 「それなりに、な。こういう稼業やってるといろいろ知りたくないこともわかっちまうんでな。あれだろ、うちの……――理事長の愛人の従姉妹だったっけ?」 「恋人です」  即答した桜龍に常磐が笑った。 「なかなか肝の据わったお姉さんだ」  わかったよ、まぁ、そっちの矢崎の件、頼んだぜ。  言いたいことだけを言って、常磐の車は高橋と桜龍の前から消えた。 「なんなんだ、常磐と言い、沢村といい。警察をなんだと思ってるんだ」  ぼそりとつぶやいた高橋とは裏腹に、隣に立つ桜龍は白灰と藤色の瞳をまたたかせてじっと考え込む。 「……どうした?」 「いえ、なんでも……」  問いかけられて桜龍は横に首を振った。  確かに、常磐の情報は手がかりのひとつかもしれない。次の犠牲者は、いったい誰になるのだろう。  杞憂ですめばいいのだが。  精神の奥底で、わだかまるような不安が消えない。   * 「仕事なんてやめたらどうだ?」  問いかけるのは沢村だった。  希は苦笑しながら、沢村の言葉を否定してかすかに聞き取れる声でつぶやいた。 「……――んが、役目を終えるまで、僕は解放されませんから」 「……うん?」  病院から「帰宅」した希は玄関で沢村に有無を言わずに身につける着物を開いて、そのままセックスに持ち込まれてすでに一戦を交えた後で、ぐったりとした体をベッドに横たえて沢村から顔を背けた。 「希」 「はい?」 「……もう一回」  すでに幾度も達して、希の体力は限界だった。  コックリングを外されたペニスをゆっくりともみし抱かれて、消えていこうとしていた欲情の炎が息を吹き返す。  ごろりと長い腕で希の体を組み敷いて、抵抗もろくにできない体を優しく口づけて、あちらこちらへと赤い印を残していく。  この体は自分のものだとでも言うかのように。 「俺が、ほしいんだよ」 「……――馬鹿、そんなこと言われたら、僕が断れないの知ってるくせに」  必要としてくれる。  体だけでもいいと、そう思った時期もあった。けれども、沢村に心から愛されていると知ってから、彼に欲されると希にはあらがうすべなどない。 「かわいいな、おまえは」  ――大丈夫だ、イかせてやるだけだ。  舌と唇。  手のひらと指先。そしてふれあう肌から全ての快楽を引き出されて、希は白い体をくねらせた。 「……っぁ、そんなんじゃ……」 「俺に気にすることはないぞ、おまえの中で充分楽しませてもらったからな」  笑うような彼の低い声が、ぞくりと希の背筋をなで上げる。ゆっくりと硬度を増して反り返っていく希のペニスをじっくりと見つめて、疲労した腕をかろうじて動かして、恥ずかしそうに片手で顔を覆う希を時折のぞき見る。  そんなところがたまらなくかわいらしくて、沢村は希をいじめたくなる。 「……ゃ、イっちゃう……、や、だ……」 「イけよ、何度もドライでイったから少しきついかもしれんが、出した方が体にいいぞ」  ほら。  そう促してから、ぞろりと強い圧力で勃起した希の性器の先端の孔に舌を押し当てた。チュッと音を立てて吸ってやってから、大きく口を開いて恐らく男としては一度も使ったことのないだろうそのペニスを根元まで飲み込んで喉の奥でしごいてやると、それだけでも組み敷かれた恋人には充分強すぎた快楽だったのか、あっけなく達して沢村の喉の奥に精液を吐き出した。  吐精の開放感に呆然とする希とは対照的に、喉に放たれた精をごくりと飲み込んでから沢村は恋人の金色の髪をよしよしとするようになでてやってからそのまま彼の隣にごろりと横になった。 「まだ夜は早いが、もう寝てしまえ。明日は明け方に平城に家のほうに送らせる」  まだ日付もまたいでいない。  苦しみさえ超えた快楽で追い詰めるようなセックスにくたくたに疲れ切っていた希は、射精の開放感と、優しい沢村の声を子守歌の代わりのようにしながら、やがてゆっくりと眠りへ就いた。  沢村と顔を合わせてしまえば、すぐにベッドへとなだれ込むと言うことはわかっているのに、希は沢村に寄せる思いを止められない。  体だけが目的なのか、そんな風に疑ったこともあった。  ただ手近にあって、簡単な欲求不満の解消になる相手。  希がそう沢村のことを疑っていたことは沢村自身も知っていた。しかし、それは当たり前のことだ。恋愛をしていれば誰でも不安を感じる。  沢村だって不安がなかったわけではない。  自分が極道者だと知って、希は彼のそばから離れていかないだろうかと、不安を感じた。  ――俊明さん、僕のこと、好き?  子供のように問いかけた希が、青い瞳を潤ませていることに、当時は抱きしめずにはいられなかった。  言葉にできないほど愛していると、今まで荒んだ世界で生きてきた彼には表現する手段がなかったからだ。 「……もしも、おまえの全てがほしいと、言ったら?」  眠りに落ちていく希の髪をなでながら、沢村は訥々と昔話をした。 「……う、ん」 「ただの昔話だ」  縋るように眠っている彼の体を抱き寄せて、沢村はゆっくりと希の髪に頬をすり寄せた。 「俺には体だけの相手ならいくらでもいたが、本当に、誰にも取られたくないと思ったのはおまえだけだ、希……」  誰にも渡さない。  もしも希がほかの誰かに心を移したとしても絶対に譲らない。  それほど遠くはない過去に、沢村はそう心に決めた。   **  仕留める獲物のリスクが大きければ大きいほど、「彼」の心は驚くほど昂揚した。自分の内側にこんな昂揚する余地が残っていたのかと驚くほどだ。  すでに女はぐったりと動かない。  触れてみても反応がない。  それがひどくつまらないと思った。 「動けよ」  そう言ってみても女は声も出せないのか。良かったのは威勢だけか、とがっかりしながらため息をついた。 「まだ生きてるんだろ」  言ってから、綺麗に染めていた長いウェーブのかかった髪を引っ張り上げてその顔を覗き込んだ。 「……――」  かすかに呼吸の音が聞こえた。  閉じ込めて、足首あたりまで硫酸を流し込んだだけで悲鳴を上げてそれっきりだ。ほかの普通の女の方がよほど生きるために足掻いて苦しんだ。けれど、この女は違った。  閉じ込めて、目隠しをして、言葉で嬲ってみても彼女は、強い眼差しで命乞いすらしなかった。 「なぁ、おまえのところのお偉いさんのところの女の名前を教えろよ」 「……む」 「あぁ?」 「の、ぞむ……」  ほとんど意識はないのか唇だけを動かしてかろうじてそれだけ告げた。  それを聞いた男は、女の髪を掴んでいた手を離してから顔を頭上に上げて、乾いた笑い声を上げた。音程の狂った、ひどく耳障りな笑い声は、きっと聞く者がいれば眉をひそめたに違いない。 「よしよし、ちゃんと答えたかわいい女の子にはもっとかわいくなれる魔法をかけてあげようね」  胸のあたりまで透明な水槽のようなものに立ったままで拘束された女に、男はゆっくりと透明な液体を追加していった。 「……ぁ、あ……っっっ」  ぐずぐずと女の体が溶けていく。  濃度の高い酸だ。  かすかに悲鳴を上げて、彼女はやがて頭から酸の中へと沈んでいった。

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