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4 敵と敵と敵
「ですから、私は現代という時代においてナンセンスだと言っているんです」
――異変。
気がついたのは京都の本家、その家長を務める若い女性だ。
年齢は四十代前後と言ったところだろうか。
希や火蓮、桜龍とは一世代異なる世代の、小鳥遊家の能力者だ。
「今や、遙か昔のように祈祷や、まじない、贄などでどうかにかするような時代ではないのです。そもそも、現代は科学の進歩がめざましいことは、ここにいる誰もがご存じでいらっしゃるはずだ。そして、その進歩をその目で見てきた方々なのではありませんか?」
小鳥遊鯉華 は、厳しい口調で言い放つ。
「しかし、な……」
「忌み子は小鳥遊の歴史にあって代々不幸を呼び込んできたではないか」
それもそうだ、と頷く老人たちの前で、鯉華は及び腰にもなることもなく、下座の自分の席でこつりとボールペンでメモを取るための紙をたたいた。
「それでは、皆さんは自分のお孫さんにその”忌み子”が生まれれば、”慣例”だからと生まれたばかりの”かわいい初孫”がその手で殺せると、そう受け止めてもよろしいか?」
本家の家長とは言え、そのさらに上で実権を握る長老会には口を出すことは前例のないことだった。
「しかしな、鯉華」
「……あなた方は、人ごとだからそんなことが勝手に言えるんです。だいたい、無為の子が、不幸を必ずしも呼び込んだという記録はほとんどありません。仮に、その不幸とやらが第二次世界大戦や、各種災害や、伝染病などのことを指しているならば、それはすでに人の手、あるいは人知の及ばないところで発生したことではありませんか。そして、なによりも、かつて、京の都を襲うはずだった大災害を受け止めた和泉一族の術者がどうなったか、あなた方がご存じないわけではないでしょう」
はっきりとした口調で告げる彼女はぎろりと大きな目で、年寄りたちを見渡してからそう言った。
「だいたい、あなた方は自分の娘や孫を、小鳥遊の息のかかった病院には出産の時にはいれないじゃないですか。違いますか? 小鳥遊の家であればどこの家にも希のような無為の子は生まれてもおかしくはない。仮に、”そのとき”が来たとき、自分の力で孫やひ孫、あるいは子供たちを守りたいからそうしているのではないですか?」
「……鯉華はそう言うがな、”問題の無為の子”が、今、付き合っているというのが暴力団幹部だそうじゃないか。そもそもそこから問題だとは思わないのか?」
渋面の老人が、白くなった髪を指で梳いてからそう言えば、鯉華はことさらに両目をしばたたかせた。
鯉華の桜の花を思わせる瞳が印象的だ。
「それこそ結構なことじゃありませんか。無為の子として生まれた者は、身を守るすべを持ちません。生まれ持った体だって、決して丈夫なわけじゃないんですよ? それは皆様、ご存じでしょう」
「しかし……」
「無為の子を持たないあなた方にはわからないことだと、私は思いますが……」
同性愛は認められる。
女の死を覚悟して、小鳥遊の外の人間を愛した者も認められる。
しかし、相手が暴力団だから認められないというのは鯉華には皆目理解できない。
「そもそも、本来であればあなた方が手ずから殺していただろう、無為の子に桜龍の監視を命じるというのも奇妙な話じゃありませんか。元々不用の子だったのですから」
「だが、小鳥遊の人間である以上、小鳥遊家に従う義務がある」
「私があなた方に申し上げたいのは、元々、無為の子であると殺しにかかっていたあなた方が、桜龍が生まれて一転して希を利用しようとしたことがおかしなことだと言いたいのです。彼に、彼女の監視を任せ、あまつさえ小鳥遊に縛り付ける。それは希を飼い殺しにしようとしているとしか私には見えません」
そうだ……――。
鯉華の知る限り、希は何度も幼い頃に殺されかけた。
それも一族の人間の手によって。
そして、和泉一族の手によって。
それが許されるものなのだけど、まだ年端もいかない少女には納得できなかった。
京都の本家に産まれ、跡目相続の最有力候補とまで当時から言われていた鯉華は希を守ってやりたいと、子供の頃から思っていた。
人としての尊厳を無視している。
それが鯉華には気に入らなかった。
だから、自分が仮に実権を握るようになったら、希を守ってやりたいとずっと考えていた。
「うぅむ……――、だが、しかし」
「しかしもかかしもないでしょう。私は先ほどからひとつのことしか申し上げておりません。希を小鳥遊から解放してやれと言っているだけです」
「……考えておこう。今年は特に、桜龍に凶兆が出ておるからな」
「そうですか」
老人の言葉に、冷ややかな瞳を滑らせて鯉華はコツリと再びボールペンの先で机をたたいた。
このぼけ老人ども。
内心で思うが、口には出さずに立ち上がる。
「ひとつ、申し忘れましたが、希のお母上、巳鶴さんの守りは守ることを主体につけられていますが、私も希に守りを着けていることをお忘れなきよう。やりすぎれば、私の鯉は化け物の本性を現しますよ」
冷たく凍り付くような声で言われて、長老会の面々もギョッとした様子ですでに立ち上がっている小鳥遊鯉華を凝視した。
鯉華は本家の家長を務めるほどの能力者だ。
その力は攻守に優れ、使い魔である鯉たちは彼女の思うままに姿と能力を変えていく。
「私の”ももか”を着けてあります。そのことを、お忘れなきよう」
ももか、という鯉の名前を聞いただけで、長老会のメンバーは背筋を正す。
ももかは、鯉華の使い魔の中でも十指入る、使い魔でその能力は使い手同様に攻守に優れており、主人を与えられれば、呪術的な危険であれ人の手による危険であれ、素早く察知して牙を剥く。
普段こそ、優雅にその紅白の”ももか”という鯉は京都の本家の庭で泳いでいるから誰も、それが希の守りだとは思っていなかった。
それだけ言ってから、和服姿の女は、机の上に事務用のボールペンを転がしたままで席を立つと、言葉を失っている長老会の老人たちを残して部屋を出た。
「鯉華様……――」
「お待たせ、火蓮」
ホテルの廊下を行ったり来たりしながら、鯉華が出てくるのを待っていたのは希の姉の火蓮だ。
「あの、……希の処遇は」
「心配いらないわ、当分の間は連中も手を出せないでしょ。それに、お母上の守りがついているのだから大丈夫よ」
蛇は龍の全身だ。
だから大丈夫だと、鯉華は火蓮に暗に告げる。
そしてまた、鯉華自身も龍にごく近い縁を持つ。
滝を登った鯉は龍になる。
だから、蛇と鯉のふたつの吉兆を持って生まれた子供は、その力の強弱の差こそあれ、小鳥遊家では「特別」なのだ。そしてたまたま、希の母は蛇の吉兆を受けながら、小鳥遊家の中ではそれほど強い能力を受け継がなかっただけのことで、鯉華は本家の家長の座を勝ち得るほどの強力な能力を得ただけのことだ。
「大概、あいつら、頭の中にわらでも詰まってるんじゃないかってくらいの、古くさい考えするから。火蓮は気にしなくても大丈夫。私もついているから」
「……はい」
素の鯉華は、それほど堅苦しい話し方はしない。
むしろ、どちらかと言えば皮肉屋で小鳥遊家では口が悪い方だ。
「……――連中は、希に償わなければならない罪があると、”まだ”思ってる。そんなもの、とっくに二条ささめがあがなったものだというのに。和泉に希を引き渡せば、確実に殺される。私は小鳥遊本家の家長として、そんな事態を許すわけにはいかない。彼が、二条ささめの生まれ変わりだとしても。その魂が同じものであったとしても、そこに宿った精神は既に希のものなのだから」
中空をにらみつけるようにして言った鯉華に、火蓮は希の前でこそ強気な表情を変えないが、それでも、姉としていつも希の身を案じていた。なぜなら、火蓮には案じることしかできないからだ。
「おそらく、和泉白凰が和泉一族に再生しているんだと思う」
「鯉華様……」
険しい顔のままで、鯉華は唇をかみしめた。
問題ばかりだ。
主に、その問題を作り出しているのは一族の人間であることが話をさらにややこしくしている。
これで小鳥遊家の人間が多少黙っていれば、問題はもっと少ないだろうに、どうしても無為の子である小鳥遊希を彼らは亡き者にしたいらしい。
「希のことは、私に任せて。火蓮」
大丈夫だと、力強く告げる彼女に、希の姉はぎゅっと胸の前で拳を握り混んだ。
「大丈夫」
繰り返される言葉。
ぽんと肩をたたかれて、火蓮は不安げな光を瞳に揺らめかせた。
*
それから、火蓮と別れた白い国産のスポーツカーを運転して、その足で沢村商事へと向かった。
「アポなんてないけど、おたくの社長さんに会いたいの」
受付の事務員に素っ気なく告げた鯉華は車のキーを帯の間に差し込んで告げた。
「……突然のご訪問はこちらとしても困るのですが」
「いいから、いるなら内線かければいいでしょ。こっちは、ここの社長さんの恋人のことで話があんのよ。そう言えば、社長さんだって否とは言わないはずよ。だいたい、私はわざわざ京都から来てるんだから、早くしなさいよ」
矢継ぎ早に高圧的な言葉をかけられた事務員の女性社員はむっとした様子で内線電話の受話器を上げた。
数分後、応接室に案内された鯉華は、結い上げた銀色の髪の襟足を指先でそっと触れてから、ガラスに映る自分の身だしなみを整える。
「……希のことで話があると聞いたが」
「あら、こんにちは」
ガチャリとドアノブが回り、室内に足を踏み入れてきた同年代だろう男に振り返った鯉華はにこりと笑う。
その笑いを、男は「やけに獰猛な笑顔だ」と思った。
「それで、あなたの用事は?」
「いいのよ、普通にしゃべってくれれば。こっちでもあんたのところの会社が賢正会のフロント企業のひとつだってことくらい調べてるし」
「なるほど、ここがヤクザの根城だとわかってて乗り込んできた、というわけか」
「そういうこと」
鯉華は簡潔にそう告げると、やはり帯の間から薄い名刺入れを取り出すと、一枚の名刺を差し出した。
――華道家、小鳥遊鯉華。
名刺にはそうあった。
電話番号と、メールアドレスも記してある。
極道相手に肝の据わった女だと、男――沢村は感心する。
「なんて読むんだ?」
「そのまんま、りか、よ」
「なるほど。その小鳥遊鯉華さんが、どういった用事でうちに?」
「端的に言うわ。希には敵が多い。希の母さんと、私が守りをつけてるけど、いつ何時なにが仕掛けられるかわからない。だから、あんたは希の恋人でしょ? せめて対人間のほうは任せるわ。まぁ、桜龍だって希になにかあれば駆けつけるでしょうけど、あの子は小鳥遊としては力を思うように使うことができないから。あんまり当てにしないで」
「俺なんか相手に連絡先を教えて良いのか?」
じろじろと鯉華と名刺を見比べた沢村が言えば、鯉華は唇の端をつり上げて笑う。
どちらが悪人か、もはやわからない。
「座っても?」
「かまわん」
扉の前に立っている長身の男――中谷を瞳だけを滑らせて見やった鯉華は希に負けず劣らず特異な容姿をしていた。
「言っておくけど、生粋の日本人よ」
「知ってる」
銀色の髪に、桜色の瞳。白い肌が、和服を引き立てている。
「希の親戚か?」
「そうね、ものすごく遠い親戚よ。私は京都の本家の人間で、希の家と別れたのは、一千年前位のときらしいわ」
「それで、用事は?」
態度の大きな女だと思いながら、沢村が尋ねると鯉華は一瞬だけ考え込んだようだった。
「そうね……、言ったでしょ。希には敵が多いって。だから、あんたが聞きたいこと、私が答えてあげる。なんでもね」
「……と言ってもな、特にないんだが」
だいたいは中谷から報告を受けた。
「希は命を狙われてる。それでも?」
「……ならば、敵はなんだ?」
「和泉と小鳥遊、そして関西の陳内会と警察。……――たぶん、今、関東で起きている事件にも巻き込まれる」
「どういうことだ」
鯉華の返答に、沢村の目つきが変わった。
「ものすごくわかりやすく希の正体を言うと、希は二条ささめという平安時代の女の生まれ変わりなの。そしてその二条ささめは、本来、命運を共にするはずの主人の言いつけを守って主人を亡くした後も生き続けた。そして、二条が生き続けていることによって、ある事件に和泉一族が巻き込まれたの。和泉には、全権を握る族長というものがいるんだけど、その十三代目――当時、白凰と呼ばれていた女の子がいたの。特別な美貌の持ち主で、アルビノだったと言い伝えられているわ。その、白凰が朝廷に出仕の命を受けることになったのだけど、なにせ族長という立場もあったし、その白凰を守っている男がどうしても白凰の出仕に納得できなかった。主人と、その守り手は共にあり、共に死ぬ。そう和泉一族ではさだめられていたから。白凰が出仕してしまえば、守り手は共についていくことはできない。そして、主人と守り手は決して離れられない。だから、二条の決意を耳にした白凰の守り手は白凰を説得して、朝廷からの使いがくる寸前のところで、和泉一族の里から白凰を連れ出すことに成功した。逃亡生活は一年半に及んだと言うけど、その逃亡生活に疲れ切って、そして自分の守り手を犯罪者にしたくなかった白凰は、自分の命を犠牲にして守り手を救ったらしいわ。そして、それをそそのかしたのが二条だと、和泉では認識されているのよ」
長い説明に、沢村は顎に指先を当てて考え込んだ。
非現実的な話には多少は慣れたつもりだった。
「それで、その白凰とやらが死んだことと、そいつを守ってた奴はどうなったんだ?」
「伝え聞いたところでは、白凰は自分の守り手に、”絶対に自分の後を追わないように”と言い残したそうです。そして、自分の亡骸を朝廷に運ぶようにと」
――夏だった。
崖から飛び降りて死んだ白凰の白い体を背負い、守り手の男は京の都までの長い道のりを衣服がぼろぼろになっても歩き続けて、腐敗していく白凰の亡骸を朝廷に差し出したのだと。
「和泉家では、主人と守り手は一心同体。そして、一族の族長とその守り手をそそのかした罪で、二条は激しく糾弾された。それでも、一族の人間は守り手にまでなった二条を極刑にすることはできない。だから、小鳥遊に生まれ変わった希――二条は和泉にとって格好の罰する理由になる。そして、小鳥遊の敵は長老会。わたしでもどんな手段を使ってくるかはわからないけど、小鳥遊の問題については、こちらで対処するから、そっちは任せてくれていいわ」
「それで、俺はどうすればいい?」
「……そうね、まず、和泉の人間は私たち小鳥遊と違って容姿そのものは普通の日本人と変わらないこと。見かけで和泉家の人間を区別するのは困難だけど、二条に極刑を下すために近づいてくることが考えられること。一般人を装った和泉に気をつけて。こうしたことは、ヤクザ者のほうが得意でしょ?」
「わかった」
「あと、陳内会と警察はあんたの弱みを握り、そして引きずり出すために、希を利用してくることを考えられること」
そして、例の犯罪者に。
「正直言うと、希の意思なんて無視して、あんたが希を囲ってくれるとありがたいって、私は思ってるんだけど?」
「……なるほど。だが、俺は希の泣き顔は見たくない」
「それをなんとかするのが男の甲斐性ってもんでしょ。なんとかしなさいよ」
極道相手にこれだけぽんぽんとなんでも言えるのはある意味才能ではなかろうか。沢村は一瞬、そう思いかけたが、小鳥遊の人間と考えるとかなり常識外れでもあまり違和感を感じなくなりそうだった。
「ところで、小鳥遊の連中はみんなそんなヘンテコな髪と目の色をしてるのか?」
「あぁ、これ?」
自分の髪を指先でつまんでから、鯉華はちらりと頭上に視線を上げる。
「なんでも、血族婚の遺伝子異常らしいけど。ハプスブルクみたいにならなかったのは、小鳥遊の能力がにそうした遺伝異常の病気を押さえ込もうとしたためらしいけど。詳しいことは私にもわからないけど、遺伝子異常は髪と目の色の出ることが多いらしいって。まぁ、一族の人間はほぼ髪か目のどちらかには一般の日本人の方と違う色が出てるわ。私みたいに」
「赤の他人の俺なんか……、極道の俺なんかにそんな小鳥遊の極秘情報をぺらぺらしゃべっていいのか?」
「別に、極秘でもなんでもないわ。聞かれないから話さないだけだし。昔々とは違って、小鳥遊も和泉も普通に暮らしているから。……それに」
言葉を続けて、鯉華は桜色の目を細めた。
「希を守るために、あんたには知っていてもらいたいから」
聞かれないから答えない。
非常にシンプルだ。
そして自ら沢村に鯉華が話したのは、希を守るためだと。
「ま、どんな手を使うかはあんたに任せるから、自分の女なら守ってみせなさいよ」
「……――」
勝手なことを言われて、沢村は鼻から息を抜いた。
ここまで沢村相手に言いたい放題してくる怖いもの知らずはなかなかいない。
「それで、これ」
突然、袖から取り出したのは、祭りの出店で子供たちが手にぶら下げているような金魚すくいのビニール袋のようなものだ。
中には一匹の金魚のような魚が泳いでいる。
「それは?」
「鯉」
見ればわかることを鯉華が即答して、沢村は脱力した。
「希、あんたのところによく泊まるんでしょ? だから一応、この子を飼っておいて。あ、金魚鉢でいいわよ。この子は大きくならないから。餌もいらないけど、気分的に餌あげたほうが良ければ餌あげておいて。ただし、わたしが連れてきたことだけは、希には黙っておいて」
三センチメートルほどの小さな鯉だ。
品種は紅白、といったところか。
「じゃ、希のこと、よろしくね。手に負えないことが起こったら、いつでも連絡くれればなんとかするから」
言いたいことを言いたいだけ言って、小鳥遊鯉華という女はさっさと沢村商事の応接室を出て行った。
中谷の隣を通り過ぎる時、男の肩を軽くたたいてにやりと笑う。
「敵と味方には充分注意するのよ」
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