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6 共同謀議

 長く焦がれていたような気がするのは気のせいなのだろうか。  今まで、「彼」とは出会ったこともなかったというのに、初めて出会ったそのときに、「彼」とは心をつながれた相手だと、すぐに理解した。  ――すぐにわかった。  けれども、その相手は暴力団幹部、沢村俊明の恋人だったこと。  その事実が、高天(たかま)の心をなぜだか締め付けた。  暴力団幹部の恋人のことなど、本来、高天にとってはどうでも良いことのはずだった。それなのに、なぜか彼の心をかき乱す。  彼は高天を「翡翠」と呼んだ。  そして、高天も咄嗟に彼を「二条」と呼んだ。  記憶にもなにも残っていない。  どこの誰かもわからない金髪の青い瞳の青年。  彼はいったい誰なのだろう。  考え込んだあげく、高天は自分の部屋でモローテーブルの上に無造作に置かれたモバイルに手を伸ばすと、よれたスーツのポケットから手帳を取り出した。数ページめくるとそこにはいくつかの電話番号が記されている。  その中に、沢村の電話番号もあった。  なぜだろう。  その理由はわからない。だけれども、そこに危険が差し迫っていることを感じ取った。現実主義の刑事がそんな勘だのなんだのということを口にすることははばかられるが、それでも、「二条」と出会って以来、胸の奥に沈んで貯まっていく不安とも危機感ともつかない恐怖心だけが水かさを増していくのだ。  気がつけば高天は沢村の電話番号を押していた。 「……高天だ」  よう、と組織犯罪対策部の刑事に対する警戒心など微塵も感じさせないフランクな声が、電話の向こうから聞こえてきた。  沢村俊明だ。  どうしてこう暴力団関係者というやつはいちいちふてぶてしいのだろう。そんな些細なことに苛立ちを感じたが、今はそんなことをいっている場合ではない。  あの強い男が「彼」を保護してくれるなら、それでいいとすら思った。本来、高天が戦うべき相手であるということは重々承知の上だ。それでも、あの時、沢村のマンションの地下駐車場で出会った「二条」はどんなに頼りなく見えたか。  二条はもっと自信と誰にもひけを取らぬほどの強さにあふれていた。だから、高天は二条に無二の信頼を寄せていたはずだ。  けれども、あの時の二条はひどくか弱く見え、誰かが守ってやらなければならないとそう感じた。  同じ二条という人物でありながら、弱々しく不安と孤独にうちひしがれた二条の瞳を見つめたら、咄嗟にその腕を掴む手を高天は止められなかった。 「どうしたよ、高天さん」  電話をかけてきたのが刑事であるとわかっていながら、その自信に満ちあふれた態度は変わらない。むしろ、自分にはまるで非がないとでも言うような彼の声色に、高天はかすかに眉間にしわを寄せる。  組織犯罪対策部――マルボウの刑事が、よりによって沢村を頼らざるを得ないという現実が、高天を苛つかせた。  本当なら、か弱く揺れる青い瞳の彼を、自分の手で守ってやりたかった。  記憶にない高天の意識の中に残っているのは、「二条に守られた」という現実だ。 「頼みがある」 「……なんだ?」 「どうか、にじょ……彼を守ってもらいたい」  唐突な高天の言葉に電話の向こうで沢村が考え込んでいる様子がうかがえた。 「その、”二条”ってのはなんなんだ?」  尋ねられて高天は視線を泳がせた。 「……わからない」 「ふぅん……」 「ただ、嫌な予感がするんだ。だから、どうか頼む。彼を守ってやってほしい」 「デカがヤクザ相手に貸しなんて作っていいのか?」  低く笑う男の声に、高天は唇を噛みしめて沈黙した。  わかっている。  しかもマルボウの刑事なのだ。  そんな高天が、ヤクザである沢村に頼み事をするなど全くもっておかしな話だ。 「……――俺には、力がない」  ぽつりと呟いた高天に、沢村がクツクツと笑い声を上げた。 「そうだな、公務員に力なんてあるわけないもんな」  一介の刑事の分際で、権力などあるわけもない。 「……あんたに言われなくたって、俺はあいつを守る。あいつは俺の半身だからな」  そう言葉を返されて、高天は胸の奥にずしりと重たいなにかが落ちていくのを感じた。  それは違う。  二条は沢村のものではない。二条は自分のものだ。  自分の魂の半分を託した相手。  記憶には残っていなくてもそれくらいはわかる。  ――二条を渡したくない。 「頼む……」  その言葉を、かろうじて飲み込んで高天は沢村との短い通話を終えた。  二条を渡したくない。  どこの誰にも、二条を渡したくない。  二条は自分のものだ。  モバイルをテーブルに置いた彼はそうして大きなため息をつくと床に座り込んだままで俯いて目を閉じた。  覚えていないのだ。  二条。その名前だけははっきりとわかるのに、それ以外はなにもわからない。なぜ、二条を自分のものだと思うのかすらわからない。  金色の髪の、青い瞳の象牙色の肌の青年。  明らかに、極道である沢村俊明の恋人だった。 「……――二条、どこにも行かないでくれ」  俺をひとりにしないでくれ……。  いつ頃からだろう。  高天は平凡な人間として生活しながら、いつからかなにかが足りないと感じていた。ただ、そのなにかがわからないまま、空虚感とようなものを抱えて生きていた。  友人にも恵まれた。  仕事や仲間にも恵まれた。  これほど平凡な幸せはないというのに、それでも高天の人生の中にぽっかりと大きな穴が口を開けている。そう感じ続けて、「彼――二条」と出会ってしまった。  強く自分の胸を押さえて、高天は思い出そうとしてもなにひとつ思い出せないもどかしさに強く奥歯を噛んだ。   * 「……――どうなさいますかな? 小鳥遊殿」  曖昧な言葉。  目の前にいるのはふたりの男だ。  そして、小鳥遊家の人間もふたり。 「どうするもなにも、”我々”の間では意見は一致している。確かに、小鳥遊本家の家長はどうにも否定的ではあるが、長老会では例のくだんを危険視している。”死人(しびと)”は小鳥遊に災いをもたらすもの。そして、和泉も例の魂の極刑を望んでいるのだろう?」  それでも問題はあった。  まず、和泉一族の現在の当主も、そして次期当主と目される白凰も納得していないということだ。  問題は小鳥遊にも和泉にも存在している。 「方法がないわけではない」  相対する男に言われて小鳥遊の男は片目を細めた。 「……と、言うと?」 「我々は、日本を裏側から支える役目を担う。現在において、表の犯罪……人の手によって行われる犯罪は人間の手によって裁かれる。ならば、誘い出せば良い。その悪意を」 「ふむ」  彼らは、小鳥遊家長老会の側近とも言える実働部隊のトップであり、片やは和泉一族の暗殺部隊だ。 「我らが表立って動けば、その動きは確実に悟られる。だが、人間の手を介した犯罪を誘発させる分にはそれほど目立った痕跡は残さずにすむ。幸い二条は力を失っている。これほどの好機を逃すわけにもいかぬし、目的は互いに一致している。小鳥遊と和泉の暗殺部隊が動けば、問題は速やかに解決するだろう」 「……我々は暗殺部隊ではない」 「似たようなものではないか。和泉が小鳥遊のそれを知らないとでも?」 「……――」  言われて小鳥遊の男たちは黙り込んだ。  そう言われてしまってもおかしな話ではないことはわかっている。  和泉一族に、一族の裏切り者や、重要機密を持ち出した者を狩るために動員される暗殺部隊があるように、小鳥遊家にも長老会の一存で動く特別な実働部隊がいた。そして、そのどちらもが優秀な術者たちで構成されている。  和泉一族の目的は、二条ささめの魂の抹殺――処刑だ。  そして、小鳥遊家にとって、希は特別必要な人間というわけでもない。  不慮の事故として片付けてしまえれば、それほど簡単なものはなかった。 「了解した」  ただし連絡は注意深く。  小鳥遊希に罪科(つみとが)はないとする和泉白凰と現族長。そして、希を飼い殺しにする長老会に憤る小鳥遊本家の家長。  彼らが許したとしても、二条ささめ――小鳥遊希は存在することを許されない。 「……二条ささめ――あの女は主人たる藤原翡翠様に呪いをかけた。それは決して守り役には許されぬこと。そしてその呪いのために翡翠様の魂は和泉の力を失った。どんなことがあっても、どんなに時代を超えても、その罪は免れぬ」  真剣な表情の和泉一族の男の言葉に、小鳥遊の男たちはふと顔を見合わせた。   **  希はぐったりと脱力した体を大きなベッドに投げ出していた。  体はすっかり清められて、手入れのされた浴衣を身にまとってはいるが、全身にまとわりつく気怠さに起き上がることもままならない。 「お食事です」  三回のノックの音と、声が聞こえた。  平城旭だ。 「……よろしいですか?」  うとうとと眠り込んででもいるような希の耳に平城の控えめな声が届いた。 「どうぞ」 「雑炊を作りました、よく煮込んでありますので食べやすいかと思います。希さん、起き上がれますか?」  うつぶせに倒れ込むような形で枕に顔を埋めていた希は、ゆっくりと首を回して平城の声がした方向を見やった。平城の言葉に、マットに手をついてなんとか起き上がろうと試みるが、わずかな衣擦れが昨夜、沢村によって与えられた永遠を思わせるような快楽を希の体に思い出させた。 「……っん」  長すぎるドライオーガズムの連続に、頭の中を真っ白にするような快感は今も希を貫いたその窄まりの奥で火を点したままだ。 「理事長をお呼びしてきます。お待ちください」  希の様子を見て、さっと踵を返した平城は扉の向こうに消えていき、それからものの一分ほどで希の恋人が姿を現した。 「どうした、起き上がれないか?」  大股でベッドに歩み寄ってきた男の色香を漂わせる沢村は、ベッドに膝をつくと遠慮もなくごろりと希の体を仰向けにして、上半身を起こす。たったそれだけの接触に、希は頬を赤く染めて熱い吐息を吐き出した。 「昨日はそんなに良かったか?」  男が笑う。  腰が砕けて後ろに倒れそうになる希の体を支えてから、沢村は希の華奢な体を自分の膝の上に抱き上げると、雑炊の乗ったトレイを引き寄せた。 「俺が食わせてやろう」  耳元でささやかれて、その息を感じて希がぴくりと体を震わせる。 「おまえは結腸を突かれると骨が抜けたようになるな……」  そう言って笑う。  男の息が首筋にかかるのがいけない。  レンゲを口元まで運ばれ、ちょうど良い熱さの雑炊に口をつけると、沢村は片手でそっと浴衣に覆われた希の胸の先に触れて軽くこねる。 「……っ!」 「気にするな、食ってろ」  ゆっくりと希のペースに会わせながら雑炊を口に運んでやりながら、沢村はその間に暇な片手で卑猥ないたずらを仕掛けてくる。 「ぁ……、や……っっ」  そっと浴衣の上から股間をまさぐられて、緩く立ち上がりかけたペニスを優しく揉みしだかれて体をくねらせる。 「まだほしいのか?」 「……だって、俊明さ、……」 「俺のせいにするのか?」  優しく、意地悪い問いかけに性器に直接与えられる快楽に希は首を横に振った。  レンゲをトレイの上に置いた沢村がそっと希の腰を持ち上げて、浴衣の後ろをまくり上げる。そうして晒された後孔に、希はひくりと喉を震わせた。  ジッと沢村がズボンのジッパーを下ろす音が聞こえてすっかり立ち上がった性器を、期待にひくつく希のそこに押し当てられた。 「仕事があるからな、……今朝は一回だけにしておいてやる」  昨夜から明け方近くまで愛された体は素直に沢村の性器を受け入れようとしてすっかりほぐれていたそこが、男の性器に吸い付いた。  幾度も結腸の奥を突き込まれ、あり得ない快楽の高みへと連れて行かれた。希が射精することを許されたのはセックスを始めた時の一回目だけだ。それきり、朝までひたすらドライオーガズムを与えられて気が狂うほど快感の奈落へと突き落とされたのだ。 「挿れるぞ」 「……あ」  腰を掴む沢村の手に力が込められたと思った瞬間、ためらいもせずに隆々としたペニスが結腸を何度か突き上げてから割り開くように押し入ってくる。 「あ、ぁああぁあああ……っっ!」  素肌に、そして体の奥に残されていた快感が、一気に希を射精を伴わない快楽へと引きずり上げる。  ベッドのスプリングを使って座ったままで何度も奥を突き上げる腰つきに、希は思わず縋るものを探して自分の腰を掴む沢村の手首を強く握った。 「や、……だ、め。そんなにしたら」 「最近はやっと俺の命令なしで射精しなくなったな」  激しく突き上げられ、意識が朦朧としてきた頃、顎の上がった希に深い口づけをして、かくりと体から力のぬけた彼の体から沢村はまだ立ち上がったままの性器を引き抜いた。  その衝撃にぶるりと震えた体をベッドに横たえて、意識を失っている彼の浴衣を整える。「今夜もたっぷりかわいがってやる」  失神している希の耳元にそう言い置いて、沢村はからになった雑炊のどんぶりの乗ったトレイを手にして寝室を出た。

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