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3 黒麒麟

 ――黒麒麟。 「すまなかった……」  ばつが悪そうに視線を床に向けたままの高天がそう告げると、小鳥遊希は「いえ」と言いながら横に首を振った。 「……――」  なにかを言おうと思っても、頭の中で論理的に整理できなくて、希は視線を中空に彷徨わせる。  希は沢村俊明の恋人だ。  そのことは、希自身も、そして高天博信もわかっていて。  それでも互いを求め合う手を、止められなかった。  理屈ではない。  魂が惹かれ合う。  本来であれば、警察関係者である高天がレイプににも似た行為に走ることなど許されるわけもない。その上、小鳥遊希は極道の恋人だ。もしも、沢村に高天が希を抱いたことを知られたらどんな報復を受けるかわからない。 「……――”あなた”が、ご無事なら、僕はそれでいいんです」  口ごもってからそう呟くように言った希は、高天の用意したビジネスホテルの一室――そのベッドに腰を下ろしたまま俯いた。 「もう、僕にはかかわらない方が良いと思います……」 「……――二条?」 「僕のことは忘れてください。……そして、どうか二度と思い起こさないでください。わたし……、僕の存在はあなたの中から消してしまってください。今はただの、俊明さんの恋人ですから……」  ――あの人は、自分の恋人に手を出した男がいればなにをするかわからない。  それは、なんとはなしに希も察していた。  呟いてから、そっと顔を上げた希が青い瞳で高天の瞳を覗き込んだ。 「二条……」 「……わたしは、あなたに幸せな人生を送っていただきたかった。だから、わたしはあなたに呪いをかけた。そして、わたし自身を罰した。それでも、わたしは罪からは逃れられない。あなたが懇願して許しを請うてもも、彼らはわたしを許さない。……だから、どうかわたし――僕の存在など、この先、どんなことがあっても、ただの極道の恋人だと、そう認識してください。どうか翡翠様”お願い”いたします」  絡め取られるような、彼――彼女の瞳。  切っても切り離せない、守り役と主人の術者との絆。  だから、高天は「二条」の言葉に逆らえない。 「僕は休みます。明日は、検査があるんですよね?」 「……――あ、あぁ。どうも記憶が欠落している様子だったからな。それで一課のほうが頭の検査の方をするらしい」 「……すみません」 「いや……、ショックが大きすぎたんだろう」  強酸に沈んだ首のない女の死体。  それを目の当たりにしたショックから記憶が一時的にシャットダウンしたのかもしれない。 「……その、二条」  踵を返しかけた高天がためらうように口を開く。 「なんでしょうか」  すでにすっかり、彼は小鳥遊希だ。 「頼みがある。一度だけ……。最後に一度だけで良い。俺――わたしのことが大切だったという想いが残っているなら、あの頃のように、わたしを慈しんで抱きしめてほしい」  大柄な男の言葉に、希が瞠目した。  咄嗟にベッドに座っていた腰を上げて着物の上からでもわかる細い腕を伸ばす。  後ろ姿の大男の体に両腕を回して抱きしめた。 「あなたを、いつまでもわたくしは愛しく想っております。ですから、もう、和泉にも、小鳥遊にも囚われず、生きていただきたく想います」  抱きしめる彼の指が震えている。  希の震える手に、高天は自分の手を重ねて、数秒そうしていてから、男は自ら希の手をそっと、そして優しく引き離した。 「わたしも、二条のことは最後まで魂の半分なのだとさだめられていると識っている。あなたの気持ちは、充分に理解した。……――これまで、わたしを守ってくれて、ありがとう」  そう告げて彼は続ける。 「できるなら、あなたに与えられたわたしの人生が安らかであるように、あなたにも安らかな人生が続くことを願っている」  魂の絆は断ち切ることができなくても、強すぎる二条の呪いはふたりを分かつ。 「……――ありがとう、二条」  立ち尽くす希に背中を向けたまま、そう言った高天はそのままホテルの部屋を出て扉を静かに閉めた。  彼の顔を見れば、抱き返してしまいそうだったから。  けれども、今の希は沢村俊明の恋人なのだ。  希の幸せを奪いたくなかった。  一方、室内に取り残された希はそのまま硬直したように立ち尽くして、伸ばしていた腕を引き戻し、震える両の手の指先を見つめた。  もう、取り返しがつかない。  より強い呪いを翡翠に与えた。  もう逃れられない。引き返すことはできない。  なぜなら、希は黒麒麟の最も大切なものを危険に晒し、その命を摘み取り、そして、自らの主人に一度ならず二度までも呪いをかけたのだ。  よく覚えていない。  だけれども、黒麒麟が希にとって好ましい存在ではないことは覚えている。だけれども、それだけの罪を犯したのだ。  黒麒麟は、決して希を逃しはしないだろう。  もしかしたら、それは沢村をも危険に晒す道なのかもしれない。 「俊明さん……、僕を、助けて……――」  怖い……――。  震える体を自らの腕で抱きしめて、希はふらりとそのままベッドへと倒れ込んだ。  声が聞きたい。  力強く、優しい沢村の声が聞きたい。 「俊明さん」   * 「夜分に失礼いたします、一成様」  そのほぼ同時刻、和泉白凰は守り役である白木の運転する車で現代和泉族長の元を訪れていた。  現在の頭領を務めるのは和泉一成。  守り役は一成よりも十三歳年長の田村泰邦(やすくに)だ。 「どうなさいました? 白凰様」  今まで族長を務めてきた誰よりも、次期族長として指名されている白凰は特別な存在だった。  だから、一成も白凰には丁寧な言葉を使う。  もちろんそれは守り役である田村が一成にそうするようにきつく言いつけたからだ。 「黒麒麟が動いていると伺っております」 「そのようです」 「黒麒麟は魂狩り、その標的は二条様でございましょう」  もちろん、二条だけが黒麒麟の標的だというわけではない。 「小鳥遊家の動きを考えれば、そうだろうとは思うが、黒麒麟の動きに我々|七星(しちせい)は口を差し挟むことなどできないことなど、白凰様ご自身がご存じではないのですか?」  黒麒麟と名付けられた和泉一族の処刑部隊。  その意図するところは、生命を摘み取ることではない。  何百年もの長い時間をかけて、和泉一族に危機を晒した者の魂を追い続ける。  現在、黒麒麟に属する術者は四名。最近になって黒麒麟に迎えいられた者は明治時代のことである。  彼らは同じ魂をもって罪人の魂を刈り取るために追い続ける。  同じ魂、――そして途切れることない恒久の記憶。 「……ですが」  黒麒麟から逃れられる者はほとんどいない。  大概、二、三百年ほどの間に対象とされる魂は摘み取られ、輪廻の輪から外される。  魂の実質的な死を意味している。 「族長のお力があれば、黒麒麟は止められないのですか?」 「なぜ、黒麒麟があれほど躍起になって二条様を追い続けるのか、あなたはご存じのはずです」 「……それは」  二条は一千年もの長い時間を、黒麒麟から逃れ続けている。  処刑の対象としては筆頭だ。 「白凰様は、初代族長白鳳(はくほう)様の直系でいらっしゃる。そして、黒麒麟の頭領――英比古(ひでひこ)様との子孫でいらっしゃる。だからこそ、白凰様が命を落とす原因となった二条様をお許しになることができないのです」  初代族長が、迫害される異能力者たちを受け入れるための村を作った。  そしてその人物こそが和泉白鳳であり、その側近だったのが英比古で、白鳳と英比古は惹かれ合い、結ばれ、そして五人の子を得た。  だが、英比古は朝廷から放たれた刺客によって命の危険に晒された白鳳を守るために命を落とした。それから、白鳳は特別に強力な異能力を持って生まれてくる子供たちにはそれに見合うだけの異能力を持つ術者を守り役としてつけ、共に逝くことを定めた。それは自分が英比古を失った悲しい想いをさせたくなかったからだとも言われているが、実際のところは白鳳の生まれ変わりが今までこの世に生を受けていないため、真実は不明のままだ。  そして悲劇は白鳳が流行病(はやりやまい)で命を落としたところから始まった。  特別な魂を持った英比古は、過去世の記憶を持ったまま生まれ変わり、そして愛した白鳳が病で命を落としたことを知ってからというもの、その魂を受け継ぐ者を探し続ける一生を送り続け、命を落としては生まれ変わる度にそれを繰り返した。  誰よりも愛しい白鳳を探し出すために。  やがて、数百年にひとりという単位で自分と同じ過去の記憶を全て忘れることもなく持って生まれる者がいることを知った英比古は、麒麟という名の部隊を作った。そして和泉白鳳の血を強く継いだ白凰が命を落としたことと、七星と呼ばれる異能力者たちの守り役ともあろう者が自らの主人に呪いをかけた事実を知り、和泉一族の罪人とした。  麒麟には全ての記憶があるだけではなく、それ以外にも特別な素質があった。  「人」の魂を処刑する力だ。  裏切り者や、大きな罪を犯した者が二度と生まれかわることのないように、その魂を抹殺する。 「では、もし白鳳様が生まれ変わられて、英比古様をお止めすることができれば、二条様は許される機会を得られるかもしれないということでしょうか?」 「……可能性だけならば、あるかもしれません。ですが、白凰様。あなたご自身のことを顧みてご覧なさい。あなたも一千年近くもの間お生まれ代わりになることがなかった。白鳳様がお生まれれになれば、我ら七星はすぐにわかるでしょう。ですが、それがないということは、白鳳様は未だにご不在であるということです。少なくとも、今、このときに英比古様をお止めすることができる人はおりません」  今の英比古には白凰も顔を合わせたことがある。  年の頃はそれほど変わらない、高校生くらいの青年と少年の間のような姿の男性だ。  鋭い目つきが非常に印象的で、彼がどれほどの苦痛を味わいながら生きてきたかを物語っていた。  村山亮人(あきと)――。 「あなたのお姿は、今も、その前も白鳳様とよく似ていらっしゃるということです。それがなおさら英比古様のお気持ちを刺激するのでしょう」  和泉一成にそう言われて、白凰は黙り込むしかなかった。  一成の言いたいこともわかる。  村山亮人――英比古の想いもわからないわけではない。  けれども、胸の奥に沈み込んだ違和感に言葉にできないなにかを感じて背後に端座する守り役の白木を振り返った。 「……大斗(ひろと)、わたし……――」 「大丈夫です、あなたにはわたしがおります」 「はい」  そうして一成に向き直ったそのときだ。 「七星同士のお話の最中に割って入ることをお許しください」  そう言って、着物姿の田村が膝を進めて一成の少し後ろに寄り添った。  そもそも七星というのは、特に強力で守り役が必要となる異能力者のことを指し、そういった人物が最大でも同じ時代に七人までしか存在しなかったことからそう名付けられたものである。 「二条様は、現在は小鳥遊家にお生まれになっております。もし、なにかあれば保守的な小鳥遊家が黙っているとも思えません。黒麒麟の動きはすでに小鳥遊にも勘付かれていることと思います。二条様をお守りする、という言い方はおかしいかもしれませんが、同じく守り役として思うところがあるとすれば、二条様は決して悪意をもって翡翠様に呪いをかけたとは思えません。そして、二条様は同様にして自らにも呪いの杭をその魂に打ち込まれた。そこにどれほどの悲しみがあったのかと思うと、やりきれないものを感じざるを得ません」 「どこまで、我々だけで英比古様を足止めできるかはわかりませんが、白凰様とわたしであればあるいは、二条様をお守りすることができるかもしれません」  にこりと一成がほほえんだ。 「北海道の飯綱(いづな)結愛(ゆめ)殿にも連絡をとってみましょう」 「……――一成様、……ありがとうございます」  飯綱(いづな)結愛(ゆめ)。  若干十四歳のもうひとりの七星で、現在、和泉一族に属する七星は一成と白凰、そして結愛だけだ。  七星三人で結束すればなにか解決の糸口が見つかるかもしれない。  白凰はそう思いたかった。

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