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4 自らを殺す者
「訳知り顔だな」
威圧するような沢村を前にしても全く動じる様子を見せない、関西系暴力団の幹部――陳内会の若頭、結城孝美はかすかに首をすくめて見せた。
「ま、おまえらよりは、”そこそこそれなりに”はな」
含み笑いをにじませる男の意味深長な言葉に、沢村は内心苛立ちながらも完璧な冷静を装った。
相手は、陳内会の幹部である。
手の内を見せるわけもいかなければ、沢村自身の弱点を晒すわけにもいかない。
「おまえの恋人とやら、あれだろう? 小鳥遊の死人 だろ?」
死人 。
要するに、死んだ人間だ。
自分の恋人を、死んだ人間と口にされて面白いわけもない。それは、極道に限った話ではないだろう。
表情だけはかろうじて変えずに、片方の眉をつり上げた沢村に陳内会の若頭はおかしそうに笑ってみせた。
「何を知っている」
その笑い顔が気に入らない。
「そう目くじらたてるなよ、大した話じゃない」
少なくとも彼に接触してきた小鳥遊鯉華という女は、小鳥遊希が死人であるということは一言も言っていなかった。もしくは口にするのも嫌悪すべきものだったのかもしれないが、いずれにしろ沢村にとって結城の話は初耳だ。
「うちの親父がな、大阪の小鳥遊のじーさんと友だちづきあいをしてるだけだ。どうやら、大昔からうちの組と小鳥遊のじーさんの家柄は付き合いがあったらしい。それで、俺はたまたま小耳に挟んだだけだ」
親父――つまるところ極道にとっては組長その人だ。
そして、構成する組員たちにとって絶対権力者とも言える存在である。
目を細めた結城は、沢村商事の応接室で着流しに羽織りという出で立ちでどっかりとソファに腰を下ろしている。
「いつだったか、賢正会の若いのが小鳥遊の死人を囲っているとかなんとか、そんなことを親父と話していてな。そのじーさんもかなり変わった面 だったから、調べてみたらえらい別嬪さんときた。それで、その若いの、というのがまたおまえときたもんだ。俺は別に関東進出なんてもんには興味はねぇんだが、どうにもおやっさんのほうはやる気みたいでな。若頭の俺としちゃ異議を唱えるわけにもいかないってことで、今回、その小鳥遊の死人とやらの顔を直に拝んでみたくてわざわざこっちまで出てきたってわけよ」
「……――希は生きてる。死人死人と繰り返すな。胸くそが悪くなる」
しかめ面になった沢村に、笑い声を上げた結城は顔の前で手を振ってから「すまんすまん」と繰り返した。
「勘弁してくれ、こればかりは、俺も親父とじーさんの言葉からそう認識してただけのことだからな。なんでも、戦前、小鳥遊の……、おまえさんの恋人の前のその”死人”って呼ばれるガキが生まれた時に、両親は地方の山奥にかくまってたらしいんだが、それを見つけ出して殺したのがうちの先々代って話らしくてな。それで、たまたまその手の話が出てきたらしい」
物騒な話だ。
もっとも、物騒な、というには沢村にしろ結城にしろ、その物騒な世界で権力を握っているわけだから、決して人ごとと言うわけでもない。
「そういうのも陳内の仕事のうちだったもんでな」
「希になにかしてみろ、陳内を叩き潰してやる」
「……そんなに怒るなよ。さっきの話は戦前の話だって言ってるだろ。ただ、……小鳥遊のじーさんが言うには、小鳥遊の死人にかかわると不幸はついて回るらしいということだから、おまえさんも生き延びたかったら気をつけるこったな」
結城に告げられて、沢村は鼻から息を抜いた。
生か死か。
それは極道にとって当たり前のようについて回る。
表向きは沢村と、その補佐役を務める常磐幸哉は経済やくざだが、ふたりはいずれも銃器を扱わせれば一流の腕を持っていたし、格闘術も人並み外れていた。
極論を言えば、彼らは素手で人を殺すことができる技術がある。
「まぁ、死人というのは言葉のあやだろう。俺も少し気になって親父に聞いたことがあるんだが、どうも小鳥遊で役に立たない子供は、不用だからとそれまで始末されてきたって話だった」
小鳥遊では。
その言葉がひっかかった。
「小鳥遊、というのがどういう家なのか、貴様は知っているのか?」
「一応、それなりにな」
「聞かせろ」
「なんだ、賢正会の連中は知らされていないのか?」
「……無駄口は良い。とっとと話せ。俺はそれほど気が長いほうじゃないんだ」
「わかったよ、つくづくせっかちな奴だな。だいたい、今はその問題の小鳥遊希とやらは警察の監視下だろ? そんなに大きな問題は起こらないと思うから、安心しろよ」
あきれ顔で肩をすくめた結城はちらりと背後にいる側近らしき男を振り返った。
「おまえは部屋を出てろ」
「承知しました」
そうして、室内が賢正会の沢村俊明と、常磐幸哉。陳内会の結城孝美だけになったところで、単身関東に乗り込んできた陳内会の若頭は、わずかに声色を低めた。
「小鳥遊ってのはな、言わば皇室の懐刀でな。大昔から、京都の和泉、奈良の小鳥遊ってことでその時代の政権を裏から支えてきたとされているらしい。俺も詳しいことは知らないが、和泉も小鳥遊もどちらも朝廷にとっては重要な存在だったらしいと聞いた。たとえば、大災害から政権を守ったり、都の人災を防いだり、海外からの呪詛やそうした魔術の類いからも守ることが、連中の仕事だったらしい。今もそれは代わりがないらしくて、小鳥遊は血族婚のみでしか家系を維持することができない特殊体質らしい。そのせいで日本人としてはおかしな見た目をしているんだとかしていないんだとか。うちの組もそれなりに由緒正しい組だからな、だいぶ大昔から小鳥遊とは付き合いがあったらしい。それで、和泉っていうのは、小鳥遊以外に異能力を持って生まれた奴らが薄気味悪がられて、最終的にたどり着く一族らしい。その中でも、権力を持ってる十氏族がいて、特にその中から優れた異術者が生まれることがあって、それが七星と呼ばれているらしい。ちなみに、朝廷、あるいは時の政権にとっては存在意義はどちらも大して変わらないらしくて、そのときの直面する危機に対して有効な手段を持つどちらかの家が、日本を守るために使われたって話だ」
「……結城」
なるべく簡潔に話をまとめたつもりの結城の言葉が終わってから、沢村は相手の名前を呼んで眉間にしわを寄せたまま苦々しい声を隠しもしない。そんな沢村の反応が面白かったのか、瞳だけを上げてちらと結城は、賢正会の理事長――若頭を見やった。
「おまえは二条という”女”を知っているのか?」
「……二条?」
「和泉にいたらしいという女だ。その女が付き従っていたというのが翡翠という奴らしい」
「……――二条、二条……」
沢村の言葉に考え込んだ結城は腕を胸の前で組み直してから、その名前を頭の中から発掘する。
「……――あぁ、思い出した。あれだな。和泉の黒麒麟の被処刑者筆頭の女だったか。仕えていたっていうのは藤原翡翠 。この翡翠っていうのは、確か全霊をかけて都を大地震から守ったって話が伝わってるが、それは朝廷にも、当時の政権にも伝えられてない。あくまで、これらは和泉と小鳥遊だけが知ってることらしい。それで、この翡翠が生きてたのが十二代和泉族長の頃で、この後、十二代が死ぬ前に翡翠も大地震から都を守ることによって消耗して死んだって話だが、死の際に二条には後を追ってはいけないと命令したらしい。それで、その藤原翡翠が和泉の七星ってやつでな、翡翠と同じかそれ以上の力を持ってた二条……―――、二条ささめという女はなんでも二度と自分の主人にそんな死に方――生き方をしてほしくなくて、死の直前にその魂に呪いをかけたって話だ。翡翠の能力を奪い、消し去って、そして、自分の魂にも同じように呪いを自らかけた。それで、この翡翠と二条は日本を守るための力を失って今に至るって話だが、そのせいで、和泉の暗殺部隊って言われる黒麒麟が二条を狙ってるって話だったかな。もっとも、親父と古なじみの小鳥遊のじーさんにとっては和泉の問題は、小鳥遊にとっては問題にもならない話らしいから、それで、酒の肴にそんな話を親父にしたらしい」
なんでもないことのように、結城はぺらぺらと恐らく自分が知っているだろうことを話したのは、沢村の反応が逐一面白かったからだ。
――自分の恋人が、暗殺者に狙われている。そうと知ればおまえはどうする?
意地の悪い結城の魂胆が透けて見える。
それでも、沢村は恋人の安否を思わずにはいられない。
そういうわけだったから、沢村商事に乗り込んできた小鳥遊鯉華はあれほど切迫していたのである。
「それにしても、おまえの恋人……小鳥遊希だっけ? えらく綺麗な兄ちゃんじゃないか。情報代として一回俺にヤらせろよ」
「……殺すぞ」
「仕方ねぇな。わかったよ」
沢村の反応も折り込み済みだ。
賢正会の若頭ともあろうものが、この程度の情報で恋人を売るとは結城も最初から思っていなかった。
「なら、今回は貸しってことにしておいてやる」
結城は余裕のある笑みを浮かべて、唇の端をつり上げた。
「ひとつ確認しておきたいんだが」
「なんだ?」
沢村に問いかけられて、結城は薄笑いを浮かべたまま男を見つめ返した。
「小鳥遊と、和泉とやらは結託しているのか?」
「……それはないだろう。今は、小鳥遊のほうは古い慣習からは抜け出しつつある。俺も和泉のほうがどうなってるのかはわからないが、和泉も世代交代しているって話だ。代わり映えがない、ということはないだろう」
暗殺部隊――黒麒麟。
それが希を狙っているということなのか。
小鳥遊鯉華はそれを危惧していたのか。
非現実的な話しすぎて、さすがの沢村も理解が追いつかない。
「……どうしてそんな話をおまえが知っている、結城」
「言っただろ、陳内は由緒正しい古き良きヤクザだ。小鳥遊の連中とも何世代にもわたる付き合いがある」
それが理由になっているのか、なっていないのか、さっぱりわからないままで沢村は黙り込んだ。
「……理事長」
控えめな、しかしれっきとしたヤクザの声で沢村は常磐に呼びかけられて睫をしばたたかせた。
「大丈夫だ」
わからなければ調べれば良い。
”その程度”の人脈はある。
「俺はしばらくこの面白い状況を楽しんでいたいからな、ここに泊まってるからなにか聞きたいことでもあったらいつでも連絡をよこしてくれ」
ホテルのカードをテーブルに置いて、その下にモバイルの電話番号を書き加えた。
*
翌日の昼過ぎ、沢村のもとに希から連絡が入った。
――東京警察病院のロビーにいます。検査が全部終わりました。
メールを見て、沢村が素早く「そこで待っていろ、迎えに行く」とだけ簡潔に返すと、「わかりました」と希からもメールが返ってきた。
「……――希!」
明らかに極道者という威圧感を漂わせ、護衛のための舎弟を何人も引き連れた沢村が東京警察病院のロビーに堂々と入ってきたのはそれから一時間もたたない時刻だ。
恐ろしく人目を引く男の姿に、希は緊張しきって座っていたソファからほっとした様子で思わず立ち上がると、昨夜と同じ和服姿のまま草履をはいた足で早足に恋人のもとに駆け寄った。
「俊明さん」
「怖かったろう……、帰るぞ」
「……はい、……はい」
人目もはばからず沢村の胸に飛び込んでしがみついた希の指先が小刻みに震えていた。
酸で焼け溶けた女の遺体を目の当たりにしたのだ。優しい希がどれほど傷ついたのか、他人の気持ちなどにかけらも関心を持たない沢村だが、恋人の希は別だ。
「俺が”守ってやる”」
希の顎を引き上げて、顔を傾けると触れるだけの口づけを施してやってから、中谷を振り返ると、沢村の側近は無言で頷いてから病院の出入り口に向かって瞳を向ける。
すでにその入り口には平城が黒塗りのベンツを泊めていて、沢村は希の華奢な肩を抱いたままで大股で歩き出した。
守らなければならない。
希を。
誰の手にもかけさせない。
彼は二条でない。
希という一個人で、沢村に恋に落ち、そして実るとも思わない想いをぶつけてきた一途な青年だ。
彼は沢村にとって無用な存在ではない。
そして死人でもない。熱を帯び、夜は彼の腕の中で身悶え沢村に熱を伝えてくる生きた人間だ。
「俺のそばから離れるなよ」
力強い沢村の言葉に、小鳥遊希は彼を見上げたまま目尻から透明な雫をほろりとこぼした。
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