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3 繋がる

「矢崎の奴の頭が持ち去られていた件については裏はとれたのか?」 「……少なくとも、極道が関わっていることがないと言うことは確認した、沢村」 「そうか」  常磐幸哉の訪問を受けて、沢村俊明はかすかに片目を細めた。  沢村と常磐。いずれにしても徹底的な現実主義者でオカルトなどかけらも信じていない。だから、現状の問題は酸で焼かれた矢崎博美の頭部を誰が持ち去ったのかという話だ。  賢正会に対する挑発であればそれ相応の対応を強いられるわけだし、問題は賢正会の幹部である沢村と常磐の直下で発生したということだ。多くのヤクザ者を束ねる沢村、あるいは常磐に対する挑発ともとれる一件について、警察筋では一連の女性誘拐連続殺人事件と見てもいる。  確かにそれもあるかもしれない。  だが、これまでの矢崎博美については手口が違う。  いや――そうではない。  警察当局とは異なる視点から、沢村と常磐は違和感を覚えていた。それは、犯罪を取り締まる人間と、犯罪に手を染める人間の観点の違いだ。 「……どう思う? 沢村」 「まぁ、”あれ”だろ。おまえだって薄々感じてるんだろ」  意味深な言葉を返されて、茶色に染めた髪を常磐はくしゃりとかき回した。 「たぶん、博美をさらって焼いた人間は同じだろうが、首を取ってった人間は違うだろうな。警察は公表してないが、追っかけてるブン屋だって間抜けな奴ばかりじゃないし、うちの組の調査網だってお飾りじゃない」  それに、賢正会が潜り込ませている警察幹部の情報網もある。いわゆる水面下にひっそりと生活する情報屋の存在もだ。 「”渡り鳥”によると、一連の犯行の手口を比較検討した結果、博美以前の被害者にはひとつの意思しか介在していないと分析している」  ”渡り鳥”というのは、生まれも育ちもアメリカの日系アメリカ人だ。数カ国語を自在に操り、若い頃はアメリカの連邦捜査局(FBI)で経験を積んだ犯罪心理学と行動分析学のスペシャリストで優秀なクラッキングの技術を持つ。いわゆる取り締まるよりも、闇の世界に虜になった典型的な闇世界の情報屋だ。  その特殊な技術のため、世界中の警察機関や、裏社会あるいは武器商人とも多様な情報網とつながりを持つ一癖も二癖もある異端者で、常磐も沢村も渡り鳥の言動と情報を頭から信用することはなかった。  ヘタをすれば、渡り鳥は賢正会の情報だって売りかねない。  そういう存在だ。  ――楽しませてくれるのであれば、そちらの報酬次第であなた方の情報は売らないと保証しますよ。  そういう割にぽんぽんと世界の情報網を握り、賢正会に多くの情報を流してくれてはいるが、果たして賢正会にだけそうした態度をとっているとはとても思えない。  おそらく依頼者の多くにそう言って、依頼者たちを手のひらの上で転がしているに違いない。  悪趣味な男だった。 「渡り鳥、か……」  常磐の言葉を聞いてから逡巡した沢村は呟いてから鼻を鳴らした。  どこまで信用できるものか、疑わしいにも程がある。  とりあえず、この首都圏で発生している連続犯罪については実際、渡り鳥の情報通りなのだろうとは沢村も常磐も思った。  掲げた極道の看板は伊達ではない。  実際に犯罪の現場に多く居合わせて、彼らは彼らなりに――極道としての本能が働いた。 「そうだな、おそらく”この二つの事案”は別々のものなんだろう」  沢村が革張りのソファに背中を預けたままぼそりと不機嫌そうに言うと、常磐幸哉もやはり同様に面白くなさそうな顔のままで、目を伏せた。 「うちの看板に泥を塗った礼はしてやらないと”連中”に失礼というもんだろう」 「わかっている」  短く常磐の言葉に応じて、わずかに沢村は考え込んだ。  そのときだ。  沢村のモバイルが着信の機械的な音を鳴らす。  番号は非通知。  しかし、沢村は躊躇もせず通話に切り替えた。 「沢村だ」  ――日本で楽しそうな事件が起こってるっていうから来ちゃったわ。最近はこの手の事件はなかなかどこも起こらないからつまらなかったのよ。  電話の向こうから物騒な事案をぽんぽんとやけに楽しげに告げる若い女の声が聞こえてきて沢村はあからさまに眉間にしわを寄せた。 「……――誰だ」  ――あぁ、知ってるでしょ。”渡り鳥”。  静かに暗く潜めるような声が名を告げた。  今、成田についたところなの。  彼女はそう言って笑った。  しばらくこっちにいるから、いつでも手を貸すわ。  勝手なことを言いたいこと勝手に言うだけ言って、渡り鳥と名乗った女は勝手に電話を切った。 「なんだって?」 「渡り鳥からだ」  常磐の問いに簡潔に応じた沢村は、さらにうんざりとした表情になった。そもそも沢村には渡り鳥との連絡をつける手段はなかったし、わざわざ沢村の方から直接接触するつもりなど毛頭ない。なにより、そんな誰でもできるような仕事は沢村の範疇ではなかった。 「おまえに任せる」 「承知した」  どれだけ腕の立つ情報屋だろうとも、沢村が自ら関わっている暇などあるわけもない。ただでさえ、現在、矢崎博美が事件に巻き込まれたという些細な出来事で賢正会の下部は浮き足立っている。  それは関西の陳内の関東進出の情報にもあった。  しかし、なによりも下部の者たちほど自分たちの組の看板に泥を塗られたという事実に憤りを隠せずにいることだ。  沢村はそれらを暴走する前に手を打たなければならない。 「それで、陳内の結城のことはどうするつもりだ?」 「放っておけ、今のところ毒にも薬にもならん」 「わかった」  ところで、と常磐が続けた。  沢村と常磐は理事長と理事長補佐という立場にありながら、事実上ほぼ同格の立場に等しい。 「あの、少しだけ白髪のある女の刑事(デカ)、訳ありそうだが確かおまえの恋人の希だっけか? あの親戚だろ? ”なんなんだ”?」 「なにと言われても、“観たまま”だ」 「……なるほど」  小鳥遊希の親戚筋――小鳥遊桜龍。  階級は警部補。 「東大法学部首席で、司法試験もストレート合格なのに、ノンキャリアの刑事ってどういうこった?」  さらにあの美貌だ。  モデルや芸能界からだってスカウトはあっただろう。 「さぁ? 本人に聞いてみろ。刑事の割にフランクなお姉さんだ」 「……フランクなお姉さんというのには同感だが、それんしても解せんな」 「まったくだ」  世の中には奇妙な連中が山ほど存在する。  平たく言えば、沢村の側近である中谷克也もそうだし、平城旭や平井恭一もそうだ。どういったいきさつを経て、現在の立場にあるのか気が知れない。もちろん、自分の部下でもある中谷、平城、平井については多少は事情もわかっているがそれでもその選択については沢村にとっても複雑怪奇と言っても過言ではなかった。  他人からはどれほど恵まれた環境に置かれているように見えても、本人にとっては”それ”を選択せざるを得なかった事情というものがあったりするものだ。  司法試験合格後、司法修習生としての「勧誘」を固辞して大学の学士号を取得後、そのまま警察学校に進学した変わり者。  笑うと口元に浮かぶえくぼが印象的だった。 「惚れたか?」  冗談交じりに沢村に問われ、常磐は肩をすくめて見せた。 「まさか。捜査一課の刑事(デカ)に惚れるほど廃れてねぇよ」  大掛かりな犯罪捜査に駆り出される刑事警察であり、ある意味、組織犯罪対策部と同様に暴力団にとっては天敵とも言える。 「世の中、全くもってわけがわからんことばかりだ」  そう……――。  全てを知っていると勘違いすることは危険だ。  知らないことの方が多いと思った方がいいだろう。  だから、沢村も常磐も、時に自分を戒める。なによりもそうしなければならなかったからだ。そうしなければ、極道に属する人間が現代社会で生きていくことなどできはしない。素早く危険を察知し、追われる前に自分の身の回りを整えておく必用がある。そうしなければ、自分自身を含め、自らの所属する組を守ることなどできはしない。   * 「まぁ、りゅーが頭も切れるし、武道もすげぇってのはわかったが、どうして司法試験受けたのに警察学校入ったんだ?」 「……――それを聞くんですか?」  手渡されたサンドイッチを受け取りながら桜龍はコンビニエンスストアに泊められた、高橋和仁の車の助手席でほんの数秒ばかり黙り込んだ。 「麦茶で良かったんだよな」 「出先でカフェインは控えているんです」 「なるほど」  麦茶のペットボトルも受け取って、桜龍はフロントガラスの向こう側をじっと見つめた。 「答えたくなきゃ答えなくてもいいぜ?」 「大した理由じゃないです。笑わないでくださいね?」 「笑わねーよ」  前置きした彼女に、高橋は助手席に腰掛けた桜龍の横顔を見やる。 「わたしが二十歳になったばかりのとき、家の鍵をなくしてしまったことがあったんです。その日、家には誰もいなくて、帰る時間も遅いと言われていたので困っていたら、たまたま自転車で巡回していたお巡りさんが声をかけてくださって、一緒になって三時間も探してくださったんです。……それでも見つからなくて、そしたら、その……、帯に挟まっていて、……もう、あの時のお巡りさんには時間を無駄にさせてしまうし、穴があったら入りたいくらい申し訳なかったんですが、それでもそのお巡りさんはにこにこ笑って、鍵があって良かったですねって注意とか、叱ったりしないで、とても優しく応対してくださって、そのときに、わたしもお巡りさんになりたいなって……、……――思って」  時々、言葉を詰まらせながら、そして言葉を選びながら告げる彼女に、高橋は瞠目する。 そういえば、七、八年前くらいにそんなことがあったような、なかったような気がしないでもない。  日々の任務に忙殺されてそんな些細な出来事はすっかり忘れていた。 「……そ、それって……」  あの時の彼女は、もっと幼い顔立ちをしていた。  白い瞳と、藤色の瞳。  異なる虹彩の瞳は、けれど夕暮れ時で余り気にならなかった。 「そのお巡りさんが、親切にしてくださったからわたしもそんな風になりたいって、そう思った……――だ、だけですからっ!」  フロントガラスの向こうを見つめていた桜龍が表情を隠すようにふいと高橋に後頭部を向けてしまう。  彼女の言ったお巡りさん、というのは、駐在勤務をしていた頃の高橋だ。  どんな巡り合わせか、やがて高橋と桜龍は捜査一課という、犯罪捜査の第一線で奔走する場所で再会したこと。 「そっか……」  長い沈黙がふたりの間に流れた後、ぽつりと高橋が言った。 「そのお巡りさんは良い奴だったんだな」  続けた言葉に、桜龍は言葉もなく頷いただけだった。  頭頂部で結んだ長い黒い髪。むき出しになっている耳と首がわずかに赤くなっていることに、高橋は見ないことにしてやることにした。 「例の廃工場までもうすぐだ、そろそろ車出すぞ」 「はい」  続いた言葉に、頭を素早く切り換えたらしい桜龍がはっきりと返事をした。

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