34 / 35

亡の章 1 確信

 結局、改めて廃工場を捜索した桜龍と高橋だったが新たな手がかりとなるようなものは発見できずに、本庁へ引き返すことになった。  助手席で考え込んで押し黙っている桜龍にちらりと視線をやってから、高橋は小さく吐息をついた。高橋にしたところで気に掛かることはいくつかあった。  桜龍だから特別なのだろう。  帯に挟んだ懐刀と、重々しく金糸で刺繍のいれられた深い紫の刀袋。  どちらも本来であればいわゆる銃砲刀剣類所持等取締法に引っかかる代物である。もちろん許可を得て所持に至るわけだろうが、彼女の身につける卓越した武道を考えると、少しばかりではなくぞっとする代物だ。  どういういきさつで、彼女がそれを所持することに至ったのかは、高橋にはわからない。そして桜龍も口にはしない。  ――君の「おじいさま方」からの「届け物」だ。  管理官から呼び出された小鳥遊桜龍は、狭い使われていない一室で折りたたみテーブルの上に置かれたその二本の刀剣を黙って見つめた。 「所持、及び管理と使用の許可は下りている。警察官である以上、わたしはこうしたものを、警察官が持ち歩くことは意に反するが、上からの命令だ。警部補のことだから心配はないであろうが、充分気をつけて、取り扱うように」  ひとつひとつ言葉を選ぶようにして告げた遠野に、桜龍は睫毛を伏せた。  何が起こるというのだろう。  わからない。  それを恐ろしいと思ったことはない。  なによりも、「それ」を前提として、彼女は生まれ育ち、教育を受けた。  長老会が自ら組織として、警察組織の上層部に働きかけたということはそういうことになるのだろう。 「承知いたしました」  短い言葉で応じる。  懐刀を帯に差し込み、重い日本刀を包んだ刀袋を中央で掴む。  なにかが起ころうとしている。  その重圧に、耐えられるよう。心を平常心で保てるように、彼女は小鳥遊家の中でも特別な存在として育てられ、そうして、これから起こるだろう何かのために彼女は生きる。 「あー……、高橋警部、聞こえているか? 応答せよ」  車内の警察無線から聞こえてきた雑音の入り交じる無線の声に、高橋は意識を切り替えた。 「聞こえます、どうぞ」 「おまえの相方、……――小鳥遊警部補の従兄弟が行方不明だ。小鳥遊警部補の兄さんたちとやらが来て、小鳥遊警部補はいるかと聞いて、いないと知ると出て行ったが、そこに小鳥遊警部補はいるのか? どうぞ」 「おりますが、兄たちがなにか? どうぞ」 「高橋警部、小鳥遊警部補、そのまま賢正会の沢村商事に向かうように。現在、複数の刑事が沢村のところに出入りしているが、どうにもガードが堅すぎる。小鳥遊警部補なら打開策があるかもしれんとのことだ。どうぞ」 「……――わかりました」  希さん……。  無線には届かないほど小さく聞こえた桜龍の声に、高橋は横目に目玉だけを動かして彼女を見やった。  なにを考えているのか。  どこか切なげな印象を与える彼女の憂い顔。  現代の女性陣たちと比較すると驚くほど古風で、大声を上げて笑っているところなど見たこともなかった。  そのとき、桜龍のモバイルが小さく鳴った。 「……松之助さん? どうなさいました?」 「お父様から聞きました。桜龍さんの従兄弟の方が行方不明だと言うことで、わたくしと清二も父の力を借りて、従兄弟の方の捜索をしていただいています。経過が変わり次第、また連絡をいれます。とり急ぎ、ご報告までにと思いまして」 「……ありがとうございます、松之助さん。ですが、もしかしたら最近世間を騒がせている連続女性誘拐殺人事件に関係するかもしれませんので、松之助さんも、清二さんも無理をなさらないでください」 「自分の身くらい、自分で守れますから、桜龍さんはご心配なさらずに。わたしと清二を誰の娘だと思っているのです?」  電話の向こうから笑みを含んだような声が聞こえてきた。  高橋はその声に、桜龍の宴席で芸を披露した松之助と清二というふたりの芸者を思い出した。  やはり、とんでもない大物を親に持つ娘らしい、自身に満ちあふれた発言だ。 「沢村の色……――おまえの従兄弟が行方不明だって?」  桜龍の心配する気持ちを感じたのか、言いかけた言葉を、改めて言い直してから、高橋はバディの彼女を見る。 「沢村さんのところに行ってほしいとのことでした」 「了解」  行く先は沢村商事だ。  ヤクザの本丸、というわけではないがそれに近い。  賢正会理事長の根城だった。 「警視庁捜査一課の小鳥遊です」  沢村商事の周りは数台の警察車両と、いかにもヤクザ者といった若い男達が神経を尖らせたままあたりを警戒していた。  警察手帳を示しながら、桜龍が告げるとその特異な容姿にはっとした様子で、二十台後半だろう青年が走り寄ってくる。 「希さんの従姉妹の方ですね」  白灰と藤色の瞳。  黒い髪に二カ所だけ白い髪の房が上品さを際立たせている。  そんな異様な風体をした女など、沢村俊明の恋人である小鳥遊希の血縁者以外にほかにない。 「そうです、遠縁に当たりますが、桜龍と申します」  極道相手に顔色ひとつ変えない彼女に、青年は表情を隠すように両目をしばたたいた。  これが、希の血縁の人間。  希のような、どこか不安定感に満ちたものは一切感じられない。それは警察組織というもののなかで形成されたものなのかもしれないが、気の荒い刑事警察の人間にしては、非情とも思える冷静さで受け答える。 「理事長が上でお待ちしています」 「失礼ですが、あなたは?」 「……俺、……わたしは平城旭と言います。希さんのボディガードについておりました」  かすかに声が震えるのは、自分の失態で短期間のうちに二度も護衛対象としている希を見失ってしまったことだ。それでも沢村は平城を咎めるようなことはしなかった。 「そうですか……、いつも希さんがお世話になっているんですね。ありがとうございます」  丁寧に礼を述べる彼女と、その相棒である高橋を伴って、平城は前もって沢村から命じられていたとおり、ふたりを沢村の待つ応接室まで案内した。 「やくざという方は、もっと冷酷なのかと思っておりました」 「腕のきく舎弟を簡単に切るほど、任侠だって馬鹿じゃないさ」  聞こえてきたのは、沢村の声ではない。  窓際に立っている着物姿の長い髪の男だ。年の頃は沢村と同じくらいと行ったところだろうか。 「陳内会の、結城さん、ですね?」 「さすが警視庁捜査一課」  茶化すように応じて、結城が振り返るとやはり顔色ひとつ変えない彼女がいる。  相棒の男のほうは、ふたつの暴力団幹部を前にして緊張した面持ちだというのに。 「希さんが、また行方がわからなくなったとお聞きしました」 「警察のほうに捜査を依頼してみようとも思ったんだが、希が言っていたことを思い出してな。警察はとにかく、あんたと直接話をしたほうが早いと踏んだ。まぁ、突っ立ってないで座ってくれ」  ソファに促された桜龍と高橋は顔を見合わせてから、ソファに腰をおろした。  桜龍のほうはともかく、高橋は自分がどこからどう見ても歓迎されているようには思えない。しかし、私情を挟むことは許されない。  なにより、沢村は出て行けとは言っていない。 「希さんが口にされたこと、と申しますと?」 「そこの結城も言っていたが、小鳥遊は引き合うらしいじゃないか。小鳥遊桜龍、あんたに希の捜索を頼みたい」 「……わたくしに、ですか?」 「必用なら相棒と一緒でも構わない。希が何者かに狙われている」 「……――」  廃工場の入り口に残されていた草履をはいた複数人の足跡。  矢崎博美の失われた首。  今まで、女性誘拐連続殺人事件の犯人は死体を損壊するようなことはしていない。そう考えれば、被害者――矢崎の首を持ち去ったのは別の人間と考えて良いだろう。 「陳内の筋の情報では、和泉が希を狙って動き出したって話も伝わってきている。和泉の暗殺部隊は尋常ではないことは桜龍さん、あんたも知ってるだろう? 仮に例の事件の本星と、和泉一族が絡んでるなら、沢村の愛人は殺されるだけじゃすまない話になるはずだ」  口を挟んだのは結城だった。 「……つまり、黒麒麟が動いている、と?」  和泉一族は、かつて小鳥遊家以上に積極的に内部の裏切り者や内通者、及び利益に繋がらない一族内の人間を始末してきた。  その中心にいるのが、黒麒麟と呼ばれる暗殺部隊であること。  それは、小鳥遊家の中枢により近い場所にいる桜龍も長老会から教えられていた。 「そういうことになるな」 「ですが、そうなると希さんが何らかの形で和泉一族に関与しているということになりますが、そのあたりは陳内の情報筋には入ってきていないのですか?」  桜龍自身、そうした情報を全て把握しているわけではない。  そもそも、彼女は小鳥遊家の家長候補ですらない。 「そのあたりは、俺もよくわかんねぇからな。和泉のことは御薗に聞くのが手っ取り早い」 「……そうですね」  ため息をこぼすように、桜龍は結城に応じる。 「――……わかりました、黒麒麟を含め、わたくしも希さんの捜索をお手伝いさせていただきます」  長い沈黙の後、桜龍はそう言って、ちらりと横目に高橋を見た。  相手がヤクザであると言うことからか、腑に落ちないとでも言いたげな仏頂面の高橋に、桜龍は立ち上がる。  そのときだ。  再び軋むような横揺れに、沢村の応接室の壁に飾られた額縁がわずかに傾いた。 「地震か……」  頭上を見上げて沢村が呟く。 「たいしたことはなさそうだな」 「そうですね」  恋人の希を心配する沢村と、従兄弟の希を心配する桜龍。  本来なら身内の捜査には当たらないことになっているのだが、これもまた恐らく特例なのだろう。  高橋和仁はそう思った。  高橋が考える以上に、小鳥遊桜龍の家系は政府の中枢に入り込んでいると考えていいのかもしれない。  小一時間ほどで沢村商事を出た桜龍と高橋は、自分たちの車に乗り込んでから改めて言葉を交わす。 「りゅー、これからどうする?」 「そうですね、ドライブのつもりでちょっと流してもらえますか?」 「わかった」  イグニッションキーを回してエンジンをかける。  慎重にバックで道路に出た高橋は法定速度を守って街中を流す。そうして、大通りに出ると、速度は標識に従って走りながら時折通り過ぎる白バイやパトカーを眺めていた。 「沢村さんは、小鳥遊家の人間は引き合うと言ってましたが、少し違うんです」 「……ん?」  本来取り締まらなければならない相手に「さん」付けをする桜龍が口を開いたのはすでに、沢村商事を出てから三十分ほどたっていた。 「希さんは、わたしとは別の意味で特別な方なんですが、希さんのように小鳥遊家の人間としての能力を持たなくても、小鳥遊家の血筋である以上、小鳥遊家の人間同士は響き合うんです」  響き合う。  彼女はそう言った。  時折、桜龍は高橋に道を指定して、数時間のドライブの間、言葉も少なくぽつりぽつりと言葉をつないだ。 「希さんとは親しくしていたので、わたくし……――わたしと希さんは響き合う関係にあるんです。そういう意味では沢村さんがわたしを指定したのは間違いではないんです。ただ、結城さんがおっしゃっていた黒麒麟も動いているというのが気に掛かります」 「……ビールの話か?」 「違います」  即答で否定した桜龍に、高橋は肩をすくめた。 「女性誘拐連続殺人事件の犯人が矢崎さんから希さんのことを聞き出したのは間違いないと思います。希さんは男性ですが、……その、わたくしなんかよりずっと綺麗ですし、犯人のターゲットになる確率は低くありません」  希を桜龍は綺麗だと言った。  だが、と高橋は思う。  希と桜龍では美の基準が違う。  桜龍も充分に美人だと思ったが、とりあえず、自分よりも希の方が綺麗だと思っているらしい桜龍にそんなことを言ったところで無意味なことはわかっていたから、あえてその箇所には口を挟まずに、彼女の言葉に耳を傾ける。 「容疑者は、希さんの命を狙っていると考えていいと思いますが、黒麒麟がかかわっているとなると、希さんの”魂”の破壊を目論んでいるのかもしれません」  ――兄様が、犬神の捜索をしてくださっていますし、最悪の事態は避けられるかもしれませんが……。 「犬神って?」 「あれですよ、辻に犬の首を埋めてその上をより多くの人間が踏めば踏むほど、呪いの力は強くなるってやつです。聞いたことありません?」 「……あー、昔聞いたことあるな。けどよ、それって本当に効き目あるのか?」 「強力な術者が関与すれば、思いの強さは関係ありません」  それはつまり、効き目があるということなのだろう。 「苦しんで亡くなった矢崎さんの首を辻に埋め、その上を多くの人々が行くことで呪いの道具として完成します。矢崎さんをこれ以上苦しめてはいけませんし、希さんの生死にもかかわっています」  とにかく急がなければ。  言ってから、再び神経を張り巡らせるように睫毛を伏せて桜龍は沈黙した。  それは沢村と同じ確信だ。  希は何者かの悪意によって誘拐されたのだ。  その先に待つだろうものは死だ。

ともだちにシェアしよう!