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第5話

 平日か休日かでいえば、平日。  俺、篁 澪音はSTRAWBERRY CROWN、つまり、職場ではなく、家の中にいた。世間ではすっかりリモートワークが市民権を得て、職場でも導入されている。 「確かに、職場まで行かなくて良いというのは利点だわ。利点なのだけど……」  俺は朝イチから組んでいたプログラムに何とか目処をつけると、夕方近い時間になっていることに気づいた。食事も昨日、オムライスを作った時に作ったチキンライスを食べたきりになっていて、表面がケチャップで赤く色づいた皿が載っている。俺は慌てて、その皿へ水を張り、洗剤をに入れる。 「でも、歩いてもストクラまで5分くらいだしな。あとはスーツを着なくて良い? マスクしなくても良い? 静かな環境で仕事できる?」  基本、会議がない日であれば、カメラはオフにして、メールやメッセージ等のやりとりで仕事をしていくので、極端な話、全裸半裸で仕事をしていても問題ない。確かに一言言えば、一瞬で分かるようなこともあるが、こちらにだって仕事のリズムのようなものもある。基本的にはヘルプがあれば、すぐに返すようにしているが、もう10分20分は自分の仕事を優先したい。たんに相手にするのが面倒い。そんなこともあると思う。  ちなみに、ストクラというのはSTRAWBERRY CROWNの略称だ。 「イメクラみたい? まぁ、こんなでもセクハラっぽくなることもあるし、そういうの、気、使わなくて良いのも楽」  基本的に人。  特に自分より年下の若い男女。自分より年上の男女。同級生でもマウントとってくるとか構って欲しいとか面倒くさいタイプの人間。 それら全てが苦手だった。  だが、それも以前であれば、だ。 「東江さん……」  俺はPCの前に戻る前に水と洗剤を溜めた皿は流しに放置して、ペットボトルを冷蔵庫から取り出す。  職場にいる時とは違い、いつでも、冷たい飲み物、温かい飲み物を飲めるのも確かに利点だ。  ただ、圧倒的に今の俺には東江さんが足りなかった。 「まぁ、東江さんならマウントとってきても、構って欲しいと迫ってきても構わないけど」  俺はそんな馬鹿げたことを考えると、以前、東江さんのマンションにお邪魔した時のことを考える。 「それにしても、あの日は今、考えても、俺の人生で1、2番に最高の日だったな」  東江さんのマンションにお邪魔したのはもうかれこれ1年程前になる。  東江さんの冷蔵庫にあったベーコンやほうれん草なんかでパスタソースを作り、茹でたパスタにかけるという簡単な昼食を作ってみると、東江さんは大袈裟なくらい褒めてくれた。  そして、東江さんのマンションに行く前に買ってもらった苺のショートケーキと東江さんが好きだと言う紅茶を飲んだ。俺が帰る時もエントランスまで出てくれて、『また良かったら、いつでも来てくれて良いからね』と東江さんはいつもの素敵な笑顔で言ってくれた。 「まだあれから1年しか経っていないのに、もう何年も前のことみたいだな……東江さんに会いたい、会いたいな」  俺は自分しかいない部屋で、ぽつりと本音を吐くと寂しくなる。 「って、ダメだな。あの思い出は、あの思い出だけは楽しいままにしたいのに」  俺はすっかり仕事が手がつかなくなると、後から洗おうと思った食器を洗う。それから、インスタントコーヒーも淹れた。 「楽しいこと、楽しいこと。そう言えば、東江さんのマンション。部屋、綺麗だったなぁ。洗練されているっていう感じ? 俺の部屋とは全然、違ってた」  ちなみに、俺の部屋も一応、デザイナーズマンションの部類に入る物件だったのだが、テレビとデスクとベッド以外の家具はなく、観葉植物や凝った照明なんかも置いていない。何かを世話するのは大変だし、奇抜な形の照明器具なんかもものによっては掃除しにくい。  食事は作るものの、いわゆる、フライパン料理でオーブン等はなく、コーヒーメーカーすらない。  一時期、前の職場にいた時、仕事が忙し過ぎて、ハウスキーパーやそれこそ当時、つきあっていた恋人に部屋のことをしてもらったこともあった。  だが、自分が物事に頓着しない性格だと思っていたのが、意外に潔癖だと分かると、たとえ、つきあいを重ねた連れとかでも人をあげるのは遠慮するようになった。 「東江さんになら、ちょっと恥ずかしいけど、良いな」  勿論、東江さんにハウスキーパーの代わりに掃除や洗濯をしてもらいたい訳ではない。  あの日みたいに、簡単なもので良いから食事を作って、ケーキや紅茶を飲みながら、たわいもない話をする。  ただただ東江さんに傍にいて欲しかった。

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