4 / 6
第4話
「クロエ、クロエ、薬は飲んだ?」
ドアの外でミュカが心配そうに声をかけてくる。
「飲……んだ。ね……フェロ……モン、だいじょう……ぶ? 外、漏れて……ない……?」
はあ、はあ、と荒い息を吐きながら、ようやくといったようにクロエはドアの向こうにいるミュカに聞く。
クロエの発情期の症状は重い。
フェロモン抑制剤を服用していても、発情期に起こるヒートという症状を完全に抑えることはできなかった。オメガの本能だけでなくウサギの本能も出てしまい、激しく性交を求めてしまうのだ。
だから、誰かの手を借りなければ発情を抑えることができなかった。
クロエはベッドの上でひとり悶え苦しんでいる。体の奥底から、ジンジンと淫らな疼きが抑えきれず、自ら性器を扱いても、それは治まることはない。
いくら自分で自分を慰めても体は自分ではない他の誰かの雄を求めた。
「ええ、大丈夫。それよりあんたのほうが心配」
ミュカは大丈夫と言うが、きっとそれは嘘だろう。これだけヒートの症状が強く出ているということはクロエ自身から発しているフェロモンもおびただしいものに違いない。
ミュカもギアンもベータだから、それほど影響はないが、宿の客にもしアルファがいたとしたなら、このフェロモンに抗えないだろう。
発情期の間、部屋には中から鍵をかけているのは予期せぬ事故に備えるためだった。いつなんどき、アルファが押しかけてこないとも限らないからだ。
しかし、それとて根本的な解決方法ではなかった。
「……まったく、なにやってんのかしら。もう三日も経つっていうのに……このままだとクロエの体がもたないじゃない」
ドアの外のミュカがブツブツと文句を言っているのが聞こえる。
(ミュカ……ごめん……)
こんな体のクロエを黙って雇ってくれているミュカには本当に感謝しかない。ここを出ても自分の体を持て余すのはわかりきっているが、これ以上ここにいると大好きなミュカとギアンにもっと迷惑をかけてしまう。自分ひとりではどうすることもできないとクロエはいつもジレンマを抱えていた。
セックスのことしか考えられないでいる状態のクロエの耳が、微かな足音を捉えた。
一瞬、空耳かと思ったがおそらくそれは違うと否定し、なんとかピンと耳をそばだて、足音を聞こうと集中する。すると、ややあって、トントンと階段を上がってくる足音が聞こえた。
(あ……この足音……)
特徴的な足音を聞いて、クロエはホッとした。
だがホッとするのと同時に、今度はぎゅっと目を瞑る。その足音の持ち主と会うと、クロエは少し辛い気持ちになるからだ。とはいえ、会わないわけにはいかない。
そうこうしているうちにその足音は部屋の前で止まる。
「なにやってたのよ。遅かったじゃない。もうあの子が部屋に籠もって三日よ。連絡したでしょう?」
ミュカのいらついた声が聞こえた。
「……仕事だ」
足音の主が素っ気ない返事をしている。低く、よく通る男の声。
必要以上のことを言わない彼がミュカには不満なのだろう。
「案外本当は別の子のとこに行ってたんじゃないの。この前も随分もててたようだし」
嫌みのようにミュカが言う。
「そんな相手はいないし、暇もない。……俺の事情はあとからいくらでも話してやるから、さっさと部屋の鍵をよこしてくれないか。あんたもクロエのことが心配なんだろうが」
彼がそう言うと、チャラ、という金属同士が触れて立てる音が聞こえた。どうやらミュカが鍵を渡したようだ。
鍵が開く音がして、すぐにドアが開いた。
虚ろな目でクロエはドアのほうを見る。そこには体の大きな黒豹の男。
極上のビロードのような美しい毛並み。漆黒の闇夜を思わせるような深い黒色は、彼の逞しい体にふさわしく、締まった筋肉を引き立てていた。また、サファイヤのような彼の青い瞳には理知的な光が宿っていて、一目で彼が他の黒豹とはわけが違うと思わせる。
筋肉質な体だが、それだけではない。美しいシルエットを持つしなやかな体躯。
アルファだとすぐにわかる美しい男だった。
「ジン……」
クロエは男の姿を見て、彼の名前を口にした。
「遅くなって悪かった」
ジンはベッドの側にやってくると、シーツの上で情欲をやり過ごそうと丸まっているクロエの頭をそっと撫でた。
クロエはふるふると頭を振る。
「い……い、平気だ……から」
「平気なわけないだろう。……連絡もらってすぐに来たかったんだが……仕事で離れてたから。いや、言い訳は後だ。……クロエ、いいか?」
ジンはそう言いながら、丸めているクロエの背を抱きしめる。
そっと気遣うような手の感触。
今からクロエは心を無にする。なにかを考えることはクロエにとっては辛いだけだ。これから彼にされることを――ただ、快感を追いかけるだけに集中しようと心に決める。
クロエが頷き、誘うようにジンへ視線をやると、彼はゆっくりとその体を傾けた。
ともだちにシェアしよう!