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第3話

『オメガバース症候群』という言葉を、いったいどれだけの人が知っているだろうか。  少なくとも、優吾は自分がそうなるまで知らなかったし、医者でさえ知っている者は稀のようだった。  性分化疾患の一つと捉えられているようだが、はっきりしたことはわかっていない。  優吾は思春期に入ったあたりから、定期的に身体の火照りや倦怠感などとともに、性的な欲求を強く覚えるようになった。  ただ、年頃になれば性的欲求を覚えて、ともすれば持て余すようになるのは当たり前だったし、これに倦怠感や火照りが加わっても、特に異常だとは思わなかった。  性器ではなく、もっと奥、後ろが強く疼いて、そこで自慰をするようになった時には、自分は同性愛者なのかと悩んだことがあったけれど、ネットで調べたりして、同性愛者や異性愛者にかかわらずそうした刺激を求める人がいるのだとわかって、安心していた。  自分の性癖に少しばかり後ろめたさを持ちつつも、周りの男子たちとなんら変わらずに成長した。  体調の悪化が顕著になったのは、大学生活三年目のことだ。  優吾は経済学部で経営学を学ぶかたわら、趣味として学芸員資格の単位を履修していた。  当時は仕事にしようと思っていたわけではなく、単純に美術鑑賞や美術史や、文化史などを浅く広く勉強していたら、学芸員資格の講義に行きついたというだけだった。  講義に出るうちに美術史の教授と仲良くなって、そんなにこの分野が好きなら……と、大学二年の時、アルバイトを紹介された。  日本在住のアメリカ人実業家が趣味で経営しているギャラリーで、その事務員の一人として採用されたのだった。  そこはギャラリー……画廊というより、知識人や富裕層が集まるサロンのような場所だった。  Jというアメリカ人の経営者が、ごく個人的な事情から開いた場所で、はなから採算度外視で儲けなど考えていないようだった。  そのせいか、ギャラリー内で働くスタッフも含め、万事がのんびりしており、それでいて様々な人脈や美術品、造形物や情報などが密に集まって、若い優吾を圧倒した。  アルバイトが楽しくて楽しくて、大学の授業もそっちのけになるくらいだったが、一年ほど経ってから体調を崩し始めた。  ちょうど、あの人に出会った頃からだ。  定期的に訪れる倦怠感や身体の火照り、性的欲求が顕著になり、時には布団から起き上がるのも辛い時があった。  しかし、ピークを数日過ぎると、何事もなかったかのように治ってしまう。一時、倦怠感と火照りを訴えて病院に行ったものの、異常もなく疲労が溜まっているのだという診断で終わってしまった。  今になってみればこの突然の変調は、あの人と出会ったことにより引き起こされたのだとわかるのだが、当時の優吾には、いや、誰にもわかるはずがなかった。  卒業を目前に控えて忙しく、一人暮らしなこともあって、症状が顕著になる数日を誤魔化してやり過ごしていた。  目まぐるしく時間が過ぎる中、アルバイト先にそのまま就職することが決まった。  ギャラリーの事務職から半年で社長秘書という待遇になったのは、それまでのアルバイトでの仕事の積み重ねがあったからだ。自分の仕事が認められたことが嬉しくて、優吾は張り切った。  しかし、社会人になって一年を過ぎる頃になると、原因不明の体調不良はさらに顕著になっていた。  月に数日は体調不良で休むようになり、会社の人たちにも心配されたが、ここで期待に応えないわけにはいかないと踏ん張った。  そしてあの日。社会人二年目のバレンタインデーのあの夜、過ちが起こった。  気持ちの整理がつかない中、さらに身体に異変が起こり、病院に駆け込んだ。  その時の症状は、いつもとは違っていた。倦怠感のほかに異様な眠気や、吐き気を覚えた。食事もろくに摂れない。  今まで感じたことのない、腹部が引き攣れるような痛みもあり、心配になって受診したのだが、一軒目の病院ではやはり、異常がない、精神的なことだろうと言われた。  二軒目の病院に行った時、前の病院の検査ではなかった極度の貧血を起こしていて、すぐに総合病院で精密検査を受けるように言われた。  にわかに不安を覚えた三軒目、エコーだのCTだのと検査を受け、担当医からさらに別の病院に行ってほしいと言われた。 「ある症状が疑われますが、ここでは検査できないんです」  それで紹介された先は、優吾が初めてその名前を耳にする、国立の医療センターだった。命に関わるかもしれないので、必ず受診するように、と何度も言われて、青ざめた。  もしかしたら、自分は死んでしまうのかもしれない。その直前に起きたバレンタインデーの過ちも、頭から吹き飛んでいた。

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