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第3話

 部活中も間宮先生のことで頭が一杯だった。カメラ部だからぼーっとしてても怪我はしない。飼っている犬を見栄え良く撮りたくて技術の習得に入部したけど、今はそれどころじゃない。時計を見ると18時。部活を終了してもいい時間だ。間宮先生が生物部の顧問なのは調べがついている。 (行ってみちゃう?)  会いたいけど会いたくない。顔を見たいけど話すことなんてない。──乙女の思考に陥ってる。  誘惑には勝てなくて生物室を経由して下駄箱に向かう。そんなとこを通らなくても行けるけど。 (……うわぁぁどうしよう──居るよ)  あまりにもタイミング良く生物室から出てきた先生が鍵を閉めている。ただそれだけなのに見惚れる。手も脚も長い……。 (がっしりと逞しい体躯の大人の男が、大きく無骨な手で鷹揚に鍵を握り、鍵穴にゆっくりと差し込んで──るだけじゃん!)  ……現実なのに妄想っぽい。  先生は廊下の端にいるオレに気付くことなく、背を向けて職員室に戻っていく。  ▶声を掛ける このまま帰る  選択肢がピコピコと超高速で揺れ動く。 (どうしようどうしようどうしよう………あっ!パンのお礼、言えばいっか!)  天啓が降りてきた。カーソルは左で決定した。 「間宮先生」  声を掛けたと同時に先生は振り返った。追う足音が分かっていたのかもしれない。 「汐見君──!」  想像したよりもずっと、喜んだ様子で先生は迎えてくれた。少し意外だ。でも鬱陶しく思われるよりは全然良い。 「これから下校ですか?」 「うん。カメラ部、終わったとこ」  顔は見れないけど、なんとか普通を装えた。  先生の声は低くて柔らかくて心地いい。ずっと、聞いていたくなる。 「先生。パンありがと!すっげーおいしかった」 「良かった。購買のお姉さんに無理言った甲斐があります」 (お姉さん……)  お姉さんの平均年齢は60歳だ。 「でもさあ酷いんだよ。先生仲良く分けろって言ったのに、左十が半分食っちゃって。残りを右白と分けたから1/3……あれ1/2?……とにかくちょっとしか食べらんなかった」  ものすごく頭が悪そうだけど、舞い上がって簡単な計算すら出来なくなってる。 「汐見君は数学が苦手なんですね」  先生が肩を震わせる。デフォルトで馬鹿だと思われた。先生が笑ってるからそれでも良い。そして、会話が続かない。幸せ一杯で頭の中がお花畑だ。言葉があるべきところにお花が揺れてる。 (話、しないと。まだしゃべりたい) 「先生……」 (何を言う?なんて言えばいい?もういっそ好きですって言っちゃう?)  思い余って短絡的な考えになる。昨日知り合って今日告白だなんて有り得ないだろ。 (単細胞はオレだ、ごめん左十) 「汐見君」  そんなオレがどう見えているのか先生は焦れたり()かす様子もなく、穏やかに名前を呼ぶ。 「僕に興味を持ってくれて、いるんですか?」 「持って、くれてます」  元々温和な雰囲気が、もっと柔らかくなった気がした。 「まだ時間があるなら、少しお話しましょうか」 「いいの?」 「もちろんですよ」  先生は廊下を引き返すと生物室を開けてくれる。  室内に入った先生は「少しだけ待っていて下さい」と言い残し、続き間の資材室で何かをしている。  生物室はちょっと不気味だ。  内蔵や血管を赤裸々に丸見せの人体君や、マッドな雰囲気のホルマリン漬けやらが圧倒的な存在感を放っている。  5月の夕暮れはまだ明るくて、人体君は差し込んだ夕日に照らされて(たたず)んでいる。気味の悪さと黄昏色の相乗効果で、この世に()ってはいけないモノみたいだ。恐る恐る近寄って行く。顔は意外と欧米っぽくてひょうきんだ。濃い。腹話術の人形に似ている。 「お前、なんかチャーリーって感じだな」 「その人体模型のことですか」  肌の温度を感じるほど耳の近くで声がした。 「ひゃぁぁあっ!」  真後ろに先生が立っている。忍者並みに音がしない。マジで飛び上がった。 「脅かさないでよ……」  まだ心臓がバクバク鳴っている。 「少しでも目を離すと、もう僕からチャーリーに興味が移ってしまうんですか?」 (え?──先生いま何て言った?) 「仕方のない子ですね」  腕が背後から伸びてきて、胸の前まで回される。 (これナニ。なにされてるのオレ。だ、抱き締められ………?) 「はい、どうぞ」  落ち着いて巻き付く腕を見てみると、手にマグカップが握られている。 「お茶です」 「ありがと……」  カップを受け取ると満足した先生は離れていく。何か釈然としなかった。 「先生」 「はい」 「これ渡す前、冗談言った?」 「言いました」 「先生の冗談分かりにくいって言われない?」 「言われます」  だったら、ちょっとは改善する努力をした方が良いんじゃないかと、高度なボケにそう思う。  並んで腰を下ろしてお茶を飲む。先生はオレの真隣りに座った。 「汐見君はどうしてカメラ部に入ったんですか」  雑談モードの先生が質問してくれる。 「犬を上手く撮りたくて」 「犬?」 「うん、飼ってる犬。ポメラニアン。コレクションあるよ。見る?」  自慢のコレクションでSNSでも好評だ。アホ面ばかり選んである。スマホの画像を次々に見せた。 「かわいいでしょ」 「真っ白、ですね。名前はおにぎりですか」 「えぇぇっ!?なんで、何で分かった?あっても白米とかじゃね?」 「なんとなくです」 「先生の勘すごいね?こいつさぁうちに来た時、握れそうなくらいのサイズだったんだよ」 「握ったんですか」 「握った」  キュッと。  今は杵でついた餅くらいの大きさだ。あのふっくらした温もりを思い出して思わず頬が緩む。オレは親バカだった。 「……ふわふわして柔らかそうで……黒目が大きくて幼いつぶらな瞳……かわいいな。汐見君みたい」  先生が独り言を言う。 (──オレみたいなら形容詞がおかしいぞ。それに見せてるのアホ面集なんだけど。だから……オレみたい……なのか……?)  密かにダメージを喰らう。  スマホに見入ってる隙に、こっそり先生の顔を盗み見る。オレが目を合わせられないだけで、ホントはもっとよく見たい。髪の間から目元が見えてドキドキする。垂れ目だから?瞳がデカイから?分からないけど大人の色気が滲み出てる。髪なんかじゃ全然、隠しきれてない。有り体に言って格好良い。顔面だけじゃない、もっと別のフェロモンに当てられて冷静じゃいられない。 「すごくかわいいです」  スマホを見つめて先生が言う。 「……うん」 (どこに出してもそう言われる自慢の子だからね) 「ずっと僕を見てますね」 「………っ」  先生に気付かれてた。気を抜いて見つめ過ぎた。 「すごくかわいい」  スマホを置いてオレの方を向く。まるでオレに言われてるみたいだ。 「……かわいいでしょ、おにぎり」 「汐見君が」  間髪入れずに訂正される。 「オ……オレ……?」 「そう。汐見君」 「……が、何……?」  先生が口に手をあてクスッと息を漏らした。 「きちんと言い直しましょうか」  逸らすのも忘れて凝視していた先生の顔が、触れそうな距離まで近づいた。ふわっと甘い香りが漂ってくる。 (近、すぎる。こんなの息、できない──!) 「汐見君がすごくかわいいって、言ったんです」  ぶわわわーと頭に血が昇る。てっぺんから水蒸気が上がってるかもしれない。 「大丈夫ですか」  先生が首を心配そうに傾ける。 「オレ、犬じゃ、ないよ」 「──これ以上かわいい事を言わないで下さい」  聞こえた先生の声はさっきより少し低い。 「……オレ、かわいいの」 「ええ。とっても」 「────。」  突如、脳内に湧き出た数字の大群を、隕石が降り注ぎ爆破した。サラサラと崩れ去った後にはキレイなお花畑が……お花が揺れる。 「えへへへへへへ」 「汐見君?」  好きな人にかわいいって言われてオーバーフローした。ニヤニヤが止まらなくて自分でも気持ち悪い。さらにモジモジしたら目も当てられないから、気力で立て直す。 「ありがと、先生」 「……喜んで、くれるんですね」  そんなの当たり前だ。鏡を見なくても分かる。はっきりと顔に出てる。もういっそバレればいい。 「誘ってくれたの嬉しかった。また、お茶してくれる?」 「もちろんです」  壁の時計に目を向けた先生が立ち上がる。 「でも今日は、そろそろ帰りましょうか」  時刻は19時半になっていた。楽しい時間の終わりは反動で気持ちがしぼむ。 「せんせー。本当の本当にまた来ていい?」 「不安そうですね」 「不安っていうか……」 (先生だってきっと暇じゃないだろうし) 「大丈夫ですよ、またお話しましょう。約束です」 「ん」  約束という言葉に勇気づけられオレも立ち上がる。  もう一度、先生の顔がちゃんと見たかった。  少しだけ覚悟して、オレを待っている先生を真っ直ぐに見上げた。分かっているはずなのに、思った以上に頭の位置が遠い。首が痛くなりそうだ。 (あれ……マトモに向かい合うのって初めてじゃないか)  よく考えたら尻もちを着いていたり顔をそらしてたり背後だったり、おかしな位置ばっかりだ。  それにしても大きい。見上げるほどが比喩でないくらいに。 「先生……ほんと背、大っきいね………」  腰の位置なんか高すぎて感動する。 「そうですね。でも……」  先生がオレの両肩に手を乗せる。なにかを含んだような言い方だ。 「大きいのは背丈だけじゃないですよ」  耳元に顔を寄せて囁かれる。 (また誤解されるような事してる──!今は困る、妄想したら帰ってこれない。左十も右白も居ないから!)  焦っているオレをよそに、妄想でない先生が動いた。  手のひらがゆっくりと二の腕に降りてくる。その動作は撫でられているようにしか思えない。さらに滑りながら下降して、手首を掴んで持ち上げられる。 「な、なに……して……先生っ」 「ほら、二回りくらい僕の方が大きいでしょ」  声と共に手のひらを重ね合わせる。乾いた温かい感触にビクッとなる。ただ触れ合っているだけなのに、恥ずかしくて顔に血が上る。 「……手の、大きさ……?」 「ええ」  確かに大きさを比べる時にそうすることもある。だけど……オレが意識しすぎるせいなのか、これはなんか違う気がする。  手のひらが離される。ホッとして力を抜いた途端に、今度は頬を包み込まれた。大きな手が……オレの頬を移動する。 (うそ……これ……絶対撫でられてる──) 「ぅ、──っや……せん、せ」  耳を指でくすぐられて、全身にビリビリと弱い電流が走った。 「顔も、耳も、こんなに小さい。君は何もかも小さくて」  続く言葉を予感して心臓が大きく跳ねる。 (や、やだ。それいま、言わないで先生──!) 「──かわいい」 「……っ、」  妄想の方がマシだったかもしれない。現実の威力がすごすぎる。 (からかわれ……たんだろうな)  余りに分かりやすく、応援うちわ並みにデカく『ダイスキ!!』とか顔に書いてあったんだろう。バレても良かったけど、あんな反応をされるとは思わなかった。──大人って怖い。  (でも分かってない。こんなの余計好きになるだけだ。そしたら先生困るだろ──)

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