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第5話
部活が終わって、いそいそと生物室を覗きに行く。まだ生物部が活動中だった。間宮先生は中に居るかもしれない。けど部員も居るのに行った所で何もできない。
──先生とはもう一週間以上も話をしてなかった。
元々の出会いが偶然で、受け持ちの授業も学年が違う。普段よく居る場所も知らない。こうしてみるとオレと先生には何も接点がなかった。このまま恋愛イベントに期待だけしてても、チャンスは巡って来ないかもしれない。
(──今日は粘ってやる)
この間会った時は鍵を閉めているところだった。もう少しで終わるかもしれない、そう思って教室に行きスマホを見ながら暇を潰す。30分くらい経った所で外の音に気付く。いつの間にか雨になっていた。
(泣きっ面に蜂ってこれだよね)
逆に燃える。ここまで来たら待つしかない。生物室まで行ってみると明りが漏れているが人の気配はなかった。
(部活、終わった?)
そろそろとドアを開いて覗き込むとやっぱり誰も居ない。電気がついてるんだから先生は戻ってくる。勝手に部屋に入り人体模型のチャーリーに会いに行った。
「ねーチャーリー、間宮先生どこ行ったのー?」
チャーリーに甘えた。無反応だ。肩を掴んで揺さぶってやる。カタカタカタとチャーリーは音を立てた。
「そんな事をしたらチャーリーの内臓が飛び出してしまいますよ。簡単に外れますから」
背後から声が掛かる。飛び出すのはオレの心臓の方だ。
(だからなんで音消して来るんだよ!?クセになってんの!?)
振り返って、飛び出すどころか止まりそうになる。
「────っ!!」
なぜか頭から水を滴らせながら、流し目でこちらを見る先生が立っている。
脱いだ上着を片手に掛け、ワイシャツ姿で捲り上げた袖。そして今その逞しい腕を見せつけながら、濡れた髪を搔き上げているところだった。ダサい眼鏡は胸ポケットだ。抜かりない。
「ソレ反則だろ!」
頭の中で叫んだつもりが声に出ていた。
先生は微笑むと、少し伏せた目でオレを見た。
「どうかしましたか?」
疑問系だけど不思議そうではない。きっとこんな目で見られるのに慣れてるんだろう。ここまでフェロモン全開にされたら誰だって見惚れるよ……。
「……イイエ、ナンデモナイデス……ていうか、なんでびしょびしょなの?」
「ちょっと買い物に出たら急に降ってきて」
コンビニの袋を机の上に置く。
「来てくれて嬉しいです」
改めてそんな事を言う笑顔が眩しい。
「ちょっと体を拭いてお茶を持ってきますね。座ってて下さい」
先生は資材室に身体を向ける。張り付くワイシャツが上半身の筋肉を綺麗に浮き上がらせている。男こそ見惚れる肉体だ。
(おっさんチョッキでも羽織ってきて……)
マグカップを両手に先生は戻ってきた。もちろん服装は変わらない。頭に至っては搔き上げた髪が乱れて、額にパラパラ落ちているせいでセクシーさが増し、さっきよりも心臓に悪い。
先生はこの間のように、わざわざオレの隣りに座る。机の上に手を伸ばし、コンビニ袋から何かを取り出した。楽しそうにオレに渡してくる。
「はい、どうぞ」
差し出されたのは、いちご大福だった。
「わ、やった、ありがと。でもこれ先生のでしょ。さっき買いに行ったやつじゃないの?」
「僕は甘いものは食べません」
「え?じゃあ何でコレ……」
「汐見君の為のおやつですよ」
オレの為だなんておかしい。
だって今日会えたのは偶々だ。来ることを知っていたワケがないのに。
「オレのなの?」
「汐見君のです。君がこういう物を食べる姿は、さぞかわいいだろうと思って用意したので」
ニッコリと先生が微笑んだ。
オレはぎこちない笑顔を作った。
(あー、たぶん本当にオレの為だ………)
だけどそうだとすると──先生は来るかどうかも分からないオレの為に、用意して待ってたってことになる。もしかしたら一週間。自分が食べもしないものを。
(──え?うそ、なんで!?)
「甘いものは嫌いでしたか」
先生の瞳が哀しく曇る。
「好き、好き。大好き!」
大福にかじりついた。
やらかい、おいしい。むちむち、もちもち……。頭の中はそれだけになる。
ちらりと先生に視線を向ける。先生は頬杖をついて満足そうにオレを見ている。
(何度見ても、信じられないくらいかっこいいな……)
すぐに視線を落とす。いつまでも見ていられない。
「ごちそうさま。美味しかった」
「はい。なら良かった──」
先生の動きが止まり、首を傾けて目を細める。上半身が乗り出してきて、手が唇に触れた。
「んっ……」
(近い。また極端に距離が近いんだって)
「おもちの粉がついてますよ」
ごく軽く触れるだけの指が唇をなぞっていく。
「……ふっ、ぅ…っ…?」
指の感触が強くなる。押し当ててつぶされる。間近で見せられる先生の瞳がオレを吸い込もうとしてる。
「せん、せ──っ」
「ずっと思ってたんですが、汐見君はとても敏感なんですね」
「っ、や……っ」
手のひらで頬を支えられ、親指が唇を撫でる。されるがままになり、抵抗なんて出来ない。指一本だって動かせない。心臓の音だけがバクバクうるさい。こんな訳の分からない状況なのに触れる指が気持ちいい。冗談でもなんでもいいから──もっと触って欲しかった。
「取れました」
期待するよりずっとあっさり、先生の手は離れていった。
「……は……っ」
力が入らず浅い呼吸を繰り返す。犬みたいに口が開きっぱなしになる。頭の芯がぼうっとして耳鳴りがした。
「どうしてこんなに簡単に、そんな顔をしてしまうんですか」
自分でしておいて咎めるような言い方だ。
(オレどんな顔しちゃってんの……)
「汐見君が心配ですよ。こんなに感度が良くて日常生活に支障は出ないんですか」
他人に身体を火照らされたことなんて、あるはずがない。
「先生の、せい、だろ──っ」
「僕のせい、ですか」
先生の表情が大げさにしかめられた。
「それは困りましたね」
「そうだよ。先生が──」
触らなきゃいいのにと続けようとしたが、人差し指で唇を押さえられた。
「だったら僕が責任を持って、免疫をつけてあげないとね」
先生の口元がチェシャ猫みたいに持ち上がってく。
非の打ち所のない整いすぎた顔立ちのせいなんだろうか。ただ微笑んでるにしては昏い凄みを感じる。
なにかを間違えた気がしてならない。なんでそんな話になるんだっけ……?
ふいに顔をそらした先生が、腕で塞いで大きなくしゃみをした。
「すみません。少し冷えたみたいです」
「なんか着てきたら?」
さっきの雨のせいだろう。濡れっぱなしでいたからだ。先生はオレを見つめて首を横に振る。
「丁度いいので汐見君に温めてもらいます。訓練しましょう」
「は?……ちょっ……う、わ……っ」
腕を掴んで引っぱられ、腰を浮かした所を抱き寄せられた。あっという間に向き合って膝の上に乗せられている。先生の腕が身体に巻き付き、近いどころか密着だ。甘い匂いに頭がクラクラする。
「汐見君は体温が高いですね」
先生の腕がぎゅうっとオレを抱きしめる。
「っく……」
首筋に顔が寄せられる。柔らかく押し当てられた感触が、少しづつ移動して──それが先生の唇だと気づいた時、ゾクゾクゾクと背筋に震えが来た。
「んんん──っ、っあ、せんせ……っ」
「また、そんなにすぐ蕩けてしまう」
声が耳元で嗤う。
「っ、あ……や……」
何かされるたびに堪らなくなる。先生の全部に反応する。
「汐見君、僕を見て」
自分の羞恥心を優先してまで、その声に逆らうことなんて出来なかった。ぼやけた視界に先生を映す。先生は微笑んで、ご褒美のように首筋を撫でる。
「っ、あ、……っ」
「たくさん訓練しましょうね」
「んっ……うん……」
「本当に君は──」
もっと先生の声が聞きたい。かわいいって、言って欲しい。先生の肩に額を擦り付ける。
「かわいい」
甘い蜜が染みていくように、その声は全身に広がった。
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