7 / 28
第7話
半ベソをかきながら薄暗い旧校舎の廊下を一人で歩く。今日の部活中に、カメラ部内で伝統になっている、王様ゲームの餌食になった。下僕への命令は、旧校舎の音楽室に放置されているオルガンを撮影してくること。要コンテストに出すレベルとかいう無茶振り付き。従わなければ先輩に屈辱的な写真を撮られ部室に飾られてしまう。
うちの学園には校舎が4棟あって一番古い建物は殆ど使われていない。それが曰くある噂たっぷりの旧校舎 だ。大して手入れもしてないくせに、立ち入り禁止でもない。学校推奨で肝試しをしろとでも言わんばかりだ。
廊下の蛍光灯なんか所々切れてチカチカしている。踊り場付近は光が届かず薄暗い。人だって誰も居ない。大げさじゃなく今、旧校舎内にはオレしか居ない。ビジュアルは完全に廃校系ホラーゲームだ。しかも音楽室は最上階の最奥にある。無理ゲーだった。
(帰ろっかな──)
部室に並んだ歴代の敗者の哀れな姿が目に浮かぶ。豪華なフレームに入れられた恥ずかしい写真達。
(……ないわー……)
あんな悲惨な姿を後世に残すわけにはいかない。
風の音に怯え、視界に映るものに怯え、何とか4階にある音楽室に辿り着いた。ガタガタと建て付けの悪くなったドアを開いて中を覗く。
ボロボロの壁に、傾いた音楽家の肖像画が呪いのようにこびり付いている。目なんか見たら、こっちを向きそうだ。オルガンの蓋の内側は血がべったりだろう。電気をつけようとスイッチを押したがバチンと一回発光して消えた。
(もームリ、もうムリっっ!!!──────うん。諦めよ)
この中に入って撮るとか有り得ない。絶対イヤだ。ここまで来たのに、とか未練の欠片も感じないほど、こわい。
(部室で最も華麗に飾られてやる)
その方がマシだった。そうと決まれば一刻でも早く戻ろうと階段に向かう。
来た時よりも陽が傾いて、踊り場はほとんど闇だった。通った瞬間なにかが飛びかかってきそうで尻込みする。近くで何か音がした!オレはもう限界だ。
「うう、怖い……怖いんだよ!……もう、やだ、もうやだー!!ホントおばけ屋敷、ダメなんだってー!!」
大声で弱音を吐く。どうせ誰も聞いてない。
「汐見君ですね?そこに居て下さい」
(──────!?)
「間宮、先生?」
都合の良い幻聴かと思って半信半疑で名前を呼ぶ。大きな影が階段の下から現れた。暗闇など、ものともせずに平然とこちらに歩いてくる。あのシルエットは間違えようもない──。
「先生っ!」
あまりの安堵感に走って行ってしがみついた。飛びついてもビクともしない身体が抱き止めてくれる。
「ホントに先生だ……」
大人だってこんな所、苦手な人は怯むだろう。でも先生は生物室に居るみたいに何も変わらない。頼もしすぎて、ぎゅうぎゅう抱きつく。
「汐見君がここだと聞いて迎えにきました」
背中をぽんぽんとあやすように叩かれた。
「え?……聞いた?誰に?」
「ちょうどカメラ部の子たちが帰る所に居合わせて。汐見君、旧校舎と耳に入り気になって尋ねたんです」
オレをこんな所に送り込んでおいて、自分達は部活を終わらせ帰ったらしい。薄情にも程がある。
「罰ゲームは無事、終わったんですか」
ムカムカと腹が立ってきた。泣きそうな思いまでしたのに、このまま手ぶらで帰ったら敗者確定だなんて。
「怖くて音楽室入れなかった。でも先生が居てくれたら写真が撮れる」
先生の腕が、エスコートするようにさり気なく腰に回された。
「それなら僕と一緒に行きましょうか」
この騎士 っぷりには、胸がキュンキュンしたって仕方ない。
もう音楽室にホラー要素はなくなった。
完全に夜になった教室に淡く差し込む街灯の光。過去の偉人は栄光と威厳を静かにたたえ、アンティークなオルガンが月光を浴びて濃紫の影を伸ばす。
(コンテストは貰ったぜ!見てろよ先輩ども)
オレが写真を撮る間、先生は机に寄り掛かり黙って見ていた。その姿を振り返る。
「先生ありがと。お陰ですごい良いの撮れたー」
「今度見せて下さいね」
優しい言葉に嬉しくなる。あんなに怖かったのが嘘のようだ。
「先生はこういうとこ、夜でも一人でも全然怖くない?」
「怖くないですよ」
「すげー。オレさっきまで本当、怖かったんだよ。でも先生が居るだけでこんなに平気になるなんて、すごい」
「それは一人じゃないから?僕が居るから?」
「──どっちだろ」
しらばっくれてやった。答えなんか決まってるのにどうせ分かって意地悪してる。
「そこは、僕と居るからだと言って欲しかったです」
眼鏡を外して悪戯っぽく笑う。
(う……小道具の使い方がアグレッシブ……)
この薄暗闇まで味方につけている。闇に映える先生は妖艶さがマシマシだ。
「駄目ですよ」
先生の声がやわらかく制止する。
「え?」
「僕から目を逸らさないで下さい」
(だから訓練は逆効果なんだって。言った方がいいのか……)
そうすると理由を訊かれて、好きだからと告白しなくてはならなくなる。
「おいで、汐見君」
人の気も知らずに先生は容赦なくオレを誘う。腕を広げて待つ姿に乙女メーターが振り切れそうだ。おぼつかない足取りでフラフラと近づく。
「ふふ」
迎え入れて笑い声を漏らす。先生は机に腰掛けてるのに目の位置はオレとあまり変わらない。
「……なに」
「怯えた汐見君、かわいかったです。いま君を置いて行ったら泣いてしまいそうですね」
──かわいい、にまた反応しそうになる。ググッと拳に力を入れた。
「当たり前だろ!泣くよ。つーか泣くだけじゃ済まないよ。髪白くなって正気じゃなくなるかもしんないけど良いの!?」
「………」
先生が口元を引き締めたように見えた。
(なんだ?こんなことじゃ怒らないよな?)
「普段の汐見君はそんな感じなんですよね」
「──う、うん」
オレがおかしくなるのは先生の前だけだ。
「仲が、良いですよね」
「?」
「体育の授業中にじゃれ合っていたでしょう」
(ああ、あれ見てたのか)
「右白たち?うん、小っさい頃からツレだから──」
甘い香りが鼻を掠めた。先生がオレを引き寄せて、髪に顔を埋める。
(う……わ………)
ドクンドクンと耳に心臓があるような音がする。
「汐見君とは出会って日が浅いですけど、興味を持って貰えて嬉しかったんです」
サラ……と先生の手が髪を撫でていく。
(気持ちい)
やわらかい仕草はただ甘やかされているようだ。オレのことを好きみたいにやさしい。
「僕とも仲良くしてくれますか?」
(仲良く……?)
胸にツキンと言葉が刺さる。右白達の話が出た後に言われたらまるで──。
(………友達、として?)
オレが勝手に期待しただけだ。先生は十分嬉しい言葉をくれた。なのに止められない。
「……先生とは友達にはなれないんでしょ。だって、先生は友達じゃありませんって、他の先生は言うじゃん──」
「友達…………?」
先生が顔を上げる。──笑っていた。どう見たって表情は笑顔だ。
それなのに何か違う。まとう空気がピリピリと肌を焼く。
(……な、んだ……?)
唐突に先生が立ち上がり、オレと位置を入れ替えた。腰を抱えて肩を押され、そのまま後ろへ倒された。ガタンと机が揺れる。
「っ……先生!」
起き上がろうにも、先生の手がオレを机に磔 にして動けない。
(力……強、い……っ)
黒い三日月に見える先生の口元が近づいてくる。首を竦めてギュッと目を瞑った。
「目を逸らしては駄目だと言ったでしょう」
耳元で囁かれて、唇を押し当てられた。そのまま耳たぶを挟まれる。
「ふ──んん、っ」
チリチリと胸が焦がされる。また、おかしくなっていく。
先生の指先が唇に触れた。弾力を確かめるように撫でられる。人差し指が口をゆっくり押し開ける──。
「舐めて」
やさしく低く、耳に響く。『教科書を開いて』そう言われるのと大差ない事に思える。
「……ん、ぅ……っふ……」
自分から、太く節くれ立った指に舌を絡めた。
「……かわいい。汐見君」
吐息とともに言葉を吹き込まれて身体がビクンと反応する。
「ふ、ぁ……っ、んぅ──」
「良く出来ました」
先生は身体を起こし、指を抜き取る。
「友達には、こんな顔をしませんよね」
オレを見下ろしながらその指を舐める。赤くうねる舌から、目が離せない。
「頬をピンク色に上気させて、目をうるませて、唇を薄くひらいて、かわいくおねだりするような表情を」
「……し、ない」
「仲良くして、くれますね?」
「うん……」
「かわいい。たまらなく、かわいいです」
首の後ろに腕が回され先生が覗き込む。ゆっくり顔が降りてきて、触れる直前で止まる。
「汐見君」
(あ──キス、される……)
けれど先生の行動は予想を裏切る。オレの身体を支えて、引き起こしてくれただけだった。立ち上がって、先生に背を向ける。
「先生────オレかわいい?」
「かわいいですよ。何度繰り返しても足りないくらいに」
だけどそれだけじゃもう、オレだって全然足りない。
(今オレ先生に──すごくキスして欲しかったのに)
ともだちにシェアしよう!