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第12話
部活後、先生に呼び出された。今日は生物室じゃない。第二校舎の特別研究室──仰々しい名前の教室だった。あるのは知ってたけど、普段生徒が立ち入るような場所じゃない。
久々に先生と二人だけで会う。旧校舎の一件の後すぐ、期末の準備期間に入ったからだ。会いたいと言ったオレに勉強をしなさいと、こんな時だけ先生の顔をされた。そのテストもようやく終わって、呼び出されたのがここだった。
自分のクラスがあるのは第一校舎。第二校舎には特別室が多くある。その上層2フロアが学科別の研究室だ。立ち並ぶ研究室は、鍵の掛かる重たそうな扉からしてオレたちの教室とは趣が異なる。第一研究室と書かれた部屋の、さらに奥の突き当り、特別研究室の前に立つ。
──先生は色々と普通じゃない。多少のことで驚いたりしない。そう誓ってノックする。
「待ってたんです。いらっしゃい、汐見君」
穏やかに出迎える、いつもの先生を見て力が抜けた。
(なんだ──オレ緊張してたのか)
自分でも気付かず、空気に飲まれていた。よく考えたら学校なんだし、先生はここで仕事をしていただけだ。──ホテルの一室にでも呼ばれたような気になっていた。
(意識しすぎ。忙しいんだろ。きっと長机にプリントとか散らかしてあって色気なんて欠片もな、い──!?)
足を踏み入れて、フツーに目が点になった。控えめに言って豪華な書斎がそこにある。
(この学園ってお金持ちなんだなー)
冷静に他人事と思ってみようとした。
(──でもこれはないだろ!?)
失敗だった。
部屋の奥に据えられた木製の大きな机。黒革張りで重厚な椅子。意匠を凝らした造りのソファー。造り付けの飾り本棚に並んでいるのは全て洋書だ。
中流家庭のオレには分からない。これが学校の中にある価値観が。生活レベルや立場の違いで無理やり納得したとしても、疑問が残る。どうして生物室じゃなく、こんな自分の部屋みたいな所に呼んだのか──また緊張が戻ってくる。
「ソファーに座って下さいね。お茶を用意しますから」
先生はいつもの調子で言う。動揺を気付かれてはいないみたいだ。
隣に部屋があるらしい。そこに入っていく。室内がどうなっているか分からないけど造りは教室とぜんぜん違う。まだ他に部屋があるかもしれない。バス・トイレ付きでもおかしくなかった。
身体が沈むソファーに座って小さく息を吐く。一緒に居る時どうしていたか思い出せない。あんな風に触られた日の、先生の手の感触が蘇る。
(ダメだ──それを考えたら──)
それだけで反応してしまう。でもこんな密室に二人きりで、意識しない訳がない。
「お待たせしました」
声を掛けられ先生に気付く。忍び寄らないなんて珍しい。
「ありが──」
顔を上げて絶句する──。
曇り一つ無い銀色のトレイに陶器の紅茶のポットとカップを乗せ、先生が姿勢良く立っている。まるで英国王室専属の執事のようだ。その外見までが。セットされたオールバック、黒のモーニングに白い手袋が──似合いすぎて痛々しい。
あまりに衝撃的な映像に何が起こったのかわからない。
微笑を浮かべた先生が優雅な動作でトレイをテーブルに置く。腰は下ろさずその場に立ち、軽く肘を曲げ体の前で手を重ねる。惚れ惚れするほど完璧だ。……執事だったら。
(深く考えるな、驚かないって決めただろ。これはとっくに成人したいい大人のやることで先生は生徒を導く立場の人のはず──)
電光掲示板のように流れ去る意識とは別に、状況を判断するため質問する。
「なに……やってんの……」
「僕の顔が好きでしょう?いつも熱っぽい目で見つめてる。だからよく見えるように髪を上げました」
突っ込みどころが有りすぎて、とめどない思考が垂れ流しになる。
(いくら行いが不審者以外のなにものでなくても、より良くするための未来を真剣に考え行動した結果。そのはずなんだ)
「でも、その、コスプレは……なに?」
「この場所に一番映える服装を考えてみたんです」
(たとえその意図がオレに理解できなくても、正しい事を行っていても、伝わることもあれば全くの見当違いのこともある。理解し合うことは難しい。往々にしてそういうものだ)
現状の理解と、精神の安定の為、情報をマルチタスクで切り替えていく。頭の中がものすごく早口なぶん、口から出る言葉がカタコトになるのも仕方ない。
「なんのために……」
「汐見君に喜んで欲しくて。君を手に入れるためなら使えるものはなんでも使います」
(だぁぁっ!むりだっ。どう言い繕っても理解不能は理解不能だ!!)
「ばかなの?つーかばかでしょ!?そもそも手に入ってる!両想いじゃん現時点で!」
とうとう噴火したオレは、はぁはぁと肩で息をする。
「ふふ、ありがとうございます」
(──有り難い?なにが!?)
先生は右手を左の胸元に当て、スマートにお辞儀した。
「でも駄目。もっとです」
美貌を艶 やかに綻 ばせる。
(勝てない──。オレの平凡な常識なんて……通用しねーし……)
一箇所でもチープならコントにしかならない状況は、超大作映画のように出来過ぎて──スクリーンの向こう側に手招きされ、ときめかない奴がいるはずがない。
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