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第23話
傾いた太陽が空をオレンジ色に染める。2人で座るバルコニーのベンチから視界を遮るものはなく、輝く夕日に染まる水面がパノラマで広がる。その光景はまるで────現実味がない。
先生はオレをシャワーで綺麗に洗い、体を拭いて服を着せた。それから抱きかかえてベンチに連れてくると、膝の上にオレを乗せた。何も言わずに微笑んで、オレの髪を弄びながら時折キスをする。──立派なバカップルだ。
(……いいのか?このままここに来た目的を忘れて。ハネムーンじゃなくて臨海学校だろ?)
先生が首筋に顔を埋める。触れる髪の先がくすぐったい。
「っ、結っ」
身を捩ると少し笑って、より一層押し付けてくる。
「や──」
音を立てて吸われた。むず痒さに不穏な焦りを感じる。抱き締める力が強くなった。
「眞尋」
低い声に衝動が湧き上がりそうになる。
(ダメだ。これじゃ流される)
先生の手を掴んではがす。
「──なあこれ課外授業だろ」
この状況で言ってもAVのタイトルみたいに思える。そうじゃない。
「……戻んなくていいの?」
「授業じゃなくてバカンスだよ」
「──違うだろ」
「そうだよ?」
先生は不思議そうな声を出す。
「お腹すいたの?何か食べてもいいけど、夕食を待った方がいいよ。ホテルシェフのビュッフェだよ」
ちょっとよく言ってることが分からない。
「なんかもう──ほんとすごいね。うちの学園」
「うん──お祖父様の方針。おおらかな人なんだ」
(お祖父様って……理事長か。おおらかってレベルじゃないけどな。それにしてもお育ちがいいな、お祖父様って)
「そうじゃなくてさ──えっと、けっこう長い時間抜け出してるし、怒らんないの?オレも結も」
「怒られないよ。生徒も教師も行動は自由だから」
(学校行事にルールないの?無法地帯なの?)
「それじゃホントに遊びに来たみたいじゃん」
「だからそうだよ?来るとき通ったけど、ここ隔離されてるでしょ。この辺一帯がマミヤグループのリゾート地なの。危険な繁華街もないし施設は揃ってる。この敷地内なら何してても良いよ」
マミヤと言えば、オレでも知ってる大企業の名前だ。そう言えば先生の苗字と同じだ。そして……今の口ぶりはまるで関係者みたいだった。先生だからって言うよりも……。
(────え?)
何かすごい事実に気づきかける。
「うちの学園とマミヤグループって関連ある?」
「真宮堂 学園はマミヤの企業系列の法人だよ。知らなかった?」
──知らない。学校は家から一番近いからという理由だけで選んだ。目的があった訳じゃないから背景に興味もなかった。
「じゃあ、マミヤと結の苗字が同じなのって──なんか関係ある?」
さすがにそれは偶然だろう。理事長の孫ってだけでもすごいのに。
「──実家はマミヤ創立者の直系だよ…………僕はその長男」
(うそマジで!?経済カルテルの頂点に立つ一族の、ご子息様……なの!?)
「……ウルトラスーパーエリートじゃん……すっげー」
(超セレブ。そりゃお育ちも良いよな)
ドヤ顔で世界一周しても足りないくらいのカミングアウトをしたのに、先生の顔はやけに暗い。
「眞尋は──純粋で、まっすぐで、キレイだね」
ぎゅうっとまた、ぬいぐるみみたいに抱き締められる。
「結?」
「不思議に思わない?そんな家系の人間──それも嫡男が、高校の先生してるって……。おかしいこと、だよ……。僕は責任を果たしてない……眞尋も大人になったら分かるだろうね……」
(なんだよそれ──オレが大人だったらなんだよ、結にそんな顔させないようにできるのか!?今がダメってことかよ!)
まだ全然信じて貰えてないのかと悲しくなる。
「……そんなの分かったって、結をおかしいなんて思うはずないだろ!オレは目の前にいる結だから好きなんだよ。大人になったらもっと好きになってる!絶対離れていかねー。信じてよ!」
(信じてもらうのにどのくらい時間がかかるんだよ。オレが居るから大丈夫なんだって今すぐ思って欲しいのに)
自分が無力で不甲斐なく思えて──涙が出た。泣くなんて子供の証明みたいで余計に止まらない。号泣寸前だった。
「信じるよ。そう言ったでしょ?──泣かなくていいんだよ」
先生の指が目元を拭う。
「それに何か勘違いしてる。僕は眞尋を離したりしない、手放してなんかあげられない」
先生が痛いくらいに強く抱きしめた。
「僕の家はね──とても厳格な家庭だった。両親は、人よりも優れていないと認めない……そう考える人たち」
夕陽がもうすぐ海に落ちる。消える直前の輝きは──心の中を小さく引っ掻いていく。先生の声は沈む夕陽みたいだった。
「僕は……普通より劣ることしか出来なくて……せめて言われたことには従おうと思って努力した。だけど駄目だった…………違うんだって」
「──なにが?」
「それが僕にも分からない。……違う、っていうのは子供の頃からよく言われてきたよ。家族以外にも。要するに人の期待に応えられないんだろうね。絶望的だよね、僕はその原因を理解できない──だから何かを求めることは諦めて、あとは一人でいればいいなって。僕だってもういい大人だし、きちんと納得してそういう風に生きてきたんだよ」
すごく、哀しい。先生は誰も責めてない。誰のせいにもしてなくて、自分が悪いって思ってる……。
先生が言う『違う』はオレにもよく分からない。変わってるとは思う。だけどおかしな奴ならクラスにだっていっぱい居る。そんなの個性だろって思う。
……けど先生は「人よりも優れていないと認めない」って世界に生まれた人だから、多分その理屈は通らない。
質の良すぎる外見も、きっと先生にはいらない要素だった。家柄と見た目から打算で近付く奴が増えるだけだ。そんな人間関係を乗り切れたなら一人で良いなんて言ってる訳がない。
全部含めて自分が悪いから、必要とされなかった……先生はそう感じて諦めてしまった……。
先生の脆く繊細な内面と、強制的に付与されたステータスが、ちっとも見合ってない──。
悲しすぎるし腹が立つ。なんで「そのままで良いんだよ」って誰も言ってやんないんだよ。
真っ直ぐ過ぎるから不器用で、周りが見えなくなるほど一生懸命で、誰よりも優しい──それのどこが、悪いんだよ。
「オレは……目の前にいる結だから好きなんだよ。結が、結だから好きなんだ」
どうしてもそれを伝えたくて、オレはまた繰り返した。
始まりは勘違いのせいかもしれない、一目惚れだった。そんなのどんな些細なキッカケで冷めてしまっても──おかしくない。止める間もなく、どんどん好きにさせていったのは先生自身だ。
「うん……ありがとう」
オレを見つめた先生は泣いてしまうかと思ったが、目を伏せ儚げに微笑んだだけだった。
「だけど僕は眞尋に会ったから……欲しいと思ったのは眞尋だけなんだよ。求めるのを放棄したはずなのに抑えられなかった。怖いって言われて怖気づいたけど、どっちにしろ諦めるなんて出来ないから──だから、眞尋が逃げたりしたら────僕は重度のストーカーになるよね」
「逃げねーし!なんだよその結論。しんみりしてたオレの気持ち返せ!」
「あはは」
前半の重い話題の方が冗談だったみたいに、先生は笑った。
先生は冗談なんか言えないから全部本心だ。そんなオチで笑い飛ばそうとするのは先生なりの気遣いだと思ったから、オレも深くは突っ込まない。
だけど──責任を果たしてない、先生がそんな風に感じる必要なんてない。
オレは先生を弾き出した世界に──感謝してやる。
「結が先生で良かった。どっかの社長さんだったら、会えなかったもんな。結が違ってて良かった。オレに会うため──だったんだよ」
「────。」
先生の身体が硬直した。
「結?」
「──どこまで好きにさせたら──気が済むんだよ……」
身体と同じ硬い声。──好きになりすぎて辛い。そう聞こえるのはオレがそうだからか。
「──終わりなんかないよ」
そう言って先生がするみたいに力を込めてぎゅうっと抱きしめる。いつもの香りがふわっと広がり、鼻先を寄せて吸い込んだ。
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