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第1話 五年後

「ぐはぁ……」  低い声をもらし、豹の獣人が倒れる。俺は突き出していた足を引き、軽く息を吐いた。  辺りには気を失った多種の獣人が、死屍累々と転がっている。 「またケンカか? ジンジャー」 「あ、お帰りアンバー」  喉の奥でクックッと笑うアンバーに、俺は笑顔で駆け寄った。途中で一人踏んだけど、気にしない。 「(ひぃ)(ふぅ)(みぃ)……全部で五人か。また強くなったな」 「へへ……アンバーが鍛えてくれたお蔭だよ」  アンバーにワシャワシャと頭を撫でられ、俺はくすぐったくて笑った。 「あ、ロープかなんか無い? こいつら縛って、警邏(けいら)に突き出すからさ」 「おぅ、あるある」  腰の袋からロープを出したアンバーは、不意に鼻をヒクリと動かす。 「なんか匂うな……」 「え? あ、もしかして――」  すぐさま振り返った俺は、大きなゴミ箱の陰を覗き込む。  そこには赤く顔を上気させ、荒い呼吸をする犬族の少年がうずくまっていた。 「やっぱり【発情期(ヒート)】起こしてる」 「おい、お前はあんま近付くな」 「おっと」  アンバーに言われて、俺は慌ててその少年から離れた。  オメガである俺は、【発情期】を起こしたオメガに当てられて、ヒートを起こす事があるらしい。 「こいつは?」 「そこに倒れてるヤツらが、強姦しようとしてた子」 「チッ……仕方ねぇな」  舌打ちしたアンバーが少年を抱え上げる。 「お前はそいつらを警邏に突き出せ。俺はクロードの所に行く」 「分かった」  少年を揺らさないように気をつけて走るアンバーを見送り、俺は自分の胸を鷲掴む。アンバーに抱えられたあの少年が、少しだけ羨ましい。  頭を振って気持ちを切り替えた俺は、アンバーに渡されたロープで、素早く強姦共の手を縛りつけた。    *   *   *  この世界には男女の性別の他に三つの特性がある。  能力的に優れた稀少種の【:α(アルファ)】  全てにおいて平均的な【:β(ベータ)】  そして、男女の性別を問わずに子供を妊娠できる【:Ω(オメガ)】  ベータはベータ同士で子作りできるのに対し、アルファの子はオメガにしか宿らない。オメガにしても、ベータよりアルファの方が妊娠しやすい。  稀少なアルファを探すために、成人したオメガは定期的に【発情期(ヒート)】を起こす。身体が極度の興奮状態になり、周囲の者まで興奮させるフェロモンを発するのだ。  そのせいで『アルファを孕むためだけに存在する』と蔑まれるオメガの中には、性欲の捌けぐちとして、道具のように扱われる者もいるらしい。  俺の父も、俺がオメガだと分かった途端に虐待をするようになった。檻に入れられ、杖で叩かれる日々――  それを見かねた母に檻から助け出され、逃げる途中の裏路地でアンバーと出合った。  それからアンバーに連れて行ってもらった診療所で、医院長先生が養父になってくれて今にいたる。    *   *   * 「ただいま!」  俺が住まわせてもらっている診療所に飛び込むと、アンバーはまだそこにいた。 「んな、慌てて入ってくんなよ。患者の迷惑だろが」 「お帰りなさい。――そちらは?」  受付に出てきた養父のクロードが、俺の後ろを見て首を傾げる。  男のくせに長く伸ばした黒髪が、サラリと肩を滑った。確かベータのはずなのに、ほっそりとした白い顔と相まって艶やかだ。  俺の後ろにいた男も見蕩れてたようで、慌てて姿勢を正してビシッと敬礼する。 「自分は警邏のジョンであります。数刻前に発生したらしい強姦未遂の被害者がこちらにいると聞き、事情聴取にきました」  あ、こいつも魅了された。  これで何人目だろ? もう数えるのもめんどくさい。  クロードも素知らぬ顔で微笑む。 「あの犬族の少年なら、【発情期(ヒート)】を起こしていたので、疑似精液を注入して寝かせています」 「疑似精液?」  警邏のジョンがキョトンとした顔をしている。  まぁ、仕方ないか。  疑似精液の注入は、最近国に認可された治療法だ。生殖能力の無い偽物の精液を、あぁ……まぁ……そういう事をするための穴に、男性器を模した注射器で注入するんだって。  ――クロードの受け売りだけど。 「もう夜になりますから、今日はここに入院させて様子をみます。申し訳ありませんが事情聴取は明日にしていただけませんか?」 「分かりました。では明日、もう一度お伺いします」  もう一度敬礼したジョンは、綺麗な動きでクルッと回り、軍隊の行進演習のようにキビキビと歩いて出て行った。  ――診療所に入ってから出て行くまで、俺とアンバーは完全に蚊帳の外だったよ。 「まぁ~た(たぶら)かしたな、クロード」 「誑かすなんて、人聞きの悪い。私はあんな男に興味ありません」  呆れ顔のアンバーに対し、クロードはツンとして返す。  ちなみにクロードは鴉族。背中に黒い翼を持っているけど、飛ぶのは苦手らしい。 「それより、アンバーにお願いがあったんですよ」 「あぁ、そろそろ『定例会』の時期か?」  『定例会』の言葉に期待して、俺の尻尾がピンと伸びる。  クロードはゆっくりと頷いた。 「今度は一週間ほど、ジンジャーを預かってください」 「仕方ねぇな」  アンバーの家にお泊まりが決まり、俺は内心で小躍りした。 「俺、準備してくる!」  急いで診療所の隣にある寮の自室に行った俺は、適当な鞄に着替えを詰め込む。何度も泊まりに行っているから、日用品はアンバーの家にある。  パンパンに膨らんだ鞄をひっ掴み、診療所に駆け戻った。 「だぁ、クッセェなぁ……」  アンバーの声が聞こえて、俺は思わずビクッとして立ち止まる。 「我慢してください。あぁ、こっちにも擦り傷が――」 「消毒薬の臭い嫌いなんだよ。クッセェ~」  ――なんだ、消毒薬か。  ホッと胸を撫で下ろした俺は、鞄を持ち直し、二人に声をかけた。 「お待たせ! 準備できたよ」 「おぅ、んじゃ行くか」

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