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第39話

「哲人、俺・・講義があるから、その・・」 「いいよ、行って。俺に遠慮する必要もないだろ?」  日向哲人はベッドから出ようともせずに、そう言い放つ。哲人の恋人の財前直央はその言葉を聞いて深くため息をつく。 「はあーっ・・遠慮じゃなくて、俺の意思の深さを伝えただけなんだけどな。・・いいよ、哲人はゆっくり休んでれば」 「・・別に、嫌味のつもりでも・・ないよ」 と、ぼそぼそと哲人は呟く。それでも玄関まで来ようという気配を彼はみせない。 「いいけどね」 と、直央は苦笑しながらシューズを履く。別に自分が哲人と喧嘩したわけじゃないからと。 「鈴ちゃんも涼平くんも哲人に心配かけたくないだけだって、本人もわかってるはずなのにな。嘘をついているわけじゃない、ただ連絡してこないだけだもん。秋休みなんだから自由にしてていいんだし」  あの文化祭が終わって哲人の高校は秋休みに入っていた。それから一週間 、哲人は朝方のランニング以外はほとんど外に出ない。別に彼は出不精ではない。インドア派ではあるが。が、甘党なこともあって体型の維持には気を使っている。 「けど、今は止めてほしいんだよな、ランニングなんて。哲人だって随分身体を痛めたはずなのに、病院に行こうとしてくれないんだもの。流石に今日は休んでもらった・・というか動けないでいるみたいだけど、こんな日に限って外せない講義があるんだもんなあ、俺」  何度も振り向きながら玄関ドアのノブに手をかけるが、哲人が動いた気配はない。直央は大きくため息をつく。 「いつもはキスしなきゃ、絶対に外に出させてくれないくせに・・。つまりはよっぽど具合が悪いってことだよね」  そう言いながらドアを開けて外に出る 。少し曇り空。空気が冷たく感じられる。 「寒っ!こんな時に外走ってたら、傷に響くって。やっぱ亘祐くんに連絡してきてもらおうかなあ。哲人は怒るとは思うけど・・俺の力不足を認めるみたいで自分でも情けないけど、そんなこと言ってる場合じゃないや」  エレベーターで一階に降り、エントランスを出たところで携帯を取り出す。 「あ、亘祐くん?ごめんね、お休みなのに。・・あ、千里も一緒なの?そ、そう・・か。や、何でもない。俺はこれから大学だから・・。ううん、千里は取ってない授業なの。哲人?・・あ、その・・今日は家にいるって。そ、そうじゃない!・・あ、大声出しちゃってごめんね。ほんと・・ごめん」  そう言って直央は電話を切る。 「だよなあ、千里と一緒にいるに決まってるよね。二人にも迷惑かけちゃったもの、これ以上心配かけちゃダメだ」  哲人の親友で同級生の佐伯亘祐は、直央の幼馴染で同じ大学に通う加納千里とつきあっている。ちなみに直央と哲人同様に同性の恋人同士。 「俺も哲人もあの二人を事件から遠ざけたようとしていたのに、結局は俺は哲人を優先しちゃった。あんなに・・千里を大事に思っていたのにな」  8年前、哲人と引き離された後に知り合った千里が初恋の相手だとずっと思っていた。 「でも、多分仲良くなりたいと最初に思ったのは哲人の方なんだ。ちゃんと覚えていたら・・全然違う人生だったのかな」  あの8年前の出会いが自分と哲人を再び近づけ恋をさせることになった遠因となっているのなら、その後のことは千里にちゃんとうまく影響しているのか・・ 「だって亘祐くんもあそこにいたんだもの。そこで千里と会っている・・はずなのに何で覚えていなかったんだ?何で千里の初恋まで俺ってことになってるの?いつか真実を二人が知ったら、どういうことになっちゃうんだろう」  大学に着いて教室に入り席についてからも、悶々とした状態は続く。 (大丈夫かな、哲人。かなり辛そうだったし、最近は食事もちゃんととってないし・・。わかってたのに、こんなことになるって。涼平くんも鈴ちゃんも戦って傷つくってわかってたのに・・)  なのに、あの日二人を置いて帰ってしまったことを、哲人も直央も後悔している。 (そりゃあ鈴ちゃんに強く言われたし、哲人も身体はともかく心が深く傷ついていたから。下手なことは一般生徒の前でできなかったし・・)  とにかく早く帰りたい。直央はそればかりを考えていた。 (ずっと受けたいと思ってた授業なのに、今は後悔しかないや。こんなんじゃ駄目なのに。将来のために大学に入ったのに。哲人はちゃんと俺との将来を考えてくれているのに) 『俺、ね。もしかしたら大学いかないかもしれない。けっこうお菓子作り楽しくなってきたんだ。前はそんなこと思わなかったんだけど、多分直央が側にいて美味しいって言ってくれるからだと思う。直央さえよかったら一緒にその・・店をやれたらな・・って無理だよな』 (自分ばかりが夢を叶えるのはムシが良すぎるって寂しそうな顔してた。まあ、哲人がパティシエとかなんか妙というか。そりゃあ哲人の味は五つ星ホテルのお墨付きだし、俺も哲人と一緒にいられるなら・・)  実際、哲人の個人資産だけでも店を一軒出すのは難しくない。(でも、日向の人間がお菓子の専門学校とか・・普通は考えられないくらい実家も学校も名門の哲人がそんなこと。それに・・今の哲人は)  早く帰って哲人を抱きしめたい。そう強く願ってしまう。目の前をちらつくのは家を出る直前まで見ていた哲人の辛そうな顔。 (鈴ちゃん・・俺はどうしたらいいの?君から哲人を奪ったのに、どうしても君を頼っちゃうよ。連絡できないくらいに傷ついているの?不安だし、寂しいんだ。ごめん、俺も自分勝手・・) 「涼平、起きてる?」 「・・・」 「無視しないでよ、いくら昨日から内田さんが来ないからって、不機嫌になりすぎ。涼平との新生活のために奔走してんだからさ、あの人も」 笠松鈴は薄笑いを顔に浮かべながら、隣のベッドに横たわっている橘涼平に話しかける。 「鈴・・お前、さ。・・個室じゃなくてよかったわけ?」  そう涼平はためらいがちに聞く。病院の普通の大部屋よりはベッド数も少なく、ベッド自体もちょっと特別な個室のソレと変わらないが、それでもこここは大部屋だ。特別病棟ではあるが。 「特別っていっても、いたせりつくせり・・とかいわゆるVIP向けの病室ではあるけど、ここは“特別すぎる病棟”だろうがよ。普通の医師も看護師も来ない・・つうかほぼ日向専用だよな、ここ」 「今さらそんなこと誰に説明してんのさ」 と、鈴は呆れた声で答える。 「だから、ボクと涼平が男女でここにいたって誰にも文句は言わせないよ。そりゃあ、内田さんは複雑かもしんないけどさ」  そう言った鈴の方が複雑な表情してるよなと思いながら、涼平はベッドの上で身体を起こす。 「景は鈴のことを本当に妹のように思っているからな。いつか自分と同じ服・・もちろん女性用の服だけど自分のセレクトした衣装で一緒にショッピングしたいって言ってたな」 「内田さんは男性なのに、その恋人の君が“もちろん女性用”とか言うのおかしくない?だいたい、涼平が内田さんに“抱かれてる側”なんだろ?」 「ばっ・・オマエこんなとこで何を」  思わず辺りを見回す涼平に、鈴はアホかという視線と言葉を投げかける。 「他に誰もいないでしょうが、ここには。てか、ボクが女装した内田さんとデートするの?しかもペアルック?うーん、想像できないや」 「や、オマエだって普通に女子の服着りゃ、可愛い女の子だっつうの。少なくとも、俺はそう意識してるわけで・・」  涼平の顔が赤くなる。が、鈴の表情は変わらない。わざとらしく大きなため息をついて答える。 「はあぁ。この1年ほどで涼平にスカート姿見せたの、夏に別荘に行った時ぐらいだよ?どんだけ想像力がたくましいのよ。いくら内田さんの女装を見慣れてるからってさ。だいたい、涼平の好みって極端なんだよねえ」 「はあ?」 「こんな言い方アレだけどさ、女装男子の内田さんと男装してるボクの両方を好きになるんだもの。それでいて、武闘派の硬派とか、涼平のキャラを理解できる人ってそうそういないと思うんだよねえ」  もちろん今は病室なので普通のパジャマを着ている。女子用ではあるが、無地で装飾もないシンプルなものではあるが。 「俺は別に景のそういうとこに惚れたわけじゃねえよ。そ、そりゃ美人だなとは思ったけど・・でもちゃんと男と認識てから恋した・・や、オトコが好きってわけじゃないけども」  ますます顔を赤くしながら涼平はやっとの思いで答える。 「つまり変な色眼鏡じゃなく、純粋に内田さんの外見と内面を好きになったってことでしょ?なら、ずっと付いていけばいいじゃない。今だって離れてるの辛いんでしょ?個室なら内田さんが泊りこめたんだろうけど・・ほんとごめんね」  悪戯っぽい顔をしながらも、声は本当にすまなそうな感じだ。 「だってさあ、ボクと涼平が同じ部屋にいないといざというときに・・ね」  ね、という言葉と同時にさっと枕の下に手を入れる 。 「・・」 「これでも結構、涼平のことを頼りにしているんだよ」 「っ!」  突然、病室のドアが開いた。同時に銃声と「ぐぎゃあ!」という男性の悲鳴が辺りに響く。一瞬遅れて、涼平の拳銃から発射された弾が侵入者の膝を撃ちぬく。 「つああっ!」  鈴はベッドから降りて、床で痛みのためにのたうち回る男の腕から、自分のナイフを引き抜く。血がぶあっと噴き出し、鈴の身体も赤く染まる。 「鈴!」 「大丈夫だよ、そろそろ風呂の時間だし。涼平こそ、いつの間に銃の手入れなんかしてたわけ?」 「そういう意味じゃねえし、俺のことはまあいいんだよ。そいつ、情報通りX組の奴か?」  涼平のその言葉に、血を流しながら倒れている男がギョッとする。それを見て、涼平も拳銃を構えながら男に近づく。 「どうした?高校生だと思ってバカにしてたわけでもないだろ?その高校生にあんたらの上部団体は潰され、あんたらの組もつい先日メチャクチャにされた・・・そんであんたは一人で乗り込んできたんだろ?俺らを殺せば、組の再興に力を貸すと言われて」 「なぜ・・知って・・る」  痛さと恐怖に震えながら男が聞く。涼平はその鼻先に拳銃を突き付けながら答える。 「俺らの行動には全て意味があんの。んで、きっちり調べた上で動くわけ。確かに思いがけない事態が起こることもあるけどな」 と言いながら、涼平はちらと鈴の方を見る。鈴は肩をすくめて 「あんたに情報を流したのはこっちの味方でね。つまりあんたは嵌められたわけ。例の事件の残党狩りをやりやすくするためにね。そっちが先に事を起こしてくれれば、こっちの行動の言い訳も立つからね。ま、あんたとしちゃボクたちに個人的な恨みもあったんだろうけどさ」 「俺らもそれなりに命張ってたわけよ、高校生なりにね。本当は俺は銃よりナイフ派なんだけどな」  涼平は苦笑しながら、男の腕を引き立たせる。 「ぐっ!・・」  辛そうに立つ男を一瞥した後、涼平は銃を鈴に渡し空いた手を拳の形にして、男の胸に一撃を加える。 「おらよっ!」 「ぐふっ!ぐあっ!」  男は再び倒れるが、最早動くことができないようだ。鈴は携帯を手にし、どこかへ電話する。 「あっ、オヤジさん?うん来たよ。や、涼平がやりすぎちゃってね。・・アバラが逝っちゃってると思う。病院だけど治療は受けさせないから、さっさと回収にきてほしい。向こうさんへの対応はお願いするわ。涼平の立場が微妙だしね。・・言っとくけど、哲人には絶対言わないでよね!」  鈴の言葉に涼平は小さくため息をつく。 「はあ・・俺に気を使ってくれるのは嬉しいんだけど、女の子が発するセリフじゃねえって。こんなんバレたら、俺が絶対に哲人に殺されるわ」 「3年前、哲人が本気だったら涼平は今頃ここにいないよ。哲人が本気で強いからこそ、ボクも本気で愛した・・。そうだね、涼平の方が哲人より優しいのかもしんない。哲人だったら、この場で殺してる。もちろんボクが止めるんだけども」 「!」  鈴のその言葉に涼平の顔色が変わる。が、鈴は淡々と言葉を続ける。 「哲人に後悔の日々を送ってほしくないから、ボクは・・今のボクになったんだよ。哲人がソレを望んでないのもわかっているけど。ボクは存外我儘なんだ・・だから・・」  鈴は手にしていたナイフを倒れている男の腹に突き刺す。 「鈴!何をやって・・」 「言ったろ?涼平に頼ってるって。ボクは躊躇したんだ、コイツを殺ることに。だから涼平がやってくれたことに感謝してる。今やったことは、ぶっちゃけ卑怯なことなんだよ。でも・・」 と、男の腹からナイフを抜く。 「・・」 「3人でいるのが心地よかったよ。そうじゃなきゃ、たぶんボクは哲人の前にいられなかった。それが哲人のためにしたことでも、人がしていいことではなかったから。涼平が・・ボクを哲人の前にいさせてくれた」 「鈴・ ・俺は」 「聞いて、涼平」  血だらけのナイフを両の手で弄びながら、鈴は言葉を続ける。 「これがボクの人生なの。多分そうだね・・ボクが一番8年前と日向に捉われている。今回のことで変われるかなって思ったけど、やっぱ無理みたい。さんざんイロイロ言ってきたけど、ボクが一番甘えているんだ。8年前のことに関わらず恋愛ができた哲人や亘祐がとても羨ましかったよ」  そう言って大きくため息をつきながら身体をふらつかせる鈴を、涼平は慌てて支える。 「っ!」 「・・本気で殺るつもりだったのに、結構弱ってたみたいね、ボク」  ピクピクと身体を痙攣させている男の身体を見下ろしながら、鈴は疲れたように言葉を紡ぐ。 「涼平もそんな顔でボクを見ないでほしいな。本来のボクがこうなんだから。哲人や君がどれだけボクを守ろうとしても、それじゃ駄目なんだっていい加減わかってくれないかな」 「鈴・・本気で‥言ってるのか?俺はともかく、哲人はお前の・・」 「文化祭の最後の挨拶で哲人を泣かせたのはボクの失態。哲人をちゃんと救えなかった。涼平はちゃんと自分の仕事をしたよ。だから、日向を追放されるんだ。ボクにはその勇気が無い。哲人を理由にして“今に”しがみついているだけなんだ」 「鈴!なら!」  涼平は鈴の肩を掴んで叫ぶ。 「俺も景もお前を支える!言っただろ、あの人はお前のことも大切に思っているんだ。虫のいい考えだとは思うけど、今までみたいな関係じゃ駄目なのか。こんなお前を置いて、海外になんか行けるわけないだろ!」 「駄目だってさっき言ったじゃない」  ふふふ、と笑って鈴は自分にかけられた涼平の手を引きはがす。 「内田さんのためだけじゃないよ?自分は我儘だとも言ったでしょ。哲人も涼平もボクに優しすぎるの。そんでね、内田さんも直ちゃんも大好きなんだよ、本当に。だから・・いい加減ボクから卒業してくれない?涼平には別の仕事もあるんだし」 「仕事?って・・てかそんなに俺が邪魔?俺も景も・・」  困惑気な表情の涼平を見て、鈴は自分が笑顔になっていくのを感じる。 (ふふ、やっぱ涼平は内田さんのことを考えている時が一番イイ顔になってる。今は涼平のそういう顔が好き) 「ボクが日向を離れられないのは感情の問題もあるけど、ボク自身の役割の問題でもあるんだ。だから、この役目は涼平に託すんだよ」 「直央っ!もう用事は無いんでしょ?帰ろ」 「っ!・・な、何でこんなとこに千里がいんだよ。今日は授業ないだろ、お前」  長く感じた授業が終わり教室を出た直央に、直ぐに千里が話しかけてきた。 「千里は亘祐くんと一緒にいたはずじゃ・・」 「亘祐は哲人くんの部屋にいるよ。ついさっき電話で確認したら、ちゃんと部屋に入れてもらえたって。今頃は僕が作ったドーナツ食べて・・るはず」 「ど、ドーナツ?」  訳が分からないと目をぱちくりさせる直央の様子に、千里はふっと笑みをこぼす。 「?」 「や、安心した。もっと落ち込んでるかなと心配してたんだ。正直どうしていいかわからなくて、こっちからなかなか電話できなくて ごめんね」  そう言って千里は直央の腕を掴む。その意図が分からず直央が動けないでいると、千里が「どうしたの?」と首をかしげる。 「や、だって今の状況が掴めない・・。何で千里が俺を迎えにきてるの?」 「何でって、僕と亘祐が相談して決めたんだよ。僕らに頼ろうって思ってくれたから、亘祐に電話したんでしょ?でも僕じゃなく亘祐に直接ってことはよほど切羽詰まってるんだろうなって、哲人くんのことで。だからあっちは亘祐に任せて、ボクは直央を迎えにきたの。直央も不安だろうなって思ったから」 「!」  思わず直央は逆に千里の腕を掴み直す。 「だから、早く帰ろ?ずっと心配だったんでしょ?哲人くんのことが」 「う、うん・・ごめん、ほんと・・ごめん」  声が震える。視界が曇る。 「二人に・・迷惑なんてかけたくなか・・ったのに」 「僕はもう直央の涙は見たくなかったよ」  そう言いながら千里は少し小さめのタオルをカバンから取り出し、直央の顔に押し付ける。 「ほんとに、もう。直央はただでさえ目立つんだからね。恥ずかしい思いはしたくないんでしょ。てか・・」  千里は直央の手をぎゅっと握る。 「直央を泣かせる哲人くんは僕には許せないんだよね。いくら亘祐の親友だからってさ。だって二度目じゃん、直央が哲人くんのことで僕の前で涙を見せるのは」 「えっ?」 「春・・あったでしょ。亘祐たちの学校のレクリエーションで、哲人くんと連絡がとれなくて・・泊まりにきた僕の横で直央は泣いた・・。直央を不安にさせといて、他の男とキスしてたんだよね?哲人くんは」 「千里?」  千里の声は今まで聞いたことの無いくらいに低く怒りが含まれたモノになっていた。 「や、だってソレは事故で・・それに・・」  千里も俺にキスした・・と言いかけて口をつぐむ。 「哲人はモテるもの。男子にも女子にも。それでも俺を選んでくれたんだから・・」 「直央だって昔からモテてたよ。僕はずっといろんな意味で羨ましくて・・苦しかった。それでも直央は僕から離れないでいてくれたから、僕は安心してた。まさかアメリカに行くなんて思わなかった。お母さんから病気の治療のためだって聞いてたけど、でも置いてかれた気持ちは消えなかった」 「・・・」 「直央が日本に戻ってきたとき、本当に嬉しかったんだ。けれど、ちょっと雰囲気は変わったなって思ったの。僕の知らない直央の部分があるなって。そんで哲人くんや亘祐と揉めたじゃない?あれは主に僕が原因だったでしょ。なのに、僕は亘祐のこと好きになっちゃった。ずっと心苦しく思ってた」  こんなタイミングで言うことじゃないよね、と今度は千里が泣きそうな顔になる。 「ばっ・・千里がんなこと気にしなくていいんだよ。わかったよ、泣き止む・・から。ああもう・・千里はやっぱ可愛いや。けど、千里が好きになった相手が亘祐くんでよかった。彼、ほんとイイ人だもの。亘祐くんじゃなきゃ、千里とこうやって会えなかった気もするから」 「もう帰ってくるって、よかったな。昼食の分はこれも千里が作ったおにぎりとグラタン。二人分あるから温め直して直央さんと食ってくれ。冷蔵庫にロクな食材が無かったからな」 「・・おにぎりとグラタンて、どういう組み合わせだよ」  ドーナツを食べながら、そう呟く哲人を見ながら亘祐は呆れたような表情になる。 「そのドーナツ3個目だろ。いくら甘党だからってさ。つか、やっぱお腹空いてたんじゃねえか、最初はあんなに拒否してたくせに」 「千里さんがお前のために作ったドーナツを、俺が簡単に食べていいわけでもないだろうが。つうか、そのおにぎりとグラタンだってお前らの分なんだろ。何で持ってくるんだよ」  馬鹿か・・と言いながら哲人は4個目のドーナツに手を伸ばそうとして、はっと我に返る。 「っ!・・美味いよ、確かに。後は直央のためにとっとく。千里さんも直央に食べてほしいだろうし」 「だろ?美味いだろ?哲人のお菓子がプロ以上なのは千里も認めてるし、千里の家族も鈴の実家のホテルのあのスイーツのファンなんだってさ。けど、ふふ・・」 と、亘祐は何かを思い出したように笑う。 「?」と哲人は怪訝な表情になる。 「千里ってば、結構哲人に対抗意識あるんだよな。ほら、千里の初恋って直央さんだから。文化祭でお前のカップケーキ食った時もマジで『ぐぬぬ』ってなってた」  リアルで『ぐぬぬ』って初めて見たわと、亘祐はからからと笑う。 「・・千里さんの初恋が直央って、今お前そう言った?」  唖然とした表情になった哲人を見て、今度は亘祐が「?」となる。 「あれ?直央さんから聞いてんじゃねえの ?お互いが初恋の相手だって」 「・・や、そうなんだけど。ちょっと違うっていうか・・つか、亘祐的には平気なのか?」  そうためらいがちに聞く哲人に、亘祐ははっきり答える。 「平気じゃないよ。だって俺の方が先に会ってるはずだもん、8年前に」 「!」  思いがけない亘祐の答えに、哲人の顔色が変わる。 「覚えて・・いたのか」 「千里がそのことは触れないから、俺も言わないけどね。哲人の付き添いだったんだから、そりゃ哲人もいたわな。俺は直央さんとは出会っていなかったんだけど、千里のことはなんとなく覚えてた。けど、俺が千里のことを好きになったこと8年前とは関係ないんだわ」  少し照れたような表情と声音で亘祐は答える。 「千里と・・再会した今年の冬のあの時、俺は既に視力の低下を自覚してた。けど、それをお前にも言えなくて勝手にイラついてた。そんな時に千里と直央さんに出会って・・俺のイライラは頂点に達した」 「・・へ?」 「わかんなかった?ならよかったよ」  困惑気な表情の哲人を見て、亘祐は小さく笑う。 「お前には俺のそういうとこ気づかれたくなかったから。鈴や涼平が・・ハードな面でお前を守るってのなら俺はソフトな面でお前を助ける・・ってのが俺の役目だと思ってたから。お前と一緒に武道習ってたのに、結局はソレも使い物にならなくなっちまったもんな」 「なっ!使い物ならなくなったとか・・俺はそんなこと思って・・だってあんときだってどっちかって言ったらオマエが正面でヤンキーから俺たちを守ったというか」  今年初めのある出来事を思い出す。あの時は、本気で直央をメンドクサイ男だと思った。自分に厄介ごとしか与えないヤツだと。 (関わりたくなかったのに・・なのに何度も会って。お互いに憎悪はつのっていくばかりだったのに、今じゃ好きで好きで・・離れたくなくて) 「じゃなくて!」 「ん?」  何?と亘祐は微笑む。 「っ!・・お前・・な。はあーっ、覚えてたのか8年前のこと」  そう言いながら哲人は自分の前髪をかきあげる。その様子を亘祐はじっと見つめる。 「?・・どうし・・」 「や、千里がお前に惚れなくてよかったなと思ってさ。そういう仕草、お前を赤ちゃんのときから見てた俺でさえカッコイイなってドキッとしたもん。確かに千里はゲイじゃないけど、けど直央さんを頼れる存在として好きになったって。最初にそう聞かされて、俺は正直・・落ち込んだ」 「えっ?」 「好きになってたんだよな、もうそん時には。あの人のいろんな表情が愛くるしくて。何かにすがりたいって、マジに思ってたときだったから。けど恋だとは思っていなかった。一緒にいたいとは思ったけど」  亘祐の表情が少しずつ柔らかくなっていく。 「姉貴の影響があったからBLにそう抵抗は無かったけど、自分がそうなるとは思ってなかったもの。普通に異性を意識してたしな。でも、自分の初恋は直央さんだったって告げられた時、すっげえフラれた気分になったんだよね。結構それまで千里にも悪態ついてたのにさ」 「へ?マジ・・あ、そうだった・・かも」   亘祐の言葉に一瞬驚くが、徐々に当時の記憶が蘇ってきた。といっても、どちらかといえば哲人は直央の方ばかり見ていた気もする。もっともその時は嫌悪感しかなかったのだが。 「てか、千里さんの直央への気持ちを亘祐は知っていたのか。平気・・なのか?」 「今は俺が千里の恋人だからな」  少し誇らしげな声で亘祐は答える。 「哲人にすら向けれなかった思いを・・感情を、千里にはぶつけられたんだ。そして千里は応えてくれた。気づいたら口説いてたんだ」 「口説いたって・・亘祐が?」  何故か哲人の顔が赤くなる。 「だってお前、普通に・・」 「そ、普通に恋した。相手はオトコだぞって意識はあったけど、手を繋いでキスとかもしたいって思った。直央さんに恋していたなら、男の俺でも大丈夫だろうって。だって一緒にいたかったんだもの、特別な存在として」 「や、俺も・・直央には似たような感情を・・持った」 と、哲人は呟く。だよね!と亘祐は微笑む。 「千里に恋したから立ち直れたんだよね、俺は。で、さっきも言ったけど8年前のことは関係ない。ほとんど記憶は無いからな。けど、哲人は気にしているんだね?」 「!・・だって、俺もそこで・・直央に出会ってるから。だから・・文化祭の時・・」 「それはもう済んだことだろ?」  亘祐の表情は変わらない。 「確かに俺はお前と一緒に武道を習い始めた。けれど、元々の才能の差はいかんともしがたかった。おまけにいつ失明するかわからないしな。正直寂しいと思ったこともあるけど、ホッとしてもいるんだ。哲人が俺に普通の生活をさせてくれたことに」 「亘祐、お前・・それも知ってしま・・」 「心苦しさがないわけじゃない。けど、生野でさえ知ってしまったことを、日向一族の俺が無知なままでいるのはそれはそれで罪だろ?でもそうじゃなきゃ、お前や直央さんを俺と千里はこういう形で支えられなかったと思うから」 「っ!おまっ・・んなこと・・」  そこまで言って、後は言葉を続けられない。口を開いても唇が震えるだけ。 「それでも俺は鈴や涼平と同じくらいに哲人を大切に思っているよ。ほんと赤ちゃんのときから一緒に過ごしたんだ。鈴は鈴でしょうがない事情と立場があるんだろうけど、俺はこういうポジションで支えることに徹するよ。多分、鈴にとっても必要なことだろうから」 「えっ!」 「鈴は、それでも女の子だもんなあ。けれど、誰より強くないとと思ってしまっている。哲人への恋心がそうさせているのかもしれないけど」  亘祐の表情が少し複雑なソレになる。8年前のことはともかく、今年になって哲人と直央が再会するきっかけを作ったのは自分と千里だったみたいなものだから。 「子供の時から俺は・・鈴と哲人が結婚するものだって思ってた。少なくとも鈴はそういう立場なんだってウチの親も言ってたし。哲人は鈴を大事にしてただろ?て・・涼平が鈴に恋してるってわかってても」  その言葉を聞いて哲人はうつむく。微かに肩を震わせているように見える。 「・・俺は二人とも日向から解き放したかったんだ。物凄いエゴだとわかって・ ・いたけど」  哲人は俯きながら、絞り出すように言葉を紡ぐ。 「なのに・・結局今回も二人を傷つけた。わかってる!アイツらが俺のこんな言葉を望まないことは。けど、自分のために大切な存在が死んでもかまわないなんて、俺がそんなこと思えるはずないじゃねえか!」 「哲人?」  哲人の様子が少しいつもと違うことに亘祐は気づく。 「哲人!ダメだって・・お前は“そうなっちゃ”ダメなんだ!」 「亘祐は俺のことをよく知ってるよな!“本来の俺”は・・だから武道も止めた。直央と出会わなかったら、俺はもっと!」 と、哲人は叫ぶ。自分を客観的に見てくれていた幼馴染にしか示せない叫び。(鈴は・・そこまで見越していたのか?) 「わかってる!本来のお前は誰よりも我儘だ。・・気に入らないことがあっても感情を素直に出すことは無かった・・8年前までは」 「へっ?8年前・・?」  勢い込んで亘祐に向かっていった哲人は相手の思いがけない言葉に虚を突かれたようになる。 「そうだよ!鈴は言わなかったのか、お前は覚えていないのか。8年前お前が武道を習いたいと言った時、周りは猛反対したんだ。危ないとかそういう理由じゃなかったはず。ウチの親が焚きつけたとか思われて随分非難された・・ま、それはどうでもいいとして」 と亘祐は真剣な表情で答える。 「それまでは“多少は”我儘だったんだ。今にして思えば複雑な出生の秘密と立場を抱えた哲人への配慮もあったんだと思う。けど“武道”に関してだけは本家は頑なに反対し、哲人はどうしても習いたいと言い張った」 「そう・・だったの?それって・・」 『俺ね、勝也さんの紹介でアメリカで武道習ったの。師匠は哲人に顔が似てた。たぶん・・』 「俺の本当の父親のことが関係してるから?そんな・・」  哲人は困惑の表情で亘祐に問う。自分の記憶では亘祐の父親の友人に亘祐や鈴と共に習うという条件付きで許された“だけ”だと思っていた。亘祐の両親が共に嬉しそうな顔をしているのは覚えていたが。 「俺も詳しいことは知らない。けど、本家の連中の態度がそれから若干変わったのは子供心に感じた。でも俺は聞いてたから、哲人に」  亘祐はそこでニャッと笑って告げる。 「守るって約束したの、ってさ」 「・・俺、そんなこと亘祐に言ったの?もしかしてオレと 直央のこと・・」  まさかという思いで哲人は聞く。 「おぼろげ・・だよ。鈴はお前にべったりくっついていたけど、俺はどうしてか少し離れたとこにいた・・んだと思う。けど、お前から他の子どもと仲良くなった話は聞いてたからさ。それが直央さんだったんだろ?よかったじゃない、ちゃんと愛しあえることになってさ」 「・・・」 「これも、イイ運命ってやつなんだろうな。俺は大好きな人と二人でお前と直央さんを支えられる。・・や、見守れる ってやつかな。だって、少なくともそれが俺の幸せだもん。・・本当なんだから、んな顔すんなって。悩むんじゃねえっての。たぶん、そういう筋書きだったんだよ、日向の一族的には」  困惑する哲人の頭を亘祐はつい撫でてしまう。同い年 ではあるが、小さい頃から哲人は自分の中ではとても甘えん坊の印象があった。なのに、3年前の出来事を期に哲人の様子が変わってしまった・・。亘祐はそれでも自分は一歩引いたところから哲人を支える気でいた。 「俺に男兄弟はいないからな。そういうところからも哲人の側にいられるのが嬉しかったんだ。それに、鈴の存在もあった」 「!」 「鈴は、それでもああいう形でお前を支えたかったんだよ。そういう恋もあるって、お前がわからなければ鈴は傷つく。お前が受け入れないことじゃなく、理解しないことで鈴は・・泣くんだよ」  それこそ、自分たちは赤ん坊の時から常に一緒だったのだからと、亘祐は少し複雑な心境になる。いつのまにか涼平という存在が哲人の側にあった。涼平自体には亘祐は何の不信感も抱いてはいない。その人間性はいろいろ亘祐のツボついていたから。 「涼平は男らしいやつだよ。つかマジでカッコイイよな。全方向イケメンてやつ?。人を見る目も確かだよな。・・鈴を幸せにすると思ってた。ま、他に好きになったのがあの美形じゃ、っとは思うけどさ」 と、亘祐は苦笑する。 「俺は・・俺なんかより涼平の方が鈴を大事にできると思ったんだ。3年前も今も俺は鈴を傷つけるだけだから」  3年前は鈴が自分を身を挺して助けてくれた。直接鈴の身体にナイフをふるったのは涼平ではあるが。 「・・涼平は鈴を本当に愛してくれた。そして鈴は俺を。別に俺は涼平に遠慮したわけでも、鈴をないがしろにしたわけでもない。自分を顧みて最善の選択をした ・・つもりだった。けど、結局はこうなっちゃ・・った」  哲人の身体が揺らぎ、そして小刻みに震え始める。慌てて亘祐が哲人の身体を押さえる。 「大丈夫か!っ・・・お前けっこう身体痛めてんだろ。病院に行ったのか?」 「や・・行ってない。酷い怪我をしたわけじゃないんだ。それより、俺たちが引退した後の生徒会活動とかの指針なんかを・・」  そう言いながらも哲人は顔を歪めながら俯く。亘祐は大きくため息をつきながら 「はあーっ、あの時のお前を見ていた直央さんがそんな言い訳を素直に受け入れてるはずないよな?大好きな人泣かせてまで意地張る必要あんの?」 と哲人の頭を軽く叩く。 「っ‥直央・・泣いてたの?」  驚いて顔をあげた哲人に、亘祐は今度はデコピ ンをかます。 「千里からLINEがあった。だいたい、直央さんから俺に直接電話があるってことで、かなりヤバイと思えよ」 「・・・」 「だけど、お前は直央さんに余計なこと言うなよ。ごめんの一言だけでいいんだ。哲人はムダに気を使うんじゃねえよ、それこそ周りが無駄に振り回されるんだ」 「・・なんか、けっこうヒドイこと言われてる気がすんだけど?俺ってつまり、そんなに空気が読めてないヤツ?」  困惑気な表情でそう聞いてくる哲人を見て亘祐は段々と複雑な心境になってきた。 (鈴なら、哲人がこんな風になってしまうのわかってたはずなのに。やっぱ重傷なのか?涼平も・・・。はあーっ、しっかりしろ!俺!こういうときのために、俺は哲人の側にずっといたはずだろ) 「 ばーか、ちげえよ。ただ、哲人は優しいだけだよ。けれど、俺らは基本的に哲人を助ける立場なわけで。それも哲人が俺らは好きだからやってるわけで。なのに哲人に悩まれるとぶっちゃけ困るんだよ。お前は天然超人がウリなんだからさ」  努めて亘祐は明るい調子で言う。 (直央さんたちが帰ってくる前に、哲人を落ち着かせないと) 「哲人が強くないとダメ!なんて俺も鈴も言ったつもりはないぜ?小さい時から甘えんぼで泣き虫で我儘で・・でもやたら優しくてかっこいい哲人をずっと側で見てたんだからな。んで、直央さんもそういうの見てんだろ?」 「あ、うん。直央は・・最初はカッコイイ俺が好きだって言ってくれてたんだけど、だんだんとその・・自分でも不思議なくらいにダメダメな 俺を見せちゃってる・・はずなんだけど、なんか直央がうまく助けてくれて。でも・・今回のことはそういう問題じゃない。鈴や涼平と連絡がつかないし、俺は・・だから・・」 「ほんとメンドクサイ男だよな、お前って」  わかってたけど、と亘祐は小さく笑う。 「だから、ムチャしてんの?本当は病院にもいかなきゃいけないのに部屋にこもってるわけ?直央さんだってやらなきゃいけないことあるのにさ、それでもお前を愛しているから泣くんだろ?遠慮しろとは言わないけど、もうちょっと器用に生きろよ」 「・・や、早朝のランニングだけはしてたんだ。流石に今日はベッドから出られなかったんだけど・・っ」  そう小声で呟く哲人の頬を突然痛みが襲った。 「い、痛たい!な・・なん で突然ほっぺたを叩くんだよ!俺、なんかお前の気に障ること言ったか!」  頬を押さえながらも哲人はそう叫ぶ。「あのなあ・・」と亘祐はジンジンとした痺れが残る手を振りながら答える。 「もっと自分を大切にしろって!お前、直央さんと今は一緒に住んでるようなもんなんだろ?あの人がそんなアホなこと、黙って見てるわけないのは俺でもわかるわ。そんでもってぶっ倒れて・・鈴がお前に連絡しないのは自分の身体の面倒もちゃんと見れないようなヤツに、自分を気に掛ける余裕も無いってわかってるからじゃん」 「っ!・・」 「さっきも言ったろ、別に哲人は強くなくてもいいんだって。つうか、俺たちが哲人に求める強さってのは揺るがない信念とかそういうのなんだよ。自分を痛めて恋人を泣かせて、なんていうのはソレは弱さだ。間違えんな!」 「哲人!何で亘祐くんと喧嘩してんの!ダメだよ、哲人もまた我儘言ったのかもしれないけど、哲人は身体も心も弱っているんだ、だから・・」  いつの間にか部屋に入ってきていた直央が叫んだ。そして哲人に抱きつく。 「直央・・」 「馬鹿!こんなに心配してくれる亘祐くんの気持ちが何で理解んないのさっ。亘祐くんはあんな身近で辛そうにしてる哲人たちを見てたんだよ、ちゃんと事情を知らされてないのにさ。余計不安に思うでしょうが。なのに俺たちに気を使って黙って待っててくれたんじゃん。俺だって・・哲人が心配で・・哲人が大好きで大切だから・・なのに哲人が無理すんの止められなかった・・ごめん」  抱きつきながら、直央はホッとしたように徐々に膝が崩れ落ちていく。 「な、直央!・・大丈夫?・・」  慌てて直央の身体を支えようとする哲人の腕を、直央は「駄目」と押しとどめる。 「哲人は自分が思ってる以上に身体を痛めているんだよ?直接身体にはそんなに当たらなかったかもしれないけど、衝撃はかなりなものだったはずだよ。俺はあの現場を見たんだ・・哲人が呼んだから」 「!」 「哲人が呼んだって、衝撃がどうのこうのって・・何だよ。つか、何で哲人はそんなにニヤケてんだよ」 「だって・・」  呆れ顔の亘祐にそう言われているのに、哲人は自分の頬がどうしようもなく緩んでいくのを自覚する。その出来事はとても悲しく、とても自分を傷つけたことなのに。 (なのに・・そうなんだよな。直央があの時・・) 『哲人!ああ、もう!・・危険は避けるって約束したじゃない。何でこんなことになってんの!』 『っ・・なお・・ひろ。な・・んで』  崩れた建物から哲人の声が聞こえ、直央は顔色を変えながら駆け寄る。 『呼んだでしょ!助けてって。鈴ちゃんでも涼平くんでもなく、俺を呼んだでしょ。だから来たんだ、哲人を“今度こそ俺自身で”助けるために』  そして直央の目に飛び込んできたのは、瓦礫の下敷きになった一人の男性とその腕に抱かれている自分の恋人。 『哲人!な、な、なんで!・・や、大丈夫!?』 この人は誰?と言いかけて、あっという感覚になる。 『もしかして・・高瀬亮たかせあきらさん?何で・・』  瓦礫と哲人に挟まれて呻いているその男性に直央は初めて会った。・・はずだった、話だけは聞いてはいたけれど。 『貴方は哲人を・・・恨んでて殺そうとしてたんですよね?』 『ううっ・・』  直央の問いにも高瀬は呻くばかり。 『と、とにかく早くこの瓦礫をどけなきゃ。涼平くんたちはいないんだよね?弱ったな、俺の力じゃ・・あ、勝也さん!』 『直央!ここは危ないから、君はどいていなさい!・・高瀬さん、“やはり貴方は・・哲人を助けたのですね”』 『!・・うっ』  日向勝也のその言葉に、高瀬の身体が反応する。同時に瓦礫がわずかに動き表情が苦痛に歪む。 『勝也さん!早くこの人を助けて!俺をかばって、この人は・・』  哲人は必死に叫ぼうとするが、ほとんど身動きができない状態で思ったように声は出ない。が、自分でも思いがけないほどにソレは懸命な叫びだった。 ⦅だって・・俺は覚えてる。確かに俺はこの人に抱っこされたんだ、赤ん坊の時に⦆ 『顔は父親にそっくりなのに、性格は真逆だな。守るべき相手が側にいるのだから、君はもっといい非情になった方がいい』  そう言ってニヤリと笑う高瀬の背中にあった瓦礫をどかしながら、勝也が声をかける。 『哲人は素直で優しい子なんだ。だから、直央と愛しあえている』 『へっ ?』  一緒に瓦礫に手をかけていた直央が怪訝な表情になる。 『かも・・しれない、な。直央は顔は母親似だが、性格はどうやら父親似のようだ。侑貴が興味を持つのも無理はない』  自分は結局“何も手に入れられなかった”のだと高瀬は苦笑する。 ⦅つまりは高木琉翔の一人勝ちか。私をここにおびき出し、哲人を危険に晒してでもこの建物を今爆破したのは、日向への牽制。一番に殺るべきはあの男だった・・⦆ 『勝也・・君もわかっているのなら何で日本に戻ってきた?君をアメリカに追いやった3年前のあの男の行動は、ヤツが君にかけた唯一の優しさだぞ?』  嫌味では無く本気の疑問を相手にぶつける。 『それでも・・俺は今、哲人を助けられた。それも直央と一緒に』  勝也のその呟きを聞いて、再び高瀬は小さくため息をつく。 ⦅なるほどね、けっこう本気で勝也に情欲をぶつけていたわけか、琉翔は。哲人と直央を・・日向にとって何よりも大事な存在の二人を駒替わりにしてでさえ。呆れた変態だよ・・子供のような侑貴を愛した私 よりもよっぽど、な⦆  いろんな人のいろんな想いを利用して自分の計画を推し進めている高木琉翔が正義だというのなら、自分の復讐なんぞ案外ちっぽけなことだったのかもしれない、日向一族にとっては。 ⦅いつか戻ってきたら、あいつが琉翔を殺す。その方が面白いかもな、哲人の父親はそういうやつだ⦆  もう10年以上も見ていない親友の顔を思い出して、高瀬はくくっと笑う。 『高瀬?』  直央と勝也の手によって少しずつ瓦礫が取り除かれ、自分の身体の上が軽くなっていき、哲人はようやく少し身体を少し動かして高瀬の顔を見る。 『貴方は・・笑っているの?』  さっきまで自分を殺そうとしていたのに、と哲人は不思議そうな顔をする。 『俺をどうしたいの?』 『どう・ ・したらいいのかな』  まさかそう聞いてくるとは思っていなかった高瀬は戸惑う。 『君は本当に面白いな。いい意味で日向らしくない。どうしたいかと聞かれれば・・けれど今の私では君を殺せない。私も嵌められた口だからな。君の両親のことも本気で恨んでいる。けれどもっと殺したいやつがいることを思い出したんでな』  彼が生まれたことで、自分や勝也、そして直央の運命さえ決まってしまったという事実を、哲人はどのような気持ちで受け止めるのだろう。この綺麗な眼差しで見ていくのだろう。 『そうやって苦しめばいい。それでも・・』 それでも・・と、高瀬はちらりと直央の方を見る。 『君は独りじゃない。・・私と違って、な』 「俺は確かに恵まれてはいるんだろうな。なんだかんだって、結局は独りじゃないんだから」 と、哲人は呟く。 「けど、俺の存在が元で独りになった人間は確実に存在するんだ。そんなの・・俺だって悩むって。俺が生きてるってだけで、誰かの人生が変わっちまうんだぜ?いくらなんでも、簡単に受け入れられることじゃないだろ」 「哲人・・」 「なのに、俺は直央のことで一喜一憂しちまう。ガキみたいに・・直央に心配されて悪いとは思っても嬉しくも思ってしまうんだ。や、直央は全然悪くないんだ。でも、直央言ったじゃん」 『オマエの目的がなんであれ、オレと一緒にいたいと思うなら、その・・少しでもいいから・・抱きしめてほしい。だって、オマエはいいオトコで、オレはゲイなんだからさ』 「直央の求めるイイ男って、今の俺?直央に愛されてることに甘えきってる俺?・・直央は優しいからそんな俺も受け入れてくれるだろうけど。でも俺は・・」 「甘えればいいじゃない?だいたい哲人が我儘なのは今に始まったことじゃないもの。ただ・・俺自身の覚悟が足りなかったんだ。受け入れることで哲人を助けていたつもりになってたけど、俺も鈴ちゃんも涼平くんも多分間違っていたんだよね、やり方を。結果的に哲人を悲しませた」 「っ!どういう意味・・だって俺は・・」 「それに・・」と直央は微笑む。 「言ったことなかったっけ?毎日ときめいているんだって、哲人にさ。俺のその想いに、哲人はいつも応えてくれてる。その優しさの上に胡坐をかいていたのは俺。哲人を支えてるつもりで、たぶん俺の感情が哲人を振り回してた」 「俺を・・振り回していた?俺は別にそんな風に思ったことはないぞ。むしろ俺が・・」 「そうじゃないよ」 と、直央は哲人の言葉を遮る。そしてその顔を見ながら、ゆっくりと言葉を続ける。 「俺・・ね、哲人にプロポーズされて直ぐにはそれを受け入れなかったの。ずっと哲人と一緒にいたい、離れたくないと思っていたのにね。その理由が俺にもずっとわからなかった。鈴ちゃんたちは哲人のせいにしてたみたいだけどね。や、あの時は俺も哲人のことをちゃんと知らないからっていうのを理由にしちゃったんだけど」  ぺろっと舌を出して直央は「ごめんね」と謝る。 「なのにね、知っちゃったの。や、はっきりとじゃないけど・・俺の父さんて日向の関係者だったらしいや」 「!」  亘祐の顔が驚愕のそれになる。「亘祐・・」と千里が腕をぎゅっと掴む。 「ごめんね、こんな大事なこと黙ってて。ただ、本当にはっきりとはしてないんだ。母さんも日向の名前に記憶は無いみたいだったしさ、マジで。けど、俺もずっと・・哲人との出会いは仕組まれてたものじゃないかって疑問が胸の中にあった・・の。・・っ」  気が付くと千里が自分の涙を拭いていた。慌てて直央はその手を自分から外す。 「駄目!千里は俺を甘やかしたら駄目!千里にはいろいろ感謝してるけど、俺は亘祐くんにもめっちゃ感謝しているんだから」  そもそもの出会いは今年早々にアメリカから帰国した直央と会っていた千里と亘祐の諍いからだった。 「最初もそうだったけど、千里を変えてくれたの亘祐くんだもの。そりゃあ、千里をそれこそ振り回した挙句ちゃんと理由を言わないまま、俺はアメリカに行っちゃった。でも・・千里はこんな素敵な相手を好きになった」 「ふふ、最初は『直央の敵だ!』って思ってたんだけどね。けど、亘祐が自分の想いを全力でぶつけてくれたから。ていうか、途中から直央は哲人くんばかり相手にしてたもの。だからね・・」  千里は真剣な顔で直央と哲人を見据える。 「二人はうまくいくだろうなって僕は思ったんだ。正直、寂しいなとも思ったけどさ。でも、僕はちゃんと“自分の恋”ができた。直央と哲人くんも段々と自分の意思で恋してったはずだよ?」 「俺もそう思う」  今度は哲人の肩を亘祐がそっと叩く。 「3年前、家を出てこのマンションに住み始めたときのコイツを直央さんが知ったら驚くと思うよ?コイツを変えたのは間違いなく直央さんだ。俺も鈴も出来なかったことなのに。たとえ直央さんが日向の関係者だったとしても、過去に何があったとしても、やっぱり直央さんは特別なんだよ、哲人にとっては」 「わかってくれたのかなあ、あの二人は」  そう言いながら亘祐は千里の手を掴んで歩き出す。ふふ、と千里が少し顔を赤らめる。冬に付き合い始めた二人だが、外出の時にこうやって人目を気にせずに恋人として行動ができるようになったのは、夏以降だった。 「哲人は直央さんへの想いを遠慮なく出していたのに、何を今さらって感じなんだよね」 「‥直央を泣かせたことは、僕は許せないんだけどね」 と、千里は一瞬難しい表情になる。が、直ぐにニコッと微笑んで恋人に身体を寄せる。 「今日はありがとね。直央のSOSに応じてくれて。亘祐は優しいね、ほんと」 「俺の親友カップルでもあるからね。それに、千里の作ったドーナツととかも自慢したかったし。哲人のやつ、めっちゃ喜んで食ってた。・・けっこうホッとしたんだ、あいつのその自然なリアクションに。哲人は小さい時からカゴの中の鳥状態なものだったから。3年前、両親の秘密を知って日向家を出るまでは」  もしかしたらその行動も日向本家の誰かの思惑にコントロールされたものかもしれないけど。そう哲人は悲しそうに言っていた・・と亘祐は思い出す。 「鈴も涼平も反対していた、哲人が家を出て一人暮らしすることに。勝也さんもいつの間にかアメリカに行っちゃってて・・哲人の何かが変わったんだなって寂しくもなったんだけど、直央さんがいい影響を与えてくれたんだね。流石は千里の好きになった人だよ」 「っ!」  思いがけない亘祐の言葉に、千里の足が止まる。が、それに気づかず亘祐が尚も歩いたため、彼にくっついていた千里はコケそうになる。 「やあっ・・っ!ご、ごめん!」 「・・何で謝るの?完全に俺の不注意じゃん。千里は俺の目のことを考えて歩いてくれてんのに、俺が勝手に動いたから」  千里の身体を支えながら、亘祐はその頭を撫でる。 「もうちょっとゆっくり歩いた方がいいよね。でも早く二人きりになりたかったから」 と、亘祐は舌を出して ウィンクする。 「・・亘祐は、僕のこと好き?」 「へ?好き!」  千里の問いに亘祐は一瞬怪訝な表情になるが、直ぐに素直な想いを口にする。 「愛してるよ、大好きだよ!直央さんが千里を好きになったより、俺の方がずっと千里のことが好きだもん!千里もでしょ?」 「・・ふふ、そうだね」 と、千里も笑顔になる。 「僕はどんどん亘祐のことが好きになっていってる。ちゃんと・・自分の意思で」     To Be Continued

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