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第47話

「・・とにかく、美術室の鍵を返して睦月を捜しにいかなきゃな」 (って、職員室で勝也さんが寝てるなんて思うはずもないだろっ)  予感があったわけではない。ただ、完全に私的なことで美術室を使っていたことの後ろめたさから、彼は職員室のドアをそっと開けたのだった。そして、一宮奏は日向勝也を見つけた。 (マジで寝てんの?だいぶ疲れてんのかな。いくらオレがそっと入室したからって、この人なら気づかないはずがない、普通なら)  勝也はただの教師ではない。それは自分でも調べてわかっている。 (日向の裏の仕事もしているはずだから。文化祭の時の事件を受けて、この秋休みに後始末もおそらく・・。けど、オレの気配にも気づかないなんて)  少し悔しい、と思ってしまう。自分は毎日彼の言動に神経をとがらせているというのに、と。 (そりゃあ、オレの勝手な想いだけどさ。でも、やっぱ好きだって思っちゃうもの。寝顔、初めて見た。あの時はオレの方が先に寝ちゃったから) 『いい・・から。好きなようにしてくれて構わない・・か ら』 『君で・・感じている。オレは本当に・・』 『オレも・・イクから。そのまま強く・・お願いだから』 (あの時はあんなにオレを求めてくれたのに。だから、自分の連絡先だって残してくれたんだろ?) 『おかしいです!どうしてそんな風に自分を堕とそうするんです!なら・・なんでここに来たんです?オレがいるからでしょう!弱いくせに、強ぶらないでください!』 『勝ち負けの問題じゃありません。オレが貴方を救いたいだけです。貴方に寂しい顔をしてほしくないだけ。けど、今のままじゃ貴方は・・オレはそれが嫌なんです。貴方が好きだから!・・っ』 (本当に好きなの?あの日、屋上でキスしていた相手を) 『このキスマークもわざと目立つとこにつけたんだよ。そして電車に乗れってね。変態だろ?けれど、オレは彼には逆らえない。逆らう気も・・ない。セックスに関しては、だけどさ』 『オレはそういう男だよ。哲人に尊敬される価値なんて本当は無いんだ。オレは・・』 『・・生意気なことを。そんなところは昔の哲人に似ている。あの子は覚えてないでしょうが、周りから嫉みを受けて虐められる私をいつも庇ってくれた。その原因の大半が自分だとも知らないで。だからあの子を憎み、そして愛した』 (哲人さんはどうしたって特別だから。けど、オレは勝也さんの“日常”でありたい。この人がせめて心穏やかに過ごせる時間をあげたい。好きで好きで・・でも)  そして先ほどまで美術室に一緒にいた男子生徒の顔を思い浮かべる。自分の勝也への想いを知りながらも、自分の涙を受け止めて愛してくれる存在。 『オレはオマエを苦しめたくないんだ。・・とかいいつつ、オマエにこうやってつきまとっているけどさ、いろいろあったから、オマエのことが心配だったんだ。ていうのを言い訳にさせてくれないか。正直いろいろ考えてはいるけど、結局はオレの恋心は消えそうにないんだ』 「一緒・・なんだよな。睦月とオレの考えてることは。だからシンクロしちゃう?オレが弱ってたら直ぐに連絡くれるし。けど今は・・だから勝也さんの側にオレがいる」  そう小さい声で言いながら、奏は勝也に近づく。 (ホントにぐっすり寝てるんだな。オレが近づいても起きないかな?本当は声をかけたいんだけど・・だってもし凄く疲れているんだったら。この人が職場で寝るなんてよっぽどのことだろうし)  そう思いながらも、なるべく足音をたてないように歩く。が、思いのほかカギをかける場所が勝也の机に近く、それ以上進むのを躊躇してしまう。 (鍵かける時に音しちゃうよな多分。つか・・ドキドキする、今更だけど。だってこの部屋に二人きりなんだもの。あの時以来の・・)  奏自身が経営する画廊の近くでチンピラに絡まれていた勝也を救い、そして店に招いた。 『・・貴方はオレに縋ればいい。せっかく会えたのだから』 『自分を傷つけるために哲人さんの側にいるなんてこと、オレはさせない!許さない!哲人さんももちろん好きだし貴方のことも・・好きです。これは、オレの役目なんだ』 (哲人さんには直央さんがいるんだから。・・そりゃあ、勝也さんにも相手がいるんだけど) 『電車で帰れというのは、これをつけた相手からの指示でね。悪趣味だろ?』 『オレはその相手の愛人だ。や、違うな。先日は性の道具だと言われた』 『このキスマークもわざと目立つとこにつけたんだよ。そして電車に乗れってね。変態だろ?けれど、オレは彼には逆らえない。逆らう気も・・ない。セックスに関しては、だけどさ』 (どう考えたって地雷なだけの相手じゃん。哲人さんが慕うくらい聡明な人なのに何でって思うけど、そもそも生徒のオレと関係を持った時点で普通にアウトなんだよな。オレもだけど) 『代わりじゃなく、本気でオレに恋してほしいから、無理やりオレに付き合わせるようなことはしない。オレの存在が、オマエの後悔の一因になるんじゃ意味ないからな。日向先生に勝ちたいんじゃなくて、オマエが素直にオレを好きになってほしいんだよ』 『い、いいから!オレの一方的な想いであっても、オマエの身体から出るモノはオレの中に入っていくんだから。今はそれだけで・・』 『オレは奏から逃げないから。だから奏の気持ちはわかる。寄り添ってるから・・たとえ片想いでも』 (睦月のそんな言葉に甘えているけど、オレってやっぱ最低だよな。睦月は純粋にオレを一番に愛してくれるのに。だからオレもあいつを抱いたのに、なのにアイツと二人きりでもいても自分のことばかり・・) 『奏が日向先生から逃げるのではなく、ちゃんと気持ちを固めてオレのことを好きになってくれるようにオレは努力するつもりだから』 『だから、オレは傷つかない。それより、オマエが泣く方が嫌なんだ』 (オレも勝也さんにはそういう気持ちでいるんだけど・・でもオレの方が絶対我儘だ。どう繕っても、オレは自分勝手に睦月を振り回している) 『俺ね、本気でオマエのこと愛してる。オマエが日向先生に心を残しながらも、それでも今日は俺を受け入れてくれた。相手もそれをわかっていて、けれどオマエを泣かせるんなら俺は闘うよ。や、オマエが安心できればいいってだけなんだけどね』 『私が、君に好意を持ってもらうに価しない人間だと、今日わかったはずです。同時に、君に真の愛情をくれるのが誰なのかも。それがとても近くにいてくれる人だということも。そちらを大事になさい』 (睦月にそう言われて、勝也さんにそう告げられて。オレのとるべき道なんて、誰でも同じこと言うよね。本当に睦月のことも好きなのだけど。だから抱いたんだけど・・) 『好きだけど、それが恋かどうかはわからない。けど、オレはオマエの負担にはなりたくない。散々甘えておいて、どの口が言うのかって話だけど』 (性欲だけで自分が男を抱けるとも思えないんだけどさ、ゲイってわけじゃないんだから。でも実際には睦月とも関係ができちゃったわけだし、多分勝也さんも気づいてるんだろうし。ケジメはちゃんとつけなきゃいけないよな)  いろいろ考えているうちに足が自然と動いていたようだ。いつの間にか勝也の顔が自分の視界を占めていた。 「っ!」 「かな・・」 (えっ?)  不意に聞こえた柔らかい感じの声に、自分の身体がぴくっと反応したのがわかった。 「寝言?てか、もしかして・・」 「かな・・で。ごめん・・好きって・・い・・」 (やっぱ・・オレの夢・・見てる)  我知らず胸が高鳴る。それ以上動くことができずに、奏は相手の寝顔をじっと見つめていた。 「勝也・・さん」 「奏?・・そこで寝ているのはもしかして日向先生か?オマエ、何をして・・」 「!」 「む、睦月・・なんで」  突然現れた三上睦月の声に奏は驚く。 「駄目!勝也さんが起きちゃ・・」 「かな・・一宮くん?君がどうして」 「勝也さん・・じゃなくて日向先生、目が覚めちゃったんですか。す、すいません」 「二人で何を・・」 睦月が呆れたように呟く。 「奏、美術室の鍵を返しにきたんじゃないのか?用が済んだんだったらさっさと帰るぞ。コンビニ寄ってくんだろ」 「や、まだ鍵は持ってるよ。鍵の保管場所の側で勝・・日向先生が寝てたから、起こさないようにと」  何故、自分が慌てる必要があるのかと自問自答しながらも、顔が赤くなっていくのを止められない。 「やっぱ熱があるんじゃねえの?奏・・」 「や、顔が赤いのは勝也さんの寝顔見たせい・・じゃなくて!」  つい大声を出してしまう。 「て、哲人先輩はどうしたのさ!そ、それに何で職員室に?」 「その哲人先輩に頼まれたんだけどね」 と言いながら、睦月は勝也をじっと見つめる。 「な、何で日向先生を睨むんだよ。オレは別に先生と何も。たださっきも言ったけど思いがけず先生が寝てて・・そ、その近くを通らないといけなかったから 、オレは・・」  奏は慌てて勝也の前に立ちはだかる。勝也が困惑気に口を開く。 「哲人も・・いたのか?てか、一宮くん・・キミは確かに顔が赤い。熱があるのなら早く帰っ・・」 「引き留めたのが、貴方の存在だった・・としても?」  突然、睦月の声色が変わる。 「へ?」  どういう意味かと勝也は一瞬訝しぐが、直ぐにそのセリフの意味に思い当たり顔を赤くする。 「!」 「睦月・・何を言って・・」  奏が慌てて声をかけるが、その反応に睦月は首を振る。 「睦月・・」 「オレの存在は普通に見れば邪魔なもんだろうな。だって奏と日向先生は両想いじゃん」  少し悲し気な表情で睦月はそう言った。 「・・オレはそれでも奏を愛しています。そのことも日向先生はご存知なんでしょう?オレは奏を諦めるつもりはないです。だって」  睦月の目はもっと厳しいものになる。 「貴方は奏を傷つける。・・好きだって想いで傷つける、泣かせる。オレはそんな奏を慈しんで・・全てを受け入れられる。だから、奏の側にいる。でも貴方は奏を自分から遠ざけようとしている。離したくないという気持ちをあからさまに見せつつ、勝手なことを。許せない・・けど、本当は」 「三上くん、オレは・・」 「貴方がそうだから・・オレは奏の側にいられる。悔しいけど、今の正確な状態はそういうことだと思います。けど、人は安心を求めるものです。少なくとも、奏はオレに好意を持ってくれてますから。だから・・」 「睦月!」 「・・事実だろ」  睦月はニコッと微笑む 。 「オレはオマエを困らせない。嘘も言わないし、言わせない。・・オマエが今この時も日向先生だけを見ているとわかっていても」  そう、わかっている。本当は声をかける前から二人を見ていた。 (見なくてもわかっていたことだけど。奏がすっげえいじらしいっていうかさ。男子高校生がいまさら初恋かよって感じで。けど、たぶんオレも初恋なんだ。寂しいけど、でも・・だって日向先生は) 「貴方が奏を受け入れないのなら、オレが彼を幸せにします。貴方は苦しむことになるでしょうが、奏だってずっと泣いてたんだ。愛している男をそんな目に合わせて、平気でいられる人間じゃないんです、オレは」  勝也はなんともいえない表情をしている。それを見つめる奏も複雑そうだった。 「後悔する・・ってわかっていても、奏が欲しがる言葉を貴方は言ってくれないのでしょう。オレなら何度でも言える。ずっと抱きしめていてあげられる。“だってオレは奏に愛されたんだから”」 「!」  勝也の顔色が変わる。 「む、睦月!オマエ、何を言って・・」 「・・一宮くん、私はキミに言ったはずです」 『私が、君に好意を持ってもらうに価しない人間だと、今日わかったはずです。同時に、君に真の愛情をくれるのが誰なのかも。それがとても近くにいてくれる人だということも。そちらを大事になさい』 「キミも三上くんが好きなのでしょう?昔なら我が校ではそれこそどんな恋愛も許されなかったけれど、今は違う。普段の生活態度と成績に問題さえなければ、別に同性同士の付き合いも誰も何も言わないよ。けれど、生徒と教師なら別だ。キミが心を寄せていい相手は私じゃない。・・私だって君を泣かせたいわけじゃないんだ。“あの時のこと”のことはもう忘れて・・ほしい。私も・・もう・・考えないようにする・・から」 「な、何でそんなこと言う・・の」  勝也の声は震える。そして奏も。 「か‥勝手なのはオレ。そんなこともわかって・・る。けど、オレはどうしたって勝也さんが・・」 「・・奏」 「!」  突然、勝也が奏を抱きしめた。 「勝也・・さん。何で・・」  驚きながらも、奏は身動きができない。睦月は黙って見つめている。 「・・・」 「本当に幸せになれる恋愛をしてほしいんだよ、キミには。私は・・こうやって教師としてはやってはいけないことを生徒の前でしてしまうダメな大人だ。それ以前から、キミには最低なとこばかり見せているけどね。それでも、私はキミを・・」  そう言いながら静かに身体を離す。 「さあ、帰りなさい」 「・・もう言ってくれないんですか」  奏は勝也に哀願の表情を向ける。 「・・」 「名前・・今呼んでくれたのに、何で突き放すの?勝也さん・・勝也さん・・オレは」  もう我慢ができなかった。涙がどっと溢れてくる。 「オレが生徒じゃなくなればいいの?教師と生徒って関係じゃなければ、貴方はオレを受け入れてくれるの?なら、オレは・・」 「奏、いい加減にしろよ。ここは学校だぞ、職員室だぞ。本当に好きなら先生を困らせんな」  睦月が諭すように声をかける。 「だって・・」 「日向先生も、コイツを惑わすような行動をしないでください。泣かせたくないといいつつ、貴方は奏を傷つける。もう絶対近づけさせませんよ、貴方に奏を。コイツを愛するのはオレだけで十分だ」 「・・勝也さん、何で・・。オレのこと名前で呼んでくれたのに・・好きだって言ってくれたのに・・・抱きしめて・・くれたのに」  自宅に着いてからも奏はまだグズグズと呟いていた。 「・・そんなに日向先生が好きか?あの人はオマエを傷つけているのに?」  複雑な気持ちになりながらも、睦月はそう優しく聞く。 「違う・・んだ」 「えっ?」 「傷つけたのは、オレの方。あの人は大人で、ちゃんと考えて行動していたのに。オレが・・惑わせた」 『貴方に何かがあれば哲人先輩が辛い思いをします。そんなの、オレは嫌なんです。だから・・です。オレが貴方を助けたいと思うのは。けっして・・貴方個人への想いじゃ・・ない』 「あの人が寂しそうで。だからあの人に手を差し伸べようと。思いあがってたんだ、オレ。ただの子供なのに。こうやってただ泣いて。そしてオマエに迷惑かけるだけの子供なのに」 「そういうもんだろ、恋なんて。自分の気持ちに素直になるところから始まるのが恋愛だ」  バカだなと、睦月は奏の頭を撫でる。 「どうせバカだよ、オレは。勝也さんに名前で呼ばれただけで浮かれて‥勝也さんに頼ってほしいと言ったのに、ガキすぎんだオレ。そんなオレより、身体も心も勝也さんを支配できる相手をそりゃ選ぶよな」 「・・オレとなら普通に恋愛できる。そう思わないの?」 「!・・」  奏が顔を横に向ける。その顎に手をかけようとして、睦月は躊躇する。 「っ!」 「・・睦月?」  困惑気な奏の表情を見て、睦月は唇を噛みしめる。 「睦月。どうし・・」 「いや、思いあがってたのはオレの方だ。オマエを泣かせたくないから、オレはオマエと日向先生の間に立ってうまく立ち回ってたつもりだったのに、ごめん」  睦月は奏を見つめる。 「睦月、どうし・・」 「オマエ、日向先生を抱いたんだろ。そんでオレのことも」 「っ!」  何で今そんなことを、と奏は驚愕の表情になる。 「・・違うよ、責めたいわけじゃなく、あの時のオレの判断が間違ってた。違うのに、オレと日向先生は違うのに」 「えっ?」 「オマエは日向先生に甘えてほしいって思ったんだろ?あの人、教師としては完璧だけど基本的に不器用だよ。だから・・分かってんの」  “だから求めた”のだと。一宮奏は日向勝也を愛し、必要としたから。年齢の差はあれど、二人ともそれを払拭できる事実を重ねていたのだから。 (なにより、あの時の二人の表情で認めざるを得なかったじゃん。優しさを見せてるようで、オレはただ相思相愛の二人を引き離しただけ。だって二人して泣くから。オレは本気で奏を愛しているけど・・) 『本当に幸せになれる恋愛をしてほしいんだよ、キミには。私は・・こうやって教師としてはやってはいけないことを生徒の前でしてしまうダメな大人だ。それ以前から、キミには最低なとこばかり見せているけどね。それでも、私はキミを・・』 (あれが日向先生の一番の本音なんだろうな。そんだけ奏が好きだから、あんな素直な部分も見せられる・・それを二人とも気づいて ないみたいだけど。マジで、オレ一人がバカみたいじゃん。オレがピエロじゃん)  わかっているのだけど、と小さくため息をつく。それでも求めてしまう“想い”を持ってしまったのが負けなのだからと。 (いや、今はオレが奏の側にいるからオレの勝ち・・っていう考えが既に情けないんだよな。奏は泣いているんだもの。。オレがどれだけ愛しても、奏は日向先生を求める)  その度に奏の泣き顔を見るのかと、睦月は正直うんざりした気持ちになる。 (そりゃあ!・・日向先生が奏を8年前に助けたとか、だから先生が初恋の相手なんだとか、そう奏からは聞いてるけどさ。重要なのは今の気持ちだろ。確かに経験とルックスじゃ負けてるけど、オレの方が奏に優しくしてるじゃん。抱いてくれたじゃん。なにがダメなんだよ・・)  恋愛経験は何度もある。主に年上相手ではあるが。 「奏ってさ、何でオレには日向先生に求めたようなことを要求しないんだよ」 「は?」 「だってさあ、何だかんだでオレには一線引いてるだろ?一度は一線を越えたのにまた壁を作っちまってるというか。や、別に非難してるわけじゃなくてさ」   『忘れさせるよ、屋上で見たことも・・オマエの日向先生への恋心も。オレだけ見てれば、オレの身体だけ知っていればオマエはもう泣かなくてすむんだから』 「オレがそう言ったのに、オマエは今でも泣いている。同じようにオマエに抱かれたのに、オレと日向先生の違いって何なのかなって思う。・・どうしたら、オマエはオレに甘えてくれる?オレをもっと頼ってくれる?」 「・・言ってる意味がよくわか んないだけど」  睦月の問いに、奏は困惑する。そんな彼の様子を見て、睦月はふっと息をついた。 「睦月・・」 「抱きしめてもいいか?」 「へ?・・っ!」  返事を聞く前に睦月は奏の身体にそっと腕を這わせる。 「‥日向先生の代わりでもいいと思っていたんだ。オマエを手に入れられるのなら。友人の立場でもずっと側にいられるからいい、とも。けど、オマエは泣いてばかりだし、なのにどれだけ先生に酷いことを言われても、オマエはあの人から離れない。・・ダメだって思った。オマエが先生を忘れられないのなら、オレが先生以上にオマエに安心感を与えなきゃダメだって」 「安心・・感?」 「うん・・オレが・・」  そこまで言って睦月は困ったような表情になる。 「 オレのせい?睦月がそんな顔するの、オレが困らせてるから?ごめんな、自分でもよくわかんないんだ。オレが本当は勝也さんに何を求めているのか。8年前のお礼とか考えていたのかもしれない。あの人が寂しそうだから。けど、オレはそこまでの人間じゃない。現にオマエにこんなに迷惑かけてるもの」  申し訳なそうに奏は頭を下げる。 「・・そんなの」 「ん?」 「そんなの・・・そんなの!違うから!」 「なっ・・」  突然の睦月の叫びに奏は驚く。 「おまっ、だいじょ・・」 「オレ、本当はオマエに頼ってもらおうと・・甘えてもらおうと思ってた。だってその・・オマエって案外可愛いもの」 「はい?」 「哲人先輩には最初から突っかかってたし、日向先生とは最初から訳ありな態度で接していたろ?なのに結局恋しちゃってるんだ」 「・・・」 『オマエら、普通にくっついちゃえよ、もう。じゃないと、オレ・・本気でオマエを抱きしめたくなる』 「あんなこと言ったのは後悔してる。あの時も言ったけど、日向先生がオマエの事好きなのはわかっていたから。けど、身体の関係を持っても、オマエがどれだけ泣いても、先生はオマエを突き放す。そして、オレを抱いてもオレがオマエを慰めても、オマエはひたすら先生を求める」 「・・ごめん。好きなのは事実・・ただオレはオマエと恋愛するわけにはいかないんだよ。や、ゲイ云々の問題じゃないぜ。オレの環境ってオマエが思っている以上に複雑で。実家の敷地内に一人で離れに住んでるのもそうなんだけど 、愛人の子っていうだけのことじゃないんだ。オマエに迷惑がかかる」  精神を壊しながらも母親が生きているのも、自分が渋谷に店を持てているのも、ある人物の存在のおかげだ。が、その人物は一般人には危険なもの。 「だから、自分には下手に誰かを近づけさせるつもりはなかった。正直つきあってた人がいなかったわけじゃないけど、その元カノはウチの学校に落ちてオレから離れていったからな。哲人先輩に憧れていたこともあって、もう誰とも付き合う気はなかった。でも、なんかオマエはすんなりオレの側にいてくれたから」 「・・んだ」  睦月は呟く。 「え?」 「オレはだからフラれたわけじゃないのね?どっちかといえば、オレもオマエの特別だってことだよね。オマエの側にいても問題ない」  睦月は嬉しそうに手を叩きながらそう言った。 「なあんだ。ちょっと気が楽になったわ。んじゃ、改めて交際申し込むよ。付き合ってほしい。一生大事にする」 「オマエ!何言ってんだよ。オレの言うこともっと真面目に聞いてくれ」  呆れながらも、なぜか奏は睦月の手をしっかりと握ってしまう。 「って、何でそんな顔近づけんだよ」 「だって、奏がオレの手を握っているから。そこまでされたら、次は決まってるだろ」  何言ってんだ、と睦月は尚も身体を近づけてくる。 「目、瞑ってくれる?」 「へ?・・んっ」  そう言われて反射的に目を閉じてしまう。直ぐに唇に感触があった。 「ちょ・・や・・・だめ・・・ん」  舌で口の中を蹂躙される。 ( ちょっ、まっ・・オレはフラれたばっかで。コイツはさっき交際申し込んできたばっかで。だ、駄目だ・・流されちゃ。でも・・うまっ。感じちゃって・・やばい!)  服がまくり上げられる。 「っ!」  睦月の手が肌に這わされる。 「は・・はあっ・・だ・・め。オレは・・」 「・・悪い。そんなつもりじゃなかった。こんな始まり方じゃ、多分長続きしないよな。こんな強姦みたいなんじゃ。一生大事にするって言ったばっかなのに。日向先生と想い合ってるオマエの気持ちををオレの方に向けるには、日向先生と同じことをしちゃ駄目だってことも。オレはわかってた・・んだ」  少し身体を離しながら、それでも睦月は奏を真っ直ぐ見つめる。 「オマエに甘えてほしいし、信頼もされたい 。一番は愛されたいんだけどね」  そう言った途端、自分でも思いがけないほどに顔が赤くなるのを感じる。 (あ・・れ?照れてんの?オレ)  何を今さらとも思う。自分の方からキスし、更にその先までも自分が仕掛けようとしたのに。 「真剣・・なんだ。こんなこと言うのも、今の奏を追い詰めることになるのかもだけど。自分も後悔したくないし、奏も幸せにしたい。思いあがった考えかもだけど、これがオレの恋心なんだわ」 「えーっと・・」  困惑気味の奏の頭を、睦月はポンポンと叩く。 「ふふ」 「っ・・何を」  自分の頭に乗せられた手を払いのけようとするが、何故か力が入らない。 「オレ・・睦月のこと好き・・だけど」 「うん」 「優しいしかっこいいし、基本的に面倒見がいいし察しも良いし。自分が案外ヘタレなのも、オマエの前でなら無理にどうこうしなくていいし。・・多分、オレが一番楽でいられる相手はオマエなんだ」 「・・うん」 「わかってんの」  奏は苦笑しながら続ける。 「勝也さんを好きになった理由が自分らしくないんだ。顔も性格も好きだけど、オレはあの人の本質に踏み込めないでいる。だってあの人自身が拒んでいるのだから。つうか、その時点で諦めろって話なんだけどな」 「けど、好きなんだろ」 「うん。でも、俺はあの人が必要とする存在じゃないんだ。あの人の“理想は”やっぱ哲人先輩だから」  日向哲人を“愛した”勝也が、いくら“多少は哲人に境遇が似ているとはいえ”己の境遇と想いを顧みれば、自分を“本当の相手”としないのは理解できる。 「それでも、あの人の寂しい顔は見たくなかったから」   『そうだよ、オレはその相手の愛人だ。や、違うな。先日は性の道具だと言われた』 『オレはそういう男だよ。哲人に尊敬される価値なんて本当は無いんだ。オレは・・』 『あの子は覚えてないでしょうが、周りから嫉みを受けて虐められる私をいつも庇ってくれた。その原因の大半が自分だとも知らないで。だからあの子を憎み、そして愛した』 「哲人先輩は多分そんなこと知らない。勝也さんがどんな思いで今は教師として哲人さんの側にいるのか。オレね、勝也さんが初めて学校に来た時に会ってるんだよ。8年前のことを覚えていなかったオレは勝也さんに複雑な感情しか抱けなかった。どうしてそんなに寂しそうなのって」 『鈴と涼平の身体に付いた傷は彼らを縛るものじゃない。消そうと思えば消せるのだから。消せないのは真の愛情だけです。この私が持つ歪んだ愛情ではない、綺麗な心・・』 「あの人の“歪んだ思い”をオレは消したかった。鈴先輩や涼平先輩以上に哲人先輩の愛情を欲していたのに、あの人は。誰よりも日向に縛られて泣いてる人だから」 「・・それって本当に愛情?同情じゃなくて?」  複雑な気持ちになりながら、睦月は努めて平静に聞く。 「愛情だよ。・・もっとオレが大人だったら、あの人はオレを頼ってくれたのかな。そうだよね、オレ自身泣いてばかりだもん。睦月にも迷惑・・かけてばっか。オレのこと好きだって言ってくれるのに、オレもオマエのこと好きなのに、オレはどうしたって勝也さんに捉われてる。もう・・よくわからない」 「ばーか。考えすぎて泣くくらいなら、オレの方を見りゃいいだけだよ。そしたらオレが微笑む。そんでオマエを抱きしめる」 「!」 「後は泣く暇なんかないくらいにキスする。それがとりあえずのオレの役目だよ。オマエが日向先生をお前の優しさで包みたいと思うのと同じに、オレもオマエを寂しがらせたくないんだ。だって、オマエは安心てものを知らないんだから」 「!・・何を」  何気ない風に睦月が発した言葉に、奏は少し表情を変える。内心はかなり動揺していたの だが。 「・・ま、いいさ。とにかく“今の”オマエに必要なのはオレだよ。だから、最初からオレはオマエと恋愛したいんだよ」  奏の心中を見透かすかのように、再び睦月は奏に顔を近づける。 「・・オレの存在は・・オマエにとって・・何?」  唇を震わせながら奏は聞く。勝也には聞くことのできなかった自分の想い。 「オレは奏に恋をしたんだよ。日向先生に捉われているその想いから解き放つのが、オレの役目って思ってる。そんな恋愛があったっていいだろ?どう転ぶにせよ、オレはオマエの側にいたい。オマエに楽でいてほしい。んで・・」  そう言いながら、睦月は奏の額に口づける。 「っ!」 「徐々にでいいからオレの欲望を受け入れてほしいってのもあるな。できればオマエの方から誘ってくれれば一番イイ」  そう言って微笑む睦月の顔を、奏は苦し気な表情で見つめる。 「ん?」 「オレは・・オマエにそこまで想われるような人間じゃない。オレの環境はオマエが思っている以上に複雑で、しかもドロドロしている。だから、他人とあまり接しないようにもしてた」  中学の頃のまでならともかく、高校生にもなればある意味の制約も増える、世間体的に。誰かを巻き込んでスキャンダルになるのは本意ではない。 「日向先生もそうだから?」 「えっ?」 「・・いや、これ以上は言わない。けど、オマエはオレのこと好きだって言ってくれた。それだけで十分だよ、オレがオマエの側にいる理由は。だから安心しろって。オレは嘘は言わないよ」    To Be Continued    

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