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第49話

「三上昨日はごめん!大事なことなのに君に任せっきりにしてしまった。急いでいたとはいえ無責任な行為だ。本当に悪かった」  秋休み明けの月曜日。登校してすぐ三上睦月は生徒会長の日向哲人に声をかけられた。 「って、それは昨日の電話で話は終わったんじゃなかったのですか?確かにちょっと対応にマズイとこがあったのは認めますが」  困惑気にそう答える睦月の様子をどう解釈したのか、哲人はさっと顔を赤くする。 「す、すまん!オレが考え無しに電話したせいで、その邪魔をしてしまった。空気が読めないというのは、鈴・・笠松にもよく言われていて・・」 「皆が鈴先輩って言ってるんですから。てか、鈴先輩が笠松だなんて、そんな事実も正直忘れてましたよ。それに、昨日のあの時はただ奏が寝てて・・」 「っ!・・やっぱり邪魔していたのか、オレは」  睦月の言葉に哲人の顔色が変わる。 「本当にすまなかった!自分の都合ばかりを押し付けて 、オレって最低・・」 「ちょっ、哲人先輩は何でそんな自虐的になっているんですか」  もしかして恋人の財前直央と何かあったのかと訝しぐが、他の生徒の手前そんなことは聞けやしない。 (文化祭で披露したくらいだから、哲人先輩に同性の恋人がいるのは周知のことだけど、今はそれをツッコんじゃいけないとこだよね)  哲人の天然さも、もちろんその私生活もそれなりに生徒たちの間では周知されているが、それ以上に哲人への憧れと尊敬の念が勝った。 (この人のやったことは、他人には真似できないことだから。なんだかんだで尊敬はしちゃうんだけど、抜けてるとこも多いからなあ。いろんな意味で一人にしちゃいけない人だと思うんだけど)  いつもなら哲人の横には一人ないし二人の人物がいる。哲人と同じ生徒会役員の笠松鈴と橘涼平なのだが。 「哲人先輩にそういうセリフは合いませんよ、って鈴先輩なら言うと思いますが?」 「鈴・・」  一言だけ呟いて哲人は顔を曇らす。 (うわっ!マズったのか?オレ) 「と、とにかく!鍵はちゃんと職員室に戻しておきましたから。ていうか、昨日は直央さん大丈夫だったんですか?なんだかんだでオレが引き留めちゃった形になったので心配してたんですけど」 『・・表情と言葉が合ってないですよ、哲人先輩。直央さんが困っているんでしょ。一番大事な人を大切にできない人に、誰もついていきたいと思いませんよ?』 「それに、いろいろ生意気なこと言って申し訳ありませんでした」 「あ・・いや・・。オレの方こそ気を使わせてしまった。それから・・」 と、哲人は声をひそめる。 「?」 「鈴も涼平も今日は登校しない。少し騒ぎになるかもしれない。・・ふぅ」  少し難しい表情になった哲人は疲れたように小さくため息をつく。 「お二人とも・・ですか?まさかあの文化祭の時に?」 『やはり、何かあったんですね。涼平先輩や鈴先輩は・・』 『二人とも舞台袖にいるはず。本当はすぐに病院にいったほうがいいんだろうけど。哲人もなんだけどね』 「大丈夫なん・・」 「キミはどうもいろいろ知っているようだが、これ以上はあまり首を突っ込むな。一宮のことが好きなんだろ?」 「は?」 「オレのようにはなるなということだ。直央みたいなのはそうそういないのだから」  そう言って、哲人は足早に去って行った。 「・・なんなんだよ。結局は惚気?」 「どうしたんだよ、睦月。朝っぱらから哲人先輩と何を言い争っているんだ。他の生徒が怪訝な表情をしていたぞ」 「!・・奏」  いつの間にか後ろにいたらしい同級生に話しかけられ睦月は驚く。 「べ、別に言い争っていたわけじゃない。言ったろ?昨日、哲人先輩から生徒会室の鍵を預かったって。そのことで先輩から電話があったんだけど、オマエが寝てたからオレが慌てちゃってさ。それで先輩がまた変な誤解をしちゃったんだよ」 「変な誤解?」 「とにかく教室に行こうぜ」  困惑気な表情になった一宮奏の腕を睦月が掴む。 「っ!・・や・・あの」  奏の顔がさっと赤くなる。 『んじゃ、改めて交際申し込むよ。付き合ってほしい。一生大事にする』 「いくらなんでも、人前じゃちょっと・・」 「オレは皆に認知されたいけどな。もちろん節度のある交際は心がけるけど」 「・・でも、オレは」  睦月が自分に寄せる気持ちはもちろん嬉しいと思う。 (ちょっと強引なとこはあるけど、基本優しいし顔もいいし、一緒にいると安らぐ。付き合うには理想的な相手だ。何よりオレもコイツが好き。けど・・) 『オレは奏に恋をしたんだよ。日向先生に捉われているその想いから解き放つのが、オレの役目って思ってる。そんな恋愛 があったっていいだろ?どう転ぶにせよ、オレはオマエの側にいたい。オマエに楽でいてほしい。んで・・』 『徐々にでいいからオレの欲望を受け入れてほしいってのもあるな。できればオマエの方から誘ってくれれば一番イイ』 『けど、オマエはオレのこと好きだって言ってくれた。それだけで十分だよ、オレがオマエの側にいる理由は。だから安心しろって。オレは嘘は言わないよ』 「オマエはそう言ってくれたのに、オレはあの人を探してばかりいる」  嘘はつきたくない。言わないでいい言葉だとも思うけど。 「今日、学校にきてから他に誰かと喋った?」 「?・・いや、睦月が最初だよ。なんか哲人先輩と揉めてる感じだったから、慌てて走ってきたんだ」  もう10月の末だという のに、奏はうっすらと汗をかいていた。それを見て睦月はふふと笑う。 「何を笑って・・」 「オレを気にしてくれたわけね。そんで言葉をかけたのもオレが最初。それだけでも、オレは嬉しいよ」 「・・」 (なんで・・だよ。何でそんなことぐらいで嬉しがるんだよ。オレ、言ったじゃん。今だって勝也さんのこと考えてんのに。オレの顔見て笑うなよ。そりゃあ、確かにさっきはコイツのとこに一直線で来た。哲人さんとコイツで二人でいたら、そりゃあ目立つもの)  三上睦月は身長は180㎝ほど。少し長めの髪とタレ目気味の風貌のため優しそうな印象を受ける。 (声がなんか・・無駄に色気があるっていうか。この声とこの顔で優しくされたら、女子ならすぐに落ちるよよな。コイツはゲイだけど) 『や、オレってぶっちゃけゲイだからさ。なんとなくそういうのはわかるわけ。で、好みのタイプは一宮みたいの』 (オレは別にゲイじゃない・・けど。勝也さんみたいにカッコイイ人が、オレと接点があって。・・恋をしちゃうんだよ、特別な人と思っちゃうんだよ) 「ふふ、そんなにオレを見てくれるのは嬉しいんだけど、流石に照れ・・っ!」  奏の視線に気づいた睦月が照れながら視線を外した瞬間、ぎょっとした表情になる。 「どうした?・・!。か・・日向・・先生」 「か・・一宮くん、それに三上くん。・・おはよう」  二人の視線の先には英語教師の日向勝也が、他の生徒たちに囲まれていた。 「いつもながらの光景・・と言いたいとこだけど、いつもより声が凄いな。原因は・・アレか?」 「た・・ぶん。ほんと・・かつ・・日向先生ってば。な・・んで・・・こうも・・まあ」 「奏も何か変だよ。や、気持ちはわかるよ?・・分かりたくもないけど」  睦月は複雑そうな表情になる。そして、奏は教師の勝也から目を離せないでいる。 「はああ・・。あの端正な顔でいつもはしない銀縁眼鏡のテレ笑いってトリプルコンボ決めちゃってまあ。・・反則でしょ」  思わず大きいため息をついてしまう。 「あの人、どう見ても奏の視線を気にしてんじゃん。正直すぎんだろうが」  助けを求めているようにも見えるが、当の奏は頬を赤らめたまま何かをぶつぶつ呟いている。 「あ、これは教室にも行けやしないわ。・・しょうがねえなあ」  頭を掻きつつ、睦月は教師の勝也に声をかける。 「日向先生、実は昨日職員室に鍵を返しに行ったとき、手帳を落としたみたいなんですよ。連絡が無いってことはまだ見つかってないってことでしょうし、自分でも探したいんですけど説明もめんどくさいんで一緒に行ってもらえませんか。大事なものなんです」 「!・・あ、ああ。落としたって、あの時?」  そう答える勝也の顔を、バシッと叩きたい衝動に駆られるのを睦月は必死に抑える。 「っ!・・貴方って人はマジでムカつきますよ。とにかく、ここを離れないといろいろ問題があるでしょ。ご自分てものをもっと自覚してください。メガネってオプションがここまで殺人的に武器になる人は早めに隔離しないと、オレの大切な人が既に犠牲者です」  もちろん最後の方は小声だったが、勝也の顔色が変わるのを見て睦月は慌てて勝也の腕を引っ張る。 「ほ、HR始まっちゃうんで!ほら、奏もついてきてくれないと!」 「はあ・・コンタクト落として見つけられなかったから、仕方なくメガネをかけてきたって。勝也さんがそこまでドジっ子だったとは思わなか・・」 「そんな付加価値はいらねえよ、日向先生には。そしてオマエも目をキラキラさせてんじゃねえよ。ほんと、オレがバカみたい」 「ご、ごめん!だってあれは不意打ちで。知的っていうより、もっと表情が柔らかな感じで」 「っとに・・」  言うんじゃなかったと、睦月は頭を抱える。 「ごめん、オマエが気を利かせてくれたってのに、オレは自分のことばっかで」  教室の自分の机に突っ伏す睦月を見て、奏は「ごめん」と謝罪の言葉を繰り返す。 「わかってんの。諦めなきゃって思ってる。でも、また新しい勝也さん見ちゃったから。・・可愛いんだもの、あの人。哲人先輩にはそんなこと求めなかったのに。てか勝也さんの方がうんと年上なのに。あの人魔術師か何かなのか?」 「へっ?」 「会う度に違う魔法をオレにかけてくんだ・・」 「言っとくけど、魔法使いと魔術師は別物だからな」  何でこんなツッコミをしなければいけないのかと、睦月は呆れる。 「つうか、中二かましてんじゃねえよ。オマエってそういうキャラじゃなかっただろ。オレ的にはそんなオマエの方が・・」  可愛く思えるという言葉は飲み込んだ。 (なんか言ったら負けになる気がする。てか気づいてないのか?コンタクト落としたって話は嘘じゃないかもしれないけど、けど本当の理由はおそらく)  顔を俯き加減にはしていたが、勝也の目の下にはうっすらと隈が出来ていた。疲れて職員室で寝ていた昨日にも見られなかったものだ。 (昨日、自分からあんなこと言っておいて・・) 『キミも三上くんが好きなのでしょう?昔なら我が校ではそれこそどんな恋愛も許されなかったけれど、今は違う。普段の生活態度と成績に問題さえなければ、別に同性同士の付き合いも誰も何も言わないよ。けれど、生徒と教師なら別だ。キミが心を寄せてい い相手は私じゃない。・・私だって君を泣かせたいわけじゃないんだ。“あの時のこと”のことはもう忘れて・・ほしい。私も・・もう・・考えないようにする・・から』 『本当に幸せになれる恋愛をしてほしいんだよ、キミには。私は・・こうやって教師としてはやってはいけないことを生徒の前でしてしまうダメな大人だ。それ以前から、キミには最低なとこばかり見せているけどね。それでも、私はキミを・・』 (日向先生だって他に相手がいるんだろ?なのに、何で奏に縋ろうとするんだよ。自分は受け入れる気もないくせに。勝手すぎるだろ。そんでコイツも・・)  顔をあげて、奏の方を見る。代わりに相手が手で顔を覆っていた。 「どうしよ、ドキドキが止まらない。最初に出会った時はあんなにクールだったのに、なんで・・なんで・・笑うとあんなに・・あ、それは哲人先輩もそうなんだけどさ。涼平先輩もそんな感じだし、日向一族って凄いよな」 「何がだよ。オマエこそ、日向先生や哲人先輩のことになるとガラリと変わるじゃん。まあ、なんていうかツンデレてるって感じでもあるけど」 「だって、あんな端正でクールなイケメンが笑うとすっごい柔らかな表情になって・・もう、直央さんの気持ちがすっごい分かる!うわあってなる!睦月もそうならないか?」  顔を上げて同時に興奮して声も上がる。慌てて腕で奏の口を押えた。 「ばっ、声が大きすぎるって!っとに・・確かに裸眼でも理知的な顔にメガネは雰囲気を壊すことあるけど、あの人の場合さらに魅力アップだ もんな。ザ・教師って感じ。・・でも、髪おろしてたよな」  服装はいつものようにスーツをきっちり着こなして隙の無い感じだったけど、と睦月が言うと奏がなるほどと手を叩く。 「そっかあ、それで余計にかっこよく見えたんだ。てか、睦月は凄いな。オレはメガネばかりに気を取られてて、髪型まで気づかなかったよ」 「や・・んなことで褒められても、ぶっちゃけ複雑・・ふぅ」  相手に気づかれないように小さくため息をつく。 (なんで、オレは日向先生を褒めてんだよ。あっちは目の上のたんこぶだってのに) 『日向先生も、コイツを惑わすような行動をしないでください。泣かせたくないといいつつ、貴方は奏を傷つける。もう絶対近づけさせませんよ、貴方に奏を。コイツを愛 するのはオレだけで十分だ』 (昨日そう言ったばっかだってのにさ。同じ学校の教師と生徒だから会わないわけにもいかないけど、そりゃ。でも・・」 『貴方が奏を受け入れないのなら、オレが彼を幸せにします。貴方は苦しむことになるでしょうが、奏だってずっと泣いてたんだ。愛している男をそんな目に合わせて、平気でいられる人間じゃないんです、オレは』 (受け入れないのに、何であんな恋するオトコの顔を奏に見せるんだよ。だから奏がぐちゃぐちゃになるんじゃん。でも、コイツってばマジで嬉しそうだな、今は) 「初めて会った時には得体の知れない怖さも感じてたんだけどな。・・今思い出した」 「えっ?」  それまではしゃいだ感じだった奏の声が、急に真面目なものになったように思われた。 「どうし・・」 「オレが勝也さんに魅かれたきっかけ。オレの前で素の笑顔を見せたんだ。あの夏の日に。なのに寂しそうだった。そして泣いたんだ。過去を想って、今に絶望して。哲人先輩を想う以外の幸せをあの人は知らない。・・けど、それはオレの思い込みなのかもな」 「奏・・そんなこ・・」 「だいたい、オレ自身が泣いてばかりだもんな。親の前でも涙を見せたことないのに、睦月の前じゃみっともない顔ばっかだよな、オレ。恥ずかしいっていうか・・」 「!・・」  違う、と叫ぼうとして睦月は唇を噛む。 (日向先生にとっても、奏はいつのまにか特別な存在になっていたんだ。オレに対して奏がそうなってくれるのか?いつかは) 「変だよな、誰よりも睦月の前じゃオレは素直になれるみたい。・・幻滅してない?オレがみっともなすぎて」 「・・するわけないだろ。頼れって何度も言ってるじゃないか。正直その・・そういうオマエをオレは・・可愛いとか思っちゃってるから。・・ごめん」  もちろん、これらの会話は他のクラスメートに聞こえないように注意はしている。が、彼はとても叫びたい気分だった。 『誰よりも睦月の前じゃオレは素直になれるみたい』 (オレも、期待していいのか?誰よりも奏の特別な存在になれるって。コイツの唯一無二の相手に・・恋人になれるって。オレが方法を間違えなければ、オレだけのモノにできるのか?)  相手から自分を好きにはなってると言われている。身体の関係も一 度だけだがある。 『でも・・一緒にはいたいけど‥好きだけど・・恋じゃないと思う、まだ』 (お互いセフレじゃイヤだから、アレ一度きりなんだよな。何度も抱きしめてはいるけど、でもそれじゃ日向先生と一緒なんだ。そしてあの二人はお互いに恋心を抱いている。オレと奏の間じゃオレの一方通行だ)  つまりは自分の片想いなのだと苦笑する。 (なのに、コイツが日向先生のことで嬉しそうにしてると、なぜかホッとしちゃうんだよなあ。多分、泣かれるよりはマシって思っちゃうからなんだろうけど。てか、恋すると男でもこんなに可愛くなっちゃうものなのか?オレもそうなのかなあ)  これまでは主に年上と付き合うことの方が多かった。甘えキャラなのではなく、単に要領のイイ性格が年下より年上の方にハマっただけ。 (奏の顔はめっちゃ好みなんだけど、一緒にいるとなんか調子が狂うっていうか。や、付き合ってると楽しいんだけど。・・好きなんだけど) 「あ、そういや朝は哲人先輩とナニ話してたんだよ。電話云々のことだけじゃなかったろ」 「や、唐突に話が変わるな。つうか・・」 『鈴も涼平も今日は登校しない。少し騒ぎになるかもしれない。・・ふぅ』 『お二人とも・・ですか?まさかあの文化祭の時に?』 『キミはどうもいろいろ知っているようだが、これ以上はあまり首を突っ込むな。一宮のことが好きなんだろ?』 「・・ちょっとここじゃ言えない。けど、多分分かると思う」 「へ?どいう意・・」 「しっ!先生が来た。後でちゃんと説明するから・・」 「?・・」 (はあ・・オレに聞かれても困るんだって。一度も会って無いし、連絡もとってないんだから。でも、そんなこと言ったらそれはそれで問題視されるだろうしな。はあ・・)  哲人は人知れずため息をつく。 『鈴も涼平も今日は登校しない。少し騒ぎになるかもしれない。・・ふぅ』   自分でも覚悟はしていたが、やはり休み明けに二人が一緒に登校しなかったのは少なからず波紋をよんだ。二人の親友で親戚でもある哲人が曖昧な返事しかできなかったことも、それに拍車をかけていたのだが。 (本当に重傷なら、オレに誰かが連絡するだろうし) 『・・どうしても哲人から連絡をとることはできないの?』   恋人の悲しげな表情を思い出す。 (直央には悪いとは思うし、鈴も同じこと考えてるはず。けれど・・)  再びため息をついたその時、隣の教室から大きなどよめきと悲鳴が聞こえてきた。 「!」 「な、なんだ!」  教師も驚いたようで目を丸くする。 「凄い悲鳴・・だったよね?」 「なんか事件?」  生徒たちも疑問を口にする。 「隣のクラスは今は・・ああ、なるほど」  ニヤリと笑って教師は「とりあえずオマエらは静粛に、な」 と、意味ありげに言った。したのか?気のせいかその視線は哲人の方を向いている気がする。 「?・・」 (まさかと思うけど、鈴たちが登校したのか?)  まだざわついている雰囲気があるそのクラスには、笠松鈴かさまつりんと橘涼平たちばなりょうへいが在籍している。 「ったく・・イケメンてやつはとことん何をしても・・」 「へ?」  教師のその言葉の意味が理解できないまま、哲人は休み時間を迎えた。そしてその人物がやってきた。 「日向、聞きたいことあんだけど」 「北原・・もしかして機嫌悪い?」  笠松鈴と橘涼平と同じクラスの北原七生に哲人はそう答える。 「相変わらずねえ、人のことはちゃんと視えてるというか。まあ、いいんだけね。ちゃんとアタシの問いに答えてくれるかどうかで、この後の展開が変わっていくんだけど?」 「・・口調と声色が合ってないよ、北原。オマエが怒るとマジで怖いのはオレも分かっている・・っ」  そう言った瞬間、北原がグンと哲人に顔を近づけてきた。その迫力に思わずのけぞる。 「た、タンマ!・・ったく、いくら男だって分かっててもその顔と声で近寄られると何か複雑・・」 「何よ、アンタの彼氏も可愛い顔してたじゃない、失礼しちゃうわね!ていうか、鈴ちゃんと橘くんが休んでる理由、日向なら知ってるわよね?」 「・・何で、涼平は“橘くん”でオレは呼び捨てなんだよ。てか、そんなこと先生から説明があっただろ」 「ふふ、二人の一番の親友のはずのアンタが何でそういう態度なのかしら?」  憮然とした顔で答える哲人に、北原はにっこりと冷たい表情を向ける。 「っ!」 「心配じゃないの?心配なはずよねえ?」 「だ、だから・・」 「先生は家の都合としか言わなかったのよ。だから、アンタに聞きに来たわけ」  北原七生は口調はオネエ系ではあるが、顔は所謂美少年系、が、なよっとしたというわけではなくどちらかといえばキリッとしたイケメンだ。鈴や哲人とは高校に入ってからの付き合いで。 「はあ・・オマエは鈴が認めたヤツだけど、オレにとってはただの・・いや鈴が好きならかなり特別だけど同級生だ。あんまりこっちの事情に・・」 「鈴ちゃんの特別なら日向にとっても特別なんじゃないの?てか、本当に鈴はアンタの特別・・なのよねえ。なのにアンタは他に男作っちゃって。・・アタシが鈴を奪ったら怒るくせに」 「・・や」  最後の方はほとんど呟きだったが、哲人の耳には届いていた。 「日向、って日向一族って解釈でいいんだよな。鈴が生半可な気持ちで、心を誰かに向けることないのも知ってるのに。てか、そんな覚悟してまで誰かに向かい合わなけりゃいけないっていう状態が異常なんだ」 「別にそこまで言わなくていいけど」 と、北原が苦笑いする。 「とにかく、鈴ちゃんが休んでる理由を知りたいわけよ、アタシは。なんだかんだで、鈴ちゃんの特別はアンタだもの。殴りたい気持ちを抑えて聞きに来てるわけ。本当に二人の休んでる理由知らないの?鈴ちゃんから連絡ないの?」 「・・無いよ。別にオレが鈴の特別ってわけでもない。この秋休みの間は一度も接触は無かった」  直接の接触は無くても、自分の周りのモノにちょっかいはかけらたけどと心の中で呟く。 「喧嘩したってわけでもなく?あの文化祭の時は彼女はアンタに随分気を使っていたように思えたけどね。ま、それはともかくとして」  北原はわざとらしく大きくため息をつく。 「はあっ。困ったわねえ、直接、鈴ちゃんのお家に聞きに行こうかしら。もう心配で心配で・・」 「やめろよ、あっちに迷惑だろ。つうかそれこそ直接鈴に聞けよ。別に遠慮するような仲じゃないだろ」 「あら?アンタにできないことを、アタシがしちゃってもいいわけ?」  ふふふ、と微笑みながら北原が聞く。 「・・何でオレを挑発する?オレに何の恨みがあって・・」 「はあ、ほんとアンタってメンドクサイ男よねえ」  北原は今度は本気でため息をつく。 「彼氏がいるからって余裕こいてんじゃないわよ、ったく。覚悟じゃないのよ、気持ち。大事なのは気持ちなの。大切にしたいっていう気持ちは自然に溢れ出るものでしょ。何をそんなに身構える必要があるの?」 「・・・」 「図星?・・ふふ、アタシは鈴ちゃんの想いを尊重したいのよ。だからアンタに頼むの。鈴ちゃんにアタシが心配してるって伝えて。ね?」  そう言ってウィンクする北原に哲人は顔を向ける。悔しそうなその表情に、北原はほっとする、 「アンタは抱え込みすぎなのよ。アンタの彼氏は年上だからアンタを包み込めるかもしれないけど、アンタを頼っている同級生や下級生にそんな顔を見せたくないなら、アンタはどこかで心を軽くしないと駄目なの。鈴ちゃん・・待ってるわよ」 「っ!・・」 「つうか日向先生もそうだけど、完璧なようで抜けてるとこ多いのよね、日向一族って」 「勝・・日向先生がどうしたって?そういえばさっきの2時間目の授業の時、そっちのクラスで悲鳴が上がったようだが」  他人に自分たちの何が分かるんだという気持ちで聞いたのだが、北原は本気で大きくため息をつく。 「はあーーっ。イケメンてほんと・・って事案よ。だいたい、日向先生があそこまで天然だとも思わなかったわ。アンタも大概だけど 。とにかく次はここに来るんでしょ、先生。そしたら分かるわよ」 (とか無責任に言い放っておいて、この人の親戚のオレの立場も考えろっての)  3時間目の授業が始まり、哲人は頭を抱えている。 (や、かっこいいんだけど!悲鳴の理由もわかるんだけども!この勝也さんのどこに問題がある・・授業にならない!そうだよ、ああいう人なんだよ勝也さんは。不意打ちでオレの心をときめかせた、昔も。そして・・)  彼は辛そうだ・・そう哲人は思った。 (どうして?どうしてそんな顔をする・・。女子のみならず男子も感嘆の声をあげていた。そんな声を嫌がる人でもない。良しともしないけど。照れてもいる。でも、何で・・)  泣きそうなの?と問いかけたい気持ちを抑えて、とも かくもと黒板の方を見やる。 「日向くん、何か質問があるのか?」  視線を感じたのか、勝也が哲人に声をかける。 「へっ?い、いえ・・ただ・・その・・」  哲人が乳児の頃から側にいて世話をしていた勝也は、今年の秋になって哲人の通うこの高校に英語教師として赴任した。哲人によく似たその容貌と落ち着いた雰囲気、がユーモアのある授業を行う教師として勝也は大変人気がある。 「なんかその・・いつもより落ち着かないんです、クラスの雰囲気が」 「哲人ってば、何で正直に言っちゃうのかなあ」 「オマエの立場を考えて、みんな黙ってたのに」  哲人の言葉に、周りの生徒が呆れたような表情になる。 「な、何だよ。オレが悪いワケ?つうか、オマエらオレの方もジロジロ見てるだろうが」  その視線が一番気になるのだと、少し不機嫌な声音で言った。 「・・だってさあ、日向先生が眼鏡かけてこうなっちゃったから、顔の似てるオマエだったらどうなのかなって。隣のクラスの奴らも知りたがってたんだぞ」 「へっ?何で?」 「・・・」  勝也は苦笑しながら黙っているが、哲人は?という表情を崩せずにいる。 「日向先生がかっこよくなったからって、オレにまで期待すんなよ。オレは目が悪いわけじゃ無いし、似合わないって自覚もあるし・・」 「!」  哲人のその言葉に、勝也の顔がさっと赤くなる。 「日向先生?オレ、何か変な事言いましたか?」  勝也のその反応が不思議だというかのように、哲人が首をかしげる。 「い、いや・・まあ・ ・ほんと・・ふぅ」  貴方って人は、と小さく息をつく。 『勝也さんは誰よりもかっこいいの!ボクね、学校でも自慢してるんだよ。ボクのお兄ちゃんはかっこいいでしょって。みんなもそう言ってくれるの!』 (そう言って、ずっとオレを慕っていてくれたのに。オレはこの子を今でも・・欺いたままだ。なのに・・この子は本当に)  思いがけず涙が出そうになって、慌てて咳き込む。 「だ、大丈夫ですか!疲れているんでしょう?だから朝寝坊して、慌てててコンタクト落として髪もセットできなくて・・」  勝也のその様子に哲人は思わず席を立って駆け寄ろうとする。 「だ、大丈夫・・です。生徒にそこまで心配してもらったら、教師の立場がないです。ていうか、私は別に寝坊したわけじゃないですから。ただくしゃみした拍子に落としたコンタクトを捜せなかった・・って、何でこんなことまで言わせるんです?」  勝也の顔が真っ赤になるが、他の生徒はどういう反応をしていいのかわからず困惑している。 「す、すまない!・・大人として教師としてみっともないところを見せてしまった。まさか、メガネがこんなに反応があるとは思っていなかったので、正直戸惑っています。似合いませんか?」 「へ?」  勝也の言葉に、教室内にますます困惑の空気が広がる。 「日向先生って、やっぱ哲人に似ているよな、そういうド天然なとこ」 「もうちょっと自分の魅力に自信持ってくれないと、オレらが困っちまうって」 「・・困らせて・・しまってます?」  授業中にする会話じゃないなと焦りながらも、勝也はついそう聞いてしまう。 (くそっ、オレは今は教師なんだ。こんなことしてたら・・) 「男のオレらから見ても、そのメガネフェイスはヤバイよなあ」 「うん!・・だから哲人がメガネかけたらどうなるのかなって思っちゃうの、必然の流れだと思うわけよ」 「ばっ!い、言っとくがオレは駄目だからな!だ、大事にしたい人がちゃんといるんだから!」  そう叫ぶ哲人を見て、生徒たちはいっせいに大きくため息をつく。 「・・一応、オレらは哲人には気を使ってんだけど」 「オマエの恋バナはなんか微笑ましいからさあ」 「哲・・日向くんて普段はどういう行動してるんですか」  生徒たちの言葉に、勝也も唖然となる 。 (しっかりした高校生に成長したようで、どこか子供のままなのか哲人は。というか直央のことまでしっかり知られていて・・それでも信頼は揺るがないとか)  直央のことになると我を忘れるだけということかもしれない。 「オレらはまあともかく、女子たちはみんなそう思ってるぞ?なんせオマエと日向先生は似てるからな。ただ、やっぱちょっと雰囲気は違うから、どうなるのかなあって」 「そうそう。単なる好奇心だっての。・・ってあんまり煽ると、彼氏どころか彼女もいないオレらがみじめになるだけのような気が・・」  哲人の表情を見た同級生たちは冗談めかした口調で、が顔は少し真剣な感じで哲人に話しかける。 「ご、ごめん!別にオレは自慢してるわけじゃなくて、ただあんまり勝・・日向先生がかっこいいと思っちゃったから」 「・・もういい、哲人はもう喋るな」  そう言って、哲人の隣の生徒が哲人の肩をぽんぽんと叩く。 「っ!」 「正直なのはいいことだ。けど、あんましオレたちをいたたまらせない状況にはおいてくれるな、頼むから」 「えっ、オレそんなにオマエら困らせた?ほんと、ごめん!・・ちゃんと空気読んでるつもりなんだけど・・はあ」 「だから!オレらが虐めてるように思われるだろうが!女子の視線が痛い・・」 「キミたち・・面白いね」  勝也は自分でも思いがけない言葉を発していた。 (あ・・れ) 「あーすいません、日向先生。多分、哲人は疲れてるんです。文化祭までマジで一人でいろいろやってたから」  この 2週間の休みの間にナニをしてたかは知らないけどさ、と男子生徒はニヤつく。 「!」 「・・て、ほら日向先生も笑ってるじゃん。そろそろシャキッとしろよ」 と、肩を叩かれえっ?と勝也の方を見る。 (勝也さん・・笑って・・) 「くそっ、イケメンの笑顔の破壊力・・」 (さっきはあんなに泣きそうだったのに。授業が始まって・・ほとんど授業になってない気もするけど。とにかく、何があって・・)  その瞬間、勝也の唇が動いた。 (て・つ・ひ・と・あ・り・が・と・う。・・えっ?)  意味がわからないと思った。 (オレ、別に勝也さんに何も。そりゃあ、おもいっきり恥ずかしいこと言ってばっかの自覚はあるから、笑われてもおかしくはないけど。・・もしかして、オ レが勝也さんを笑わせたのか?でも、あの人が高校生の冗談に・・) (って思ってる顔だな、哲人は。本当に昔から素直で・・ふふ、みんなから好かれているのだな。オレの“あの頃”が間違っていなかったというなら)  勝也は微笑みながら、それだけでもイイと思った。もう、自分の未来を望む気は無いから。 (それがオレに課せられた“人生”なのだから。・・そう思っていたから) 『貴方が笑顔でいる日常を“貴方の当たり前”にしたかったんです、オレの手で。だってオレは貴方を愛しているから』 (高校生の言葉で一喜一憂するオレは何なのだろうな。哲人を愛して、なのに騙して。そして奏も泣かせた。あの子はオレがこうやって笑うことを誰よりも望んでくれていたのに) 「日向先生 、チャイムが鳴りましたけど?」 「!・・あ、すまない。・・その・・ちゃんと授業できなくて申し訳なかった。キミたちの受験のことを考えたら、こんなことをしている場合じゃなかったのに」  生徒にそう声をかけられ、我に返る。そして唇を噛みしめる。 (バカ・・だろ、オレ。こんな大人、必要とされていいわけがない。でも、ホッとしてしまったんだ。哲人が哲人らしく、“真実本当”の自分を出してくれて、それを周りが受け入れたことに。哲人が幸せならそれで) 「や、謝るのはオレらの方で」 と、哲人が呟く。 「!」 「正直、小さい頃から先生を知ってるオレもかっこいいなって思っちゃったくらいだから、他のみんなは無理ないんだけど、でも生徒会長のオレは止めなきゃ・・少なくとも自重しなきゃいけなかったんだ。本当にすいませんでした。けど、先生が笑ってくれたから。だから・・嬉しかった」    To Be Continued

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