50 / 61
第50話
「へえ、じゃあ昨日はドキドキだったのね。ボクも初めて亘祐の家に挨拶にいったときは緊張してさ。亘祐に言わせると『真っ青を通り越して白になりかけてた』んだって」
大学の昼休み。構内にある学食に哲人の恋人である財前直央ざいぜんなおひろとその親友の加納千里の姿があった。
「恋人の実家デビューって、そりゃあ一大イベントだよねえ。しかも息子の相手が男ってのは、普通は壁が高いし。でも、亘祐くんのお家はそこら辺に理解があるからよかったね」
千里の恋人である佐伯亘祐は哲人の幼馴染で高校の同級生。今年の初めにふとしたことで知り合い、直央と哲人たちより先に付き合い始めた。ちなみに直央と千里も小学校時代からの幼馴染だ。
「でもねえ、ボクも努力したんだよ?亘祐は男兄弟のいない長男だしね。本当ならちゃんとした女性と交際してほしかっただろうから」
「お姉さん夫婦が一番の理解者でよかったね。お義兄さんのご実家もちゃんとわかってくれるなんて、男同士のカップルにはホント幸運な環境だよ」
「・・うん」
亘祐自身はゲイというわけではない。が、亘祐の姉がもともとBL本などを読んでいることを周囲に隠してもいなかったことで、亘祐と千里の交際もすんなり受け入れらていた。
「やっぱ、千里のご両親には言えそうにな い?」
言葉少なになった千里の様子に、直央は心配そうに聞く。
「けど、いつまでも隠しておきたくはないんだろ?千里こそ、加納家の一人息子なんだし」
「直央のお母さんみたく喜んで受け入れてくれたらいいんだけどね」
「まあ・・ねえ」
千里の言葉に直央は苦笑いしながら答える。
『こんなイケメンを捕まえるなんて、でかした!我が息子!・・って感じだわ』
『彼が素敵な人なのはともかくとして、アンタが愛想つかされないように努力しなさいよ。絶対、ライバル多いんだから』
「・・うちのお母さんは変すぎるんだよ。でも、亘祐くんだってあんなにカッコイイんだから・・」
「うん、亘祐はとてもステキな人だよ。かっこよくて優しくて強くて、ボクの何もかもを理解してくれるんだ。亘祐といるととても幸せ。でもうちの親がそういうの分かってくれるか自信はないよ。ボク自身の真剣な想いを伝えればいいんだとは思うけどさ」
そう言って千里は俯く。その肩が小さく震える。
「千里・・」
「佐伯の家の人たちにも迷惑かけちゃう。亘祐が大学に合格すればあるいは、とか考えたんだけど、どうもお母さんが何か気づいたみたいなんだ」
「えっ、マジ?」
千里が顔をあげる。青ざめた表情でうなづく。
「うん。気を付けてはいたんだけど、亘祐といるとこ見られていたみたい。友達?って聞かれたんだけど、肯定も否定もできなかった」
「ああ・・そうだよね。だって友達じゃないもの、恋人だものね。それは素直で当然な想いよね」
自分も誰かに、それが絶対に内緒にしなきゃいけない相手だったらそういう反応になると言った。
「・・今さらなんだけど、直央への想いも気づかれてたみたい」
千里の表情が照れたようなソレに変わる。
「へっ?」
「ずっと直央に依存してて、直央がアメリカに行ってからも引きずってたんだよね。で、お母さんてほらいろんな漫画担当してる人だからか、何かピンとくるものあったみたい。本当は今のマンションだって直央と住むつもりだったの」
「は?はあああっ!?」
思いがけない千里の言葉に、直央は思わず腰を浮かし大声を上げる。
「へっ、ちょっ・・」
「んもう、慌てたいのは僕の方だよう。僕の初恋の相手は直央だって知ってるんでしょ。・・ほんとに思わなかったんだよ。自分が誰かを好きになって、その人に想いを伝えられるなんて 。直央にでさえそんなことできなかったのに。あんなに・・好きだって思ってたのに」
「千・・里」
「ふふ」
赤面した表情を隠さないまま千里は言葉を紡ぐ。
「だから、今は・・・これからもずっと亘祐が一番。直央も大事だし、哲人くんが直央を傷つけることあったら絶対に許さないけど、でも亘祐を支えるのが僕の一番の人生の指針。・・けどね、本当に直央が好きだったの」
「お、オレだって・・同じこと考えてたよ。だからあのマンションを選んだんだもん。そしたら・・哲人がそこにいたの」
『まさかあなたがココに住んでいるとはね。・・これ以上、オレに迷惑かけないでくださいよ』
『しょうがないでしょう、オレが第一発見者になっちゃったんだから。そうじゃ なきゃ、本当に死んでてくれてもよかったんですよ、この建物以外のとこで』
『今夜一晩、この部屋にいさせてもらえませんか?』
『側にいていいんなら、オレはいる。このマンションにいたいし、千里との付き合いも一生やめる気はねえ。・・好きだからな』
「今でも千里は一番大好きで大事な・・友達だもん。千里がいなきゃ本当に哲人を好きになることもなかった・・」
「そう言われるとかなり複雑なんだけどな」
「千里?」
千里の言葉に直央は怪訝な表情になる。
「・・てか、哲人くんて随分ヒドイこと言ってたのに、今じゃ凄く直央を束縛してるよね彼」
「へっ?や、それは・・た、確かにそんなときもないわけじゃ・・ないけど。でも・・」
「なのに、自分の勝手で何度も直央を泣かせてるよね。本当はそんな人に直央を任せたくないんだよ、僕は」
「千里・・・」
いつもと違う感じの千里の様子に困惑する直央を千里はじっと見つめる。そして、声を絞り出す。
「ちゃんと・・言えばよかったんだ。直央がアメリカに行く前に、僕の気持ちを。・・ずっと後悔してた。誰とも付き合わず勉強に専念して、そして直央の志望校に推薦を決めて。僕もね、ちゃんと準備はしてたんだ」
「そう・・なんだ。けど、亘祐くんのことを好きになったのも事実だろ、その間に」
自分の知らない間に始まっていた恋のドラマを当時は苦々しく思ってはいたのだけれど。
「亘祐がね、助けてって言ったんだ」
「えっ?」
「もちろん口に出してじゃないよ。けど、弱々しかった。僕が思わず手を差し伸べてしまうほどに。たぶん、哲人くんも見たことがない姿じゃないかな」
そう語る千里の様子がちょっと誇らしげだと直央には感じられた。
「千里・・」
「一度握った手を、僕はどうしても離せなかった。親友にも言えない気持ちを打ち明けてもらえて嬉しかったってのもあるな。あの時の亘祐は少なくとも誰よりも僕を選んでくれた。・・あの時の直央はどちらかといえば哲人くんの側にいたような気がするよ」
「は?や、オレは別に・・」
千里の言葉に直央は驚く。
「オレは本気で哲人のこと怒ってて・・哲人だってあの頃のオレは嫌いだったんだ。哲人が受け付けない人間だってことで」
「ふふ、僕と亘祐も似たようなものだったよ。亘祐は武道家だからね、僕みたいななよっとした男らしくないヤツは、ね。だから告白された時は驚いちゃった。男を好きになるような人でも無いしね。けど、なんだかんだで僕も好きになってたの」
てへ、と千里は舌を出す。
「亘祐くんは本当に千里のこと好きで大事にしてくれるものね。言ってたもの・・」
『可愛い人なんだよ、あの人は。年上の男性だなんて思えないほどに。大切に・・したいと思う存在なんだ』
「亘祐が・・そんなことを?」
「その時のオレには嫌味にしか聞こえなかったけどね」
と、直央が頭を掻く。
「憤慨したオレに哲人は言ったんだ」
『恋愛に身長や年齢は関係ない。包容力なんて、態度や言葉でどうにでもカバーできるものです。・・その時に必要な行動をとれたものが勝ちなんですよ』
「亘祐くんは間違わなかった。ちゃんと捉まえられた。それを見ていたから、オレは哲人にちゃんと言えたんだと思う。自分には哲人が必要だって」
もっとこの人を知りたいとも思ったから 。たとえ“真実を知ること”になっても。
(それでも、マイナスなだけの後悔はしたくない)
「ありがとう、哲人を必要としてくれて。“本当は大人の私たちにしなければいけなかったことなのに”しなければいけなかったことなのに」
突然、優しげな声がその場を包んだように感じられた。慌てて顔を上げる。
「栗原教授!・・な・・んで」
「?・・・あ・・れ?」
初老の男性が困ったような表情でそこにいた。学食内がざわつく。
「うーん、やはりキミたち二人は目立つね。私はかまわないのだ・・」
「ち、違います!有名人なのは教授の方ですってば。ごめん千里、食器とか片づけといてくれる?オレは教授を隅に引っ張っていくから」
「へっ?あ、うん・・」
困惑気味に立ち上がる千里を置いて、直央は男性の腕を引っ張る。
「すいません教授!申し訳ありませんが、もちょっと隅の方へ」
「・・ごめんね」
「えーっと、気を使わせてしまったようで、その・・。と、とりあえず・・日向哲人の父親・・です。も、もちろん戸籍上のですが。昨日は妻がお世話になったようで・・私もちゃんと挨拶するチャンスだと思って・・っ」
「・・や、オレは教授が哲人の・・って知ったのはほんと最近で。こちらこそ何回も機会がありながら、お声掛けをせず・・」
「や、哲人がちゃんと伝えなかったからでしょう?ちゃんと知っていた私が対応しなければいけなかったのだけれど・・」
経済学部教授の栗原誠一は顔を赤くする。そこへ千里が戻ってきた。
「あ、あのう。コーヒー持ってきたんだけど・・」
そう言って3人分のコーヒーをテーブルの上に置いて、千里は躊躇する。
「あ、ありがとう。てか、千里も座ってよ。ちゃんと説明するから」
「え・・いいの?」
「だって千里もウェディングドレス着ることになってるから。言うの忘れてたけど」
「は?ウェディングドレス・・って、僕が着るの?だって男だよ、僕」
困惑気な表情で千里が問う。
「ってか、もしかして直央は着るの?それがどう栗原教授と関係が・・」
「すまないね、おそらく私の妻がその話を出したのだろう?千里くんは亘祐くんのお嫁さんになるのだから、親戚になるというわけだし。鈴くんも二人分のドレスのデザインを製作中だそうだ」
「・・だから、どうして栗原教授が?てか、僕が何でお嫁さん?」
もう何が何だかわからない。直央が申し訳なさそうに頭を掻く。
「あのね、栗原教授って哲人のお父さんなの。オレも最近知ったことで・・」
「や、ウェディングドレスの話は正直男の僕にはよくわからないけどね。無理にとは言わないけど、楽しみでもある」
「教授・・」
そう言ってウィンクする栗原の姿に、直央は苦笑する。
「哲人から聞いてオレが勝手に持っていたイメージと違う気がしますよ、もっと厳しい感じだと思っていました。や、講義はとても分かりやすいという噂も聞いてはいましたが」
「・・哲人はどういう風に私のことを話していたんですかねえ。確かに、普通の父親とは違う接し方だったのかもしれません。理由は直央くんなら分かると思いますが。・・自分がこんな不器用だとも思ってはいなかったのだけれどね」
そう話す栗原の表情が少し悲しげなものになったのを見て取り、直央は慌てる。
「す、すいません!哲人は貴方のことをとても尊敬してるって」
「えっ?」
「付き合い始めたころ言ってくれたんです。尊敬している教授がいるから、この大学も志望しているんだって。オレに対するリップサービスかなとも思ってたんですけど、でも今の自分がちゃんと自立できているのは経済的なことを教えてくれた父親と鈴ちゃんのお父さん、そして料理の面白さと大切さを教えてくれたお母さんのおかげだっで言ってました」
「っ!・・あの子 が、そんなこと・・」
栗原の表情が変わる。
「教授?」
「・・私も妻も・・あの子の親をちゃんと・・やれていたのかな。ずっと、小さい時から泣かせてばかりだった気がするけど。周りにも迷惑かけて。そうだね、亘祐くんにも。・・だから千里くんとも話さなければと思っていた。大人の狡さの懺悔・・なのだけれどね」
ぎごちなく栗原は笑う。
「教育者の・・親のとるべきではない判断だった。君たち二人に助けられたのも同じだ。それは妻も分かっているよ」
「・・哲人くんが自分の出生のことを知った時、最初に彼が助けを求めたのは亘祐だって聞いています」
「千里!」
直央が慌てて声をかける。が、千里は淡々と言葉を紡いでいく。
「そんなこと言われたって亘祐だって困るって。今だって、ちゃんとした事情を聞かされていないんだもの。なのに亘祐をそんな都合のいい存在にしないでよ。僕の・・僕の大切な人なんだ。僕だって直央だって、日向のために生きてるわけじゃない!」
「ごめん・・」
どう答えていいかわからず、直央は顔を伏せる。
「好きになっちゃったものはしょうがないよね」
千里は小さく笑う。
「千里・・」
「てか、教授は直央の存在をご存知だったのでしょう?何で今になって?」
千里の表情は笑ってはいるが、声は厳しいものだった。直央は慌てて口を挟む。
「や、それは多分日向の方針で・・」
「それもあったのだけれどね。ま、こんなこと言うと非難されるだろうけど」
と、栗原は苦笑する。
「哲人の人生はものすごく複雑だ。それでも自分は彼の父親であろうと生まれる前から構えていた。なのに、結局は今はこんな状態だ。自分が情けなくてね・・それに息子の交際相手に改まって声をかけるというのは普通に緊張するというか」
「!・・へ?」
思いがけない栗原の答えに直央は困惑する。
「そんなかしこまられても・・」
「だって、私は哲人とそういう類の話を一度もしたことが無いから。恋愛を飛ばしていきなり結婚なんだもの」
「いきなり結婚て・・」
栗原と直央は二人で顔を赤くする。
「た、ただ一緒に住むだけ・・ってわけでもないけど、添い遂げるから式もやろうって話にはなってるけど、付き合い始めて一ヵ月もしないうちにプロポーズ・・されたけど」
「ああ、僕が亘祐の親に紹介されたという話をしたあの時のことね」
千里の複雑そうな表情を見た栗原は「はあ・・」とため息をついた。
「その話は鈴くんに聞かされたよ。や、私も妻以外の女性とは付き合ったことが無いし、こんなこと言ってはキミたちに失礼だけれど、男同士のそういうのも知識は無い。理解はするけどね。哲人もそうだったはずだ。不器用な恋愛だったのだろうね。二人とも悩んで、それでも二人で答えを出してくれた。全てが終わってから、鈴くんは教えてくれたよ。ほんと大人は不甲斐ないよね」
「教授・・」
「・・ふふ」
直央の視線を受けて、栗原は小さく笑う。とても寂しそうに、そして嬉しそうに。
「というわけで、私的にはいきなり息子に『この人と結婚するから』って恋人を紹介された気分ですよ。でも、哲人の審美眼が確かだったことにホッとしています。もちろん、内面も外面もということですよ」
「ちょ、ちょっと待ってください!栗原教授」
「お義父さんて呼んでくれてもいいんだよ?妻のことはお義母さんて呼んだって聞いたよ」
「・・何を言っているんです、教授」
つい、呆れたような声音になってしまう。
(ちょっと待て!普通に著名な人だよね?何冊も本出してるよね?大金出してこの大学に招聘しんだよね?哲人の尊敬する人で、都内で一戸建て買えるくらいの資産を高校生が蓄えられたのはこの人に指導してもらったからだって・・何か軽いんですけど!?哲人の話とは何か違わない?)
改めて栗原誠一をそっと見る。
(婿養子だって話だから、哲人の実母の従姉妹だっていうお母さんとは違って直接の血縁は無いけど、でも日向の一族・・なんだよなあ。やっぱイケメンていうか、哲人の本当のお父さんて言われても不思議じゃないレベル。50歳近いんだっけ?渋いんだけど、若く見える不思議な人だよね)
「というか、オレはどうしたって男ですから子供は産めませんし、正式に結婚することもできません。日向がオレの存在を認めていると言っても、哲人の結婚相手には不適格なはずです。日向に跡継ぎは・・」
「ふふ。婿養子の私がこんなことを言うのもあれですが、鈴くんと哲人の婚約を解消した時点で日向の直系の後継者はほぼ諦められているんですよ。というか、それ“も”原因で哲人はいろいろ危ない目にあっているのですけどね」
「きょ、教授!それはここで言うことじゃ・・」
栗原の言葉に直央は慌ててその口を塞ごうとする。
「ふが・・だいじょーぶれすよ。・・ウィキペディアにも私には息子がいるということはばっちり載ってますから」
「へ?ウィキ・・じゃなくて、そういう問題じゃないです。オレと哲人の関係は日向にとって・・」
「この人にそれを聞いたって無駄だぜ?クソ天然人間だからな。つうか、あんたら3人がそうやって固まってこそこそしてっと、他の奴らが落ち着かないんだよ」
突然、不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「ゆ、侑貴さん!」
「キミも加わったら更に一大事案にならないか?」
「お久しぶりです、上村さん。母がよろしくと」
「・・声。かけるんじゃなかった」
上村侑貴は頭を押さえて呻く。
「カオスだ・・」
「オレはただ栗原教授を捜していただけさ。レポートの提出日が今日だから。そんで事務所での打ち合わせもあるわけ。だからさっさと帰りた・・」
「さすが、上村くん!仕事しながらも締め切りをきっちり守って・・。できたら私の助手として卒業しても大学に残ってほしいのだけど・・忙しいよね?」
と栗原教授が声をかける。
「・・忙しいです。昨日もスタジオこもってデモテープ作ってました。けれど、このレポート提出でほとんどの単位はクリアできたはずです。だからオレの邪魔しないでください。生活と将来がかかってますので!」
どうして今ここまで言わなければいけないのかと、侑貴は小さくため息をつく。
「はあ・・。教授はもしかして直央にちょっかい出してたんですか。そういうの哲人が怒りそうだってことぐらい、いくら貴方でもわかるでしょう。哲人に何かあると、広将にも影響があるんです。まだ生徒会役員なんですから」
上村侑貴は直央と同じくこの大学に通う3年生。そして哲人と同じ高校に通う生野広将を自身が結成したバンドに引き入れて、現在放映中のアニメのエンディングを歌いメジャーデビューした。
「ごめんね、哲人がいろいろ迷惑かけちゃって。生野くんは優しいから、オレもつい頼っちゃうんだけど、侑貴さん的には迷惑ですよね。プロモーションも大変だって聞いてるし」
直央が申し訳なさそうに目を伏せる。
「哲人は特別だろ。・・以前アイツをキレさせたのはオレにも責任があるからな。つうか、直央もアイツをあんま甘えさせんな。じゃないと、父親のようになっちまうぞ」
そう言いながら、侑貴はじっと栗原を見つめる。栗原は怪訝な表情になる。
「うーん、哲人がキミたちに迷惑かけたのかい?というか、何で私が睨まれるのかな?確かに世間一般で言ういい父親でなかった自覚はあるけれど」
「確かに教授はいろいろ普通じゃないですから。哲人も同類ですけどね。・・時彦さんにはオレも会っているんですよ。あの人の血を引いていて、教授に育てられたとなればああいう性格にもなるかなとは思いますが」
「・・」
侑貴は努めて淡々と話しているように、直央には感じられた。
(何でこんなにも“哲人のお父さん”に敵意を向けているんだ?確かに侑貴さんはアノ時もあの場にいたし、経済学部だから教授とはオレよりも親しいのはわかるんだけど)
『うちの両親て、二人とも仕事の時は名前を変えているんだ。母さんはまあテレビにも出てるから芸名というか。父さんは大学の方から要請されてペンネームで教授やっているんだ。割とソレで 学生集めてるとこもあるらしい。何冊か本出しているから』
『えーと、多分ウチの栗原教授のことだよな?本出してる有名人て・・』
『直央ってゲイなんだろ?何であの栗原教授の視線を感じて、その程度で済ませられるんだよ。あの人マジでモテるんだぞ。まあおしどり夫婦としても有名だから、誰も無謀なことはしないんだけどさ』
(結構好意的だと思っていたんだけどな。この教授に関してもどうも・・)
何かが引っかかる。そう思えてきた。
(でも、哲人のお父さんなんだもの。オレの一番大事な人が尊敬している人だもの)
「・・まあ、これ以上はオレも注目されるのは嫌だし、忙しいのもマジなんで。直央も加納もいい加減にしないと、周りから痛くない腹を探られることになるぞ。教授もそうだが、オマエらも目立つ存在なんだからな」
「芸能人なんだから上村くんが目立つの当たり前でしょ?」
「・・著名人の貴方が何を」
大きくため息をつきながら、侑貴は踵を返す。
「あ、待ちなさい上村くん。キミにも少し話があるんだよ。や、卒業後のことじゃなくて・・」
「なんです?本気で忙しいんですけど?」
侑貴は不機嫌さを隠そうともせず答える。
「まあ、そういう顔をしないで。鈴くんから聞いてるよ、キミも原作者の正体を知っちゃったって」
「っ!」
「へっ?マジ・・」
栗原の言葉に直央も驚く。
「ふふ。一応釘を刺しておかなきゃいけない事案ですからね、これは。だから私の部屋に寄ってもらえますか?」
「・・・」
侑貴は黙って小さくうなづく。
「いい子ですね、上村くんは。あ、直央くんも加納くんも邪魔をしてしまって悪かったね。二人とも近いうちに我が家に遊びにきてくれないか?妻が一緒に料理をしたがっている」
「えっ?」
「教授、アンタは直央をどうしようと考えているんだ?アイツを傷つければ哲人も傷つく。実の親じゃなくても、それはアンタの立場ではやってはいけないことなんじゃ?」
栗原と並んで歩きながら侑貴は低い声で聞く。
「ふふ、そういう穿った見方はやめてほしいな。直央は私にとっても大切な存在でね。キミこそ琉翔のことを知ってしまったのだろう?まったく、涼平も困ったやつだよ。まあ彼はもうペナルティは受けているけどね」
ははは、と笑いながら、 次の瞬間栗原は侑貴の肩を強く掴んだ。
「っ!」
その力は普段笑顔を見せながら講義をし、学生の質問にも気さくに答えている栗原からは想像ができないほどの強さだった。
「何・・を」
「すまないね、びっくりしたかい?武道をやり始めてからの哲人を抑えるには、私も身体を鍛える必要があってね。なにせ父親だから」
と、栗原は照れたような表情になる、
「わかって・・ますよ。教授・・貴方はどこまでご存知なんです?哲人の身内だからある程度は・・と思っていましたが」
「ふぅ、流石にキミは頭がいいですね。だからこそ本気で大学に残って私の助手をやってほしかったのだけれど。キミはきちんと自分で自分の未来を掴めた。それを邪魔する権利は誰にもない。意見をできるのはキミの恋人だけだ」
「・・本気でそう思っているのですか。オレのこともわかっていた上で、普通に講義していたと?流石に哲人の父親ですね。・・流石に日向の一族ですよ。あ、これはもちろん嫌味です」
「ふふ、キミが私をどう評価しようと、私は私の思うまま君の成績を評価するのですけど」
と、栗原は侑貴から受け取ったレポートを掲げてニコッと微笑む。
「哲人をお願いしますね。もちろん直央と・・・そして鈴のことも」
「っ!・・なぜ、哲人と鈴の婚約を解消させたんです?!・・っ!」
ついつい大声になってしまったことに、侑貴自身が驚く。
(ダメだ・・もしやと思っていたことをこの人は・・)
栗原の表情を見て気づく。
「オレに・・何をさせたいんです?オレは・・」
「鈴も直央も自分自身の運命は受け入れているよ。その上で哲人のために動いている。キミにはそこまでは求めていないよ。キミは日向に捉われてはいけない。キミの・・両親のようになっては、ね。それがキミの生きる“意義”だ。キミを愛した少年と共にね」
「ていうわけで、オレは今日は哲人のお父さんと会ったのでした!ふぅ、緊張したよぉ。栗原教授はただでさえ目立つのにさ、侑貴さんまで加わったもんだから、二人が去った後は学食の空気が何とも言えないものになっちゃってね」
ご飯を茶碗によそおいながら直央は苦笑する。
「いろいろ聞かれそうになったときに、侑貴さんのバンドのお仲間さんが現れてね。オレと千里を呼んでくれたの。どうも侑貴さんが頼んでくれたみたいなんだけどね。あんまり嘘もつきたくないし、だいたいオレ自身が何で!今日!二人の有名人と!・・ふぅ」
思わず、息をつく。
「・・極秘会談することになったのかマジでよくわかんないし、哲人のお父さんて・・」
思ってた人と違う、と言いかけて直央は口をつぐむ。
(尊敬している人って哲人は言ってたし、自分が知っている限りは凄い人なのもわかっているけど。でも、どうしても何かが・・)
「何で、親は二人ともそんなに舞い上がってんだ?直央が可愛いからかなあ」
そう言って首をかしげる哲人を見て、直央はガクッとなる。
(哲人ってほんとに・・)
『!・・マジですか。・・まあ、いいです。オレは全く好みじゃありませんが、アナタはオトコに狙われやすい顔のようですね。最初に会った時もそうでしたし。せいぜい気を付けてくださよ。オトコなら誰でもいいわけじゃないんでしょ』
(つい半年前まではオレにあんな態度とってたのに)
「貴方はただでさえ目立つ人なんですからね。騒ぎに乗じて変な輩が近づいてもらったら困る。父さんに釘を刺しておかなきゃ」
「ちょっ、駄目だよ!教授に失礼だよ、そんなの」
学部は違うが、哲人の父親は大学でも人気があり対外的にも著名人だ。妻である哲人の母親・・正確には哲人を産んで無くなった女性の従姉妹でテレビ出演もしている料理研究家との仲が有名で、本人も言っていたが他の家族の話は不自然なほどに話題にならない。
「哲人の恋人として、せっかく受け入れてくれてるんだから」
「・・親は関係ないです、本当は。や、本当の親かどうかってことじゃなくて。貴方との人生はオレが決めたことだから。日向の思惑なんか関係なしにね。それを父は理解してくれてない。そりゃああの人の立場ならしょうがないのかもしれないけど」
「違うよ!」
哲人の言葉に直央は思わず声を上げる。
「教授は本当に哲人の父親でありたかったから、哲人がちゃんと自分の意思を持って道を歩んでくれたことを嬉しがっていた。哲人が自分の心でオレを選んだことを・・・選ぶことを多分あの人たちも望んでいた」
もしかしたら、それこそが“仕組まれた展開”なのかもしれないけど、と直央は唇を噛む。
(それでもオレは哲人が好きだもの。誰かの思惑の波に巻き込まれたのだとしても、それだけでこんなに哲人を恋しいと思うはずはない。ずっと一緒に・・生涯を共にしたいなんて思うはずが無い。哲人がオレを求めて、オレが哲人を欲したから・・)
「大人になる免罪符を貰えたと思ってるよ、オレは。だから哲人はそんなに構えないでよ。オレは哲人の特別だけど、哲人の側に当たり前のようにいるよ。それがオレと哲人の日常だから」
けれど、哲人は命を狙われる。自分と一緒にいる時でさえ。
(多分、オレもそうなんだ。だってオレの父さんは、その生死でさえ定かじゃない父は日向の関係者らしい。それをオレに知らせたってことは、オレにもいやおうなしに日向の闇に身を置かなければいけないらしい。・・バカだな)
最初から。少なくとも哲人に恋をした時から哲人の全てを受け入れる気でいた。
(オレや哲人を排除したい、殺したいと思っている輩はオレを舐めているよな。なんのためにオレが哲人の側にいると思ってんのさ)
「あのね、思い出したんだけど」
「うん?」
「オレね、勝也さんに初めて会った時・・彼に魅かれなかったんだ。男性看護師にレイプされそうになったオレを庇ってあの人が刺された、って特殊な場面だったからかもしれないけど、でもそれって・・」
「うん、オレと直央が出会った時と同じだな」
懐かしそうに哲人が答える。
「でも、魅かれなかったって。だって勝也さんはオレと同じ顔・・」
「けど、恋はしなかった。それどころか忘れていた。カッコイイってステキだとは思ったけど、それだけ」
「オレは・・そうじゃないって・・こと?」
哲人は震える声で聞く。
「オレの性癖を日向が知っていたとして、先に勝也さんと出会っているんだから、そっちを好きになっていた可能性があるんだろ?だって勝也さんはオレを助けたヒーローだったもの」
「・・」
「哲人もオレを助けてくれたけど、どっちかっていうと自分の都合でって感じだったよね。オレにもキツイこと結構言ってたし。亘祐くんが先にオレに声をかけてなかったら、関わろうとしなかったんじゃない?」
「ぐっ!・・それは・・」
と、哲人は目に見えて狼狽する。
「あ、あの時は!ゲイ同士の痴話喧嘩に巻き込まれるのは普通に嫌で。や、貴方のことをどうのこうのじゃなくて、その・・自業自得だって思ったんだよ、正直いって。だって今もそうだけど、貴方って謎の自信過剰・・や、貴方がそういう態度だからオレは・・」
「ふふふ。いいのっ!オレが言いたいのは・・オレが欲しい安心は哲人がくれるはずってこと。そしてそれは・・オレも哲人にあげたいものなの。本当の意味での平穏をオレは哲人にあげられらない。だって、オレが側にいるからこその軋轢もあるもの。それは、たぶんオレの業。哲人にとっても避けられないもの。・・分かってるのに離れられない」
自分にとっての道標という名の宝石。それが日向哲人。
「オレが先に恋したの。他には何も見えないの。日向のためじゃない、オレ自身のためだ。・・誰よりもオレが一番我儘なんだよ」
「直央・・」
「あくまでオレの感じ方だけど・・栗原教授もそこは分かってたと思う。ただ、それを上回って哲人への愛情を隠し切れなかったようにオレには思えた」
直央がくくっと笑う。
「思春期の息子とちゃんと話したかったみたいだよ。恋愛の話とかね。哲人の反抗期は普通の男子のソレとはスケールが違ったから、そこんとこは寂しかったみたい。・・後悔してたよ、そんな人生を味あわせたことを。哲人が恋をできたってことが一番うれしかったって」
「・・オレこそ。人生で必要なことはちゃんとあの人たちに教わった自負はあるんだけどな」
そう言いながら、哲人は直央を抱き寄せる。
「ん・・」
「父・・親も言ってたろ?」
『本家はオマエの育ての親の人選を見事に最適なものにしてくれたな』
「や、だからこそ真実を知ってからは両親に負い目があったんだ。なにせ、オレはあのクソ親父の血を引いてるんだぜ?普通に生きてたらロクでもない人間に育ってた気がする」
子供をもってはいけないとされていた日向時彦の種である自分が黒猫や狩犬などの日向の影の組織をつけられてまで生かされているのか。
(多分、その理由は直央の存在。それは直央も分かっていて・・覚悟を決めていてくれる。そして・・)
『8年前もそうだったな』
『あの時はオレの顔に手が届かないのに焦れて、ずっと太ももを叩いてたっけ。『直央を離せ!』とか言いながらさ』
『けど、既に子供の表情じゃなかった。ああ、日向の人間だなと思ったよ。・・鈴も同じ目をしていたよ。鈴との婚約を解消したオマエの判断は間違っちゃいない。別にオレを恨んでてくれればいい。全ては直央が浄化してくれるはずだ』
『だからオレが謝らなければいけないとすれば、ソレは直央に対してだ。“この先、哲人がどう変わっても”キミは哲人を支えてほしい。・・つうか、マジでゴメン!』
父の言葉を思い出す。
『ふふ。お母さんに似て可愛くてかしこそうな顔をしているね。哲人はまあメンドクサイ男だけど、仲良くしてやってよね』
(アイツは直央のお母さんのことを知っていた。オレとのことがあったからじゃなく、おそらくもっと・・8年前よりもっと以前から)
直央の母親は財前灯というイラストレーター。父親を公表しないまま未婚で直央を生み、今に至る。灯が割と有名人だったこともあって、直央の父親の正体を探るマスコミ関係者は大勢いたが、なぜか灯の周囲の人間たちはその存在をひた隠しにしていた。
直央自身は子供モデルをしていたこともあって目立つ存在ではあり、その出生の秘密を尚も探る輩は少なくはなかった。
(けれど誰一人掴めていない。だいたい、直央自身が知らないんだから。けれど、今になって直央の父親は日向の関係者だという情報がオレの周囲からもたらされた。でも、オレや琉翔が日向の一族だと知っても、灯さんの様子に変化はない。つまり、あの人は自分の子供の父親の正体を正体を知らない?親姉妹の反対を押し切ってまで生んだのに)
自分の我満だけを押し通すような女性ではない。
(だから、直央はとても優しくて・・オレがずっと求めていたい恋人なんだ、あの人に育てられたから。でも、たぶんオレも直央もちゃんと知らなければいけないのだろう、直央の父親を。おそらく、それがオレと直央が出会った本当の理由)
「てか、栗原教授ってほんとステキな人よね。独身だったら凄くモテてるよねえ。密かにファンクラブもあるんだって」
哲人に抱きしめられたまま直央が言う。
「普通に哲人のお父さんて言われても納得しちゃうとこだけど、時彦さんがあんなに哲人にそっくりだしなあ。ふふ」
少し顔を上げて、直央はうっとりな表情になる。
「うん?」
「だってさあ、勝也さんも哲人にそっくりじゃん?いくら血縁関係があるからってって思ったけど、哲人の10年後が勝也さんでその未来が時彦さんとか考えたら・・こんな素敵な人生も普通にないなあって」
「・・勝也さんはともかくとして、オレの未来があのオヤジ?」
「?・・今、親父って言った?」
哲人らしからぬ物言いだと思いながら、直央は首をかしげる。
「親だなんて思いたくないよ、あの男のことは。名前すら呼びたいとは思わないさ。クソオヤジで十分だ。絶対オレたちにとって悪い影響しか与えない。だいたい、鈴に何か言われたから我が子に会いにくるって、どういう親だよ」
「ちゃんと親って意識してんじゃん、哲人」
と、直央は苦笑する。
「確かに哲人のお父さんにして言動が軽すぎるなあとは思ったけど、哲人もちょっと見習うくらいがちょうどいいんじゃないかなあ。哲人は変に堅いとこがあるから」
「変じゃありませんよ。貴方にたいしてはいつも誠実にココを硬くしています」
「へっ?」
何を、と思う間もなく直央はソノ部分を握らされる。
「!・・な、何・・これ。てか誠実に・・って」
「だから、貴方以外の人にはこんなことにはならないっていうことですよ。・・なのに、貴方はすぐ他の人の顔に反応してしまうから。そりゃあ、オレは性格的に他人と相容れないとこが多いし、空気は読めないし、そのくせ直ぐにキレちゃうし、あまり気の利いたセリフも言えないし・・」
哲人の声が段々と小さくなっていく。
「自分がこんなにスケベだとは思ってなかったけど、それは貴方が相手だからで。・・ダメ?」
ちょっと身体を屈ませて、哲人は直央の顔を見上げる。本気で不安そうに自分を見つめるその顔に、直央はどうしようもなくときめくのを感じる。
(ちょっ!どっちかというとキツメの顔立ちなのに、時々こうやって可愛くなるの反則!)
『哲人のほんとの魅力はね、ド天然なとこだよ。まあこうやって殴りたくもなるときもあるけどね』
拳ではなく、本気の蹴りをいれて相手を悶絶させた後に笠松鈴が笑顔で囁いたことを思い出す。
(鈴ちゃんの気持ちは分かるなあ。だから本気で好きになったのよね、鈴ちゃんは。多分、一番哲人を理解しているのは彼女なのだろうけど)
「・・ダメなんてオレが思うわけないでしょ。どんな哲人でも受け入れるって誓ったし・・だいたい哲人といると面白いし」
「面白い?オレが?」
初めて言われました、と哲人が困惑気な表情になる。
「いいの!オレだけが知ってる哲人の魅力なんだから。・・オレだけの哲人なんだから」
(ごめんね、鈴ちゃん)
多分、これからずっと彼女にだけは贖罪の気持ちを抱き続けるだろう。
(鈴ちゃんはみんなを幸せにしてくれたのに)
『ふふ、ボクはだから直ちゃんも大好きなんだ よ。直ちゃんが一番ボクに優しいしね』
「直央は、どうしてそんなに暖かいの?どっちかっていったら痩せてて小柄で・・でも包まれてる感じがして、安心する」
「えっ?」
「だから、できたら他の男の名前はこういうときは口にしないでほしいな。みっともなく嫉妬しちゃって、乱暴にしちゃうから」
ごめんと呟き、哲人は体勢を直す。
「て、哲人・・」
「やっぱ我慢できない。色情魔とか変態とかヘタレとか言われても、今は・・」
「!・・ちょっと待って、哲人。オレは別にそこまでは言ってないし思ってもないよ。そりゃあ、確かにクールで優しくてかっこよくて、でもちょっとはその・・」
正直、自分で淡白だからと言っていた割には毎晩でもセックスしたがる哲人に複雑な思いを抱かないではない。
(だって出会ったころと全然違うんだもの。変わらないのは・・不器用な優しさ)
そう思ったらなぜか笑えてきた。
(ああ、そうなんだ。オレが哲人を好きになった理由って)
「直央・・何がおかしいの?そりゃあ直央と付き合うようになってから、鈴にもいろいろ言われることが増え・・鈴!?」
突然、哲人ががばっと身を起こす。
「ど、どうしたの?鈴ちゃんがどうしたの!鈴ちゃんはまたケガしたの?」
「や、まだ鈴とは連絡とってないんだ・・」
哲人の様子に顔色を変える直央に、哲人は力なく答える。
「!?・・なんで?じゃあ、今日も鈴ちゃんは学校に来てないんだね?じゃ、じゃあ・・」
「お、落ちつけって!本当にヤバイんだったら、涼平から連絡がくるって。そうじゃなくて、鈴の親友から頼まれてたんだ。自分のところに連絡してくれるように、鈴に頼んでくれって」
そう言いながら、哲人は慌てて自分のスマートフォンを捜す。
「あ、あった。ったく・・何でオレがあいつのためにこんなことを。や、せっかく直央といい雰囲気なのに、貴重な時間をあんなやつのために・・」
「何を言ってるの!オレと哲人は永遠に恋人・・いやオレは哲人のお嫁さんになるんだからずっと一緒にいる」
がしっ!
「へ?・・がしっ?って、哲人何をしてんの!?電話は!?」
気づけば自分の手を恋人ががしっと掴んでいた。
「直央はオレのお嫁さんなんだよね?つまりオレの奥さんよね?」
「へっ?や、正式には違う・・けど。でも気持ちはそうだよ。できるものなら子供も産みたいくらい・・」
無理だけど、と言葉を続けようとしたところで突然唇を塞がれる。
「!・・う、うっ・・んん」
(こ、こんなことをしてる場合じゃ。よくはわからないけど、やっと哲人が鈴ちゃんに電話する気になったんだ。それをオレが邪魔するわけには・・)
とある事件のために哲人の同級生の笠松鈴と橘涼平は負傷し入院している。
(それは哲人のせいでも。もちろん鈴ちゃんのせいでもない。なのに二人とも意地を張って・・だから、こんなことしてる場合じゃ。でも、オレは・・哲人を離せない)
「んっ・・ふ・・ん。・・て・・だめ」
それでもやっとの思いで哲人の身体を自分から離す。
「ダメ・・だって。や、嫌とかじゃなくて。今すべきは鈴ちゃんに電話でしょ。しかも鈴ちゃんの親友の女の子に頼まれて、なんでしょ。いろいろつっこ・・聞きたいことはあるけど、まずは電話を・・」
「誰が女の子っつったよ」
「えっ!?」
哲人の声が不機嫌なソレになる。
「哲人、ごめん。だって・・」
確かに鈴はボクっ娘ではあるが、哲人への一途な想いを貫いてい る。そして男女共に友人は多いらしいが、日向の裏の仕事にも携わっているために、一定以上の付き合いは避けている。が、それでも女子高生ではあるから普通に同性とは親友に近い存在はいるらしいとは聞いていた。
「そういうのは涼平の領域だったんだよ、普段は。オレには頼みづらいらしい」
哲人の表情が憮然としたものになる。
「けど、今回は涼平も休んでいるからな。・・なんていうか、オレと鈴と涼平で三角関係って思われてたみたいで、けれどオレにも涼平にも別に恋人ができたことで、なおさら気を使われるようになっちまった」
「あ、そうなの。てか、鈴ちゃんの親友って男性?なら、なおさらそんなこと哲人に頼んでくるなんて・・」
哲人は別に女子にだけ優しいとかではな い。むしろ思ったとおりのことを口にするので、相手を困惑させることが多いのだ。
『本人も自分が不器用なのは自覚してるから、その後のフォローでどうにかごまか・・じゃなくて。てか本気で優しくはしてんだよ。けど、涼平といっちゃんがいないといろいろ問題があったのも確か。まあ妙なカリスマ性があるからねえ、哲人には』
『時彦がやることは大抵デカいことだったから、後で私たちが尻ぬぐいするのが大変でな。正義感は誰よりもあるのは構わないんだが、いかんせん不器用なヤツだった』
(鈴ちゃんと鈴ちゃんのお父さんが、哲人と哲人のお父さんのことを同じニュアンスで評してたっけ、そういや)
「相手が悪いんだよ、今回のことは」
「は?」
「鈴が認めた相手をオレらは無下にできないんだよ、基本的に。けれど、オレはそいつのことが苦手・・というより嫌いなんだ」
哲人が大きくため息をつきながら、再びスマートフォンを手に取る。
「くそっ、オレと直央の楽しい時間を邪魔しやがって!」
「よく分からないんだけど・・嫌いだけど言うことは聞かなきゃいけない相手なの?」
不思議そうに直央は聞く。
「鈴ちゃんの親友だから?」
「というか、無視すると後が怖いんだよ」
「!・・哲人が怖い?鈴ちゃんに怒られるの?」
「オレ、そんなに鈴より弱く見える?」
哲人が怖いと思えるものが他には思いつかなくて、直央はついそう言ってしまったのだが、哲人は少し落ち込んだようだ。
「確かにアイツの蹴りとかはマジで痛い。ほん と容赦ない・・」
「哲人を守るために強くならざるをえなかったんだよね、鈴ちゃんは。・・っ」
しまったと思い、直央は慌てて口をつぐむ。
「情けないなあとは思っているよ、昔はそうでもなかったんだ。鈴がああなったのは、オレのせいだとは思ってるけど。てか、今日オレに鈴への連絡を頼んできた・・というよりほとんど命令だったな、ソイツは何しろ弁が立つヤツでさ。オネエのくせに」
「哲人に命令?オネエ?・・へ?」
ますますよくわからない。
「はあーっ、無視すると後がメンドクサイや。いい、電話する。寝室の方でするから・・」
そう言って立っていこうとする哲人を、直央は慌てて呼び止める。
「なんでよ、気になるじゃん!どれだけ、どれだけオレが二人のことを心配したと思ってんの。オレは・・オレ、は」
よく分からない人物が関わってきたことで、何かとんでもない会話になりそうな気がしてきた。必死に相手の腕に縋る。
「オレのことが本当に好きなら、オレのことも安心させてよぉ」
「や、だって・・」
と、哲人が顔を赤くする。
「正直、今さらってのもあって恥ずかしいんだよ、会話を聞かれるの」
「はい?」
「んもう・・もっと直央の前ではかっこよくしていたいのに」
「は?何でそんな顔・・可愛い」
そう呟いた直央の言葉は哲人には聞こえなかったようで、反応がないままにスマートフォンを操作しはじめた。
「・・あ、鈴?・・うん、直央も側にいるよ。凄く心配してるから・・オレ?オレはそりゃあ・・だって秋休みの後にオマエと涼平が一緒に休んだら変な憶測も出るって。や、今日はその・・勝也さんの事件もあったから。・・そ、そんなの北原に聞けよ。・・そうだよ、アイツに頼まれたの」
(勝也さんの事件?ちょっと待って・・)
「ねえ、哲人。勝也さんがどうし・・」
「知らねえよ、アイツがオレに対して強引なのはいつものことだろ。つうか、北原ぐらいにはちゃんと連絡しておけよ。アイツなら余計なことは言わないだろうよ。オマエには優しいんだし、頭もいいからな北原は。でも、オレは苦手なんだよ、分かるだろ。認めてんだよ、北原の方がオレより強いってのは」
(へっ?哲人より強いって・・てかそれを哲人本人が認めるって)
「アイツとオマエと涼平ぐらいだよ。オレが絶対に敵わないって思える人間は。あ、直央もだけど。うっせえな、惚気たっていいだろ、恋人なんだから。さっきも言ってくれたもの、オレのお嫁さんになるんだからって。・・ああ、そうだよ。オレだって直央の花嫁姿見てえよ!可愛いんだから、しょうがねえだろ。って、今はその話じゃなくて!」
「て、哲人・・いったい何の話に・・」
「とにかく、オマエは北原に連絡すりゃいいんだよ。けれどもう勝手なことするな。・・無茶はしないでほしいんだ」
(哲人?)
「オマエのことだから、いろいろ考えて行動しているんだろうけど、それでみんなに心配かけるのはやめてくれ。せめて、オレにはちゃんと言ってほしい。そこまでオマエに弱い男だとは思われていたくないんだ」
「哲人!」
直央はたまら ず声をあげる。
「ちょっと代わって!」
そして哲人の手からスマートフォンをひったくるように受け取る。
「鈴ちゃん、オレだよ!お願いだから、哲人の気持ちわかってあげて。オレが言うべきことじゃないかもしれないけど、哲人はね感謝してるの、オレもだけど。うん、ちゃんとお話しできた。いろんなことが知れて・・自分の運命とそして哲人の想いを改めて受け止められたよ。だから、哲人を虐めないでいてあげて」
「は?」
「うん、オレは哲人のご両親にご自宅に誘っていただいたの。あ、ウエディングドレスの件もオッケーよ。哲人のタキシード姿も楽しみね。ふふ、オレね実は昔女装したことあるの。うん、写真あるから後で画像送るね。あ、哲人と代わるね」
「直央の女装?・・ や、何かよくわかんないんだけど・・と、とにかくちゃんと北原に電話・・分かってるよ!オマエこそ無理すんな。・・明日抜糸?そ、そうか・・後は安静にしてろよ、じゃ」
電話を切った後、鈴は深くため息をつく
「はあ・・七生にはとっくに連絡済みなんだけど、何で哲人がこんな電話してきたのかねえ。ねえ、涼平?」
「知るか。だいたいが、哲人と直央さんの惚気だったじゃねえか」
「あら起きてたのね、涼平。そんでしっかり電話の内容も聞いてんだ。代わってほしかった?」
鈴はあははと笑いながら身体を起こした。涼平は苦笑しながら答える。
「いいよ、オマエがちゃんと哲人と話せたんなら、それで。オレも後でラインしとくから」
「別にボクに遠慮しなくていいんだ よ?涼平も哲人のこと心配してたんでしょ 」
「オレはオマエを・・・まあいいや。とにかくアレが哲人の本音だよ。オマエがどうやって哲人の父親のことを知ったのかは追及しないけど、哲人や直央さんにまで心配させるな。側にいるオレのことも頼れっての」
「んなこといっても、涼平だってもう一人の身体じゃないんだし」
少し茶化した声で答える。が、直ぐに声のトーンを変えて言葉を続ける
「それから、七生はあんまり利用しないでほしいな。彼は確かに関係者以外では唯一ボクのお腹の傷も知っているやつだけど、マジで無茶しかねないから。・・基本的には哲人よりよっぽど優しい男だからね」
「くっ・・」
鈴の腹には抜糸前の傷がある。それとは別に3年前に同じように日本刀で切られた痕があるのだが、それを付けたのは他ならぬ涼平だ。
「知ってるんだろ?オレが犯人てことも」
「犯人て・・」
鈴が顔をしかめる。
「事実だろ。オレは哲人に殺意をもって切りつけ、そしてオマエに重傷を負わせた。捕まってもおかしくはないのに、なぜか今は哲人を守らせてもらっている」
「・・守らせてもらっているなんて言えるキミだからこそ、ボクは哲人の護衛にしてもらったんだよ。そして、そういうボクの気持ちを七生は理解してくれたの。そうだね、彼はぶっちゃけ特別だよ。ボクの哲人への気持ちも彼は誰よりも分かってくれている。・・何でオネエ言葉なのかはわからないけどさ」
「ま、イケメンだし喧嘩も強い。普通にモテる男だよな。なのにオネエ言葉」
「喋らなきゃ男らしさ抜群なんだよねえ。そこらへんは涼平と双璧よね。事情が許せば、狩犬にスカウトしたいとこ」
絶対ダメなことだけどね、と舌を出す鈴を涼平は複雑そうな顔で見つめる。
「鈴、北原は特別・・なんだろ?」
「七生は親友・・それだけだよ。けど、他の人よりは特別。そう思わなきゃいけない境遇だろ?ボクたちは。直ちゃんみたいなのは、ほんとはあり得ないんだよ。そういうとこは哲人が羨ましいなと思う」
「鈴・・」
「けど、涼平も変に気を回しすぎ!んで余計なことはしなくていいよ。哲人はともかく、直ちゃんが辛いって思っちゃうのはダメなんだよ。そういう感情は・・」
直央は日向にとって特別な存在なのだから、と鈴は唇を噛みしめる。
(こんなボクらを受け入れてくれて、自分の未来もちゃんと見据えてくれて。ボクなんかより、よっぽど強いよ。だから、哲人が好きになるのも無理はないんだ。ボクは・・でも)
「せめて、七生は普通に友達でいてほしいんだよ。じゃなきゃ・・」
もっと特別になってしまえば、また離れなければいけなくなる。
(ボクは、日向の“最も暗部”なのだから。そんなのに、七生まで引き込めないよ。本当にイイ人なんだもの。そうじゃなきゃ・・そうじゃなきゃ哲人を諦めた意味がないじゃない)
「・・悪かったよ。“今は余計なことをした”。けど、鈴は北原を過小評価してると思うよ」
「はあ?・・っ」
自分でも驚くほどの嫌味な声が出る。
「鈴・・」
「ごめん、もう寝る。や、七生にはちゃんと連絡する。そうじゃないと、哲人がボロボロにされちゃうからね」
To Be Continued
ともだちにシェアしよう!