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第53話
「直央さんて本当に出汁もご自分で取っているんですねえ。いい香りだなって思いました」
「ふふ、この削り節を作るためのかつお節を手に入れることができたのは、千里の情報のおかげなんだよねえ」
「や、元々は亘祐から教わった・・」
「元の情報源は哲人のお母さんだよ。でも、哲人と直央さんの生活の役にたったのならよかった。ていうか、基本は千里の出汁の取り方だよねえ、この美味しさの源は」
「何だよ、直央の料理は母のお墨付きなんだぞ。加えてオレのDNAも入ってる」
「・・いつからオレが哲人の子供になったんだ?オレの方が年上なのに。・・でも、哲人みたいなパパはかっこいいよねえ」
「えーっと、何でオレと景のマンションにこんなに人がいっぱいいて、哲人と亘祐がそれぞれの恋人と見つめ合ってて、生野が赤くなってて侑貴が呆れてて、三上と一宮が困ってて、鈴と北原がそんな冷めた目になっているのか・・な・・」
橘涼平は自分の目の前で繰り広げられる会話を聞きながら、側にいた自分の恋人に問う。
「こういう出会いがあって、私の好きになった涼平がここにいるんだから、別にいいんじゃないかなあ。確かに私も流石にこうなるとは思ってなかったけど、概ね“日常”でしょ?後半年だもの。楽しんだ方がいいよ」
内田景が笑いながら涼平の頬に手を触れる。
「何が正義で悪なのか、今は誰にもわからない。・・わかってはいけないんだとも思う。それでも、私は涼平の側にいることだけは止めないの。愛しているから」
「景・・オレも・・」
「・・あんたらも十分にバカップルだわ。普通にしてれば普通じゃない美男美女カップルに見えるのに」
北原七生が呆れたように小声で呟く。
「や、七生の意見には概ね同意するけどね、ボクも。内田さんも涼平も基本的に真面目で誠実なんだけど・・ていうことにしとくけど、混ぜると危険てこういうことなんだよね」
笠松鈴がそう言うと、上村侑貴は「言っとくけど・・」
と怒ったように言い始めた。
「オレと広将は違うからな!今日はたまたま内田さんと出会って連れてこられて・・。まあ内田さんにはお世話になってるからで、涼平には別に。だいたい、直央に習わなくても広将の料理は世界一だって何度も・・」
「ふふ、そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、侑貴のためにはできることは何でもしたいんだよ。その辺の女には負けたくないしさ」
「!」
「また、侑貴が浮気したの?ここまでいっちゃんに尽くしてもらってるのに、最低だね」
「っ!」
鈴の目が冷たいソレになる。いざとなればヤクザ相手でもナイフを振るう女性が鈴だ。もちろん、侑貴もそれは十分に承知している。
「本当に、愛されているのに」
『あ、オレももっと料理上手くなりたいんだよね。侑貴はけっこう偏食だし、ほっとくと食べないことも多いから。機会があれば直央さんに教わりた・・』
「いっちゃんの優しさに甘えすぎないでよ、侑貴。いっちゃんを泣かせたら、ボクはマジで許さないよ」
「り、鈴!オレも本気で怒ってるわけじゃなくて。それに侑貴に熱狂的なファンがいるのは承知してたし」
殺気を湛えた鈴の目を見た広将は慌てて声をかける。
「ほら、みんなの雰囲気が悪くなるから」
「けど、いっちゃんは深く傷ついたから言葉を出したんだよね」
そう言って、鈴は侑貴に詰め寄る。
「ねえ、いっちゃんはちゃんと覚悟してこの世界に飛び込んだんだよ。けっして侑貴と一緒にいたいだけの自己満な欲求だけじゃないの。だからちゃんと言いなよ。そういうのは正しい愛情じゃないと思うよ?」
「・・鈴、オマエ知ってたのか?」
侑貴が驚愕の表情になる。
「まあね。あ、ストーカーしてるわけでもないよ。そこまでヒマじゃないし、もちろん内田さんからの情報ってわけでもない。本当に偶然でね。・・そういうことすんの、女でもボクは容赦しない。自業自得な場合はほっとくけどね」
「・・どういうことなの?鈴は何を・・」
広将の表情が悲し気なものになる。
「いっちゃん?どうしたの?」
相手の思いがけない反応に、今度は鈴が戸惑う。その様子に気づいた七生が声をかける。
「鈴ちゃん、一番心配されてるのキミなんだよ?生野もいろいろ承知はしているみたいだけど、でも・・やっぱ辛いんだよ」
「北原・・」
広将が俯き加減で呟く。
「鈴はいつもそうなんだもの。ほんと・・ごめん」
「はあ・・いっちゃんは優しすぎるんだよ。けっこう侑貴との噂が流れてんのにそういう輩が出るのって、本人前にして言うのもんだけど舐められてるっていうか。それに、いっちゃんがあそこまで毒を吐くのって、けっこうあからさまだったんだろ?侑貴もちゃんと対処しなよ」
その辺の事情も実は鈴は承知していた。ただ、自分の対応が遅れて友人を傷つけたことを後悔もしていた。
「鈴!もう・・」
「かなり悪質なハニトラだったんだよ。だから、広将には言えなかった。業界ではよくあることだけど、広将にはそういうの見せたくなかったし。っても 、ひっかかったわけじゃないから余計なことは言わない方がいいかなって。いろいろごたついてもいたし」
「つまり、誰かが侑貴を陥れようとしてたわけ?それを侑貴は独りで戦ってたってこと?バカ・・」
広将は鈴にも「バカ」と声をかける。
「いっちゃん、あのね」
「鈴に憎しみの心なんか持ってほしくないのに、オレがその元凶になってんじゃん。てかちゃんと言ってよ。これからのオレのことを考えてくれてるんなら。北原はちゃんとわかっていてくれるのに、一番頭のいいキミが理解できないわけがないだろ?」
そう言いながら、広将は部屋を出ていこうとする。
「いっちゃん・・」
「ごめん、顔洗ってくる。・・向こうの方は涼平と哲人が抑えててくれてるみたいだし、変に思われたくないから。鈴がどう思おうと、あの二人はイケメンだよ」
「侑貴は付いていかなくてよかったの?・・って、そんな余裕のあるわけでもないか」
「哲人でさえ空気読んで動いてんのに、オレがこれ以上醜態晒すわけにはいかないだろ。くそっ、あんなハニトラ仕掛けられたことでさえ屈辱だってのに。広将に見られてたとは知らなかった」
片付けの手を動かしながら、侑貴はそう答える。
「大切にしたかったんだ、広将を。ただ、その方法がアイツの望む形じゃないんだろうな。オレはアイツの目にはそんな弱い人間に見えるのだろうか」
「そりゃあ、なんだかんだいってこの部屋に無理やり連れてこられて、他人の部屋の片づけ手伝ってんだもん。押しに弱いとは思ってんじゃないかなあ」
鈴の言葉は嫌味なものだったが、口調は優し気なソレだった。
「オレだってまさかこうなるとは思ってなかったよ。たまたま内田さんと一緒にいたら、たまたま直央たちと会うとか。だいたい、このマンション自体オレの部屋と近いしさ。・・誰かに謀られてるとしか思えねえんだけど?」
侑貴はそう言って立ちあがる。
「いっちゃんのとこに行くの?」
鈴の言葉に、侑貴が一瞬目を伏せる。
「何よ?」
「鈴、オマエってさ・・人を傷つけてる以上に自分が傷ついてる自覚あるわけ?」
「はは・・そんなこと」
「鈴ちゃん・・侑貴!アンタ何を言って・・」
外にゴミを捨てに行って戻ってきたが慌てて声をかける。
「とにかく、さ。侑貴はいっちゃんに余計な事言わないでくれればそれでいいよ。ボクを憎んでくれて構わない。・・たぶん、そうじゃないとボクの神経が持たないんだ」
「っ!」
「鈴!あんた!」
七生が鈴の頬に手を当てる。
「本当は引っぱたく展開なんだけど、本気で惚れてる女にそういことはやっぱできないし、他の人には知られたくないでしょ?アタシが言い出しっぺなのに雰囲気壊したくないもの。だから、後で二人きりになれたらお仕置きしてあげる」
頬を撫でながら、七生は微笑む。
「・・ちゃんといるんじゃねえか、鈴・・オマエにも相手が。涼平も広将も凄く心配してたけどな。オマエこそ広将に迷惑かけんな。それだけは、オレは許せ ねえんだよ」
「うーん、結局惚気られちゃったよね。あんまし、羨ましくもないと思うのはボクの性格の悪さなのかなあ」
そう言って舌を出す鈴の顔を景は複雑な心境で見つめる。
「ねえ、私のしたことは余計なことだった?あの時、私は迷わずに直央くんに電話をさせさんだけど」
『・・もしもし・・え?・・内田さんと侑貴が?や・・それは・・』
「涼平から連絡は受けてたし、その・・いろいろ聞いてもいたし」
そう言いながら景は七生の方をチラリと見る。
「内田景さんですよね。文化祭の時は自分は用があって欠席してたもので、お会いするのは“一応”初めてです」
「・・・」
「ははは、そういうのはやめてよね。直ちゃんが気を使うし、千里さんと亘祐は何も知らないんだ。それとも、どうしてもボクと七生をつき合わせたい?」
「鈴ちゃん!」
「ふふ、手強いわね。さすが、日向の関係者・・っていうかアタシが惚れた子ね。まあ、橘にだいぶ気を使わせちゃったアレはあるし、日向はともかく彼氏さんはほんとイイ人だものね。今の関係を壊したくないってのは、アタシも同感。・・てか、鈴ちゃんゴメン。アタシが我儘すぎた」
「北原・・くん?」
鈴に向かって頭を下げる七生の様子に、景は戸惑う。
「アタシが鈴ちゃんを守りたいって気持ちは、橘や日向より強いって自負はあるのよ。そして困らせたくもないのよねえ、だってアタシがどう動こうと、彼女は自分でどうにかしようとしちゃうんだもの。それじゃ、他の男たちと変わんないのが悔しいのよねえ」
少し顔を赤くしながら七生は鈴にそう告げる。たぶん、その気持ちはとっくに鈴には通じているはずだと思いながら。
「彼氏さんの前で言うのもなんだけど、橘の思惑に乗るのも癪なのよ。自分は今は余裕があるんだって考えが透けて見える気がしてさ。・・それを彼女が望んだとしてもね」
「はあ・・ほんと」
と、鈴は微笑む。心の中で景に手を合わせながら。
(この人に涼平を委ねておいて勝手な事言ってるとは思うけど。そんでもって七生とも出会わせちゃったこと、ボクは生涯土下座し続けなきゃね)
そう思いながらダイニングで哲人と話している涼平をちらりと見やる。なにやら深刻そうな話しているようにも見える。
「橘も日向も、ああいう顔も絵になるイケメンなのに割と天然なのよねえ。そういうとこも理解した上で彼氏さんは橘と交際してるんですよね?」
「ふふ、さっきの物言いだとキミは私のことを以前から知っていて、それは鈴ちゃんも承知してんでしょ。たぶん、3年前の“あのことも”。わざわざあんな風に言うなんて・・・」
『内田景さんですよね。文化祭の時は自分は用があって欠席してたもので、お会いするのは“一応”初めてです』
「けど、涼平のことは全力で守らさせてもらうよ。鈴ちゃんも受け入れているくらいだから、普通じゃないよねキミ。そんでウチに乗り込んでくるくらいだもの」
「や、ボクの周りには変態しかいないみたいに言わないでよ。哲人が究極なだけで、後は普通の個性派なだけよ?」
あはは、と鈴が豪快に笑う。その様子を見て思わず「うっ」と声を発してしまう。
「・・開き直ってるわけじゃないよね?鈴ちゃん」
「鈴て本当にモテるわよねえ」
七生がはーっと大きくため息をつく。
「愛されすぎよ、ライバルと小姑がどっさりな空間て感じよねえ。で、3年前のあれやこれやはシークレット?たぶん、橘は受け入れると思うけど?」
自分的には哲人より涼平の方が度量が大きいと思っている。だからこそ何で鈴が哲人にそこまで固執するのか・・
(知ってはいるけど理解したくないんだよなあ。鈴ちゃん自身が自分の運命を自虐的に受け入れてるとしか思えないんだもの。自分なら助けられると思ったんだけど・・手強いのよね、ほんと)
3年前の二つの事件。そのどちらにも実は七生は関係している。そのことをはっきりと意識している人はいないけど。
(なんていうか、腹の探り合いなのか無駄に気を使ってのか分からないけどね。それが本当に愛情だと思っているのか。そんでもってやってることは死と隣り合わせの行動なんだもの。こっちから見るとバカだとしか思えないんだよな)
なのに、誰かが見守っていないとダメだと思っているから「オレの気持ちも大概なんだよな」と思わず愚痴ってしまい、慌てて辺りを見回す。
「・・・」
「どったの?疲れた?もう、涼平と内田さんが存分に愛しあえるくらいには片付いたから。そんで夕飯もできたらしい。いこ?」
わかっているから、という風に鈴は片目を瞑って微笑む。
「!・・やっぱアタシが惚れた女よねえ、アンタ」
「ふふ、美味しいね。ってか、やっと食べられたよ」
「そんなにお腹空いてたのか、直央は。悪かったな、最近お菓子作りばっかで料理はやってないから段取りが狂っ・・」
「違うって!っとに、もう・・哲人が豚丼を作ってくれたのあんなに喜んだのを何で素直に受け入れてくれないの?」
「っ!」
哲人の顔が赤くなるのを見て、侑貴が顔をしかめる。
「バカップルが何を言ってんだか・・」
「侑貴!」
侑貴の言葉に恋人の広将は慌てる。
「あは、侑貴といっちゃんだってなかなか戻ってこなかったよねえ。ま、いつもの二人に戻ったのならそれはそれで喜ばしいことだけどね」
そう言いながら鈴が侑貴の肩を少し強めに叩く。
「っ、痛いっ!な、何でオレを叩く・・」
「侑貴が一番わかってることでしょ、いっちゃんがものすごく繊細だってこと。‥侑貴への想いやその他全てを含めてね。優しいんだ誰よりも。そういうもんでしょ、本気の恋って。いっちゃんらしくなく焦っちゃったみたいだけど、初恋だからしょうがないよね」
そう言って笑う鈴の頭を、七生がこれも笑顔になりながら静かに撫でる。
「マジそうだよ。つうか、生野ってもっとクールなイメージがあったからさ。あそこまで感情を表すとは思ってなかったわよ。芸能人になってリップサービスとか結構無理してんのかと思ってたけど、案外TPOをわきまえてんのねえ」
「はあ・・っ、オレは別に・・。た、ただ嫌な思いさせて、ほんとゴメン!確かに、その焦ってて。だってオレは地味なままなのに、 侑貴はますます芸能人オーラが増して・・素敵な人になっちゃって。普通にモテちゃってるからその・・」
「ひ、広将!」
「前にも言ったけど、オレけっこう強引に侑貴に交際を迫ったから。それって、あの時の侑貴には必要だったとは思いたいけど、今ならどうなのかなって。オレの存在が希薄になってるから侑貴がハニトラなんかしかけられちゃうのかなって。・・オレがもっと側にいた方がいいのかなとも思ったんだけど、恋愛慣れしてないオレが・・・先日も結局内田さんに任せちゃったし」
生野広将は童顔に近い爽やかフェイスからは想像できないと常々言われる低音ボイスでぐちぐちとぼやく。
「あーあ、侑貴のせいでいっちゃんがスランプになっちゃったらどうすんだよぉ。てか、ボクの大切な友人を泣かせないでよね」
「な、泣いてないだろうがコイツは。それに広将は“オレだけの”大切な存在だ。恋人なんだよ。つうか、広将も後輩の前で醜態晒してんじゃねえよ。イメージが壊れんだろうが」
顔を赤くしながらも困惑気な表情で侑貴は恋人に声をかけ、同時にそっと恋人の高校の1年生二人の方を見る。
「え、えーっと・・」
視線を向けられた後輩二人も困惑した顔をお互いに向き合わせる。
「や、生野先輩が侑貴さんのことがとても好きなのは伝わってきてますから。もちろん侑貴さんの想いも」
「それに、そういうの哲人先輩で慣れてるっていうか。それでも生野先輩はかっこいいと思いますよ。そんなに愛されてて羨ましいなとも思うし」
これは二人の本音だったが、侑貴は複雑そうな顔になる。
「お前らまでオレらとあのバカっぷるが同じだと。直央はともかくとして、哲人はただの変態だぞ。顔も頭もイイのは認めるけど」
「はあ?似てねえし!つか、一宮も三上もオレのことをそんな風に見てたのか!オレがオマエらのことでどれだけ気を使ったと」
「哲人!・・大人げないってば。ほら、みんな反応に困ってるし」
そう言って直央が哲人の手を掴む。
「・・やっぱバカっぷるじゃねえか」
ボソッとそう呟く侑貴の頬を広将がむにっと摘まむ。
「ふぁ?」
「ダメだよ、哲人はともかく直央さんのことをそんな風に言うのは。直央さんはちゃんと哲人のそういうとこも受け入れて・・」
「正直か!」
「いっちゃんて、思慮深い人なのに不意打ちで炎上させるときがあるから怖いんだよねえ」
本気でヤバイと、鈴が大きくため息をつく。
「生野までオレを変態扱いすんのかよ。オレだって直央が初めての恋人なんだ。こんなんでいいのかなって思いながら付き合ってはいるけど、でも直央が優しくしてくれるから」
「正直か!」
「・・似てるよな、哲人先輩たちと生野先輩たちって。二人とも普段はクールなオトコって感じなのに、恋人のことになると可愛い男の人になるんだ。なんかそういうの・・」
ああそうだ、と三上睦月は人知れず息をつく。胸が苦しくなるのを感じる。
(奏も日向先生も普段は・・なのに互いを思う時には今のあの二人みたいな感じだ。つまりは、アレがホントの恋するオトコの顔なんだろうな。オレじゃなく て・・)
そっと奏の方を見る。鈴にからかわれながら言い合いをしている侑貴と哲人の間でオロオロしている彼の姿がとても自分には愛おしいものに感じられる。
(オレは本気で奏が大好きなんだ。けど・・)
『た、ただ嫌な思いさせて、ほんとゴメン!確かに、その焦ってて。だってオレは地味なままなのに、 侑貴はますます芸能人オーラが増して・・素敵な人になっちゃって。普通にモテちゃってるからその・・前にも言ったけど、オレけっこう強引に侑貴に交際を迫ったから。それって、あの時の侑貴には必要だったとは思いたいけど、今ならどうなのかなって』
(生野先輩の気持ちも・・わかるんだ)
『あの人が寂しそうで。だから、あの人に手を差し伸べようと。思いあがってたんだ、オレ。ただの子供なのに。こうやって、ただ泣いて。そして、オマエに迷惑かけるだけの子供なのに』
『勝也さんに名前で呼ばれただけで浮かれて‥勝也さんに頼ってほしいと言ったのに、ガキすぎんだオレ。そんなオレより、身体も心も勝也さんを支配できる相手をそりゃ選ぶよな』
『・・オレとなら 、普通に恋愛できる。そう思わないの?』
(オレは奏にそう言ったけど、オレ自身がそうじゃない。少なくともオレの家族はオレと奏が親しくなったと知ってもそれは親父の会社のためだと思うだろうしな。損得でしか人の感情を量れないやつらだから)
政略結婚で結ばれた両親と兄夫婦を見ているとどうしてもマトモな将来の展望が見いだせなかった。頭がイイのは自覚していたから今の高校に入って将来につなげる算段はしていた。入学した時に奏の顔を見るまでは。
(本気の恋なんてできないと思ってた。少なくとも男女間の想いなんて、オレはもう信じることはできなかった。だからってわけじゃないけど、奏には違うものを感じれた。本当は自分がゲイだなんて思ってないけど。奏には本気になれるんだ。・・本気だからこそ、自分の手で幸せにしたい。けどそれは・・ただのオレの欲望になっちゃうかな、このままだと)
「馬鹿ねえ、そこからどう巻き返していけばいいか考えて足掻いてそれでも想いを深くしていくのが恋ってもんでしょ。少なくとも日向や生野は努力してるわよ?アタシが見てる限りじゃ“普通だったら”お似合いのカップルなのよねえ。・・日向が壁?」
「っ!・・」
北原七生の言葉に一瞬同意しそうになったのが、最後の言葉に「?」となる。
「北原・・先輩、はどこまで何を知っていらっしゃるのです?鈴先輩は貴方に何を・・」
「?・・彼女は“キミのことは”何も言ってないよ」
「!・・」
自分はいったい何なのだろうと、睦月は苦笑する。いや、理解したくないだけなのだろうと七生の顔を真っ直ぐに見つめる。
「確かに、奏が哲人先輩に特別な感情を抱いていることは知ってる人も多いです。それが好意なのか否なのかは半々らしいですけど。つまり、さっきの先輩の言葉は“日向一族”ということですよね。・・残酷だって言いたいけど、多分貴方も同じ思いをしている。そうですよね、北原先輩」
頷いてはほしくない、というのが本音だった。
「・・奏は直央さんのお母さんとも旧知の間柄だそうです。つまり・・」
「直ちゃんのお父さんは日向の関係者だからね。それ以上のことはボクでもわからない。おそらくお母さんも知らないだろう。だから、そのことで直ちゃんや一宮くんに詮索するのはやめてよね」
「り、鈴先輩!」
突然聞こ えたその声と内容に睦月は驚く。
「貴女はいったい・・」
「一番、日向に囚われているのが鈴だと、アタシは思っているのだけどね」
「っ!」
七生のその声はとても冷たく、そして悲し気なものだった。鈴は肩をすくめる。
「やーっと呼び捨てにしてくれたのは嬉しいんだけど、あまり三上くんを惑わせないでよね。哲人が自分の後継者にって思ってるんだから、彼」
「・・・へっ?」
「日向はかなり迷ってたみたいなのに、アンタが先にそれを本人に言っちゃっていいわけ?」
七生も困惑気な表情になる。
「いいんだよ、本気で切羽詰まってる事案なんだし。涼平も言えないみたいだし、ボクが言うしかないでしょ。それに・・」
と、鈴が睦月に向かって微笑む。
「はい?」
「哲人のバカが変な勘違いをしているみたいだしね。キミからしたら余計なお世話なんでしょ?・・哲人は自分みたいにはなってほしくはないんだろうけどさ」
「は?どういう意・・」
「そんで出来上がったのがあのバカップルなんだよ。どこでどう間違ったのか」
わざとらしく大きくため息をつきながら、鈴はカップルたちに顔を向ける。
「えっ?」
「あの中でもキミはマトモだと。だって・・キミはちゃんと真っ直ぐに一宮くんを見ているからね」
「はあっ?」
「だって、ほんとは分かっているんでしょ?どうすべきか。好きな人がどういう幸せを得るのが正解なのか」
「っ!鈴・・先輩・・どうして・・なんで・・」
慌てて睦月は奏の方を見る。
「貴女は・・だから・・」
「本当はあのオリエンテーションの時に哲人にちょっかいかける前から、ボクは一宮くんも・・キミも調べていたんだ。もちろん哲人は知らないことだけどね。だから、哲人は本当にキミが生徒会役員に相応しいと思っているんだ」
「せ、生徒会!?」
思いがけない鈴の言葉に睦月は戸惑うが、鈴は意に介さないといった感じで言葉を続ける。
「一人断られちゃってねえ。二年生には正直他にいい人材がいないんだよ。どうしたって今の生徒会と比べられちゃうからね。だからこそ、哲人が選んだ新しい生徒会役員たちはそれこそボクたち以上の素材なわけだけど」
「素材?・・って」
その言葉のチョイスが鈴らしいと七生はくすっと笑うが、睦月は複雑そうな表情になる。
「あは、そういう真面目なとこが必要なのよ。哲人が選んだっていうプレッシャーと嫉みを跳ね返せるバイタリティと誠実さと上昇志向が、ね。ちゃんと哲人はキミを見てるの。けど、恋愛に関しちゃほら・・哲人はヘタレだから」
まだ生野の方が堂々と口説いていたと鈴は笑う。
「哲人にとって・・これは哲人本人にも言ったことがあるんだけど、直ちゃんは諸刃の剣なのね。その理由はいろいろあって、多分哲人も直ちゃんも深くは考えないようにしているんだと思うけどね。それでも、離れられない二人ならボクらは守るしかないんだけど、一応そういうしがらみが無く、それでいて学業との両立ができる人材って限られてくるじゃない」
「・・それって、オレに言っていいことなんですか?いろいろ爆弾発言な気もしますけど。てか、オレは・・」
鈴の言葉に睦月の表情は曇る。鈴の言わんとしていることは何となくは分かる。そして哲人が考えていることも。
「オレがその・・奏と・・」
「仲は良いしそれなりにいろいろあったみたい、だけど恋人じゃないんでしょ?何かのきっかけで彼は変わるかもしれない、けどそれは多分自分が求める彼じゃない。・・そう思ってるんじゃない?」
「っ!」
睦月の表情は驚愕のソレになる。
「な、なんで!鈴先輩は・・貴女はもしかして・・」
まさかと思う。
(だって、鈴先輩は日向の人間だから。日向先生と、そして奏の関係のことを知ってたって)
「・・ボクが求めるのはあくまで哲人の想いを叶えてくれる人間だ。それ以外は必要ないんだよ。それ以外の感情は・・。だからキミの危惧しているようなことは無いと思ってくれていい」
「!・・っ・・て」
やはり気づいていたのかと身構える。
「うーん、そういう反応も困るんだけど」
と、鈴は頭を掻く。そして笑いながら言葉を続ける。
「簡単に言ってしまえば、キミと一宮くんが仲が悪くなっちゃうのは哲人的にね、嫌なんだよ。あ、哲人がボクに代弁を頼んだわけじゃないからね。ま、分かっているだろうけど」
「鈴、三上くんを虐めすぎやしてない?彼は真剣に恋愛をしているのに。それは、鈴なら一番理解わかることだと思うけど?」
見かねたように七生が口を挟む。
「ふふ、七生はほんと優しいね。でも、誰かが背中を押さないとダメってことあるでしょ。・・涼平がボクにしてくれたように」
「いいカップルだねえ。ふふ・・だから哲人に近づけたのだけれど、七生は怒ってるね。あ、侑貴もか」
「鈴ちゃん・・・ほんと病んでるわねえ。だからアタシがアンタの側にいるわけだけど?」
苦笑しながらも、七生は鈴の髪を撫でる。
「アタシとアンタがこうやってれば日向も橘も生野も安心するわけでしょ?・・そして、そこのギタリストさんも」
「・・どうして鈴がアンタみたいな奴と付き合っているのか理解できねえけどな。哲人が最高の男なんだろ?アイツは確かに天然バカだけど、筋は通すヤツだぜ?だからオレだって広将がアホみたいに『哲人が、哲人が』っていうのを許容してたんだ」
「・・・」
憮然とした表情の侑貴に七生は冷ややかな視線を送る。
「侑貴。キミは余計なことを考えなくていいんだよ。過去は振り返らず、素直に前だけ見てればいい。侑貴といっちゃんが創る音楽は本物だよ。ファンがそれをちゃんと教えてくれたろ?」
鈴の表情が少し歪んでいるのを確認して、七生は静かに声を発する。
「ふるーるの音楽はアタシも本当に好き・・だったよ。生野はアンタのいいパートナーになる。だってアンタは愛されているんだもの。“全てを受け入れた”生野に」
「!」
To Be Continued
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