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第59話
(直央・・ダメだって・・あいつの言うことを聞いちゃ・・俺が・・俺がちゃんと守る・・)
「直央・・・直央!」
(あ・・れ・・)
目の前が明るくなる。自分の声で自分が飛び起きたことも瞬時に理解する。そして、あることに気づく。
「直央!直央はどこに行った!?直央!」
「あ、起きた?ごめんねえ、帰るの遅くなったのに連絡しなくて。上がりがけに何か急に忙しくなっちゃってさ。あ、鈴ち・・」
「よかった、無事で」
「へ?」
やっと起きた日向哲人のその言葉に恋人の財前直央は困惑の表情を向ける。
「無事って・・なんかあったの?哲人、また襲われたの?」
「へっ?何で?」
「何でって・・」
直央は困惑の表情を深める。
「だって哲人は何度も襲われているじゃない。殺されそうになっているじゃない。そんでもって疲れてるのもわかってるから、俺が帰ってきたとき哲人が寝てても不審には思わなかったけど、さっきのセリフを聞いちゃったらさ」
と直央が顔を近づけてくる。
「!・・」
「心配になるじゃない」
「俺・・なんか変なこと言った?」
直央の表情と言葉に今度は哲人が困惑する。
「俺・・は」
「俺の帰りが遅かったってのもあるだろうけど、俺の無事を大仰に確認してたじゃん。だから哲人自身に何かあったのかなって」
直央は哲人の顔を心配そうにのぞき込む。
「ごめんね、ちゃんと連絡しないで。や、一応帰るときには電話したんだけど・・」
そう言いながら直央は自分の携帯を取り出す。
「違う、俺がただ悪かっただけ。そんで・・変な夢を見た。合っているのかわからないけど、多分8年前のあの事件の記憶だと思う」
「!」
「直央を守りたいのに、俺。けれど、力不足なんだ。“アイツ”から直央を守れなくて・・」
「哲人!?」
「不安に・・なってしまう。直央が好きすぎて・・」
どうしてしまったのだろうと哲人は頭を抱える。自分のこの姿が余計に相手を悩ませてしまうこともわかっているのに。
「それでも」
と、直央は微笑む。
「な・・お・・」
「8年前のあの時も 、そして今も俺は哲人のことが好きなんだよ。そりゃあ俺もあの時のことを全て思い出したわけじゃないけど、でも徐々に取り返していこうよ、過去を。哲人が安心して寝られるように。だって俺も鈴ちゃんも千里たちもいたんだよ、あそこに。仲間がいっぱいじゃん!」
そう言って直央は哲人の頭を撫でる。
「っ!」
普段とは雰囲気が違う恋人の様子に困惑していると、直央は「てへ」と舌を出す。
「ちょっと年上ぶってみました。なんか、こうやったら哲人が安心できるかなって」
「・・・ごめん。10歳のあの時よりか強くなったつもりでいたんだけどな。だから日向も離れられたって思ってたのに、鈴や涼平に守られて・・俺ってかっこ悪いなって」
挙句に自分の都合でずっと許さなかった恋人のバイトの時間が伸びたからといらいらした挙句に嫌な夢を見てその恋人に心配をかけた。
「いいってば!俺ね、俺ね・・・哲人が俺に自然な表情見せてくれるから安心するの。鈴ちゃんも亘祐くんも涼平くんもね、本気で哲人が好きだから。だから哲人を・・“哲人の側にいる幸せ”を離したくないんだよ」
いつのまにか直央の表情は真剣なソレになっていた。
「だから哲人は凄いの。けど俺ね、哲人がネガティブになるのは鈴ちゃんたちの想いを踏みにじってるのと同じことだと思うの。だって彼らはいつも真剣だもん。俺も真剣に哲人を愛してる。哲人の人生に深く関わりたいって願ってる。だから・・哲人の奥さんになろうって」
直央の顔がさっと赤くなる。
「だ、だって男だもん。でも哲人となら・・奥さんて呼ばれてもいいなって」
「うん、直央は俺の可愛い奥さんだよ。時としてものすごくイケメンになることもあるけど、やっぱ奥さん。奥さんだか・・ら・・その・・抱きしめていい?」
「へっ?」
急にそう言われて直央は戸惑う。
「い、今?」
「・・ダメ?」
「っ!」
哲人に下から顔を覗き込まれて更に顔が赤くなる。
「ちょっ・・何でそんな・・」
「?」
普段はクールに振舞っている哲人だが、時として無意識に可愛い言動を見せることがある。
(鈴ちゃんはソレは俺に対してだけだって言ってたけど、ホントかなあ。だって俺の前ではかっこつけたいって哲人自身が言ってたもの)
「やっぱ俺ってしつこい?」
「はい?」
何でそんなこと聞くの?と直央は首をかしげる。
「生野に今日言われたんだよ。気をつけろって」
「生野くん?鈴ちゃんじゃなくて?」
意外な名前が哲人の口から出てきて直央は驚く。生野広将は哲人の同級生で同じように同性の恋人がいる。が、ノンケの基本的に真面目な少年だ。が、8年前からの事情は直央たちと似たところがある。
「今さらなんだけどつい愚痴っちゃったんだ。その・・直央がバイトに行って俺が一人になることに」
「えっ?」
「ごめん!」
『まあ・・不安だし相手が好きすぎて・・つい先走って余計なことしちゃうっての俺も経験あるから分かってる。けど哲人は直央さんと違う大学いくって自分で決めたんだろ?そこんとこは俺とは違う。俺はそんなことすら我慢できなかった。仕事を理由にして、進学しないことを決めたんだ。うちの学校の進学成績に泥を塗ることも分かってて』
『だから余計に焦っちゃった。哲人たちにも迷惑かけた、何より侑貴を・・傷つけた。』
『直央さんは鈴にも信頼されているくらいに大人だけど、だからこそ哲人のその・・弱いとこも全力で受け止めちゃうと思う。それも恋人の・・変な話役目なんだろうけど、あの人は優しすぎるから・・』
「生野くんがそんなことを?そっか・・彼には俺たちのことがそんな風に見えてたんだ」
なるほど、と直央は大きくうなづく。その様子を見て哲人がおずおずと尋ねる。
「どう・・思う?俺は改めてそう言われて殴られた気分になったよ。納得もしてるんだけどね。けど、直央のこともそう言われたら気にはなる」
「そ、哲人のそういうとこも全力で受け止めるのが俺の役目。生野くんは侑貴さんみたいな繊細な人をちゃんと包み込んであげられる素敵な男性だもの。その彼を認めてメジャーデビューのきっかけを作ったのが哲人と鈴ちゃんじゃない。鈴ちゃんはもちろん哲人も凄い人なんだよ。オレ、哲人にベタ惚れだもん」
そう言いながら直央は哲人の両頬に手を伸ばす。
「!」
「“分かってるから”俺は。そんで俺に足りないところが鈴ちゃんも‥哲人も分かってくれてんの分かってるだろうって甘えもあんの。じゃなかったら、俺みたいに“天然おっちょこい”で“甘えん坊”で“わがまま”な男が・・ノンケの哲人と深く付き合えないよ」
後でこのセリフを鈴が採点して『だから直ちゃんの前で哲人は結局は・・ヘタレになっちゃうんだよ』と言ったが、この時の直央はそんな気持ちはもちろん無い。
「普通だったら俺が必死に自分に哲人を繋ぎとめようと努力・・これでもしているんだけどね。だって哲人カッコイイし・・」
「直央は言ってくれたもんな、あの時」
『言ったじゃん、大好きだって。別に、セックスのためのリップサービスじゃないぜ。ただ、カッコイイってのは本当は最初に出会った時から思ってた。千里のことがなければ、最初から好きになってたと思う』
「ふふ。千里には悪いけど、亘祐くんより哲人の方に先に目がいった。正直悪印象なとこもあったけどね、柄悪かったもん」
あはは、と笑いながら直央は哲人の唇に口づける。
「っ!・・印象・・悪かったの?そんなに」
「そ、そうじゃなくて!」
直央の言葉にショックを受けた哲人の様子に、直央は慌てて手を横に振る。
「その・・冷たいなってのは思った。というか、ゲイを憎んでるなってのははっきりと。けど、態度とかは年齢の割にしっかりはっきりしているからさ。俺みたいのは絶対嫌いなタイプだと思った」
『何サムイこと言ってんですか。オトコがオトコを好きになるなんて・・その素肌に触れたいと思うなんて・・オレは嫌ですよ』
「俺って基本的に甘えんぼだし、誰かに触れてないと寂しいって思っちゃうし。けど、哲人はそういうのも受け入れてくれたじゃない。最初から哲人は優しくて・・好きにならないでいるなんて無理だった」
「直央・・っ」
直央の唇は哲人のソレにくっついている。
「っぅ・・な・・」
「好きなの。俺の方が絶対・・・絶対!・・好きなの」
「なおひ・・ろ、ど う・・」
「ねえ、哲人・・俺、いい奥さんになるから・・だから抱きしめて、ねっ」
そう言いながら直央は再び哲人に唇を合わせる。
「あ、あたりま・・っ」
戸惑う哲人の口の中に舌が侵入してくる。いつもの感触。けれど・・
(直央・・どし・・や、いつもより激しい・・。や、なんか凄く・・)
痛いほどに舌が舌で愛撫される。が、感じてしまうのも事実で
「っ・・ふ・・・んん」
「好き・・哲人が好き・・」
「あっ・・あん・・・。そんなに早く舐められたら・・もうじんじんしちゃ・・って。凄く・・やあっ、噛んじゃだ・・め」
「だって、直央が可愛いから・・うん、可愛くて・・俺、幸せ」
そう言いながら指でも直央の胸の頂を刺激する。いつもより相手の反応が過激なことに若干の違和感を抱きながら。
「そ、そんなに舐めて・・ひゃあ・・・あ・・・あん。う・・ん、そんなにそこばっか触られ・・ひ、ひどいの・・っ」
「ふ・・」
少し恨めし気な恋人のその表情を見て哲人はなぜか笑いたくなった。
(不思議・・だよな。自分の欲望と相手の気持ち。こんなにリンクしたのって初めてっていうか。そりゃあ鈴も亘祐も、涼平も・・俺を守ってくれてた・・けど。やっぱ直央じゃないとダメなんだ。これは逃げじゃ・・ない。だって直央は・・)
「ふふ・・直央は特別だから・・や、違うな。当たり前なんだ。俺が想いをぶつけたいのはどうしたって・・」
ゲイを嫌悪して“いた”のも事実。そしてそれは今でも変わらない。親友で幼馴染の佐伯亘祐が男性と付き合うことになったときも素直に受け入れることはできなかった。
「違うんだ、勝也さんに凄く憧れてはいたけど・・」
ほぼ赤ん坊のころから一番身近にいた8歳年上のその男性は、彼が高校生になったころから自分と距離を置きだしたように思う。その理由は今でも分からないが。
「直央しかダメなんだ。俺が・・俺でいられるのは。だから・・」
だから執着する。思えば自分の何かが変わったのはあのころかもしれない。
(そして8年前のアレがあって・・けれどはっきりとは覚えてなくて。その後3年前のアレがあって。それでも今直央のことがこんなに好きで好きで好きで・・たまらないってことはやっぱ“特別”ってことだよな。だって・・どうしたって許せる代物じゃないものゲイ・・なんて)
3年前の“あの事件”は哲人の・・そして涼平の心にも大きな傷を落とした・・はずだった。
(なのに、涼平は内田さんを・・まあどう見ても美人な人だけど、けど年上で女装好きで。涼平が本気で恋する相手がああだとは思わなかった。つまり・・)
「わかってる・・んだ。生野の言うこともわかってるんだ、けど触れずにはいられない。こんなに不器用だとは・・思わなかったんだけど。直央の外見もそうだけど、中も・・好きで・・好き・・で」
「す、好きにしていいから・・っ。触って・・ぐりぐりして・・いいのっ!気持ち・・いいの」
「あ・・っ」
いつの間にか自分の右手は直央の双丘の狭間に添えられ指が中に入っていた。
「何で・・ 哲人はそんなに上手なのぉ。あっあっあ・・」
直央の先走りが溢れる。
「わかんないよ、そんなの。直央としかセックスなんてしたことないもの。鈴以外の女の子に触れたこともないし」
哲人はもちろんノンケで女性に興味がなかったわけでもない。が、いかんせん身近にいた女性たちが強烈すぎたため、高校生になってからはその手の雑誌なども見ることもなかった。
「でも、直央が俺で感じてくれてよかった。直央の“コレ”も舐めていい?」
そう言って直ぐに咥える。自分のですらほとんど触ったこともなかったのに、なぜ他人の性器を口に平気で入れられるのかと不思議に思いながら。
「あ・・あん、もっと強くして・・いいから」
「ん・・」
お望みならとばかりに恋人のソレの先端を舌で転がすように舐めながら強く吸う。
(ん、けっこう大変・・でも直央が喜ぶし、俺も・・)
自分の奥底で欲望がうごめいているのが分かる。
『哲人ってほんと変態だよねえ。堂々と一緒に暮らせるようになったら、ずっと直ちゃんを裸にして繋がってたいと思ってるんでしょう?・・直ちゃんの・・ナニを哲人はいつも見ているの?』
「だって直央が俺で満足してくれるから。触って挿れて・・隅々まで感じたくて・・だって・・ああ」
我慢できずに勃立した自分のソレを直央に突き刺し、そして埋める。既に恋人のソレは奥までぐちゅぐちゅになっていたから。
「やあ・・ん。奥・・のソコ・・感じるのっ。擦って・・凄く疼いちゃってるの、我慢できないのっ!」
悲鳴のような声をあげて、直央は腰をくねらす。
「そんなに俺のコレで突かれたい?ん・・でも」
そう言って哲人は腰を強く引こうとする。
「やあ・・ん、哲人の意地悪ぅ。離れちゃいやなんだからぁ」
「っ!‥直央?」
思いのほか強い力で抱きしめられ、哲人は動きを止める。出し入れをする、というプレイはこれまでも何度かしていたし、直央も普通に感じていた・・はずだ。
「直央・・」
ともかくもと、そのまま哲人は腰を動かす。そうやってても自分も気持ちいいし、直央の口からは常に喘ぎ声が漏れる。
「あっあっあっ・・やあ。いい!あんあん・・」
「直央・・直央、直央!」
戸惑いながらも自分も動きを止められないでいる。
(なんで・・こんなに気持ちいいんだよ。ゲイなんてほんと気持ちの悪いヤツばっかだった・・はずなのに)
憎んで憎んで。鈴が止めなければ自分が相手を殺していたはずだと思う。
(直央はこんなに可愛い顔してるから、絶対他のヤツに狙われてるだろうし。だからほんとはあんなイケメンで訳アリの人たちの店なんかでバイトさせたくなかったんだけど、鈴が・・)
『何言ってんの。あそこほど安全な場所はないでしょうが。店員の身元はどこよりもしっかりしてるし、変な客がいても全力で守ってくれるよ?哲人が危惧するとおり、直ちゃんは狙われやすい人だからね、いろんな意味で』
『ていうか、何で今さら嫉妬すんのよ。直ちゃんにあんなに愛されてるくせに。だいたい、直ちゃんと違う大学にいく決心したんでしょ。4年間も今みたいな気持ちを持ち続けるわけ?そんなに自分に自信がないの?』
(し、知るか!くそっ・・・)
なーんでボクも直ちゃんもこんなヘタレのために人生かけてんだろう、などとブツブツ言い始めた鈴を尻目に、哲人は哲人で頭を抱えていた・・
(なんでこうなった?や、8年前からのアレが原因の一つでもあるんだろうけど、でもそういうの何もかんもすっとばして・・直央が可愛い。何で男の胸にこんなにときめくわけ?)
「あっあっ・・乳首感じすぎちゃうから・・ダメぇ・・」
舐めずにはいられない。自分にも同じモノがあるのに、恋人のソレはとても特別な果実に感じられる。
「直央の顔赤いの、美人すぎて・・もう・・」
口がさない親戚に鈴との関係を揶揄されたときにすら鈴を異性とは意識しなかった。や、女の子とは思ってはいたが、小学生の時から他の女子とは発育状況が違っていたことを幼馴染として意識せざるをえなかったことを、他の同級生にも指摘されていたのに、自分にとって鈴は鈴でしかなかった。裏を返せば、それは彼女がある意味特別なのではなく側にいて当たり前の存在なのだということだったのだが。大事にはしていたし、愛してもいたのだから。
(でも、簡単に・・や、それなりには悩んだけどすんなり婚約も解消して。本当に誰とも付き合う気なんかなかったのに、直央とも直ぐに別れるはず・・と思っていたのに。
「どうしたって離れられるはずがない。何で直央のコレはこんなに‥甘いの?」
「し、知らない!自分じゃ舐めたことないもの 。触った人だって・・哲人だけだもの。比べられないし、そんな気もない。哲人のその舌が・・俺には凄くその・・魔物なの。感じすぎて・・もう」
気づけば哲人の胸もドロドロに濡れていた。
「イッちゃった?」
「う、うん・・ごめんね。哲人はまだだよね。あ、あんまり気持ちよすぎて、中もコッチも・・。ご、ごめん」
荒い息をつきながらも、直央は泣きそうな表情になる。
「今日の俺、なんか変なの。すごくその・・」
「感じてくれたんだろ?・・そうじゃなきゃ、困る」
そう言うなり、哲人は恋人を強く抱きしめる。その前に、そっと自分のソレを抜いていたけど。
「え?」
「だって・・」
と、哲人は顔を赤らめる。
「・・や、やっぱお願いしていい?」
「え?え っと・・ヌイてほしいってこと?あ、当たり前じゃん!んなの。や、やっぱ咥えた方がいいよね?」
「へ?ばっ・・」
まだ雄々しく勃立したままの自分のソレを口に挿れようとしている直央を慌てて制す。
「そ、そんなことさせたいわけじゃないから!てか、せめてちゃんと拭いてから。・・じゃなくて」
ともかくもと、相手の身体を起こす。
「何してんのよ。哲人もそのままじゃ辛いでしょ。俺もそんなにフェラは上手じゃないし・・それに哲人のソレって・・」
凄く大きいから・・直央は呟く。
「で、でも!俺、頑張るから!」
「何で今日に限ってそういうノリなんだよ」
「え?」
哲人が困ったような表情になったのを見て、直央は首をかしげる。
「だって、お願いしていい?って。そういうことなんでしょ?ま、満足させて・・みせるから」
そう言いながら、直央は再び顔を近づける。
「だ、だから!そんなに見つめられると流石に照れる・・・・そうじゃなくて先に風呂場に行ってくれると助かるっていうか」
「はい?」
思いがけないことを言われ、直央はきょとんとなる。
(か、可愛い!何でこの人はいちいち可愛いんだって。そんで俺もいちいちときめいて。り、理性が・・や、ダメだ!ここで抑えな・・少なくとも恥ずかしいとこ見せたくない。今更だけど・・)
なんだかんだと収まる気配のない自分のソレを情けない思いで見ながら、哲人は言葉を選ぼうとする。
「あ、あのさ。その・・またその・・襲っちゃいそうだから、貴方を」
「へ? 」
恋人なのに何で?と直央が首をかしげる。
「だ、だから!貴方のそういうとこが俺から理性を奪うんだって!や、文句があるとかじゃなくて、むしろ俺が情けなくて」
「哲人・・つまりどゆこと?俺がここにいない方がいいってこと?哲人に辛い思いさせてんの?ごめ・・ん」
思いがけず涙が出てきて慌てる。
「あ、ご・・めん。哲人を気持ちよくもさせてあげれないのに、余計なこ・・と・・ううっ」
「ち、違うんだってば!ああ、もう・・」
なんでこうなってしまうのだと情けなさを倍増させながら、恋人を抱きしめようとしてその手を止める。
「っ!」
「てつ・・ひと」
「あ、誤解しないで。今抱きしめたらその・・」
「ううっ・・や・・」
哲人のその様子に直央は体を震わす。
「ごめ・・ん。シャワー浴びてくるから」
「や、直央・・だ・・ち、違うんだって!」
「!」
たまらず発した哲人の大声に、直央はぴくっと身体を震わせる。
「てつ・・ひと。だって・・俺・・」
「貴方はバイトしてきて疲れてるでしょうが。なのに・・」
哲人の顔が赤くなる。
「?」
「・・だ、だってえ」
またちょこんと首をかしげる恋人のその仕草に辛抱たまらんと、それでも自制心を絞り出して哲人はそっと相手の腕に触れる。
「へっ?」
「誤解しないでってば。その・・ちゃんと労わろうって思ってたのに、結局欲望をぶつけちゃっただけなのが自分でも情けなくて。ていうか、恥ずかしくてその‥自分がこんなに性欲を抑えられない・・もちろん貴方に対してだけだけど、人間だってのを貴方に意識されるのが嫌だったってだけで」
「!・・」
「や、いまさら何を言ってるだろうって思うだろうけどさ。今夜はとにかく自分がいつも以上に変ていうかヤバイって自覚したんだ。これ以上は絶対に貴方を傷つけると思ったから、貴方を俺から離してその隙に・・その‥自分でその・・」
「自分で・・何?さっきより顔が赤いけど大丈夫なの?哲人こそお風呂で体を温めたほうがいいんじゃ」
「っ!」
その言葉に、哲人の表情は困惑気なそれになる。が、直央が本気で自分を心配しているのも分かっている。
「・・何で貴方みたいな人が俺を好きになってくれたんだろうな」
「はい?」
「はああ・・っ、できたらこういうとこ見せたくないん だけどな。できれば顔をそらしてくれると助かる。ぶっちゃけ恥ずかしい・・」
「だ、だから!」
たまりかねたように直央が叫ぶ。
「哲人は俺に何を望んでいるの?哲人から顔をそらせるわけないじゃん。ずっと哲人を見ていたいのに・・。でも、今の哲人の気持ち、全然分からないんだ。ごめん・・ごめん!」
「や、俺はただその・・オナ・・」
「は?」
「や、だから貴方がお風呂に行っている間に、俺のコレを処理しようと・・。あ、別に貴方をオカズにしてするわけじゃ・・って他にそんなアテもないから安心し・・」
「哲人・・落ち着いてよ。別に俺が汚れるとかじゃないんだから、つか、何でそんなこと考える必要があるんだよ。俺がフェラするって言ったじゃん、確かに下手くそ だけど哲人にそんな気を使われるのも嫌だよ」
怒ってるとかじゃないよ、と言いながらまだその形を保っている哲人のソレにそっと触れる。
「あっ・・や、何を・・」
「これからもこういうことあるかもしれないでしょ。ずっと一緒に生きてくんだから。そして恋人なんだから、俺が哲人の性なことをあれこれするのは当たり前だろ?んで、俺の気持ちはちゃんとい言うよ。変な遠慮もしない。哲人もそれは守って」
直央はそうきっぱりと言うと、おもむろに触れていた哲人のソレを自分の口に含む。
「あっ・・や・・なおひ・・ろ、何・・」
哲人は慌てて腰を引こうとするか、すぐに自分を襲ってきた快感に動きが止まってしまう。代わりに声が出る。
「や・・あっ。な・・」
恋 人に滅多にフェラなぞさせたことのない哲人は、思いがけない感覚に戸惑いながらも声だけは素直に上がる、
「な・・お・・そんなに・・やあ、そこイイ・・で、でもダメ。直人はそんなこと・・」
が、直央は行為をやめない。哲人のソレはみるみるうちにヌレヌレになっていく。
「や・・やめ・・貴方にそんな・・ことさせた・・だ、だからそこ舐められたら・・弱いんだってば。だから・・貴方が・・ああっ!なんで・・そんな・・」
「哲人・・まだ怒ってる?」
「怒ってないよ。つうか最初からそんなつもりもないし。・・ただ」
そう言って哲人は突然直央にお湯をかける。
「ぶわっ!な、何・・す・・やっぱ怒ってんじゃんかあ。ご、ごめんて」
「だから・・謝らなくていいって。怒ったんじゃなくてその・・照れてるだけだから」
「・・はい?」
直央は急いで顔に垂れたシャンプーの泡を洗い落としながら聞き返す。
「何でいまさら哲人が俺に対して照れるの?」
「へっ?は・・だって照れるもの、でもごもっとも」
湯船の中で肩を落とす。落としすぎて口にお湯が入る。
「ブクブク・・ってやば・・っ」
「哲人こそ疲れてんじゃん、寝る前に少しでもお腹に入れてゆっくり休んでね」
「ほとんど・・」
「ん?」
「や・・」
勉強なんか進まなかったと言おうとしてようやくのことで思いとどまる。
「ちゃんと食べる。直央と一緒に。でも寝るのは別」
「・・ったりまえじゃん。明日の朝食の準備もしておくから、ちゃんと食べてよ。俺はたぶん朝寝坊するから。ちょっと今日はは夜更かしする予定。レポート進めないとやばいんだ」
「・・・」
ごめんね、と謝る直央のまだ泡が残っている頭を、哲人はわしっと掴む。
「!」
「・・貴方の頭、俺が洗うから」
「はい?」
「貴方が俺をスッキリさせてくれたから、そのお礼・・ってのは変?」
我ながら馬鹿なことを言ってるとおもいながらも、哲人は相手の髪を触ることを止めない。
「ごめん、こんなセリフは貴方に対して失礼だとも分かってるんだけど。・・くそっ、今日の俺・・本当にダメだ」
覚悟はしていたはずなのに、と思わず呟いてしまい慌てて手で口を押える。
「・・うげっ!ぷぁ・・っ、ぺっぺっ・・しゃ、シャンプーが口に入った・・」
「ふふ、哲人って面白いね、やっぱ。髪は自分で洗うから、ゆっくりお湯に浸かってなよ」
くくっと笑いながら、自分の手を伸ばしてシャワーを掴み哲人の手にお湯をかける。
「あ、ありがと・・って、俺が面白い・・って言った?今」
「言ったよ」
それがどうかした?と直央が答えるのを受けて、哲人はもう一度同じ質問をしてみることにした。
「俺がその・・面白いって・・その・・本当に?」
「ん?や、ちょっと待って」
えっ?と いう顔になった直央は急いでシャワーのお湯で髪の泡を洗い流す。
「ご、ごめん。んと・・お腹も空いたし、流石に。それにゆっくり話したいから、話は夕飯食べながらでいい?」
「えっとぉ、さっき言ってたことだけど、その・・本当にオレに面白みなんかあるわけ?鈴にも涼平にも言われたことないんだけど?」
出された料理に箸をつけることなく、哲人はそう聞いた。バイトで疲れているはずの恋人を気遣いたい気持ちは心の中に溢れているはずなのに、自分の焦りの気持ちも抑えれそうになかったから。
「どっちかというと、冗談も通じないヤツだって・・」
「それは、哲人が素直すぎるからじゃないの?そんで他人を思いやれる人だから」
「はい?」
「俺は存外我儘な性格だから、昔から。哲人みたいに優しい人じゃなかったら、いくらイケメンだからって付き合えないよ。セックスだけの関係じゃないんだから」
「!」
「哲人は超絶イケメンで超絶優しい人なの。そんで俺を超絶愛してくれる男だもん。けどさ」
と、直央は哲人をじっと見つめる。
「ど、どうし・・」
「・・哲人の競争率って激しいじゃん!涼平くんや鈴ちゃんは哲人に心底惚れてるから命張れるんだし、俺の存在を認めていても一宮くんは哲人への好意を隠そうとしない。俺だって、ずっとヤキモキしているよ。だって二人とも俺よりたぶん・・哲人に近いとこにいるんだもの」
そう言って一瞬直央は目を伏せる。が、すぐに明るく笑った。
「けど“今日も”哲人に抱かれたの俺だもの。哲人をイカせたのも俺。・・俺だもん、哲人の恋人は」
けれど、声は震える。
「哲人は・・ね。恋されちゃうの。恋せずにはいられないの。俺は・・ただ運がよかっただけかもしれない。8年前の記憶がはっきりしないのは・・俺にとって都合の悪いことがあるからかもしれない」
「なっ・・そ・・」
「けど、それでも・・哲人には言わずにいられなかったんだ、あの時」
『好きになったから・・その・・付き合ってもらえたらなって思う。千里と佐伯みたく』
「哲人が俺を自分にとっての“特別”だと思ってもらえるのは、たぶん“日向の都合”が大部分を占めているんだろうってのは常々思ってる、前も言ったことだけど。でも、俺も努力したんだよ、哲人に愛されるよう に」
「!・・」
「誰を見ても哲人以上の人はいないし、俺が好きになれる人も哲人しかいないし。ただ、性急しすぎたかもしれないね。ノンケとゲイのカップルなうえに、お互い不器用だ」
直央はあははと笑う。そして表情を引き締める。自分に決して余裕があるわけじゃないからと言って。
「不安はどうしたって消えない。日本じゃ、どうしたって公式に認めてもらえない関係だから。哲人には鈴ちゃんがいるもの。どういう理由があって別れたにしろ、お互いにまだ好きじゃん。・・・大切に思ってるじゃん」
自分はゲイだけど、哲人はノンケ。そして自分と愛し合うようになるまでは、哲人はある理由もあってゲイを酷く嫌悪していた。
「性急・・すぎたのかもしれないってのは、正直思ってる。ほとんど一緒に住むようになって将来のことも・・。けど、まずは目の前のことから片付けなきゃいけないんだよね。だから、哲人に無理言ってバイトもさせてもらったんだけど・・」
「や・・バイトすんのは本来は当たり前というか。生活費とかお小遣いとか・・普通の大学生は普通にするものだ・・ってのは鈴に言われるまで思いもよらなかった俺が馬鹿なだけで。俺が・・世間知らずっていうか自分勝手というか」
直央の言葉に慌てて答えるが、次第に声は小さくなっていく。
「・・そうなんだよ、俺って馬鹿なんだ。ほんとは分かってなくてそして3年前涼平と鈴を傷つけた。直央に本気で恋したから俺なりに頑張った・・つもりだったんだけど、結局今日みたいなことになっちゃうんだ 」
哲人の顔に苦悶の表情が宿る。
「一番大切にしたい相手なのに、どうしても甘えて傷つけて・・」
「だから、鈴ちゃんとの婚約を解消したの?自分が日向家を出る交換条件として」
「えっ?」
「以前に言ったじゃない。婚約解消は鈴ちゃんのためだったって。鈴ちゃんを守るためだって。それは哲人が命を狙われる一連のソレとは違うことだよね?その優しさが鈴ちゃんを逆に苦しめてる・・とかとも思ってる。そうでしょ?」
「っ!」
哲人が驚愕の表情になる。
「どうし・・」
「それが分からなきゃ哲人の恋人も鈴ちゃんの友人でいる資格も無いよ。俺の立場はそういうものだと思ってる」
そう言いながら直央は哲人に顔を近づける。
「っ!」
「鈴ちゃんは俺にとっ ても大切な存在だよ。大好きだし、そして多分お・・」
と言いかけ、少し顔を伏せる。
「直央?」
「・・ううん、なんでもない。とにかく哲人は気にしすぎ。そんで馬鹿でもない。いつだって俺の欲しい時間と言葉を哲人はくれるじゃない。俺はそれでいいの!哲人を愛してるから。ただ・・さ、無理はしないでほしいんだよ、いろんな意味で」
「無理っていうか・・」
と、哲人は複雑そうな表情になる。
「今日は本当に駄目だったんだ。直央との将来のための受験勉強なのに、全然進まないんだ。自分で一般受験するって決めたのにさ」
はあーっと大きくため息をつく。
「かっこつけ、なんだよなあ。自信が無かったわけじゃないんだ。直央と付き合う前まではT大受けるのはほぼ既定路線 だったし。けど、ほんと最近まで直央と同じ大学とで迷ってたから、父親のこともあって」
直央が通う大学はそれなりに偏差値の高いところだ。そしてその経済学部の教授が哲人の“戸籍上”の父親。
「そうだね、哲人言ってたもんね」
『第一志望は、その・・アナタの大学なんですよ。鈴から聞いてるものだと思ってたんですけど』
『アナタと知り合う前から、決めてはいたんですよ。尊敬している教授があの大学にいるもんで』
「貴方とのこともあって一時は本気で貴方の大学にいこうと進路調査票も出しました。けど、いろいろあっていろいろ考えて・・長い目で見てT大に行った方が将来のためになると思いました。起業するにはそっちの方が、と」
漠然とは考えていたこと。自分が本当の意味で自立するにはどうすればいいのかと。
「って土台はウチの両親になっちゃったんだけどな、結局。こんなに料理が楽しくなるとも思ってなかったもの。直央と出会ってなかったら、料理はただ義務でしかなかったと思う」
「料理が義務?」
「うん」
と、哲人は少し寂しげに微笑む。そこには後悔の念が宿っていた。
「あの店をどうこうしたのだって、あの時の俺の立場としての“義務”だったんだよ。もちろん、オヤジさんには恩もあったけど・・俺も、たぶん鈴も」
「鈴ちゃんも?けど、なん・・や」
直央は問いかけて口をつぐむ。そして哲人の顔色を窺うように見上げてから口を開いた。
「大丈夫だよ。哲人は俺が守るから。もうそんな顔させや しない。もちろん鈴ちゃんに対しても。それは、おそらく俺にしかできないことだから」
「直央、でも・・」
「さっきも言ったけど、哲人は疲れすぎてんだよ。ちゃんと休んで。明日はその‥デートしない?」
「言えなかったな、鈴ちゃんが店に来たってこと。男の人と一緒だったってこと」
恋人の部屋を出て同じマンションのエレベーターに乗りながら、直央は大きくため息をつく。彼の部屋は3階で哲人の部屋は最上階の7階だ。
「鈴ちゃん自身が哲人に言うかもしれないのにね。そしたら、何で言わなかったって哲人は思うかな?‥思うよね。黙ってる理由の方が無いもの」
『大丈夫だよ。哲人は俺が守るから。もうそんな顔させやしない』
(それは本気で思っているんだけど。でも鈴ちゃんのことに関して は。だって普通に考えれば哲人と鈴ちゃんが結婚して・・公的に夫婦になって子供をつくるのが自然だもの。当たり前だけど俺とじゃ子供なんかできないし、養子とか体外受精とかはいろんな意味と事情で考えたくないって言ってたもんなあ)
日本有数の財閥である日向一族の中枢であるはずの哲人のパートナーとして、なぜ男の自分が容認されているのかがずっと疑問だった。命は何度も狙われている。哲人には言っていないけど。
(たぶん、鍵を握っているのは鈴ちゃんなんだ。そんでたぶんそのことを哲人も分かってる。なのに、二人とも答えを出そうとしない」
二人を信じてはいる。おそらく自分の出生のことと、8年前の真実に繋がることであろうということも。
「けど・・だってさあ、二人が日向の中心人物で俺がよくわかんないけど日向の関係者らしくって。でも、母さんだってそのこと知らなくて。俺・・ふわふわな立場なまま流されていくだけっていうか。そりゃあ哲人も鈴ちゃんも本気で大好きだけど」
自分の立場が二人の悩みの種になっているのだろうということも自覚している。もっとも二人からすればそれを踏まえてもいろんな意味で大切な存在なのだけれども。
「俺が踏ん切りをつければいいんだろうな。自分の秘密に。だって哲人の本当の両親のことはちゃんと分かった・・けど、俺の父親のことは日向に関係しているってことしか分からない。もし、がっちり日向の人間なのなら哲人のことがあるんなら母さんにそれなりの反応があるはずなんだけど」
『こんなイケメンを捕まえるなんて、でかした!我が息子!・・って感じだわ』
(俺だって一人息子で。けどいつのまにか男性を好きになるようになって。母さんには悪いなって思ってたのに、ああいう反応だったから正直戸惑ったよ。自分の姉妹や親とは絶縁してたから家族ってもんに飢えてるのかなって思ってたのに)
直央の母親財前灯は若くして著名なイラストレーターとして世間の注目を浴びながら父親の名を話すことなく直央を出産した。
「マスコミが調べても全く男の影が無かったっていうしなあ。けどお腹が大きい写真も見せてもらったし。日向家の関係者ならあり得ない話でもない・・」
哲人との将来のために一度ちゃんと母親と話し合ったほうがいいのかもしれない。直央は少し前からそう考えていた。
「でも、今の哲人にはそんなこと言わない方がいいんだろうな。せめて受験が終わるまでは。けど・・俺がもんもんとしちゃうんだ。何で・・こんなに不安なんだろ。あんなに愛されたのに」
自分がバイトを始めることでこんなに二人の間に不安感が漂うことになるとは思っていなかった、と直央は唇を噛みしめる。
(哲人は分かっていたのかな。だからずっと反対してて・・。バイト自体は楽しいんだけど。・・って)
エレベーターの扉が開き、直央は唖然とする。そこに廊下は無かった。
「なんでエントランス?もう一回ボタン押しちゃった?でも初めて扉開いたよねえ。何で3階じゃないの?」
「何一人でぶつぶつ言ってるんだい?直央くん。とりあえずはエレベーターの前から君が離れないと、他の人が困ってんだけど」
「へっ?」
突然声をかけられ直央は驚く。
(誰だっけ?声はよく聞いてる気はするけど。てかこのマンションで哲人の他に俺の知り合いって・・)
「一人なの?珍しいね。まあ、とにかくこっちに来なよ。ほんと邪魔してんだから、君」
その男性は少し笑いながら直央の手を掴んで引っ張る。
「えっ?あっ・・ご、ごめんなさい!・・っ!」
「・・」
直央の身体が簡単に男性の腕の中に納まったのを横目で見ながら困惑顔のままエレベーターに乗り込んだもう一人の男性は小さな声で呟く。
「僕のことも忘れられてるっぽいな。“僕も”お隣さんなのに」
「と・・マジでどうしたん?けっこう遅い時間なのに一人で出かける気だったの?哲人くんは?」
「へっ・・あの・・」
矢継ぎ早に質問されて直央は戸惑う。
「哲人はその・・」
「もしかして“また”喧嘩したの?や、最近は俺も収録とイベントのリハが重なって帰りが遅いことが多いから、君たちの様子は把握してないんだけど」
「収録?・・って、そろそろ腕を離してほし・・」
「あ、ごめん」
直央の言葉に慌てた様子もなく、男性は静かに自分から直央の身体を離す。
「まあ、こんなとこ哲人くんに見られたら殴られちゃうかな」
「や、哲人は今日はもう疲れてるか・・っ」
「相変わらずラブラブなんだねえ、君たちは。オジサンは羨ましいよ、ほんと」
と、20代前半くらいに見えるその男性はニャッと笑う。
「や、そういうのじゃなくて。つうか、貴方は・・田端さん?・・あれ?」
自分でも驚くほどに唐突に名前が出た。男性はえっ?という表情になる。
「やだな、もしかして気づいてなかった?確かに一か月くらいは会ってなかったし、髪も切ったし痩せてもきたけど」
なんかショック、と呟きながら男性・・田端は直央を見つめる。
「っ!・・や、あの。ご、ごめんなさい!知り合った時から長髪の方を見慣れてたので。そういえば昔は今みたいな髪型でしたよね、ネットで見ました」
「夏までは舞台にも出てたからね。男の娘って設定だったから伸ばしてたんだ。で、それも終わってようやく時間ができたから切ってきたんだけど、そんなに変わったかなあ」
「えっと・・」
「夏のアニメのイベントのときも長髪だったから、明日の客の反応が楽しみだな」
「イベント?・・ていうか」
と、今度は直央が相手を見つめる。
「ん?」
「帰ってきたとこでしょ?田端さん。俺が邪魔しちゃったみたいな感じになっちゃったけど」
「まあ、そうなんだけど・・」
直央の問いにうなづきながらも、田端は思案顔になる。
「直央くんこそどうしたの?哲人くんの部屋にいくのなら一緒してもいいよね。お隣さんなんだし」
「っ!や、俺は・・た」
ただボタンを押し間違えて一階に降りてしまっただけ、と言おうとして思い直す。
(うーん、哲人の隣の部屋に住むこの人に余計なことは 言わない方がいいよなあ。哲人はただでさえこの田端さんにいい印象持ってないし。田端さん自身はいい人なんだけど)
『ふふ、喧嘩するほど仲がいいとはいっても、マンション内で変に思われるのは二人にとってもよくないことだろ?直央くんはこんないい子なのに・・』
『たまたま隣に住んだだけの貴方にとやかく言われる筋合いはありません。直央が最高に素敵で可愛くて優しくて最高な人だってのは誰よりも俺が知ってます、てか俺だけが分かってればいいんです!』
『・・熱いし暑いや、なんか。哲人くんてクールな外見の割に独占欲強いのねえ。てか、この部屋に住んだのは君より俺の方が先なんだけど。・・ってもう聞いてないね、仲直りしたのね』
(この人にまでもう心配かけたくないしなあ。・・コンビニでも行こうかな。確かコーヒーのストックが切れていた)
財布は幸い持っている。今日は本気で徹夜するつもりなので眠気覚ましになるものが必要だ。
「や、コンビニに行こうと。・・田端さんお疲れなのに引き留めてしまって申し訳ありませんでした。じゃ・・」
そう言ってエントランスを出ようとした直央の腕を田端の手が掴んだ。
「!・・田端さん?」
「ちよっと待った。直央くん、そんな薄着で出かける気?風邪ひいちゃうよ、確実に」
「へっ?や、ちゃんと上着は着てて・・」
慌てて自分の身体を見やる。バイトから戻って哲人の部屋に直行したので服装はそのまま・・
「あっ、風呂入ったんだっけ。そんで置いといた服を適当に着て・・っ」
「上着はともかく、その下に着てるのは普通に部屋着だよね?どんだけ慌てて部屋を出てきたのかと思ってたけど・・」
田端は少し微笑んでそっと直央の頭に手を置く。
「はっ?な、何を・・」
相手の思いがけない行動に、直央はつい身体を赤らめる。
(き、距離が近いってば。て、てか普通にイケメン・・さすが役者さん)
最近は声優と紹介されることが多いのだが、田端は直央と同じく元子役だと聞いている。
(口調はこうだし声も柔らかい感じだけど、顔はなんていうかクールな感じなんだよな。哲人とは違うタイプの)
「とにかく落ち着きなよ。コンビニはどうしても行かなきゃいけないの?哲人くんは?足りないものがあるんなら俺の部屋にくる?」
「えっ?あ、あの・・」
頭を撫でられたまま、またも矢継ぎ早に質問され直央は戸惑う。
「ふふ、こういうとこ誰かに見られちゃマズイと思った?まあ、俺もまた君の彼氏に怒鳴られるのは勘弁って思ってるけどね」
「へっ?・・」
「けど、今の君を放っておいたらそれはそれで哲人くんに怒られそうだから、お節介やきたいだけ」
分かる?と耳元で囁かれ、直央はさらに顔を赤くする。
(こ、この顔でその声は凶器!声優卑怯!)
「あ、そういえばずいぶん以前に借りたタッパー返さなきゃね。・・哲人くんに見られたくないなら君の買いにいこうと思ったもの俺が君の部屋に持っていくよ」
「えっ?そ、それは流石に悪いです!タッパーも別にいつでもいい・・っていうか田端さんも明日は忙しいんでしょ?俺に構 ってる場合じゃ・・」
「君が風邪ひいてないかとか考えちゃう方が辛いっての。まあ、年上の言うことは素直に聞きなさいって。これでも君より10歳は上なんだから」
「・・はい?」
と、ウィンクする田端の顔を直央は困惑の表情で見つめる。
「ん?どうしたの?」
「アラサー・・」
「まあ、28だからそうだよね。もしかして知らなかった?ウィキペディアにもちゃんと記載されてるよ。年齢詐称はしてません!」
そう言って田端はえへんと胸をそらす。が、直央は口をあんぐりと開けたままだ。
「もしもーし。あれえ、前にちゃんと自己紹介したと思うんだけどなあ。あ、それから俺も君のこと名前で呼んでるんだから、俺のことも名前で呼んでほしいって前にも言ったと思うんだけど? 」
「嘘・・でしょ。ね、年齢詐欺・・田端さん詐欺」
「だから、年齢は偽ってないってば。ほんと君って面白いよねえ・・てか田端さん、じゃなくて琉生って呼んでって言っただろ」
あっは、と笑いながら田端琉生たばたるいは直央の頭をこづく真似をする。
「ま、声優としては遅咲きだから。声も基本的にはこうだしね。それともやっぱ君は・・」
と、琉生は不意にぐっと顔を近づけてきた。
「っ!」
「やっぱ、哲人くんみたいな低音ボイスが好み?ま、俺が聞いてもゾクッとくるような声だもんねえ。ふふ、お望みとあればオジサン頑張っちゃうよ?」
「お、オジサンて。それに俺は哲人の・・」
「直央!離れろ!」
マンションのエントランスにその声が響く。
(あ、この声・・あの時の・・)
もう一度聞きたいと思った声・・
「っ!」
To Be Continued
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