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第60話

『なんで普段からああいう声で喋んないんだろ。あの声で口説かれたらオレなら絶対・・』 「哲人・・怒って・・」 (どうしよう・・田端さんに迷惑がかかっちゃう。哲人が本気でキレちゃってる)  財前直央の同性の恋人である日向哲人は都内有数の進学校の最近まで生徒会長を務めていた。才色兼備で冷静沈着、というのが親しくはない周りの人間からの評価。が、直央は知っている。 (本気になったら哲人は・・相手に容赦しない。特に俺が原因だと・・」 『言っときますが、オレはアナタを助けるためにここを通ったわけじゃないんです。たまたまなのですけど・・まあ不快なこの男が目についたのでね。・・後は自分で処理してもらえますか』 『・・しょうがないですね。おい!少し・・いやだいぶ身の程をわきまえた方がいいぜ、おっさんよォ。無事でいたいんならな』 『うっせえての。“レイラ”・・わかんだろ?この辺りでゲイでいるんならこの名前をオレが出す意味が』 (もしかしたら 、アレが“本当の哲人”なのかもしれないけど・・。でも、誰かを傷つけさせるわけにはいかないし、なにより・・) 『あの声で口説かれたらオレなら絶対・・』  他の人には聞かれたくない。ぞくっとくるほどに妖しい好きな声。 (や・・だ。この人まで哲人を好きになっちゃったら・・困る・・の) 「駄目!哲人!帰るから・・哲人と一緒に帰るから・・怒っちゃ嫌だ」  必死の思いで直央は自分に近寄っていた田端琉生から離れようとする。 「哲人!」 「直央は、ここでその人・・田端さんだっけ?その人と何をしてたの?」 (え?)  そう問いかけてきた哲人の声はいつもと変わらない。多少緊張感も含まれている気もするけど。 『直央!離れろ!』 (確かにあの声だったはずなのに。な・・んで) 「ほら、直央くん。哲人くんに答えてあげなきゃ。何で君がここに来て、そして俺と何をしようとしていたのか」 「は?・・っ!」  薄く微笑みながら琉生が囁きかけてくる。 「な、たば・・琉生さん、変なこと言わないでください。俺はたまたま貴方と会っただけで・・。た、タッパーのこととか本当に結構なので。・・失礼します。哲人、ごめん・・ちゃんと部屋に戻るから 」 「用事があったから一階まで降りてきたんでしょう?携帯も忘れるほどに急ぎの用事が」 「へっ、携帯?・・あ、俺のスマホ。もしかして哲人はそれを俺に渡すために降りてきたの?」 「ええ」  そこで哲人は一度息をついた。 「・・貴方の部屋に行ったら帰ってきた形跡もなかったから。慌てましたよ、そりゃあ。まさかと思って一階まで来てみたら・・」  そう言いながら哲人は琉生を真っすぐに見据える。直央は慌てて声をかける。 「ち、違うの!琉生さんとは本当に偶然出会って。そんで・・」 「落ち着きなよ、直央くん。哲人くんは案外冷静だよ」 「えっ?」  だって、と琉生はくくっと笑う。 「君でさえなかなか俺だと気づかなかったのに、哲人くんは直ぐに俺って分かったもの」 「あ・・」 (ま、もしかしたら“直央くんのお隣さん”が余計なことを言ったのかもしんないけどね)  “ライバル”が多くて困ると心の中でボヤキながら琉生は言葉を続ける。 「ま、騎士が現れたから俺も安心だよ」 「俺は直央の恋人であり将来の家族です。騎士とか・・そんな軽い関係じゃない」 「えっ?哲人、どういう意味・・」 「つまり・・ふぅ」 と、琉生は小さくため息をつく。 「自分は直央くんをただ守るだけの存在じゃないって言いたいのかな?存外めんどくさい人なのね、君って。まあとにかく、二人ともわりに薄着だから早く部屋に戻った方がいいよ」 「哲人・・ごめん。疲れてんのに迷惑かけ・・」 「いいんだ、貴方が無事ならそれで」 「えっ?」  郵便物のチェックをしてから上がるから、と手を振る琉生をエントランスに残して二人はエレベーターに乗った。 「貴方の部屋まで送るから」 「ん・・ごめん、ほんと」 「どうして ・・」 「ん?」 「どうして、俺はこんな子供なのかな」  哲人が顔を背けながら言う。 「もっと・・余裕を持ちたいのに。ナイトなんて、それこそ無理だ」  哲人がドンと自分の手をエレベーターの壁に打ちつける。 「出会った時から貴方に偉そうに言ってたのに。結局、俺はガキのまんまだ。こんなんじゃ、貴方を他の男に奪われてしまう」 「はあ?」  哲人のその言葉に直央は怪訝な表情になる。 「何を勘ぐってんだよ。田端さんはそういう人じゃないよ。だいたいめっちゃ忙しい人なんだし。明日もイベントだって。つうか芸能人が本気で俺を相手にするわけないじゃん」 「直央だって元子役だろ。こんな言い方アレだけど、お母さんは有名人だし。普段からあの人と普通にしゃべってるじゃないか。さっきだって距離感無かっただろ」 「俺は最初あの人だって分からなかった!」  直央は思わず叫ぶ。そのタイミングでエレベーターのドアが開いた。 「あ・・」 「・・・」  気まずい沈黙が流れる。 「帰るん・・だろ?田端さんにそう言ってたもんな」  その空気を壊すかのように哲人が低い声で聞いてきた。が、直央は首を振らない。 「直央?」 「哲人は直ぐ分かったじゃん、田端さんの名前出したじゃん。俺より、哲人の方があの人を見てるじゃん」 「・・声で分かったんですよ。ついこの間、貴方がドラマCDを聞かせたんでしょうが、あの人が主役のヤツ」 「ドラマCD?・・あ」  直央は思わず手で口を押える。 「ただでさえ毎週聞いてる声ですからね。・・貴方がファンで、ただでさえ近くに住んでるんだから俺が気にしないはずがないでしょう」  そう言った哲人の声はいつもの調子に戻っているように感じられた。直央は小さく息をつく。 「・・哲人は凄いよ。俺なんかあの人に哲人の名前を出されるまで気づかなかったもの」 「俺の・・名前?」 「えっ?や・・あの・・」 『何一人でぶつぶつ言ってるんだい?直央くん。とりあえずはエレベーターの前から君が離れないと、他の人が困ってんだけど』 『一人なの?珍しいね。まあ、とにかくこっちに来なよ。ほんと邪魔してんだから、君』 (理由があったとはいえ田端さんに抱きしめられたなんて言わない方がいいよね) 「や、俺が一人でいることが余程珍しく思われたみたいでさ。やっぱ俺と哲人は一緒にいるのが他の人的にもしっくりくるみたい」 「・・そう」  哲人はボソッとそうつぶやいた。が、まんざらでもないという表情にはなっている。 「それでね、いきなり髪短くなってたからマジで気づかなかったんだよ。失礼な話だよねえ、あははは。・・・」  再び沈黙が流れる。自分がエレベーターを降りなければ一階にいる琉生に迷惑がかかる。分かっているのに足が動かない。 「哲人・・俺」 (駄目だ、普通にしてなきゃ。哲人にまた嫌な思いをさせる) 「出る・・」 「俺の部屋に来る?」 「えっ?」  聞き間違いかと、思わず哲人に身を寄せる。そして腕を掴まれる。 「てつ・・」 「ちゃんと聞きたいから。貴方があの人と何をしていたのか。じゃないと俺が・・」 「哲人・・」  自分の手を掴んでいる哲人の腕が震えているのを見て、直央は動きを止める。 「いや、違う。・・直央は今夜は徹夜なんだろ?邪魔は・・できない」  そう言って哲人は顔を背ける。 「分かってたのに・・馬鹿なことを言ってごめん。俺も勉強があるから」 「・・うん」 「馬鹿なの・・は・・俺なのに。哲人はちゃんと・・俺の手を掴んでくれたのに。なんで・・なんで・・手放しちゃうんだよぉ、俺は」  自分の部屋の玄関で倒れこみながら、直央は溢れる涙を拭うこともせずに言葉を吐き続ける。 「ちゃんと言わなきゃ、哲人を傷つける・・分かってるのに」  恋人がどういう思いで自分を探しに きてくれたのだろうと考える。 「ちゃんと聞かせたいのに。俺の想い。哲人と会えたのが、来てくれたことが凄く嬉しかったって。言いたい・・側にいたいって。もう一緒に住んじゃいたいって」 『けじめはちゃんとつけろって言われた。最後まであの学校の改革先駆者としての立場を全うしろって。分かってるのにそんなこと』 「哲人はほんとに凄いの。何十年も続いた学校の歴史を2年で切り崩して。それでいて自分の生活もちゃんと確立していて。男の恋人なんていちゃいけないんだ、ほんとは」  直央の存在は少なからず周囲に認知はされてはいる。それは奇跡のようなものだと、哲人の親友で同じく同性の恋人を持つ橘涼平は複雑そうな表情で直央に告げた。 『俺は・・貴方も知っているとおり哲人を殺そうとした。けど今は周囲にも哲人自身にも親友だと認知されている。それは哲人の・・周囲が認知している性格故だと俺は思っています。や、確かに“アレ”が哲人の持ち味だってのは鈴も言ってるん・・だけど』 (涼平くんも鈴ちゃんも、哲人の“真実”を知っているから) 『・・いやあ、あんた運がよかったぜ?もし実力行使とやらに出ていたら、一生病院から出られない身体になるところだった。まあ、哲人は許してねえみたいだけど』 『汚れ仕事はオレの役目だっつうの。だいたい、今のオマエだと殺っちまいそうだしな。恋人の前でそれはダメだろ、いくらなんでも』 「俺は、本来なら 哲人の嫌いな人間で・・しかもアキレス腱にしかならないはずなのに。何で?何で俺が哲人の恋人なの?何で・・“今の哲人”に出会っちゃったの?」 (何で・・分かってるの・・に今からでも哲人の部屋に行きたいと思っちゃうの?哲人・・哲人・・) 「う、う・・ん。やな・・の、俺は哲人と・・哲人の側にいたい・・の」 「いるよ、俺は側に」 「!」  自分一人だけのはずの部屋の中で他人の声が呼応したことに直央は驚く。が、すぐにそれは大好きな人の声であることに気づく。 「てつ・・ひと?なんで・・」  そう言ってからもう一つのことに気づく。自分が布団の中にいることに。 「あ・・れ?俺いつのまに。玄関でちょっとだけ目を瞑った・・だけ・・だけ? 」 「俺が運んだ。や、正確には・・」 と、哲人は少し複雑そうな表情になる。 「?」 「田端さんにその・・手伝ってもらった。ちょっと体力が落ちたみたいでさ。一人じゃ無理だったんだ」  そう言うと哲人は顔を伏せる。 「情け・・ないよな。直央を守るのは俺の役目だって啖呵切っておいて、結局他人に頼っちゃって」 「てつ・・」 「貴方がこんなに弱っていることにも気づかないであんな・・俺の欲望だけをぶつけちゃって。やっぱ俺って子供・・」 「え、えっと・・状況がいまいちよくわかんないんだけど。とりあえず今何時?」  困惑しながら直央は枕元に手を伸ばす。 「あ、俺のスマホ・・」 「スマホは机の上。今は夜の1時を回ったとこ。パジャマに着替える?」 と言うなり、哲人が直央のパジャマを差し出してくる。 「えっ、1時!?や、やばい!れ、レポート!明日・・ってか今日は哲人とデートだし、日曜は実家に帰らなきゃだし」  直央は慌てて飛び起きようとして、哲人に身体を押さえられる。 「レポートは朝起きてからでも間に合うだろ?手伝えることがあれば俺も協力するし。今はちゃんと寝・・」 「だ、ダメだよ!」  直央は自分の身体を押さえている哲人の腕を強引に離す。 「ほら!俺元気!俺から言ったんだもん、デートしようって。ちゃんと手を繋いで・・は無理だけど。けど、哲人はいろいろあったから・・だから・・」 「夜のデートでもいいだろ?生野たちライブの打ち上げに加わらないかって涼平から電話があったんだ。もう返事しちゃったから、付き合ってくれないと困る」  勝手でごめん、と哲人は頭を下げる。 「二人きりじゃなくて悪いんだけど・・」 「いいよ。哲人と一緒にいられるんなら何だって。って、そういや田端さんがどうのって言ってた気がするけど、何で?」  少し笑顔になりながらも、直央の声はどこか戸惑っているようだった。自分が自分の部屋に帰ってから何がどうして哲人が側にいるのかと。 「・・貴方の携帯から連絡があったんです。借りたものを返しにきたらドアが少し開いていて、一応チャイムを鳴らしたけど応答がなかったので念のためと中に入ってみたら貴方が玄関で倒れてた、と」 「・・・」 「エントランスでのことがあったから、俺も直ぐにその言葉を信じたわけじゃないですよ、正直。けど、真剣な物言いでしたし立場のある人が一般人と深夜に揉め事を起こすなんてしないだろうと考えたんです。そしてここに来てみたら、あの人が貴方の側に座っていました。自分の上着を貴方の身体にかけて」 「えっ?」  それって・・と直央は困惑気味に呟く。 「えっと・・あの・・・俺は全然気づかなかったんだ、田端さんが来たことなんて。だから・・」 「分かってます。貴方は深く眠ってたから。携帯はたまたま体の近くにあって、俺を直接呼びにいくより早いだろうと勝手に使ってしまった、と。タッパーも袋に入れてドアノブにかけておくつもりだったのに、ドアが完全に閉まってない状態だったからって」 「ドア・・閉まってなかったの?俺、ちゃんと鍵を・・あ」 と 、直央は口を押える。 「キーケースが挟まってたって。貴方の身体も随分冷えてたので、早めに発見してもらえてよかったです」 「手がかじかんでて・・鍵を落としたのは気づいてたんだけど後で拾えばいいやって思って。じゃあ、わざわざあの後来てくれたんだ、田端さん」 『あ、そういえばずいぶん以前に借りたタッパー返さなきゃね。・・哲人くんに見られたくないなら君の買いにいこうと思ったもの俺が君の部屋に持っていくよ』 「・・玄関から中には入ってないと言っていました。一応様子を見るために顔には触れたけど、それだけだと」 『駄目!哲人!帰るから・・哲人と一緒に帰るから・・怒っちゃ嫌だ』 「貴方のあんな言葉を聞いてそれでも余計なことができるほど自分は腐った人間ではないと。それで俺の方からお願いしたんです、一緒にベッドまで運んでほしいと」 「ち、違うの!俺の嫉妬なの、ただの」  哲人のその言葉に、直央はたまらず叫ぶ。 「もう誰にも哲人に惚れてほしくなかったから。哲人の“あの声”を聴かせたくなかっただけ・・なの」 「あの声?」  哲人の顔がさっと赤くなる。 「へっ・・えっ?どういう意味・・」 「へっ?ち、違うよ。い、言ったじゃない。哲人のああいう声がその・・ぞくっとするほどかっこいいんだって。哲人は認めたくはないんだろうけど、たぶん・・」  アレが本当の“日向哲人”。有名進学校の前生徒会長で全国模試で常に5位に入るような高校生が他人にさらけ出せるはずのない真実。それが無意識だとしても。 「もちろん普通でもすっごくかっこいいよ、哲人は。けど・・あの声は特別なんだもん。怒ってる・・けど、でも哲人が哲人らしい感情を出してるって・・思うから」 「怒ってる俺が俺らしい?」  哲人は困惑気味に答える。 『さっきのことは忘れてくれます?無意識にスイッチが入っちゃったみたいで・・』 (ほんとに理解 わかっ てないの?それとも・・)  何かを隠したいのか。 (俺だから言えないの?・・) 「俺は・・素直に甘えられない人間だから」 「えっ?」 「・・俺の存在がどれだけの人の運命を変えて傷つけたか。勝也さんがいい例だ。あの人の涙を見ていたのに、俺は・・」 「哲人?」 「子供すぎた」 『どうして、俺はこんな子供なのかな』 「貴方を意識し始めたときから、俺はずっと背伸びしていた。勝也さんを守れなかった・・鈴も涼平も傷つけた。そんな俺を貴方に見せたくなかったから。・・貴方だけはって、思っちゃったから」 「てつ・・ひと」 「貴方は・・優しすぎる。そんな貴方に俺以外の人が魅かれるのを見るのが辛くて・・」 「は?何言ってんの!?」   思わず哲人の腕をつかむ。哲人が顔をしかめる。 「っう・・」 「ご、ごめん!でも、哲人が馬鹿な事言うから。うんもう、田端さんはそういう人じゃないし。だいたいあの人とは俺みたいな子供っぽい人相手にしないよ。もうアラサーなんだって」 「へ?」 「哲人も驚くでしょ?」   哲人の反応にしたり顔で直央はうなづく。 「まさか勝也さんより年上だなんて思わなかったよ。29歳だってさ」 「・・はい?‥あの顔で?・・あの声で?・・あの性格で?」 「そこまで言うことなくない?」  直央はあははははと笑う。 「・・そこまで笑わなくても。つうか、人を外見で判断しちゃいけないな、マジで。どおりでいざってときは落ち着いていると」 『ごめんね。直央くん自身からスマホのロックが指紋認証だって聞いてたから、指に触れようと思ったらロックかかってなかったんだよね。だから直ぐに君に電話かけれたし、さっきも言ったけど顔にちょっと触れた程度。けど、やっぱロックはした方がいいって言っておいてね。直央くんて案外ドジっ子みたいだから』 「田端さん にいっぱい迷惑かけちゃったな、今日は。明日はイベントなのに・・」  直央ははぁーと大きくため息をつく。 「お礼の電話を今したら迷惑だろうな。まさか自分が寝ちゃうとは思わなかった」 「疲れてたんだよ、直央は」  そう言いながら哲人は相手に身体を横たえるように促す。 「あ、パジャマ用意してくれてありがとう」 「・・いつも直央がしてくれてることじゃないか。俺は直央を疲れさせることしかできない」  哲人の顔が苦悶の表情になる。 「何言ってんのさ、こうやって側にいられるだけで幸せな気持ちにさせてくれるのが哲人じゃない。なのに、俺の方こそ哲人にそんな顔しかさせられなくて・・」  やっぱり・・と思ってしまう。自分の存在は本当に哲人のた めにあるのだろうかと。 『勝也さんを守れなかった・・鈴も涼平も傷つけた』 (そんなことないって何度も言ってるのに。俺の言葉はいつだって哲人に届いていない気がする・・) 「ねえ、哲人・・」 「直央って、田端さんにはどこまで話してるんだ?」 「へっ?」  突然の哲人のその言葉に直央は?と首をかしげる。 「普通、スマホのロックの解き方まで教えないだろ?他人には。俺だって直央にしかパスワード教えてないぜ?何かあったときのためだけど」  少し普段より低めの声。 「あの人は俺より先に俺の隣の部屋に住んでたけど、ほとんど話したことなんかなかった。声優だってのも直央に聞くまで知らなかった。なのに、直央とは簡単に親しくなれるんだな」 「えっ、あの ・・哲人も本当は田端さんと仲良くなりたかったの?声はいいって言ってたもんねえ」 「・・・そういう話じゃないんだけど。確かに声は・・って言ったけど。・・なんかもう・・」  いいや、と哲人は呟く。 「哲人?」 「ふふ、いいんだ。貴方はそういう人だから」 「哲人・・怒ってる?」  哲人の声が突然柔らかなそれに変わり、直央は不安な表情になる。 「何で・・何でそう思うの?」  哲人は優しい感じでそう聞くが、なぜか直央は泣きそうな顔になっていく。 「だって・・だって・・」 「はっ・・」  直央のその様子に哲人はふぅとため息をつく。そして・・・ 「あ・・ん、哲人・・」 「これで、落ち着いた?寝られる?」  哲人の顔が離れる。が、直央は直ぐにその頬を掴む。 「なお・・」 「もう一度・・して。そしたらちゃんと休むから。・・ね?」  見上げる直央の瞳に哲人が写る。その姿を永遠に消したくはないと直央は願う。本当に彼を愛しているのだと改めて思う。 「好きなの。目覚めてそこに哲人がいるって分かった時、とても安心した。大好きな人の声。俺にとっての、宝物。あのね、哲人のかっこいい声、誰にも聞かせたく・・なかったの。これ以上哲人を好きになる人を増やしたくなかった」 「・・・」 「でも分かったの。声だけじゃない、でも俺が悶々とする理由。声とか顔とか・・それこそ過去の出来事とか、そんなんじゃない。今の哲人が俺を求めてくれたのが、全ての真実だと思うから。それを素直に受け入れたいの。や、それしかないの・・だって」 と言いながら、直央は布団をがばっと自分の顔に乗せる。 「っとに・・恥ずかしいでしょ。た、ただでさえ哲人が側にいるっての・・ほんと照れるんだから」 「・・はい?」  いまさら?と哲人は思う。 「照れる・・の?」 「だって、哲人は素敵な人だもの。毎日どきどきしてんだよ?・・だから、今日だけでも側にいて」 『オレのヤリすぎが原因の一つとはいえ、どうしてオレが年上の大学生を寝付くまで世話しなきゃいけないんだ』 (半年前はそんなこと思ってたんだけどな)  目の前で安らかな寝息をたてる恋人を見ながら、哲人は付き合い始めたころに記憶を戻す。 『わからないから・・急に好きになんてなれるわけがない。アノ時までは本当に・・嫌いな人だと思っていたんだから。直央だってそうだったはずなのに』 『だから好きになった・・って 、オレの何にときめいたって。嫌味しか言ってなかったはずなのに。そしてオレは・・何で直央を抱いて・・いるんだ?あんなに・・何度も』 「なのに今は親切にしてくれる隣人にでさえ嫉妬しちまう」 『だって、哲人は素敵な人だもの。毎日どきどきしてんだよ?・・だから、今日だけでも側にいて』 (今日だけでも・・って。そんな言葉、俺が寂しいと思ってしまう。言わせてるのは俺なのに)  哲人が数日前まで生徒会長を務めていた高校は去年まではガチガチの進学校だった。体育や芸術系の授業はせず、部活動や文化祭などの学校行事も一切無かった。学食も今年になってようやく完成したのだ。 『トイレ以外は教室から出ずにひたすら勉強・・とか、人格形成に問題ありだろ?』 とは学校の理事長で二人が住むマンションのオーナーでもある高木琉翔の言葉だ。彼は去年から理事長になった。 「琉翔もあの学校の卒業生なんだよな。確かに人格形成に失敗してるよ。クソ変態が」  30代後半の理事長ではあるが、哲人は彼を侮蔑をこめて呼び捨てにする。 「ほんとは直央には近づけさせたくないんだけどな、あんな変態ヤロー。けど、直央は琉翔のファンだっていうから」  高木琉翔は葛城和宏というペンネームで小説を書いている作家でもある。現在琉翔が原作を書いたアニメが放送中で、哲人の高校の同級生である生野広将がそのエンディングを歌っていつという関係性がある。 「そんでもって田端さんがアレのキャストだっていうのが、もう偶然にしては怖すぎるんだよな。つうか、みんなして直央にちょっかいけてくるんだもの。安心できないっての」 『・・もしかして本気でくたばっているんですか?オレ的にはそのまま死んでくれてもかまわないんですけどね。場所がココでなければ』  そんな言葉を本気で相手に投げかけた時があったのに、と哲人は苦笑する。 『ほんと、何でオレがここまでこの人の面倒みなきゃいけねんだよ。オレだってそんなにヒマってわけじゃねえんだぞ』 (今なら絶対にそんなこと思わない。この人に触れていいのは俺だけだ。けど、俺が側にいないと直ぐにこの人は他の男を近づけさせてしまう)  別に直央自身が誰かに声をかけるわけではない。が、一緒に歩いていても常に視線を感じる。ちょっと離れると声をかけられる。 「やっぱ同じ大学に行った方がいいのかなあ。大学でもよく声をかけられてるみたいだし。だいたい・・」  哲人と直央が出会ったのも、ナンパされて困っていた直央を助けたのがきっかけ。その後も直央はいろいろ事件に巻き込まれてもいる。 「そりゃあ直央はこんなに可愛いし料理も上手だし素直で可愛いし可愛いし・・可愛いし」  思わず相手を抱きしめようとして、ふと我に返る。 「っと、こういうとこが鈴や涼平にやいのやいの言われる原因なんだよな。直央がせっかく寝付いたのに・・俺は絶対琉翔みたいな変態とかじゃない!」 『あのねえ、直ちゃんと自分との体格差とかも考えなよ。だいたい直ちゃんと付き合うまではキスもちゃんとしたことのない童貞だったくせに、上から目線でがっつきすぎなんだよ。休みの日なんか朝から襲っちゃったりしてさあ。流石のボクでも引いちゃうよ、その変態ぶりには』 「くそっ、鈴のヤツ言いたいことを言ってくれやがって。しょうがないだろ、直央といると・・俺は俺でいられなくなるんだ」  自分の性格的な不器用さは自覚していたから、必要以上に他人に関わることは避けていた。周りの人間は哲人をクールで完璧な人間と捉えていた。実際頭はよかったし、行動力もある。“大学に入るためだけの勉強をするだけだった”学校を改革し、生徒たちから信頼と称賛を得る努力をできる人間という自負もあった。 「けど、直央はなんか違うんだ。俺を見透かしてくる。“本当の俺”を見ようとしてくる。それだけは絶対‥ダメ」  おそらくそんな自分でも直央は全力で守ろうとするだろう、愛しているからと。 「一緒に・・堕ちるのは駄目だ」   『・・オレは、オマエなんか大っ嫌いだ。助けてくれたことには素直に感謝するけど、もうオレにかまわないでいいから』 「そんなことまで言われたのにな、あの頃は。なのに今は」 『好きなの。目覚めてそこに哲人がいるって分かった時、とても安心した。大好きな人の声。俺にとっての、宝物。あのね、哲人のかっこいい声、誰にも聞かせたく・・なかったの。これ以上哲人を好きになる人を増やしたくなかった』 『でも分かったの。声だけじゃない、でも俺が悶々とする理由。声とか顔とか・・それこそ過去の出来事とか、そんなんじゃない。今の哲人が俺を求めてくれたのが、全ての真実だと思うから。それを素直に受け入れたいの。や、それし かないの・・だって』 『だって、哲人は素敵な人だもの。毎日どきどきしてんだよ?・・だから、今日だけでも側にいて』 「半年もたてば、そんなささやかな願いも俺には凄く幸せな言葉なんだ。・・やっぱ無理だよ、離れるなんて。今の中途半端な環境が恨めしい。いいよな、涼平は恋人と完全に同棲できて」  もちろんそれを本人に言うつもりはないけど、と哲人は首を振る。 「俺は自分の意志で日向を出たけど、涼平はそうじゃない。涼平は身内を全部失ったんだから。俺のせいで」  橘涼平は3年前にとある事件で家族を亡くし、先月になってたった一人残った縁者をも殺された。 「俺を恨んでるのなら俺を気のすむまで傷つけりゃよかったんだ。涼平を利用するんじゃなくて。そりゃあ俺も簡単に殺されるつもりはなかったけど」  哲人は何度も殺されかけている。直央ともそれが元で交際することになった。彼をめぐる環境はとても複雑で、それは彼の実家である“日向一族”の闇が原因となっている。 「もう終わりにしてもいいんだ。もう・・何人も死んだ。こんな男と付き合わせて、直央に幸せな恋愛をさせてあげられないのが申し訳ないんだけど」  が、直央もまた複雑な背景を抱えているのだ。 「そして知らなきゃいけないんだろうな。直央の父親のことを。灯さんに直接聞いていいものか・・」  直央の母親である財前灯は今でも直央の父親の名を息子にも明かさない。 「あの人はそんないい加減な人じゃない。けど、直央の父親が何らかの形で日向に関係してると知ってしまったしな、俺たちは」  が、灯は哲人の素性を知っても普通だった。・・や、それは正確ではない。 『恋人を作るのにいちいち親の許可がいるわけ?そりゃあ挨拶は必要だとは思うけど、そこまでマザコンに育てた覚えはないわよ』 『あら、ごめんなさいね。なんかアナタの存在を無視してた感じになっちゃってて。ふふ、そうんなつもりはこれっぽちもないからね?こんなイケメンを捕まえるなんて、でかした!我が息子!・・って感じだわ』 「慎重派の直央の母親にしては軽すぎる気もするけど・・。日向の一族の誰かと意識して関係を持った過去があるなら、あんな態度じゃないだろう。隠す必要はないのだから」   『・・鈴ちゃんには聞かないんでしょ?どうして哲人や俺の父親のことを知ったのか』  直央にそう言われて哲人は黙ってうなづいた。先日、二人は哲人の本当の父親に初めて会った。哲人が名前すら知らされていなかったその父親をその場に呼んだのは、哲人の元婚約者だった笠松鈴だ。同時に直央の父親の情報も。 「鈴は黒猫だから調べられないことでもなかったのかもしれないけど・・何で俺に直接言わないんだよ。サプライズとか俺が嫌いなのも知ってるくせに」  なのに、なぜかその件に関しては鈴には何も言えないでいた。 (分からないんだ、鈴が何を考えて行動しているのか。そういえば、最近は鈴の顔をちゃんと見て話してない気がする)  だいたい、自分たちの関係が普通じゃないとも思う。婚約を解消した後も、鈴は哲人への想いを公言している。それでいて直央とは親友のようになっている。 (鈴は確かに強い女・・の子だけど、泣いたとこも見たことないけど。でも本当に傷つけたくない大切な幼馴染・・)  直央は哲人が鈴に対してそういう想いを抱いていることも承知している。 (鈴はどうしたって特別で・・けれど結婚とか無理で。だってアイツには普通の幸せをあげたいから。鈴をこれ以上日向の犠牲にはしたくない。鈴を・・“殺したくない”)  直央は哲人のそういう想いを“恋心”だと言っている。哲人にその自覚はないが、自分の鈍感なところは自覚しているので、おそらくそうなのだろうと思っている。 「涼平や生野にまで言われたもんなあ。なのに、直央が他の男と親しくしてるのを見るのがとても嫌なんだ、なんて」  自分でも勝手すぎるとは思う。 「直央にだって直央の付き合いってものがあるのだから。けれど・・けれど平気じゃいられなくなる。あの時のように、自分を抑えられなくなりそうで。涼平すら、殺そうとしたように。・・っ」  自分の手がぶるぶると震えていることに気づき、慌ててもう一つの手で押さえる。そして、おそるおそる恋人の頭に手を伸ばす。そっと撫でたが、寝ている直央は微動だにしない。 「そんなに疲れてたのに、どこに行こうとしてたんだよ。まさか本当に田端さんと待ち合わせてたんじゃないよな」  そう思わず呟いてしまってから、はっという表情になる。 「・・こんなこと考えちゃうから、直央に気を使わせちゃうんだよなあ。田端さんにだってお世話になったのに。ていうか直央と付き合ってなかったら、隣の部屋の人のことすら気にもしなかったんだよな。名目上だけど、一応管理も任されていたのに」  3年前、とある理由から哲人は実家を出ることを望んだ。名門日向一族の御曹司としての立場も何もかもを捨てるつもりで。けれど、条件を出された。少なくとも高校の3年間は琉翔がオーナーであるこのマンションに住むこと。そして生活費は自分で稼ぐこと。大学には必ず入ること。などが条件として出されていた。 (ただの、我儘だよな。自分の出生のことを隠されていたとか、鈴や涼平を死なせることに憤りを感じたとか。まあ、いろいろ理由は合ったけど)  哲人の“戸籍上の”両親はそれぞれ著名な大学教授と料理研究家で、哲人も幼少時からマスコミに取り上げられることは少なからずあった。 (俺が一人暮らしをするってことで騒いだ輩もいたぐらいだから、日向も対応に苦慮したはず・・俺は自分の立場をわきまえて行動してたつもりだけど)  そして自分はたびたび命を狙われている。日向家にいたころより、より顕著に。 「俺を守るために何度も危ない目にあっている鈴を・・・俺はどうすりゃいいっていうんだよ。俺に関わるなって言っても、それがアイツ自身の役目だし。・・だいたい、俺の言うことなんて鈴は聞きやしない」  そう言って哲人は直央の顔をじっと見つめる。 「直央の言うことなら、鈴はわりと聞くんだよなあ。俺が彼氏じゃなかったら、鈴と直央はカップルだろって思うくらいに二人は通じ合ってる気がする」  傍から見れば普通じゃない三角関係。が、内情はもっと複雑。 (鈴は最初から直央を受け入れすぎていた。“8年前の記憶を”持っているにしたって、“あのときの直央”を紹介したのはあのときが初めてだ。まさか・・)  そこまで考えたとき、直央の口からある言葉が漏れた。 「えっ?」 To Be Continued

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