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【3】
ここ――日本で人間と獣人が共存するようになったのは、男女という性別のほかに『第三の性』と呼ばれるシステムが確立してからだ。それはα、β、Ωという三つの種族に分類される。
あらゆる能力に優れ、この世界を牽引すべく生まれた獣の血を引くα。人間の容姿そのままの者と獣人が存在する。ただ獣人は、日常生活を送る上で人間に近い容姿でいることが多い。
周期的に発情期を迎え、その際に発せられるフェロモンで相手を引き寄せて男女問わず子を成すことが出来る希少種Ω。システムが確立した当時、Ωは性奴隷として蔑まれ下層種族に属していたが、近年急激に進んだ少子化と共に種族の減少を危惧され、国は緊急対策としてΩを保護する法案を打ち出した。そのおかげで、Ωが性犯罪に巻き込まれることは激減したが、裏で高値で取引される人身売買などの噂は絶えない。
この両種に属さない、国のほとんどの人口を占めているのが一般的な能力を持つβだ。
生まれてくる子供にその種別は選べない。セイジもまた両親がαであり由緒ある名家の後継者でありながら、自身は『クズ』と呼ばれるAV男優の道を選んだ。その理由は弟の存在だった。
依田家の長男として生まれたセイジだったが、数年後に弟が生まれると両親の愛情は一心に彼に注がれた。
一族でも稀有な純白の狼獣人として生まれてきたからだ。そうなると、たとえ次男であっても自然とそちらの方へ力を注ぎたがる。両親は彼が望むものは全て与え、最高レベルともいえる教育を施し、エリート街道まっしぐらのレールを敷いた。
本来ならば同じように明るい未来へと続くレールに乗るはずだったセイジは、いつの間にか蔑まれ、両親の愛を知らずに育った。それ故か学校ではいつも問題を起こし、名門高校を中退した挙句、両親から絶縁を言い渡され夜の街へと流れ着いた。その勢いは崖を転げ落ちる石ころのように呆気なく、そして一瞬のことだった。
ホストや黒服、時にはヤバいバイトにまで手を出したこともあったが、行きつけのバーで偶然居合わせた今の事務所の社長に口説かれて二十二歳の時にAV界へ足を踏み入れた。
もちろん、αという身分を隠して……。しかし、獣人であることは誰が見ても明らかで、そんな薄っぺらな嘘もすぐにバレてしまった。
スタイルもよく端正な顔立ちをしていたことが幸いし、ついでに付加価値として『獣人モノ』の仕事が多く舞い込んできたこともあり、セイジはあっという間にAV界の頂点に登り詰めた。
AVだけでなくテレビやネット配信などで取り沙汰され、時にはそのスタイルを生かしてブランドモデルの仕事もこなした。
多忙を極め睡眠時間が一時間という時期もあった。それでも毎晩のように店を貸切り、男女問わず朝まで遊びまくっても金は有り余るほど入ってきた。そんな生活にも飽き、ちょっと落ち着こうと思った時にはもう次世代の男優が次々と発掘され、セイジと同じ獣人男優が急激に増えた。
そのおかげでセイジの仕事はそれまでの半分以下になり、それからはもう上向くことはなくなった。
(そろそろ潮時かもな……)
右手で扱きあげても何の反応も示さない長大なペニスを見つめ、がくりと肩を落とす。
「――ちょっと、時間ください!」
無駄なものなど何もない分厚い筋肉を纏った体がのそりと起き上がる。白いシーツにしがみつく様にして高く腰を上げたままの童顔の青年が怪訝そうな顔で振り返った。
「どうしちゃったの? セイジさん……」
「悪いな……。ちょっと疲れてるみたいだ」
汗に濡れた黒髪が額に張り付き、それを鬱陶しげに掻き上げたセイジは嫌な予感を感じていた。
アシスタントの女性から手渡されたバスローブを羽織りながらベッドを下りると、テーブルの上に用意されていたミネラルウォーターを一気に流し込む。
「どうしちゃったの、セイジくん? 体調とか悪い?」
室内だというのに濃色のサングラスをした小太りの男が声をかけてくる。
「監督、すいません……。ちょっと時間もらえますか?」
「いいけど……。今日の撮影オシてるから、早めに頼むわ」
「すいません……」
もう一度小声で謝り、控室へと向かう。
そう――ここはゲイビデオの撮影現場。マンションの一室と見紛う部屋はスタジオ内に作られたセットだ。だが、基本的に低予算で製作されるため、スタッフも機材もスタジオのレンタル時間さえもギリギリという場合が多い。そして今回も多分に漏れず、すでに撮影時間をオーバーしているという最悪の事態に突入していた。
焦っているのは監督やスタッフばかりではない。かく言う出演者であるセイジは、彼らよりももっと大きなプレッシャーに圧し潰されそうになっていたことは否めない。
「セイジさん、勃ち待ちで~す!」
スタジオ内に非情とも思えるスタッフの声が響く。こうなると誰のせいで撮影がストップしてしまったのか一目瞭然だ。
「――またかよ。今日、何度目だ? この後、もう一本撮らなきゃ帰れないって言うのに……」
「申し訳ありません!」
セイジのマネージャーである高野 が、長身を丸めて頭を下げながらスタッフに謝罪に回る。
細身の長身でスタイルは悪くない。しかし、見るからに気弱そうな彼をより軟弱に見せているのが眼鏡とグレーのスーツだった。
それでも彼は元AV男優で、いくつかの作品を世に出している。だが、ある日突然引退を決め、今の事務所である『RED企画』でセイジのデビュー当時からマネージャーを務めていた。彼が引退した理由――それは長年一緒にいるセイジも知らない。
「困るんだよね……ホントに。こう言っちゃなんだけど、セイジもそろそろ限界なんじゃない? 今、いくつよ?三十二? これから脂がノッてくる歳ではあるけどさ、AV界にも『旬』ってものがあるわけ。もう十年もやってると、そろそろ世代交代っていう声も聞こえてくるわけよ。――ねぇ、高野さん。聞いてる?」
「あっ、はい。でも、セイジはまだ……ゲイビだけじゃなく、他でもお声掛け頂いてますし」
「あぁ……。巨乳主婦の痴漢モノとかでしょ? アレ、あんまり伸びなかったって噂だけど……。そりゃ、アレだけイケてる狼獣人なんて滅多にいないけどさ、やっぱり歳には勝てないんじゃないの? 今は若い子、いっぱい出てきてるし」
毒舌で知られる助監督、狭山 にこれでもかと痛いところを突かれ、高野は眼鏡のブリッジを何度も落ち着きなく押し上げながら頭をさげた。
控室――と言っても薄い壁で仕切られた簡易的なものだ。狭山の大きすぎる声は間違いなくセイジの耳にも届いているはずだ。いや、もし小声で話していたとしても人間の何倍もの聴覚を持つ狼の血を引く彼なら嫌というほどハッキリ聞こえてしまう。
「おい! 誰かセイジのチ〇コしゃぶってやれよ! それとも……発情したΩでも連れてきた方が早いか?」
笑いながら毒をたっぷりと含んだ嫌味を吐き続ける彼に呆れ、高野は目を逸らすと控室へと足を向けた。
ドアをノックしてそっと中を覗き込むと、パイプ椅子に腰かけたまま絶え間なく右手を動かしているセイジの背中が見えた。
「セイジ……?」
高野の声に振り返ったセイジは、なぜかホッとしたように大きく息を吐いた。
「――最近、ホント調子悪いんだよ。夜遊びもしてないし、生活サイクルを変えたわけでもないのに。マジで歳かな……」
「――聞こえたのか?」
「当たり前だ。あのクソ野郎、わざと俺に聞こえるように言ってんだろ? 前々からいけ好かないヤツだと避けてたんだけどな」
「焦らなくていいから……。とりあえず、落ち着け」
湿った黒髪の頭頂部から生えた大きな三角系の耳がひっきりなしに周囲の音を拾って動いている。
女性が見れば誰もがため息を漏らすであろう整った顔がわずかに歪み、今はまだ短い犬歯をギリリと鳴らす。
狭山の言葉はセイジにとって屈辱でしかなかった。
バスローブの裾から垂れたボリュームのある尻尾がいつになく切なさを感じる。
「――なあ、高野。俺さぁ、マジで引退考えた方がいいかもしれない」
「え?」
まるで独り言のようにぼそりと呟いたセイジの言葉にさらに追い打ちをかけるように、また狭山の辛辣な声がスタジオ内に響いた。
「監督! いつまであの出来損ないのαを囲ってるつもりなんですか? アイツはクズですよ? αのクセにAV男優やってることがそもそもおかしいでしょ? 両親からも絶縁されてるって話じゃないっすか?」
セイジの脇に立っていた高野が控室を飛び出そうとした時、力強い手がその二の腕を掴んだ。
「セイジ……」
「悔しいけど、アイツの言ってること間違ってないから……。ここで波風立ててお前の立場が悪くなったら、社長に申し訳ないだろ」
「でもっ」
「いいんだよ……。言わせたい奴には言わせておけ。俺は俺――なんだから」
そんなセイジを見て見ぬふりを決め込んだ高野もまた、彼に限界が近づいていることを悟った。
「――セイジ。大丈夫だから……」
ポンと叩いた肩は滑らかで、人間のそれと変わらない。
撮影の最中も、ここのところ本能を曝け出して獣化したセイジを見ていなかった。
「大丈夫……。大丈夫だから」
まるで自分に言い聞かせるかのように何度か呟いた後で、高野は控室をそっとあとにした。
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