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 所属事務所である『RED企画』の社長は話せばわかる男だ。高野の説得でセイジの身の振り方を一緒に考えてくれると渋々ではあるが笑って承諾してくれたことで、セイジの肩に重く圧し掛かっていた物がするりと落ちた。  久しぶりのオフはあの地下鉄の駅へと向かう。近くに高校や大学などがある場所だけに、翼に似た背格好の青年は多く目に留まる。しかし、セイジはすぐに見分けられる自信があった。  初めての発情期を迎えたことで、それまで眠っていたΩの血が目覚めた。そうなれば発情期でなくともΩ特有のフェロモンがわずかに漏れ出す。人間では到底気付かないその香りを、狼獣人であるセイジは嗅ぎ分ける能力を持っている。  ベンチに腰掛け嗅覚を研ぎ澄ましてみるが、あの芳しい香りを感じることは出来なかった。 「アイツ……ちゃんと大学行ってんのか?」  脱力気味に呟いた時、セイジのスマートフォンが振動した。  パーカーのポケットから取り出し、液晶画面に表示された名前を見て「ん?」と眉を顰める。  画面をタップして耳に押し当てる。 「もしもし?」 『あれ……? セイジさん?』 「あれ?――じゃねーよ。人が折角のオフを満喫している時に何だよ?」  以前、現場で一緒になったゲイビ男優の西條(さいじょう)文弥(ふみや)が驚いた声を上げる。 彼は別事務所ではあるがセイジにとっては可愛い後輩の一人であり、よく一緒に飲みに行く仲だ。  そんな彼にも、まさか地下鉄の駅で大学生を待ち伏せしているとは言えず、有意義にオフを過ごしている最中に掛かってきた電話であるかのように大仰にため息をついてみせた。 『え? オフ? K町で仕事してるんじゃないの?』 「は? なんだよ、それ……」 『SNSで拡散されてるよ。俺、てっきり仕事してるかと思ってたんだけど……。K町の駅前でMM号やってるらしくて、セイジさんに抱かれたい子集まれ~的な』 「俺に……抱かれたい? なんだよ、それ……。あの監督からは何も話は来てないぞ?」 『タイムラインにはタグ付きでMM号としか書いてない。じゃあ、セイジさんの名を語ったデマか……。放っておいたらセイジさんの立場ヤバくないですか?』  MM号――AV業界で知らない者はいない伝説的シリーズ『マジカルミラー号』 簡易的なプレハブを牽引出来るように改造された特殊車両。そのプレハブの大きな窓には特殊な加工が施され、外部からは中の様子を窺う事は出来ないが、中にいる者は外を歩く者たちの視線に晒されているように見える。  これを利用して素人をナンパして連れ込み、現金を渡してセックスしているところを公開するという当時としては斬新な企画だった。その後、アンケートやエステの体験、童貞男子の筆おろしなど、いろんな内容でビデオ化されたモンスター企画だ。セイジも二十代の頃には何度か出演したことがあったが、ほとんどが金目当てで訪れる素人が多く、一日に何度も来る女性もいた。素人の新鮮な反応を期待していた監督は辟易し、今はこの企画は行われていない。 「――文弥。それ、誰が撮ってるか分かるか?」 『調べればすぐに分かるよ』 「大至急調べて、うちの高野に連絡してくれないか?――K町って言ったよな? 俺、近くにいるから現場行ってみる。駅前だよな?」 『SNSでめっちゃアップされてるから、チェックしていけばすぐに辿り着けると思うよ?』 「わかった……。今度奢ってやる。時間作っとけよ」 『やった! セイジさん、大好き!』  嬉しそうに言う文弥に苦笑いしながら、セイジは通話を終了したスマートフォンをポケットに捻じ込んだ。  K町はこの駅からそう離れてはいない。セイジの足ならば数分で辿り着くことが出来る。  偶然でも翼との再会を期待してこの場にいたい思いに後ろ髪をひかれながら、セイジは足早に階段を駆け上がった。  パーカーのフードを目深に被り、周囲にAV男優セイジであることを気付かれないようにK町の駅前へと急ぐ。  時々スマートフォンを取り出してMM号の様子をチェックする。そこに書かれていたコメントに、ふと足を止めた。 「Ω狩り……だと?」  Ωは発情期以外でも望まない性交や、首筋を噛まれることで番となることを避けるために首にネックガードという革製のバンドを着けている。Ωを探すのであればこれを目印にすればいい。  どうやら駅前で行われている企画はΩをターゲットにした撮影のようだ。しかし、なぜΩなのか……。  βがほとんどの割合を占めるこの国。しかも、この辺りであえてΩを探すというのは難易度が高い。それに加え、国に希少種として保護されているΩをターゲットにすることは妊娠のリスクを踏まえても法に触れる可能性は大いにある。男優すべてがセイジのようなαというわけではない。βは多く、稀にΩもいる。どの種と交わってもタイミングが悪ければ――特に発情期を迎えてしまった場合、望まない妊娠は不可避だ。  そんな企画にセイジの名前が利用されていることに違和感は拭えない。 「まさかとは思うが……。俺を貶めようとしてる奴がいるってことか?」  セイジの心臓が突然大きく跳ねた。嫌な胸騒ぎと微かに鼻先を掠った甘い匂いに自然と眼光が鋭くなる。 「翼……」  初対面だったとはいえ「セイジに憧れていた」と熱っぽく呟いた彼の言葉を思い出す。 「――あり得ないだろ。いや……ゼロではないよな」  スマートフォンを握りしめ、セイジは駅前へと走った。それまで感じた事のない嫌な感覚がセイジを支配する。  翼が発情したあの日からもうじき三ヶ月が経とうとしている。周期が順調に訪れるとすれば、翼はもうすぐ発情する。そんな時にセイジの名に導かれてあのMM号に入ってしまったとしたら……。  訳の分からない焦りと不安に突き動かされたセイジは、微かな香りだけを頼りに持ちうる感覚のすべてを研ぎ澄ます。ただ、会いたいと願う翼のために――。  ***** 「本当にセイジさんに会えるんですか?」  栗色の大きな瞳を輝かせながら目の前にいる男に詰め寄る。襟元からチラリと覗くのは赤い柔らかな革製のネックガード。発情を告げた翌日、翼に合うものをと母親が何軒も回って探してきてくれたものだ。 「もちろん! お金も貰えて、セイジにも抱いてもらえるよ」 「本当ですかっ。MM号は知ってます! 俺、お金はいりません……。ただセイジさんに会いたい」 「じゃあ、行こうか?」 「はい!」  嬉しさに自然と笑みが零れる。SNSでこの情報を目にした瞬間、翼はすぐにK町へと向かった。  セイジのたっての希望でΩを探していると知り急いだ。このチャンスを逃したらもう二度と逢えないのではないかと不安に胸を押し潰されそうになりながらも、あの力強い腕で抱きしめられた時の感覚が蘇り、体の奥がキュンと疼いた。  こんな事だったらとっておきの勝負パンツを穿いてくるべきだったと後悔したが、もう後には引き返せない。  MM号の存在を知った者たちがプレハブを囲うように群がっている。その合間を縫うようにスタッフと思しき男に手を引かれながら中に入ると、絨毯が敷かれたそこには数台のカメラと照明機材、そして安価だと見て取れるソファと分厚いマットレスが置かれていた。  ビデオの中の風景そのままのMM号に翼はゴクリと唾を呑み込んだ。周囲を見回し、セイジの気配を探してみるが見つけることが出来ない。正面を見れば、そこには大勢の人たちがこちらを見つめている。 「あの……。これって本当に外から見えないんですか?」 「大丈夫!――じゃあ、とりあえず企画の説明しようか。今回は新発売になるビタミン剤の試飲も兼ねてる。スポンサーの意向でね。これ飲んで、洋服を脱いでくれたら1万円。そこにあるソファに座ってオナニーしてくれたら二万円。――で、エッチさせてくれたらさらに三万円上乗せするよ。これがビデオ化するかは撮れ高次第だけど、君の場合可愛いから使われる可能性ありだね。そしたら五万円のボーナス!」  正直、今の翼にはスタッフの話などどうでも良かった。とにかくセイジに会いたい。会ってこの前の事を謝りたい。そして――今度こそ、好きだとちゃんと伝えたい。それだけが頭の中でグルグルと回っていた。  スタッフに差し出された黄色いカプセルを口に含んで水で流し込む。ビタミン剤の効果などすぐに表れることがないと分かっていても、翼は彼に会いたい一心でそれを飲み込んだ。 「じゃあ、シャツを脱いで……。ちょっとソファに座ってて」  そう言うなりスタッフは奥へと続くカーテンの向こう側に消えていった。  翼は外部からの視線から逃れるように、窓に背を向けてシャツのボタンを外していく。しかし、すぐに自身の体の異変に気付いた。  指先が小刻みに震え出し上手く外せない。額にはあり得ないほどの汗が浮き、体の奥から強烈な熱が湧き上がってくるのを感じた。 「え……。これって……」  渇いて張り付く喉に何度も唾を流し込む。それでも熱い息がせりあがり、体中の力が抜けていく。  それはあの日、初めて味わった感覚とよく似ていた。意志とは関係なく体のいたるところが過敏になり、何かを求めてやまない。慌てて自身のスクエアリュックを探してみるが、スタッフが持ち去ったのかどこを探しても見つからない。その中には常備している抑制剤が入っていた。あの日から三ヶ月が経とうとしている。翼の発情周期もそのくらいだろうと医師に言われていたことを思い出し、背筋がゾクリと冷たくなった。  ソファに力なく体を預けた翼の手が無意識に股間へと延びる。そこはすでに熱を孕み、芯をもって兆し始めている。 「なんで……こんな時に……」  ムクムクと勃ち上がるペニスを制御出来ない。ジーンズの生地を押し上げるせいか窮屈で仕方がない。しかし、セイジが現れるまでは何としても正気でいたい。このままではこの前の二の舞になってしまう。  掌でぐっと押さえつけてみるが、下着の生地が擦れる度に敏感になった茎を刺激する。  ボタンを外しただけのシャツを羽織ったまま、ソファの座面に両足を乗せた。  Ωは自身の発情に抗える者などいないと聞く。性交以外何も考えられなくなり、その体は自然とどんな太い茎でもすんなりと迎えられるように変わっていく。 「ふあぁ……はぁ、はぁ……っ」  体中に籠った熱を吐き出すかのように呼気が熱い。翼は腰の奥からジワジワと広がっていく甘美な疼きに耐えられず、自身のジーンズのベルトを外して前を寛げた。一目で分かるほど黒いボクサーショーツを押し上げてペニスがその形を露わにする。すでにぐっしょりと濡れているのは翼の蜜のせいだ。  濡れた生地が外気に冷やされ気持ちが悪い。下着のウェストに指を掛けて引き下ろすと、勢いよくペニスが跳ねた。 「あぁぁ……っ」  たったそれだけで顎を上向けて声をあげる翼をカーテンの隙間から見ていた男がいた。 「上物のΩだな……。カメラ回ってるか? これ、使えるぞ……」  短い顎鬚を撫でながらイヤらしい目を細めたのは、あの助監督――狭山だった。  普段は監督や出演者にいい顔を見せる彼だったが、その本性は自身の肩書を利用して風俗で使えそうな男女を店に斡旋するブローカーだった。  彼の巧みな口車に乗せられ風俗店に売られた者は多い。しかも今回は高額で取引されるΩを標的に、MM号まで持ち出し、ついでに人気の衰えないセイジの名を出してビデオの撮影と見せかけ罠を張っていた。  機材スタッフがあらかじめセットされたカメラに映し出された翼の映像をモニターで確認する。 「これ……。マジでヤバいっすね」 「ヤバいだろ……? 売りに出す前に手を付けてもバチは当たらないよな」 「狭山さん、それは……」 「お前が黙ってさえいればバレりゃしないんだよっ」  翼をナンパしたスタッフの顔色が変わる。ただカメラ映えするΩを連れて来いと言われたバイトではあったが、狭山が手を出すなんてことは聞いていなかったからだ。 「それはマズイでしょっ」 「うるせぇ! お前はちゃんとカメラ回してろよ。今にもっといいモン見せてやるからよ」  口元をだらしなく緩ませた狭山がカーテンを開けて翼の元へと近づく。その気配に気づいた翼は息を呑んで振り返った。 「誰っ?」 「苦しいだろ? さっきお前が飲んだビタミン剤は誘発剤だ。俺がその体を鎮めてやるから安心しろ」 「え……。セ……セイジさんは? 俺、セイジさんに会いたくて――。あぁ、んあぁ……っ!」  その名を口にした瞬間、手で上下に扱いていたペニスから白濁が吹きあがった。腰をビクビクと痙攣させM字に開いた脚の爪先がギュッと丸まる。 「もうイッちまったのか? 随分と感度のいいΩだな。こりゃ、高く売れそうだ」 「はぁ、はぁ……。なに……言ってんの? 売れるって……なに?」  肩で息を繰り返しながら狭山を睨みつけた翼だったが、その劣情に濡れた瞳には鋭さのかけらも感じられない。  狭山がいそいそと羽織っていたシャツを脱ぎ、舌なめずりをしながら翼の肩に手を掛けた時、MM号の扉が派手な音を立てて開いた。

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