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禁断の実

──お前は、変わっているな。どうして、そうなんだ── 父の声がする。あと、母のすすり泣きも。ああ、そうだ。見合いの日に、約束を破って近所の池にいるところを見つかった時だ。珍しいコオイモモイロカエルの卵を見かけて、採取していたんだ。 ──なぜ、生物学なんだ?これからは科学の時代だ。その賢い頭を、もっと役に立てたらどうなんだ── 父の言葉は、俺にはなんの意味もない。 生き物ほど、この世に美しいものはないのだ。ありとあらゆる環境で、さまざまな形をした生き物たちが、同じ熱さの命の火を燃やしている。 もっとも美しいのは、ルプゼノビス。 俺の中にも、彼らと同じ命の火があるのだと思うだけで、嬉しくなるのだ……。 そうか、俺は、もしかして……ルプゼノビスに食われて死にたかったのか? 頭の痛みに、意識が浮上する。 視界が霞んでいて、あまりよく見えない。だが、背中に触れているのは草の生えた地面ではないことは分かった。暖かい、毛皮のような、柔らかなものだ。獣の匂いも感じる。毛皮、だろうか。 周囲は薄暗いが、森の中とは違うようだった。どこか、室内にいるように思える。 「ん、あ」 起き上がろうとすると、頭がクラクラした。 深呼吸をして、痛みと目眩に耐える。 そういえば、ここは呼吸が楽だ。空気が重く感じたりはしない。 ごそりと、足元で何かが動く気配がした。 霞んだ視界に、黒いものが映る。 それは、輪郭がぼんやりしているせいで、まるで熊のように見えた。 「ルプ、ぜ?う、あっ」 突然、足首をそれに掴まれる。 ズルズルと引き摺られ、強打した頭が硬い床に擦れた。土の地面というより、岩の感触だ。 どこか明るい場所に、ズザッと手荒に放り出される。 数回瞬きをし目を擦ると、ようやく視界が晴れてきた。 明るくみえたのは、月明かりだった。ほんの少し満ち始めた月が、金色に輝いている。星はまるで、砕いた宝石をちりばめたようだった。 そして。その見事な星空を背負って立っている、巨大な生き物。 黒い毛並みの……月と同じ色の目をした、狼が。二本の脚で、立っていた。 風に黒い毛並みが揺れている。その体つきは逞しく、腕が俺の足くらいの太さだ。足はまさしく、狼の脚だ。人間からすれば、関節が逆に曲がっているように見える。しかし、あれはかかとなのだ。人間のように服を着る習慣も、必要もないのか、彼は裸だ。毛皮の鞘に収まった陰部と大きな陰嚢がむき出しだった。 そして、ふさりとした、太く立派な尾。 何度も、何度も、空想した、ルプゼノビスが。 俺が想像した以上の美しさで、そこに存在していた。 「あ、あ、あ」 声が出ない。 ただ、涙がポロポロと溢れた。 なんて、綺麗なんだ。 ただその場に横たわったまま、俺は感動に泣きじゃくった。このまま食い殺されても本望だ。 俺を見下ろしていたルプゼノビスは、首を傾げてピスピスと鼻を鳴らした。そして、俺のそばにしゃがみこむ。 ああ、もっと太っておけばよかった。きっとその方が美味しかったのに。 そんなことを考えていると、ルプゼノビスは俺の胸元やら脇やら股間やらに鼻を近づけて、くんくん匂いを嗅ぎはじめた。 さらに、執拗に尻の匂いを嗅がれる。服越しとはいえ、微妙な気分だ。 犬はお互いの尻の匂いを嗅ぐことで挨拶をする。ルプゼノビスも同じなのだろうか。……ここは俺も嗅ぎ返すべきなのだろうか。 グルルゥ、と呻き声を漏らした後、ルプゼノビスは俺の体をそっと抱き上げた。柔らかな毛並みに頰が触れて、獣の匂いを強く感じる。頭の痛みが吹き飛びそうなくらいに、俺は舞い上がってしまった。 ワンと一言吠えて、ルプゼノビスは俺の頭を舐める。味見というより、いたわるように優しく舐められ、俺は食われるわけではないのだと気がついた。 多分、ルプゼノビスが俺を殴って昏倒させ、ここに運んできたのだと思う。 なぜそうしたのだろうか。 考えながら、周囲を見渡してみる。どうやら、グレゴール山脈の険しい岩山の中腹だ。岩肌が削られた石窟が、町を形成している。岩山を掘り、居住空間や通路を作っているのだ。しかし、不思議とシンとしていた。人の気配を感じない。夜だからだろうか。 俺を抱いたまま、ルプゼノビスはさっきまでいた石窟に入っていく。 さっきはよく見えなかったが、中はがらんとしていて、家具らしいものはない。俺の鞄と大事な図鑑だけ、部屋の隅に放り出されている。殺風景な部屋だ。 毛皮の敷かれた寝床に俺を寝かせると、ルプゼノビスは俺を抱き枕のようにして自分も横になった。 「ぐ、ぐぇ」 腕が重いし、窮屈だ。 だが、悪い気分じゃあない。 金色の目が、俺を見ている。濡れた鼻が、額に触れた。 俺は目の前の毛皮に顔を埋めて、目を閉じる。足の足から、頭のてっぺんまで、幸福に満ちていた。ずっと憧れていた生き物に触れることができたのだから。 その達成感は、俺の疲れた体をあっという間に夢の中へと引きずりこんだ。 ※※※※※ 「な、なんだこれ」 目が覚めると、頭の真横に大量の果物が積まれていた。 丸くて、赤い、リンゴのような果物だ。だが、匂いは桃に近い。見たことのない種類だった。 ルプゼノビスはいない。どこかへ出かけているようだ。 とりあえず腹も減っていたので、果物を一個手に取る。わざわざ隣に置いたということは、食えということだろう。 持つと、汁がたっぷり含まれているのかずしりと重い。果肉は柔らかく、皮は手でつるりと剥けた。白い果肉にかぶりつくと、とにかく甘い。リンゴのような果物らしい甘酸っぱさはなく、はちみつのような味だ。 幸い、甘いものは好きだ。 立て続けに三個食べた。 一晩寝たからか、頭の痛みも楽になっている。 石窟を出てみると、太陽はもう中天にさしかかっていた。 しかし、妙だ。あまりに、静かなのだ。 今まで俺が寝ていたような石窟がたくさんあるが、どこを覗いても空き家だった。何もない。 もしかして、ここはルプゼノビスの町ではなく、誰もいない空き家にあの個体が住みいていただけなのか。そんな風に思える。 「ん、ここは……?」 しばらく探検していると、ある部屋に何か荷物が残されているのを見つけた。萎びた毛布と革鞄だけが、無造作に床に放り出されている。 その革鞄は、どう見ても人間の作ったものだ。手にとってみれば、ずしりと重い。 誰もいない廃墟のような石窟群。そこに取り残された革鞄。なんとも、好奇心がくすぐられるじゃあないか。 開けてみようとした時、ぐるる、と呻き声が聞こえた。振り返ると、あの黒い毛並みのルプゼノビスが、ズカズカと部屋に入ってきたところだった。昨日は何も身につけていなかったが、今日は腰に布を巻いて紐で留めている。もしかして、昨日たまたま全裸だっただけで、ルプゼノビスは人間のように服を着る習慣があるのだろうか。 うぉん、うぉう、と吠えて、ルプゼノビスは俺の頭を指差す。そして、また俺をひょいと抱え上げた。 「ええと、怪我をしているから安静にしてろ、ということか?」 声をかけても、ピスピス言うだけで返事はない。言葉は通じないのだ。 身振り手振りで、頭は痛くないと伝えようとしてみるが、あまりうまく伝わらなかったようだ。 俺がパタパタと手を動かすのが気になるようで、金色の瞳をクリクリと動かすが、それだけだ。ルプゼノビスは俺の頭と額を舐めて、また最初の部屋へと運んだ。 毛皮の寝床に寝かされて、俺はすっかり困ってしまう。 「本当に大丈夫なんだ。俺は、色々調べたい。学者なんだ。興味があるんだ、君たちに。この場所に」 しかし、ルプゼノビスは俺の都合など気にない。頭の打たれた部分の髪を掻き分けて様子を見たあと、何か草をすり潰したようなものを塗られた。匂いからして、おそらく薬草だ。傷の手当てをしてくれているのだろう。 そして、次にあの果物をしこたま食べさせられた。 彼の手で口元に運ばれてくるから、齧らないわけにはいかない。俺が一口食べるたび、ルプゼノビスはパタパタと黒い尻尾を振った。 どうも、俺の世話を楽しんでいるように見える。 ……もしかして、彼はさみしかったのだろうか。ここにはどうやら、彼しかいない。 背筋をぞくりとしたものが這い上がる。この美しい獣を、俺は今、独占しているのだ。彼は孤独の埋め合わせに、俺を側において飼うのだろうか。それはそれで、悪くない。 「ああ、なあ、君は食わないのか?」 積まれた果物を手に取りルプゼノビスへ差し出した。しかし、彼はなぜか少し不愉快そうに眉間に皺を寄せ、首を左右に振った。果物は嫌いなのか? 結局一方的に食わされ続け、動けないくらいに腹がいっぱいになった俺は、横になっているしかなくなってしまった。 濡れた鼻で俺の首筋や胸元の匂いを嗅ぎ、ルプゼノビスは目を細める。くすぐったくて身をよじると、大きくて鋭い爪のある手が俺の頬を撫でた。 まるで愛撫のような手付きだ。ふわふわした毛とむにむにした肉球の感触は、悪くない。 「ん、ぁ」 心地よくてされるがままにする。 すると、ルプゼノビスは俺の着ている開襟服(シャツ)(ボタン)を器用に外しはじめた。剥き出しの腹を探るように触られる。 更にルプゼノビスは袴下(ズボン)にまで手をかけようとした。 「ま、待ってくれ」 その腕を掴んで止めると、ルプゼノビスはキューンと鼻を鳴らして首を傾げた。知性の光を宿す金色の瞳は、妙に濡れている。 恐る恐る彼の股座へ視線を移せば、そこを隠す布下で巨大な一物が屹立していた。 まさか。 いや。動物達の中では、雌にモテない若い雄同士で交尾するというのは、実は珍しくはない。よくある話だ。 別の種類の生き物を捕まえて、強姦するものもいる。 彼も持て余した性欲を……俺で解消することにしても、なんらおかしくない。 「ひ、っ」 ここへ来て、初めて恐怖を覚えた。 今まで人間の女性に対して全く興味がなかったし、そもそも性欲も薄かったので、恋愛経験も性経験もない。それでも、布を押し上げてその大きさを主張する巨根を尻穴に突っ込まれたりしたらどうなるか、くらいは想像できる。 しかし……俺は拒まなかった。彼の腕から手をはなし、歯を食いしばる。ルプゼノビスの交尾について知る好機だ。そのために、恐怖に耐えることにした。 ルプゼノビスは満足そうに目を細め、俺の袴下(ズボン)を脱がせた。そして下着を剥ぐと、陰毛に隠れ萎れきった性器を撫でてくる。 「ぁ、はっ」 初めて他人に触れられて、しかもずっと焦がれていたルプゼノビスに。獣姦や同性愛の癖があるわけではないのに、頭が痺れるくらいの衝撃と興奮を覚えた。 「あっ!ちょ、うわ!」 さらに、彼は俺の腿を掴んで大きく足を開かせると、股の間に顔を突っ込んできた。ぬるりと、熱いものが尻の谷間から陰嚢、竿までを伝う。 舐められた。 「ひっ!やあ!あーっ!」 目の前が真っ白になって、俺の体は固く強張る。パタパタと、ぬるい液体が腹にかかった。イってしまった。こんなに、簡単に。 体から力が抜け、息を整えることしかできない。それなのにルプゼノビスは、まだ舌での愛撫を続けようとする。 「も、い、今は、ああ」 ぬるっと。弛緩していた尻の中に舌が潜り込んでくる。中を舐められ、恥辱と、自分の汚い部分をこんなにも美しい生き物に舐められている申し訳なさに、涙が出てきた。 「ふあ、あ、あー…」 じゅぷ、じゅる。濡れた音が、石窟内に響く。涙で揺れる天井をぼんやりと眺めていた俺の視界が、覆い被さってきたルプゼノビスの胸板で埋まる。 足を限界まで開かれ、尻の穴に、固く熱いものが当たった。 「ぐっ!う、う!」 めりめりと、閉じた場所がこじ開けられていく。俺の中に打ち込まれた楔は、ビクビクと震えていた。尻が痛くて、腹の奥が熱くて、呼吸が苦しい。 それなのに、俺は決して嫌ではなかった。むしろ、幸福感を覚えていた。 ルプゼノビスが、彼が。嬉しそうに尻尾を揺らし、俺の頬を舐めてくれるから。 抽送(ピストン)が開始されると、内臓を掻き回されるような不快感と灼熱感に苦しめられる。さっき食べた果物が、胃から押し出されて口から出そうだ。 ハッハッと、耳元で獣の荒い息遣いが聞こえる。気持ちいいのだろう。 俺は痛くて苦しいだけだ。柔らかな頭の毛並みを撫でながら、ただ彼の欲望を受け入れる。 ぐちゅ、ぐちゅと、水音が聞こえた。俺の血と、ルプゼノビスの唾液や先走りが、出し入れのたびに音を立てるのだ。 「っ、くっ、う」 長い間そうしていたが、やがてルプゼノビスの動きが止まり、腹の奥に熱いものが吐き出された。黒い耳を倒し、切なげに眉間に皺を寄せ、ルプゼノビスは俺の中に精液を排泄する。犬の射精は長いが、彼も同じなようだった。五分ほど射精は続いた。 「はあ、あ」 ずるるっと、巨大な一物が抜け出ていく感触に思わず呻いた。視線を下腹部へと下ろしてみれば、穴から抜けたばかりの赤黒い肉棒には、血の混ざった白濁がべったりと絡みついている。 性器の形は犬に似ていた。根元には亀頭球もある。あんなに大きな球まで突っ込まれたら穴が裂けてしまいそうだが、今回はその危機は回避できたらしい。 この卑猥で巨大な性器が、自分を犯したのかと思うと、不思議な興奮を覚えた。 子どもの頃からルプゼノビスに憧れて生物学者になったが、まさか初体験がルプゼノビスとの交尾になろうとは。 ルプゼノビスはくぅと鼻を鳴らして、俺の首筋に軽く歯を立てから、舐めた。そして、俺の頬を優しくなで、言葉にはならない何かを俺の耳元で囁いてから、離れた。 それは、まるで睦言のようで……少し照れてしまう。 「どこかへ、行くのか?」 なんとなく、まだ側にいてほしい。 腰布を整えて立ち上がったルプゼノビスに声をかける。俺も立とうとしたが、腰と尻がいたくてままならなかった。 「今は……一人にしないでくれ」 引き止めるように手を握ってみる。なぜか、顔が熱い。 どうやら伝わったのか、ルプゼノビスはしばらく何か考えていた後、俺をそっと抱き上げた。 そのまま、石窟を出る。町を離れ、岩山を登っていった。麓の方を見下ろせば、あの毒の森が見える。 このあたりには、毒のない普通の高山植物がちらほら生えていた。鳥のさえずりも聞こえる。 特になんの変哲もない高山動物達が、当たり前の顔をしてそこにいる。眼下の毒の森が、まるで嘘のようだ。 俺を抱えたまま、ルプゼノビスは軽々と山を登っていく。そしてたどり着いたのは、白く小さな花が群生している、花畑だった。 「これは……」 その花畑には、あちらこちらに棒が突き立てられていた。そして、その棒にはすべて布が巻きつけられ、紐で縛られている。布は俺を抱いている彼の腰にあるものと同じものようだ。 「……墓か」 ここに眠っているのは、あの石窟群に住んでいたルプゼノビス達なのだろうか。 三十本ほどあるだろう墓標の中で、一本の前には鳥の死体が置かれていた。 その墓の前に俺を下ろして、ルプゼノビスは跪いた。祈るように目を閉じて、墓標を撫でる。 そして、空を見上げて遠吠えをした。オォォーー、と。その声は世界の端まで届きそうだった。きっと、彼の大事な人の墓なのだろう。俺も膝をつき、両手を組んで神に祈った。 ふと目を開けると、彼は俺を真っ直ぐに見つめていた。そして、その牙の並ぶ口をゆっくりと開くと、舌を出して俺の唇を舐めた。 彼の呼気からは、獣の匂いがする。それなのに、不快感はない。 は、は、と。浅い呼吸しかできなくなる。俺は緊張してしまいながらも、唇を開けて舌を出してみた。ぬるりと、ルプゼノビスの舌が触れる。 ──口付けだ。 動物も、親愛の情を示す手段として、口付けを行う種は多い。 いや、ルプゼノビスは動物ではない……墓を作り死者を弔うものが、動物であるはずがない。 彼は『人』だ。毛並みのある、人だ。 俺は……ずっとルプゼノビスという不思議な動物に憧れていた。だが、目の前にいるルプゼノビスは人だった。 人ならば、俺は、俺のこの憧れは。抱かれることすら許してしまう、この感情は。違うものに変わってしまうのではないか。 ルプゼノビスは俺の戸惑いには気付いているのかいないのか。俺の頭を優しく撫でると、俺をそっと抱きしめた。優しい手つきで、下腹あたりも撫でてくる。 さっき出されたものを思い出して、なんだか頭がくらくらとした。 さあっと風が吹いて、白い花びらが風に舞う。花弁が踊る青空の下。そこだけ夜空を切り取り貼り付けたような、黒と金色。 ルプゼノビスの月のような瞳には、俺が映っていた。閉じ込められたかのように。

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