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第10話 オメガ

 雨が強く降った朝、シリルは熱を出した。体に重りがついているようで、間接が軋む。起きあがるにも苦労するほどだ。その日は仕方なく仕事を休んで一晩眠ったが、一向に体調がよくなる気配がない。病気になると、どうしても心細くなるのはシリルだけではないだろう。机にしまっていた、グレンが昔描いてくれた両親の絵を見ていると、グレンの母が扉をノックして顔を覗かせた。 「シリル君、調子はどう?」 「おばさん、なんだかだるくて。昨日と同じ微熱のままなんだ。最近珍しい植物がたくさん入ってきて、あまり眠れなかったせいかな」 「そうね、季節はずれの風邪かしら。氷嚢を取ってくるわね」  扉を閉めようとした黒豹の髭が、なにかを察知したようにピンと立った。 「シリル君、なんだかこの部屋だけ甘い香りがするわ。まるで蘭みたいないい香り。お仕事の花を持って帰ってきたのかしら?」  シリルはぶんぶん、と首を振る。花がないのに香りがする? 部屋にあるのは仕事で使う資料の本だけだ。 「自分の第二性は分かってる? お父さんとお母さんはどうだった?」 「自分で調べたことがありません。父はベータで母はオメガだったけど」  そう言うと、黒豹は首を傾げた。 「おばさんの推測だけど、シリル君はオメガなんじゃないかしら」 「え?」 「オメガやアルファ、ベータという第二性について詳しく知ってる?」  シリルは再び首を振る。知っているのは、男性と女性という第一の性別のほかに、第二の性別があり、上位種からアルファ、ベータ、オメガと呼ばれているということだ。上位種に首筋を噛まれると、望むと望まざると関わらず「(つがい)」と呼ばれる伴侶にされる。母は数年前に暴漢に襲われたとき、無理やり番にされ殺された。 「男性でも女性でも、アルファは身体的にも知能的にも優秀な者が多いと言うわ。彼らはオメガの発情にあてられると、ラットという発情状態になり体の能力が上がって凶暴になる傾向がある。オメガが強姦されるケースが多いのもこういう理由からだというわ。首筋を噛まれると番になり、その者としか交われなくなる。番以外と交わると、吐いたり熱が出たり拒否反応を起こしてしまうの」 (あ! それでお母さんは殺される前、あんなに吐いてしまったんだ。お父さんと番の契りを交わしていたから……)  吐瀉物と血、精液にまみれ動かなくなった母の姿が思いうかぶ。自分も母と同じオメガだったのだ。 「だから、まだ伴侶を決めていないオメガは首輪をしたほうがいいと言われているの。少し不自由だけど、事故に巻き込まれても番にまでされることはないから。首輪を用意しなきゃね。アルファの女性も、ラット時には男性器を発現させるから、アルファには注意したほうがいいわ。発情時に彼らと交わると、かなりの確立で子供が出来てしまうから。シリル君が安心していいのはベータの女性とオメガの人だけなの。それ以外の人の前では、常に首輪をして、今みたいな発情期にはフェロモン抑制剤を飲んだほうがいいわね」 「……オメガって、大変なんだね」  アルファやベータの男性に首筋を噛まれると否応なく番にされ、発情期には危険にさらされる。いいところなどひとつもなくて気が滅入る。 「そうね、番が決まるまでは大変かもしれない。でも私の知り合いで、アルファの貴族様に見そめられたオメガの男の子がいるわ。彼は結婚して、今では伯爵夫人として四人の子を立派に育てている。そんな幸せな例もあるのよ」  男が玉の輿に乗れるというのも初耳だった。 「でも、それじゃまるきり女の子みたいで……」と言い淀むと、グレンの母が柔らかな毛並みの手を肩に置いた。 「もちろん、オメガやベータの女の子と番って夫婦になってもいいのよ。シリル君、この世の終わりみたいな顔しないで。来客用の抑制剤が少しだけ家にあったはずだわ。首輪はまた、回復したら一緒に選びに行きましょう」

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