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第15話 仮眠室での出来事
二日後の朝、シリルは早めに家を出た。グレンと一緒に出勤するのが気まずいので、ここ何日か時間をずらしているのだ。今晩はキノコを見ると決めているので、夕食も用意している。
(誘われた日から発情の気配はないから、今夜は大丈夫だろう。もし研究室で具合が悪くなってしまったら、オメガ専用の仮眠室に行けばいい)
もしそうなってもグレンは助けに来てくれないだろうが、背に腹は替えられない。それに、無理やり番にされてしまうのを防ぐための首輪がある。そんなことを考えながら研究室に向かうと、セスが愛想のいい顔を見せた。
「シリル君、ヒートが来なかったんだね。この調子だと、月夜に光るキノコを一緒に検証出来そうだね」
「はい!」
その日は仕事をしていても、光るキノコのことで頭が一杯だった。どんなふうに発光するのか、時間は、色は、発光が終わったあとはどんなふうになるのか。……起こりうることを想定し、ノートにチェックする項目を書き込んでゆく。セスも普段よりそわそわしていて、業務の合間になるとふたりで今晩の検証について話してしまった。やがて終業の時間を迎えると、セスが手に豆を膨らませた菓子を持って話しかける。祭りなどでよく見かける、ふわふわしたカラフルな菓子だ。
「満月が研究室の窓からよく見えはじめるのは、午後十時くらいからだそうだ。それまでに夕食を食べておいたほうがいい。なにか食べるものを持ってきた?」
「はい、パンにサラダ、あとスープです。セス先輩は、そのお菓子ですか? たくさんありますが、栄養がちょっと……。僕のサラダ、差し上げましょうか」
いい歳をした大人が食べるには、セスの持っていたカラフル豆菓子は食べると小さくなってしまうし、甘すぎるように思えた。
「ほんとう? ありがとう、じゃあこちらも少しお返しするよ。デザートにどうぞ。スペシャル版だよ」
はい、と豆菓子の砂糖がけを差し出されたので、反射的に受け取ってしまった。シリルも甘いものは嫌いではない。
「ありがとうございます」
自分のデスクに座り、少し早い夕食を広げる。スープを温めるために研究室の台所を借りた。トマトと白い野菜を集めた、グレンの母の特製だ。
(グレンと喧嘩しているの、母さん気にしていたな。このままグレンが謝らなかったら、僕は家を出たほうがいいのかもしれない。一人で生きて行けるだけのお金だって稼いでいるんだし)
もともとシュレンジャー一家が身寄りのない孤児を親切に助けてくれただけなのだ。甘えすぎていたと言われても仕方ないだろう。セスにもらった豆菓子を口に放り込み、時計を見る。六時になったばかりだった。
持ってきた食器を洗い終えて、キノコの株を窓辺に置いたとき、尻になにかが伝った。急いでトイレに行くと、透明な粘液が出ていた。気になって自分の匂いを嗅いでみると、いつもより甘い香りがする。
(発情。よりによってこんなときに……!)
心臓が早鐘を打つ。危険だと頭の中で信号が点滅している。いつもポケットに入れている抑制剤を飲み、オメガ専用仮眠室へと向かう。セスのことだから襲ったりしないとは思うが、ほかに夜勤のアルファやベータがいないとも限らない。寝台とキャビネット、それに奥の続き部屋にトイレがあるだけの殺風景な仮眠室に入ると、内側から鍵を掛けた。
「シリル君、もしかしてヒートになっちゃったの?」
扉の向こうから聞こえるのはセスの声だ。
「はい、すみません。せっかくですけど、今晩はここにいるつもりです」
「僕も入っていい? キノコの株を持ってきてあげる。ここで一緒に見ようよ」
「え……。だ、ダメです。セス先輩もアルファですよね」
いくら普段よくしてもらっているとはいえ、発情時にアルファを招き入れるのは危険だ。
「だからだよ。……この中で番になろうよ、シリル君」
バン! と耳が痛くなるような音がして、扉が開かれた。セスが眼鏡を外し、胸ポケットに挟む。
「この部屋を作った僕が合い鍵を持っていないはずがないだろう? 馬鹿なオメガだ」
「あ……!」
「さっき渡した砂糖がけのお菓子はね、発情を促進させる作用があるんだ。発情したくても出来ない夫婦用に作られたものを、きみに与えた」
「どうして、先輩……。先輩はそんなことをするような人じゃ」
「シリル君、大人は色んな顔を持っているんだ。いつも見ている僕だけが僕だと信じない方がいい」
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