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第16話 変貌

 セスが近付きながら、研究者が着る長めの上着を脱ぐ。シャツも脱いでしまい、窓から差す月の光を浴びると「ウウ」と唸り声を上げた。バリバリとズボンが裂ける音が聞こえ、目の前にいたはずの男が獣に変わってゆく。鼻は長く伸び、皮膚には獣毛が生えて体がひとまわり大きくなる。 「ウォオオオ!」  遠吠えのような声を発し、セスは狼型の獣人に変化した。狼の獣人は今までに見たことがあったが、青黒い毛並みで凶悪な目つきをしたこのような獣人には出会ったことがなかった。ペタリと床に座りこんだまま、シリルは後退る。姿を自在に変化出来る獣人がいたなんて。このままだと確実に犯されてしまう。逃げないといけないのに、腰から下が痺れたように動かない。  獣人が長い舌を出し、ハッと荒い呼吸をする。 「この甘い香り、たまらない……。こんな匂いは七年前、ここに近い森の小屋で嗅いだとき以来だ。あの時は見付けた女に酷く抵抗されて、やり返して犯すうちに死んでしまったけれど。――番に選んでやったのに失礼なオメガだった」  その言葉を聞いた瞬間、すべてのものが静止した気がした。狼型の獣人、森小屋のオメガ、死んでしまった女。――みな、七年前の事件と一致する。 「セス先輩、あなた……、お前がお母さんをむごたらしく殺したのか! よくも今まで……。どうやって隠れていたんだ」 「森に入ったときは狼の姿、帰るときは人の姿に変化すると、だれにも疑われない。僕は合いの子の中でも貴重な変身種だけど、変身する瞬間でも見られないと気付かれない。森を出たあとは、職を探していると言うと、それまでに修めた学問の知識とアルファだというだけで、純粋な獣人だちは快く研究所に迎えてくれたよ」  シリルの目に悔し涙が滲む。領主様たちを欺き、残酷な方法で父と母を殺した奴を今まで自分は先輩と慕っていたのか。 「……許さない。お父さんとお母さんを殺した奴を、忘れたことなどなかった。僕は犯人を絶対に殺すと決めたんだ」  服の内ポケットに忍ばせた銃を取り出す。丸腰相手に卑怯だと言われようが構わない、こいつは母を蹂躙した悪党だ。弾丸が入っているところまで回転式弾倉(シリンダー)をカチカチと音を立てて廻す。固くて廻らないと気付いた瞬間、狼の長い腕が銃をはたき落とした。 「慣れないことはしないほうがいい、シリル君。銃はしょっちゅう手入れしないと錆びるものだ」 「くっ……!」  手の甲に、爪で引っかかれた傷が一本走っている。 (死んだお母さんの顔にあった引っ掻き傷と同じだ。僕は両親の敵を取れずに、同じ殺されかたをするのか)  セスの声で話す狼が、一歩ずつ間合いを詰めてくるので、シリルは自分を抱きしめるようにして身を守った。じり、と近付いたセスが右手を上げ、シャツの前合わせを裂くべく長い爪をひた、と這わせた。 (犯される!)  その時、あたりを震わせるような獣の唸り声が轟いた。人間のシリルにも分かる、格段の強さを持つ者の雄叫び。おそるおそる瞼を開けると、ひときわ大柄な豹の獣人が狼の獣人を殴り飛ばしていた。まるでスローモーションのように、狼がシリルの前を飛んで、窓際の壁にぶつかった。 「セスさん……あんたが、お前がシリルを悲しませていたのか。……卑怯者!」  体勢を崩し、しゃがみ込んだ狼を豹が追い詰め、その顔を何度も殴る。 「やめてくれ、グレン! 僕はシリル君の先輩だよ? きみにも借りがあるはず……ぐっ!」  殴られながらも、セスが説得しようと叫ぶ悲鳴が切れ切れに聞こえる。グレンは一向に構わず、無言のまま刑を執行するように暴力を与え続けた。次第にセスの声が聞こえなくなり、殴打する鈍い音だけが仮眠室に響きだして、やっとシリルは我に返った。セスは歯が欠け、鼻血を出して口を開けている悲惨な姿と化している。 「グ、グレン、もういいから。もう意識もなくしちゃってる。死んじゃうよ」 「死ねばいい。お前を幼い頃から苦しめてきた犯人だ」  狼を見下ろす豹は、裁きを下す王のように冷徹な瞳をしている。獣特有の、宝石のように美しい目だと思った。 「もういいんだ。脅されているときは怖かったけど、グレンがこいつを殴り飛ばしてくれたときスッとしたから。夜警をしている警備を呼んで、しかるべき場所で罪をぶちまけてやる」 「そんなのでいいのか」 「いい。グレンが充分すぎるくらいにやっつけてくれたから。何人も殺した癖に、長年自由でいたんだ。きっと罪が重いだろうし、それが好き勝手に生きてきたこいつには一番堪えると思う」 「……そうか」  グルル、と唸るとグレンは踵を返して夜警の者を連れて来た。一人では大変そうだからと、牢屋のある地下までセスを背負って行った。

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