2 / 9
右近衛中将の貞操 その2
「物の怪退治の命、確かに承りました。左近衛中将と共に物の怪の正体を暴き、都に平穏を取り戻します」
物忌みがあけた蓮月が、待ちかねたように一番に出仕してきた。
小動物を思わせるつぶらな瞳が、キラキラ輝いている。
小首を傾げながらニコリと笑う姿が、愛らしい。
知らず知らずのうちに、帝の口元が緩む。
クーッ、可愛すぎる。朝から眼福とはこの事。この数日の憂いがすっかり抜けて心が癒される。このまま置物にして、一日中眺めていたい。
うん、頑張って、と言いかけて、左近衛中将の軽薄な顔がよぎった。
少し釘を刺さねばと、帝は表情を引き締めて口を開いた。
「左近衛中将と一緒に行動しないといけない訳ではないからね? 見回りは交代でした方が負担が少ないし。わかってる?」
野獣(左近衛中将)と夜道を歩くのは危険。パクリと食べられかねない。否、舌舐めずりして手をこまねいているに違いない。
言葉の真の意味をちっともわかっていないようで、蓮月はまじめ腐った顔をして答えた。
「なるほど。確かにその通りですね。今日の宿直(とのい)の際に、左近衛中将に提案してみます。左近衛中将は一緒に見回りをするつもりのようでしたから」
何?!
あいつ、やっぱりそうかっ!!
思い過ごしではなかったと、帝はプルプルとコブシを握りしめた。
あの遊び人の左近衛中将の手にかかったら、この純情な蓮月なんてイチコロだ。あれよあれよという間に、大切なものを奪われてしまうに違いない。
なんとしても、守らなくては。
「宿直って、今夜? 左近衛中将はそうだけど蓮月は違ったよね?」
宿直というのは、近衛府が担当する夜間警備のことで、亥の刻・子の刻は左近衛府が、丑の刻・寅の刻は右近衛府が担当している。
今朝、弁官が持ってきた名簿には蓮月の名前はなかったはず。
「はい。予定では違ったのですが、これからは一緒に行動した方がいいということで右衛門佐と交代したのです」
帝の動機が激しくなる。
あいつ、今夜決行するつもりなのか??
脳裏に左近衛中将に貫かれ涙を流している蓮月の姿がものすごくリアルに浮かぶ。痛みと恐怖、親友に裏切られる悲しみに震える白くて細い体。容赦なく打ち付ける浅黒くいきり立った怒張。あんなもので欲望のままに貫かれたら蓮月が壊れてしまう。
帝が青くなっている所に、ワラワラといつものメンバーがやってきた。
左近衛中将もいる。
その顔を見た途端、カッと頭に血がのぼって、命令口調で一気に捲し立てた。
「左近衛中将。しばらく宿直は免除するので、三条を重点的に見回りしてください。それと、物の怪について二人に命じましたが、一緒に行動しないといけない訳ではないから。むしろ、別に行動して手分けした方が効率的なので、そのようにしなさい」
どうだ、この理にかなった意見。
完璧すぎて、反論できないに違いない。
帝は、満足して皆の顔を見渡した。
「右近衛中将が相手ならば今夜の宿直は、この私が……」
左中弁が名乗りを挙げた。
帝は、ぎょっとした。
今度は、お前か??
ニヤニヤして鼻の下がすっかり伸び切っている。
宮中の美少年を片っ端から食いまくっていると噂の人物。
噂じゃなくて事実だということを帝は知っている。なぜなら、現場を目撃したことがあるから。
こんなやつと宿直なんて、100%蓮月の貞操が危ない。
「そなたは、文官だろう。武官に任せなさい。予定通り、右衛門佐に任せる」
ピシャリと跳ねのけると、左中弁の舌打ちが聞こえた。
(宿直の組み合わせは要チェック)と心のノートに書き留める。
「左中弁様ともじっくりお話がしたかったのに残念です」
「では、今度、月を一緒に眺めながら一晩、語り明かしましょう」
蓮月は、舐めまわしたくなる飴玉のような笑顔で会話を続けている。
なんで、わざわざ、火に油を注ぐ様なことを言う? 皆、蓮月の貞操を狙っているというのに……。
本人は全く自覚ナシで、危機感ゼロなのが問題だ。
帝は、がっくりと肩を落とし、ため息をこぼした。
無防備に誰にでも愛想を振りまいて……食われても知らないから。
世の中には、悪い大人がいるんだ。
自覚して自衛しなきゃダメなんだ。
私が守るにも限度があるんだよ。
帝は、心の中で呟いた。
帝と蓮月が出会ったのは、11年前のまだ東宮時代。
政権争いで都がゴタゴタしていたため、1ヶ月ほど吉野に避難していた。
そこで療養のために吉野にいた蓮月と出会ったのである。
当時、帝は10歳、蓮月5歳。
花のような可憐な姫だった。
生れたときから信用できる人がいない周りが敵だらけの状況に身を置く帝にとって、自由闊達な吉野の地での蓮月の邪気のない笑顔に一瞬で陥落した。
「必ず、お迎えにあがります。私の姫になってください」
足元の花を手折り、プロポーズした。
本気で、この姫を手に入れたいと思っていた。
父帝が崩御し、都に呼び戻されて新帝に即位したのは、そのすぐあとだった。
全てが落ち着いたあと、蓮月の身分と性別を知り、あっけなく初恋は終わった。
けれども、何年過ぎようと、帝にとって蓮月は甘酸っぱい初恋の姫のまま。
本物の姫ではないから、幼き頃に思い描いていたように、女御に迎えることは出来ない。
だが、何人たりとも、穢すことは許さない。
自分が、魑魅魍魎の魔の手から守り切ってみせる。
帝はぐっと手を握りしめ、決意を新たにした。
ともだちにシェアしよう!