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右近衛中将の貞操 その5

 すっかり夜も更けた子(ね)の刻、つまり深夜0時。  三条通りを、辺りを憚りながら移動する人影があった。  物の怪騒動で、都の民はすっかり怯えきっていた。  貴族も例外ではなく、普段は恋人の元に通う夜遊び好きで賑わう御池界隈も、今は人っ子一人いない寂しいものだ。  人影は、通りから外れた屋敷の中に消えた。  帝は、少し時間をおいてから、慣れた足取りで人影のあとを追った。  屋敷は、一見、地味で目立たない作りではあるが、庭の手入れはしっかり行き届いている。  それどころか、樹木の選定や池や石の配置は趣味が良い雅なもの。  かなりの身分の貴族が、ワザと目立たないように作らせた邸宅であることが窺える。  奥から、ボソボソと人の話し声が聞こえる。  帝は、音の方向に向かった。  動くなら今夜だと予想して、見張っていたのだ。  左近衛中将と蓮月の宿直が重なる今夜だと。  庭伝いに奥に進むと、芯を極力まで落としているのか薄暗い部屋があった。  そこから、声が聞こえる。 「明日、姿を現していただきます」 「……お父様が心労でお倒れになったと聞きました。こんな大事になってしまって……」 「大丈夫です。すべてうまく収まります。否、収めてみせます」  予想通り、泣き崩れる姫を左近衛中将がなだめている。 「包み隠さず、全てを聞かせてもらおうか?」  帝は、凛とした声で、静かに言い放った。  突然、御簾から現れた帝に対し、三者三様の態度を取った。  左近衛中将は驚きの余り腰を抜かして声を失い、二の姫は「ああっ」とその場に倒れ、蓮月はというと、にっこりと鈴がなるように微笑んだ。      ◇  ◆  ◇ 「ことの始まりは、左近衛中将の浮気癖でした」  一夜明けて、ここは帝のプライベートルーム。  人払いをして二人きりになると、蓮月は説明を始めた。  左近衛中将は、親友として蓮月のところに遊びにくるうちに、いつしか姉の二の姫と惹かれ合い付き合うようになった。  左近衛中将も、二の姫も真剣なお付き合いで、結婚の約束も交わしていた。  今は、人の和を重んじる、平安の世。  結婚しますといって、すぐに結婚できる訳ではない。  しかも、名門の家同士の結婚となると、色々な方面に根回しが必要となる。  そんな根回しを開始しようとしていた折に、左近衛中将の浮気が発覚。  もともと二の姫の女御入内を画策していた右大臣は、手の平を返して結婚を猛反対した。    ここで、怒り心頭なのは、二の姫だった。  こんな事になったのは、不誠実な左近衛中将のせいと、二の姫の怒りはグツグツと頂点に達した。  二の姫は、見かけの嫋やかさとは裏腹に、少々勇ましい性格の持ち主だった。  やられたら、10倍返しが当然。  とてもじゃないけど、左近衛中将にキツイお灸を据えなければ、気持ちは静まらない。  そこで、思いついたのが六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)だ。  この六条御息所は、平安の姫のバイブル『源氏物語』の登場人物で、兎に角、嫉妬深い。  生霊や幽霊になって、ライバルや光源氏をあれやこれやと苦しめる怖い電波な人物である。  その六条御息所のコスプレ姿で脅かしてやろうと思い付き、左近衛中将の夜遊び用の別宅の前で待ち構えていた。  根が小心者の左近衛中将のことだ。少し、脅せば大人しくなるだろう。  それで、うまくいくはずだった。  だけど、運が悪かった。  よりにもよって別人に声を掛けられ、成り行きで脅かしてしまったのである。 「それが、どうしてこんな騒動に?」 「幽霊の正体見たり枯れ尾花とでもいうのでしょうか……騒ぎに乗じていろいろと報告されるようになり収拾がつかなくなったのです。目撃談はどれも、見間違いや信憑性のないものばかりでした。左近衛中将と私で見回りを強化すれば、民の不安も取り除かれ、騒ぎは収まると考えていたのですが……」  そこで、蓮月は意味ありげに目くばせをしてきた。  帝も、ため息をつく。 「右大臣か……」 「はい。姉様の女御入内の話が急ピッチで進められ、進退窮まった姉さまが家出をしてしまったのです」 「なるほど、右大臣家とは縁もゆかりもない、しかも左近衛中将の隠れ家だったから二の姫の行方を見つけることが出来なかったのだな?」 「はい。左近衛中将もこれに懲りて、浮気は絶対にしないと誓っていますし、何より、姉様の行動力に恐れをなして今後は尻に敷かれることでしょう」  左近衛中将は、大納言家から独立をして邸を構え、正式に二の姫を迎え入れることになった。  新居が出来上がるまでは、あの隠れ家で二の姫と暮らすことになる。  平安の現代は、夫が妻の家におもむく通い婚が一般的だが、正妻はお嫁入りし同居することが許されている。  二の姫は物の怪にかどわかされたのではなく、左近衛中将のところにお嫁入りした……本人たちの想いが先走りフライング気味だったため、届と根回しが遅れた……ということで騒動は落ち着いた。 「主上は、いつから気付いていたのです?」 「左近衛中将が絡んでいるのは、最初からわかっていた。ただ、目的がわからなくて」  そこで、帝は唇の端をわずかにあげた。  蓮月の貞操が目的だと思い込んで、気を揉んでいたことは秘密にしておこう。    帝は、目の前の愛おしい人に目を細めた。  肝が据わっていて、頭が切れて抜け目がない。  少女のようなたおやかな外見に騙されてはいけない。  でも、お忍び好きで破天荒な自分には、そのくらいがちょうどいいではないか?  帝は、ニヤリと笑うと蓮月の耳元で囁いた。 「いくら二の姫が気が強くて嫉妬に狂っていたからといって、六条御息所のコスプレや左近衛中将の屋敷に家出したりなんて、思いつかなかっただろう? はて? 誰が唆(そそのか)したのだろう?」  ひょっとしたら、左近衛中将と二の姫の出会い自体が仕組まれたものかもしれない。  二の姫の女御入内の話が表面化する、ずっと前から阻止すべく画策していた可能性もある。  そうであるならば…… 「恋の力は偉大ですからね?」  そう言って、帝の初恋の姫は、野花のような穢れのない可憐な笑顔を浮かべた。

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